第25話 リップに付いた魅惑のチョコレートでエロい

「おっ? おはよう、鈴原! なんだよどうした、今日早いじゃんか!」


「おはよう杉田。ちょっといろいろあってね」


 2007年7月13日金曜日8:12。


 僕は、前のループよりも少し早くクラスに到着すると自分の机に移動する。

 そして、前のループと微妙に文言こそ違うが、変わらず気の良い挨拶をしてくれた杉田に返事をしながらそこに座った。


 どうして早くクラスに来たのかと言われれば特に理由はない。

 強いて言うなら、朝早くに家を出てしまい、行く当てがなかったからである。


 一度家に帰ってご飯を食べるというのも考えたけれど、相沢と合流した手前それも言いづらく、流されるように学校に来てしまったのだった。途中でコンビニでも寄ればよかったと、ちょっと後悔する。


 まぁ、おかげで相沢と、いろいろと話す時間はできたのだけれども。


 そんなことを考えながら、視線が行くのは前の席だ。


「……どした、そんな怖い顔して?」


「いや、ちょっとね」


 僕は杉田の肩越しに、教卓の前にある彼女の席を眺める。

 自然と表情が険しくなるのは仕方ないだろう。


 なにかと周りを気遣う杉田だ。

 こんな訳あり顔を間近で見せつけたら、心配をかけるかもしれない。

 そうは思いながらも、僕はターゲット――天道寺文のことを思うと奥歯を噛みしめずにはいられないのだった。


 相沢とも話した上で、僕たちはやはり天道寺さんについて調査することにした。

 最も重要なこのタイムリープの本質と、千帆の救出あるいは彼女がいる未来に到達するには、この一連の事件の黒幕と思われる、彼女について知る必要があった。


 もっとも、僕は彼女のことを長年の付き合いである程度は知っている。


 人気小説家。

 活躍分野は純文学。

 ただし、彼女は極めて特異な視点を持っている訳でも、実力派作家を黙らせるような文章力を持っている訳でもない。

 彼女は生来持ち合わせている感性により作家になった天才型の作家だ。


 その才能を言葉にするのはとても難しいのだが、そのすごさを端的かつ量的に表すことができる極めて特異な事象があった。


 それは、彼女の書く作品が、世の多くの女性――それも年齢や社会的な背景を問わない――から圧倒的な支持を受けているということだ。


 普通、作家なんてやっていたら、多かれ少なかれアンチというものが湧くそうだ。誰かにもてはやされる一方で、誰かにけなされる。そういう宿業を背負った職業なのだと、未来で四人揃ってバーで飲んだときに天道寺さんは僕たちに語ってくれた。


 けれどもどうやら天道寺さんはその傾向が極めて薄いらしく、さらにファンの年齢層が一部に偏るようなことも起きていないのだという。

 一定の世代から共感を持って支持されるというのはどの年代にでも一人や二人いるらしいが、どの年齢の女性が見ても共感する作品を書くのは希有なのだとか。


 そんな希少性を作家としての価値として認められ、彼女は多くの出版社から仕事を貰っているのだという。


 もっとも、それを生み出し続けている彼女自身は、「そんなものを書いている気はないのだけれど」と、気恥ずかしそうに言うのだが。


 僕は文学なんてさっぱりと分からないので、未来の彼女の言葉を信じるのみだ。

 ただ、彼女が多くの女性に受け入れられる理由について、なんとなくではあるが、素人の僕にもこれではないかと思える特徴的な性癖が一つあった。


 というのも――。


「……やはり、この頃からか」


「おい、どうしたんだよ、そんな目を細めて」


「ちょっとな、季節外れの花粉症にかかってさ」


「なに花粉だよ? ひまわりとかか?」


 見ているのは、天道寺さんの机の中。

 ひっそりと、引き出しの中に隠された文房具。布製の筆箱、その柄だ。


 サンリオのキャラクターでも、おジャ魔女やプリキュアでもない。

 無地の麻布にワンポイントで可愛らしい猫の刺繍が施されたそれは、どこで売っているのかよく分からないが、とにかくすこぶる可愛い一品だ。


 いったいどこに売っているのか、男でも聞きたくなるようなそれを、彼女はこっそりと机の中に隠している。


 そう。


 天道寺文。


 彼女は無類のかわいいもの好きなのである。


 それだけではない。

 天道寺さんはおおよそ乙女に必要な感性をすべて鋭く研ぎ澄ましている。


 かわいい小物の収集から、心を動かす写真や絵画への興味、適切な場に合わせて自分を効果的に演出する化粧の技法、今話題の小説・ドラマの知識、そしてモテるための会話の駆け引き。そんな年頃の乙女が好きなことに関して、未来の彼女はどれを振っても適切に答えてくるし、最も流行のトレンドを抑えていた。


 それがあからさまに小説に描かれているわけではないのがまた奥ゆかしい。ただ、作者のそんな素行を知っていると、行間から作中に出てくる女性達の「かわいくなりたい・ありたい」という渇望が聞こえてくる気分になった。


 つまり、天道寺文は――未来において誰よりも乙女な人間なのだ。


 とまぁ熱を込めて言ったが、それは僕の観測可能な範囲の女性の中ではだが。


「やっぱり、未来の天道寺さんと今の彼女が別人とは思えないな。千帆から聞いてたとおり、この頃から彼女の少女趣味は始まっているようだ」


「なに? 天道寺がどうしたの? なんかあったの?」


「ごめん杉田、こっちの話なんだ。ちょっと黙ってて」


「なんだよ。お前、いいじゃんか。俺も話に混ぜてくれよ。面白そうじゃん」


 面白いで済むような状況じゃないんだよ。

 こちらは生きるか死ぬかという覚悟でやっているんだ。

 それも僕じゃなく、命よりも大切な妻の命がかかっているんだ。


 たとえ未来の恩人である杉田の言葉でも今日は付き合えない。


 はいはい分かったよとかぶりを振る杉田。

 分かってくれてよかったとため息を吐く僕の前で、彼はこれ以上話しかけても無駄だと思ったのだろう、身体を前に戻そうとした――。


 ちょうどその時だった。


 黒板側の扉が開いて、クラスの中に金色の髪を靡かせて美少女が入ってきたのは。


 純白のカッターシャツとその境目が分からなくなるほどの白い肌。

 このご時世にも珍しい、つむじから毛先まで金色で染められた長い髪。

 西洋人形のような整った顔つき。

 そして、日本人であることを主張する渋皮色をしたくりくりとした目。


 天道寺文だ。


 彼女はなぜか前回のループとは違う時刻にこの教室に姿を現した。

 本来であれば、彼女が教室に入ってくるのは、僕が前のループでこの教室に入ったのと同じ20分より後になるはずである。


 なぜ、どうして。


 やはり彼女は、このタイムリープの黒幕なのだろうか?

 だから、この繰り返しの時間の中で、例外的に動くことができるのだろうか?


 一気に僕の中で彼女が黒幕であるという可能性が膨らみはじめる。

 そんな僕の前で、天道寺さんは鞄から必要な教科書類を机の中に入れると、再び席から立ち上がってこちらを向いた。


 目が合う。

 まるで僕を探していたかのように、彼女はこちらに向かって歩いてくる。


 やはり、天道寺さんがこのタイムリープの黒幕なのだ。

 僕が、そして相沢が、そのことに気がついたと知って、なにかしら仕掛けようとしているに違い――。


「鈴原」


「え、あ、うん。なにかな、天道寺さん」


「手紙、預かったから。それだけ」


「……え?」


 思考が停止した。


 まるで致命的なバグが混入して、リソース食い尽くして時限停止したプログラムのように、僕は固まって動けなくなった。


 何が起こっているのかも分からないし、何を天道寺さんが言っているのかもわからなかった。彼女が何を狙ってこんなことを言うのかも。そもそも狙っているのかも考えられなくなるくらいに、それは衝撃的な言葉だった。


 誰から、手紙を預かったって。


 前のループで彼女が放った言葉とまったく同じ。

 時間だけが異なるが、彼女の行動は以前のそれとまったく同じだ。


 だとしたら。


 ノートの切れ端に書かれているメッセージの主も同じなのか?


 字を見ればそんなことは分かる。

 けれども、僕は目の前の天王寺さん――この一連のタイムリープの黒幕かもしれない彼女に、反射的に問いただしていた。


「誰から、これ、預かったの?」


「誰からって……」


 少し考えるように目を伏せた天道寺さん。

 しかしその思考が、僕を何か罠にかけようとするものでないのはよく分かった。

 彼女の顔には、それ、言っていいのかしらという葛藤が、ありありと浮かんでいたからだ。


 逡巡の後にすぐ彼女は視線を上げる。

 金色の髪がピンと、まるで琴の糸を優しくはじいたみたいに揺れた。


「西嶋千帆だけれど? なに、知り合いじゃないの、貴方たち?」


「……千帆って。そんなバカな」


「なに言ってるのか分からないけれど、私は使い走りを頼まれただけだから。詳しい話がしたいなら、隣のクラスに行ってくれる? 千帆ならもう教室に居るから」


 手紙を握りつぶして、僕は立ち上がっていた。

 驚く天道寺さんの横を通って、僕は起立する机の林を駆け抜けると、そのまま廊下に出る。たむろしていた同級生に何度も肩をぶつけながらも、僕は千帆の居るクラスの入り口にたどり着いた。


 力まかせに扉を開いてその中へ。


 はたして僕の瞳に、窓から二列目中央の席に座っている乙女の姿が映る。


 夏の朝の蒸した風をその身に受けながら――黄色い紙パックからストローで紅茶をずりゅずりゅと豪快にすすり、もう片方の手に持ったチョココロネに間髪入れずにかぶりつく彼女は、心底幸せそうに頬の端をつり上げていた。

 とも幸せそうに、まるでこっちの気なんてしらない感じに、パンを食べていた。


 いや、なんでさ!


「んー! おいしーい! この時代のコンビニってぇー、あんまり美味しかった思い出ないけどぉー! チョココロネとぉー、リプトンはぁー、変わらないねぇー!」


「千帆! どうしてお前、こんな所に!」


「あれぇー! あーちゃんだぁー! ちょっとぉー、だめじゃなぁーい! 私たちの関係はぁー、秘密なのにぃー! 押しかけてきたらぁー!」

 

 この感じ。

 そしてその台詞。

 間違いなく、僕の知っている千帆だ。

 そして、僕と同じくタイムリープをしている千帆だ。


 けど、そうなのか。本当にそうなのか。

 もしかして、天道寺さんが作った、偽物の千帆という可能性はないか。

 彼女に何ができるかはまだ分からないけれど、時間を戻すくらいなのだ、それくらいの芸当――。


「やぁーん。ちょっとぉー、そんなじろじろ見ないでよぉー、エッチぃー」


「……」


「あーちゃんたらぁー、チョココロネを食べる姿でぇー、想像しちゃったのねぇー。そんなに硬くなっちゃってぇー」


「間違いない! このエロトークは間違いなく僕の嫁だ!」


 なさそうだった!


 だってほんにんじゃないとこのれべるのこといいませんよ。

 まちがいないね。かなしいことに。


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