第35話 御用だ御用だ浮気御用改めだ!女新鮮組だ!でエロい
天道寺さんが僕の身体に求めていることも、彼女の本当の望みも、僕には完全に理解することはできなかった。
だが少なくとも共感することができた。
当時、ただの高校生だった僕が、もしこの天道寺さんと対峙していたらと思うと、ぞっとする。きっと僕は、共感するどころか哀れむことも、そして思いやることもできず、僕に縋り付く彼女を恐れて逃げ出していただろう。
千帆と過ごした未来の日々が、彼女を思いやって過ごした日々が、完全な形ではないにしろ、目の前の少女が持っている曇りなく透明な心の輪郭を、感覚として捉えることを助けてくれていた。
妻の中にも時々現れた少女の側面は、男の目には捉えることの難しいものだった。何度それに触れようとしては失敗し、僕は彼女を傷つけ、傷つけられたか、もう覚えていられないほどだ。
けれども、夫婦生活を続けるために、僕は千帆の中にあるその存在感を推し量っては、触れられない・見えないなりに、そのしっとりとした表面を想像して撫でてやる必要があった。それは根気の必要な愛の確認行為だったが、不思議と苦痛ではなかったし、うまく彼女のそれに触れることができたとき、僕は何とも言葉にし尽くしがたい幸福感を味わうことができた。
きっと夫婦ならば、誰しもそんなやりとりを経験しているのだと思う。
それを愛おしく感じるか、疎ましく感じるかはその時々だが、なんにしても、天道寺さんの中にある感情は、誰かが寄り添うべきものに感じた。
僕ではない誰かが。
彼女の中で震える少女に手を差し伸べて、その頬に触れることを選んだ誰かが。
「……やっぱり、できないよ天道寺さん」
「……どうして?」
「君に、僕はまだ話していないことがある」
「そんなのどうだっていいわ。私が望んでいるのは――」
君の未来のことを少し話させてくれ。
僕は叫んだ。
今の自分に絶望して、決して訪れることのない幸福を願い続けることに倦んだ彼女に、再び前を向いて貰いたくて叫んだ。
天道寺さんの身体に触れることは僕にはできない。
彼女を傷つけることも、その望みを叶えることもできない。
同情してその望みを叶えても、心の痛みを一時的に誤魔化すだけだ。陶酔と高揚から冷めたとき、彼女の心は、今度は僕で作った傷のいびつさに耐えられず、さらにすさむことになる。
それでは意味がないのだ。そして、そんな風にすさんでしまった彼女を僕は知らない。少なくとも未来の僕と千帆の前で、彼女はそんな顔を見せなかった。
それはつまり――。
「君を愛してくれる人と、僕は未来で出会っているんだ」
「……え?」
「君を優しく傷つけて、そんな顔を絶対にさせない男を、僕は知っているんだ」
小さく飴細工のようになめらかな指先。いつか誰かに握られる日を待ち望んでいる手によって覆われ、隠されていた天道寺さんの顔が再び僕の目の前に現れる。
涙でぬれそぼりながらも乾いていた空虚な瞳に、いま鮮やかな色が戻った。
けれどもまだ、苦しい青春を共にしてきた苦悩の影を、彼女は完全に払うことはできず、見開かれた瞳と閉じられた唇は僕の次の言葉を切なげに待っていた。
彼女の未来について僕が語れることは少ない。
あくまでその未来は、僕と彼女の未来の彼氏――と思われる杉田が、僕が持っている未来の情報とその改竄状態から推測したものだ。
そもそも、未来で僕は天道寺さんと付き合いはあるが、その恋愛についてはそう多く知らない。杉田と違い、彼女の恋愛についての情報は圧倒的に不足していた。
それを未来で担当しているのは、天道寺さんの親友である千帆だ。この場に彼女がいないのだから、推測でしか語れないのはもう仕方なかった。
なので、これから語ることは、杉田の彼女が天道寺さんだった場合の話になる。
はたして、不確定な未来の彼氏についての話を、彼女にしていいのか。
杉田と天道寺さんは、実は彼氏彼女でもなんでもなく、赤の他人ではないのか。
そんな疑念もあるにはあった。
けれども、僕は杉田を信じた。
あの男の、密やかな恋心と、それを遂げようとする一途さを信じた。
「君はもう少ししたら、同じクラスの男の子と恋に落ちる。切っ掛けは分からない。けれども、君たちはそれから十年間、お互いを思いやって恋人の時間を過ごすんだ。君は事情があって日本を離れることを選ぶけれど、その関係はずっと続いて――そして、僕たちがやってくるその年に、彼と結婚するんだよ」
「……嘘よ。嘘だわ、そんなの。信じられない」
「本当だよ。僕と千帆は、もしかしたらそんな君たちの未来を、守るためにこうして過去に戻ってきたのかもしれないんだ」
「でたらめよ! やめて! そんな夢みたいなこと言わないで! どうせ叶わないのに、手に入らないのに、夢なんて私に見せないで! 抱かせないで!」
「本当なんだ。どう言ったら信じてくれるんだろう。僕も、千帆も、君と君の彼氏のことを、とてもよく知っているんだ。そして、祝福しているんだ。君が嘆いたような不安なんて、微塵も感じさせない。二人はありふれたカップルだったんだ」
「だったら、なんで私は日本を離れたの! そんな幸せを手に入れておいて、どうしてそれを捨てるようなことをしたの! 私なら、絶対にそんなことしない!」
天道寺さんが叫ぶ。
僕の言葉を拒絶するために叫ぶ。
僕の口から語られた未来は、彼女が横たわる苦しみの世界にはあまりにまぶしいものだったのだ。今、そこにいる彼女には、幸せ過ぎて正視することもできない、そんな未来だったのだ。
そして拒絶のためにあろうことか彼女は、彼氏と同じ疑念を言い放った。
どうして、彼女はそんな幸せを手に入れながら、遠く異国の地へと旅立ったのか。心の奥底より欲した、少女が願うあたりまえの幸せをなぜ手放したのか。
ほんの少し前、彼女の真実を知るまでは、それに目を瞑ることはできた。
盲目的に二人の間にある愛を、信じることが僕にもできた。
けれど、天道寺さんに今こうして睨まれて、その胸の内に巣くっている完治することのない病魔の瘴気を嗅いでは、それをどうして気まぐれと片付けられなかった。
彼らはどうしてそんな選択をしたのか。
二人の間に何があったのか。
それはきっと彼女たちしか知らない出来事だ。
僕たちには、きっと立ち入れない事情だ。
「ほら、やっぱり言えないんでしょう! 嘘なんでしょう! やめてよ鈴原! そんな嘘を吐かないで! 余計に私が惨めになるじゃない!」
「違うんだ。本当なんだ、天道寺さん。君は本当に、男の子と」
「違う! 違う! 違う! そいつは私なんかじゃない! 私を愛してくれる男の子なんていない! 誰も、誰も私のことなんて愛してくれな――」
「いるわよぉー! 未来に一人ねぇー!」
その時、耳になじみのある声が、どこからともなく僕たちに届いた。
間延びした緊張感のないその声を僕が聞き間違えるはずがない。
ここで彼女が来てくれるのはありがたい。
僕よりも、天道寺さんとの付き合いが古く深い彼女であれば、もしかすると僕が知らない彼女たちの事情を把握しているかもしれない。
また、より天道寺さんの視点から、彼氏のことを語ってくれるかもしれない。
僕たちが消された記憶からつなぎ合わせて語った仮定の彼氏ではなく、未来の天道寺さんの言葉で語られた本物の彼氏のことを。
けれども待って、ちょっと待って!
今、君に見られるとまずい格好しているから!
誤解が生まれる状態になっているから!(おめめぐるぐる)
身なりを整えたいと思ったのに、そんな時間は与えないとばかりに、扉がバーンとけり破られる。僕が入ってから鍵がかけられていなかったそれは、女性のキックでも簡単に蹴破ることができた。
にょっきりと扉の向こうから部屋に伸びたのは鍛えられた女性の脚。
それは、長時間コートの中で立ち尽くすための資本であり、必要とあればその身体を高く飛ばし、あるときには難しい捕球体勢を生み出す。ボールの勢いを削ぐ柔らかなトスを作る骨組みであり、サーブで華麗なジャンピングと助走を生み出す原動機。
そう、バレー部員にとって命ともいっていい、鍛えられた脚。
しかしながら筋張っているのかといえばそうでもなく、脂肪と筋肉の比率がちょうどよく釣り合ったそれは、ふっくらと膨らんでまるでできたてのパンのような、温かさを感じる丸みがあった。
その魅惑の脚の持ち主を僕は知っている。
いつも見ている。そして、割と結構な頻度で愛でている。
脚フェチじゃないんだけれども、彼女のそれは卑怯よね。もう、女子バレーをやめて何年も経つのに、いまだにエロスがすごいんだわ。
って、そんなことはどうでもいい。
「千帆! どうしてこんな所に!」
「静まれぇー、静まれぇー! 京都女新鮮組だぁー! 静まれぇー! 浮気御用改めであーるぅー! スケベ旦那あーちゃぁーん! 妻の親友とぉー、こそこそ逢い引きしていた疑惑でぇー、取り調べるぅー! 神妙にお縄につけぇー!」
浅葱色の羽織を着て突入してきたのはどう見ても僕の妻。
昨日の浴衣とは打って変わり、機能的なスポーティッシュスタイル。
その脚がくっきり浮き上がる黒色のストレッチパンツに、そのたわわな胸を強調するくすんだ緑のタンクトップ。その上から羽織を着ている。タンクトップには縦方向にストライプのように皺が入っているのだが、これが見事に胸部で歪んでいた。
なんという存在感。
自分の妻なのに思わずその大きさに生唾を飲む。
ほんと――こんなの他の男には見せられないよね。というか、もっと胸元しっかり隠れる奴を着てきて。まろびでそう。乳房がまろびでそうですよ、千帆さん。
さて、突然の千帆の登場に慌てふためく僕と天道寺さん。
固まった僕たちを眺めて千帆は眉根をしかめると、むんと僕たち向かって腰に差していた木刀を向けた。
やだちょっと怖い。まさかとは思うけれど、それでぶたないよね。
違うの、千帆さん違うのよ、これは――。
「ていうか、なんでコスプレしてんの!」
「黙れぇー! スケコマシ浮気旦那のあーちゃーん! 私は千帆ではなぁーい! 女新鮮組三番隊組長ぉー! 姫はじめだぁー!」
「はじめしか合ってない!」
「ちなみにぃー、新鮮はぁー、新鮮な食材のぉー、新鮮だよぉー? フレッシュピッチピッチってぇー、意味だよぉー!」
「なんなのそのアピール!」
「そしてぇー! 局長ぉー、局長ぉー! ツルペタの局長ぉー!」
「ツルペタの局長?」
千帆に呼ばれて、扉の奥からおずおずと出てきたのは――確かにツルペタ、まだまだ成長途中、小さな身体に悪戯心を詰め込んだ局長こと相沢であった。
かわいらしい薄桃色のワンピースに、同じく白系のカーディガン。靴もローファーでばっちり決めて、いつもの悪戯娘イメージから一転、私も女の子なんだぞコーデで攻めてくる。この娘、やはりまだまだ恋をあきらめていないと見える。
だというのに、ツルペタの局長という響きと、浅葱色の羽織ですべてが台無し。
やけっぱちと額に書いてある顔。
彼女は浅葱色の羽織を振りまいて部屋の中に入ると、僕たちを前にしてくわっと目を見開いた。からの一喝。
「京都女新鮮組! 局長ツルペタかもである!」
「ツルペタかも! なんて悲しくなるネーミングだ!」
「スケベ高校生旦那の鈴原篤! 平和な鈴原家に浮気という大乱を招き入れようとした罪、万死に値する! ここで妻の千帆さんと、あたしが天誅をくだす!」
「そぉーだぁー! あーちゃんのぉー、浮気ものぉー!」
「いや、これには深いわけがあって――」
問答無用。
抜刀するやすぐに袋たたき。哀れ、スケベ高校生旦那の鈴原篤。彼はここ、京都はかの有名な池田屋の裏で、女新鮮組の手により誅滅されたのだった。
って、痛い、痛い!
木刀、ダミーで中スポンジだけど、おもいっきり殴ったら普通に痛い!
ちょっと加減してよ、もう!
「このぉーっ、このぉーっ、女の敵めぇーっ! いじめられてぇー、うれしいーんだろぉー、そうなんだろぉー! まったくぅー、変態さんなんだからぁー!」
「嬉しくないよ!」
「誰がツルペタですか! まだ私は成長途中なんですよ! こんな格好させて喜ぶなんて、変態です! センパイは度しがたい変態ですよっ!」
「自分でやったんだろ!」
はいはい、まーたシリアスだと思ったらこうなるのね。
ほんともう、なんでこう、うちの妻が絡むと、こんなオチになるのよ。
助かるけれども、もっと穏便に助けてくれないもんかね。
ぐふっ!
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