京都迷いバニー編
第24話 奥様業代行クールガールの号泣決意がエロい
「千帆!」
悲鳴と共に目を覚ますと、僕はまた見覚えのある部屋に居た。
畳敷きの部屋。
そこに敷いた布団。
古びた勉強机。
壁のFateのカレンダー。
そして、けたたましい音をたてる電池式の目覚まし。
手を伸ばして、頭の上で暴れ回る目覚ましを止めると、僕はその日付と時刻を確認する。しかし、僕にはそれを見なくても日時が分かる気がした。
はたして時計が示す時刻は――2007年7月13日金曜日7:10。
「……戻って来た」
僕は再びタイムリープが始まった瞬間に戻ってきていた。
二日前、いきなりこの奇妙な過去に迷い込んだ、その瞬間に。
まいったな。
攻略に失敗してまた最初からやり直す。
これはまさしくタイムリープのパターンの一つだ。
いわゆるループモノという奴じゃないか。
特定の日時を、条件が満たされるまで繰り返すタイムリープ。
期間という縛りがあるため、推理や行動が容易だが――内容的には、仲間が死んだり、凶悪犯罪に立ち向かったり、ノーミスでのクリアを求められたりと、最もハードな部類に入るタイムリープものだ。
なんでよりにもよってループモノなんだよ。
いや、今はそこではない。
僕が嘆くのはそこではない。
すぐに僕は布団から飛び起きると、開け放したままの窓を眺める。
僕が今、なによりもまず確認しなくてはいけないのは、愛する人の安否だった。
見えるのは千帆の実家。
そして正面の窓の中は千帆の部屋。
「……千帆! 頼む、どうか戻って来てくれ!」
願って、僕は彼女の部屋にその姿を探した。
しかし窓の中、パステルカラーの家具が敷き詰められた、女の子らしい部屋に、僕は愛しい妻の姿を見つけることができなかった。
やはり、千帆はこの世界から消えてしまったのか。
もう僕と彼女は、かつていた未来に戻ることはできなくなってしまったのか。
祇園祭の最中に消えた浴衣姿の千帆の姿も、前回のループで窓をくぐり抜けて僕の部屋へと飛んできたパジャマ姿の千帆の姿も、この世界のどこにも僕は見つけることができないのだった。
いや、まだだ。
まだ諦めるな。
世界は今、ループしたのだ。
彼女もまたループした世界で復活している可能性がある。
その可能性を信じろ。どんなに、それが絶望的に思えても。
でなければ、僕は、僕は――。
僕はすぐ制服に着替えると、通学鞄を持って階段を駆け下り、家の外に出た。
向かうは千帆の家。
茶色い背の低い門を押しのけて、家の玄関前。
僕は扉の前に立つと、カメラ付きインターホンのボタンを押下する。
朝の町並みに響き渡るメロディアラーム。
しかし、それに応答するものはいない。
朝の8時前。
この時間ならお義父さんもお義母さんもまだ家にいるはずだった。
なのに、なぜ誰もインターホンに出てくれないのか。
「くそっ! なにしてるんだよ!」
僕は中庭に回ると、綺麗に育てられた青々とした芝生を踏みならし、リビングに面している窓に近づいた。縁側の上、白いレースカーテンが引かれた人の背くらいある窓。そこから、僕は千帆の家の中を窺い――そして、絶望した。
千帆の家のリビング、そこにはまったく人の気配がなかった。
部屋の電気は消えており、テレビも点いていない。システムキッチンからはハムやベーコンを焼く音もしなく、そもそも人影が一つもなかった。
そう、人の息づかいがそこには一欠片だって転がっていなかったのだ。
まるで千帆達が夜逃げしたかのよう。
千帆の家のリビングはもぬけの殻だった。
いや、リビングだけではない。
西嶋家は無人の静寂に包まれていた。
信じられなくて、僕は千帆の家の車庫へと向かった。
遮光板の屋根のあるそこには、お義父さん自慢の普通車が今も停まっている。
夜逃げするならば、車に乗って逃げるか、最悪その前に売り払うはず。
おそらくこの静寂は夜逃げのためではない。
彼らは忽然と、ある日ある瞬間突然いなくなったのだ。
まるで祇園祭の最中に消えた千帆のように。突然世界からはじき出されて、なかったものにされてしまったのだ。
もちろん、それは僕の想像でしかない。
だが、確信めいたものを僕は抱いていた。
世界は再びリセットされた。
次のループに僕たちは突入した。
高校二年生の7月13日に再び僕は戻って来た。
なのに、千帆たちだけがまるでこの世界から、取りこぼされたようにいない。
彼女たちだけが、ループした世界に存在しなかったことになっている。
どうなっているんだ、いったいこれは。
こんな状況に追い込んで、僕にいったいこの過去で何をさせたいんだ。
いやそれよりも――。
千帆っ! どうして君と君の家族が消えなくちゃいけないんだっ!
「やっぱり、消えてしまったのか。あの祇園祭の夕闇の中に」
悲しみを振り払い状況を僕は整理する。
時間はたしかに巻き戻った。
僕は千帆を失い、あの謎の光景を見て、再びここに戻って来た。
千帆が消えた理由は不明。
彼女が消えた後、僕を強制的に開始時間に戻すイベントが発生した。
彼女と過ごした時間の記憶が消えないことを考えると、誰かに過去を変えられて攻撃された線は薄い。また、彼女はどこか違う世界線、あるいはタイムリープのルールから抜け出している可能性が高い。ただしこれは希望的推測を多く含む。
そして――南茨木駅の線路下で見た、あのバニースーツに白パーカーの女。
証拠は何もないが、おそらく僕を強制的に開始時間に戻したのはアイツだ。千帆の電話番号で僕たちに電話をかけ、謎の能力で時間と場所を飛ばした奴ならば、これくらいの芸当はできそうだ。というより、彼女にしかできないだろう。
直前の状況から言っても充分にあの女が怪しい。
おそらく、彼女こそこのタイムリープの黒幕に違いない。
いったい彼女は何者なのだろう。
いや、そもそも彼女のあの顔。
あれは間違いなく天道寺さんだった。
彼女が、今回のタイムリープを操っている黒幕なのか?
千帆の親友の天道寺さんが?
どうして?
「ダメだ、まったく分からない」
再び、僕はタイムリープの難解な謎に直面した。
一度ループしたというのに、僕はタイムリープの謎に、少しも近づくことができなかった。それがどうにも情けなくって、歯がゆい。
力及ばず千帆を失った。
一つの抵抗も反撃もできず、彼女と僕は引き離されてしまった。
夫として妻を守りたかったのに。
彼女と一緒に僕たち夫婦が築いた未来に戻りたかったのに。
なのに、僕は何一つ、彼女を守るとう責任を果たすことができなかった。
なんのために僕は千帆と結婚したというんだ。
彼女を幸せにするためじゃなかったのか。彼女をこんな不幸や理不尽から、守ってあげるためじゃなかったのか。なのに、こんな逃げ回って、勘違いして、挙げ句の果てにうかれた上に千帆を失って。
「僕の……馬鹿野郎!」
右手側、千帆の家のコンクリート塀に僕は拳を打ち付けた。
自分のふがいなさを罰するように拳をぶつけた。けれども僕程度の力では、この身体の底から湧き上がる後悔を埋めるほどの痛みなど作り出せなかった。
何もかも、もう、無駄だったのか。手遅れなのか。
そう思った時だった――。
「……えっ?」
僕の背中。
千帆の家の入り口に人の気配を感じてすかさず僕は振り返った。
小さな影、門より背の低い何者かが、家の中の様子を窺っている。
誰だ?
まさか、天道寺さんか?
いや、彼女がどうして朝から千帆の家にいるんだ?
なんにしても、放っておくことはできない。すぐに僕は、その人影を確認するべく千帆の家の入り口をのぞき込んだ。
「誰だ! ここで何をしている!」
「ひえっ! ち、違います! ちょっと中がどうなってるか気になって! その、すみません千帆さんのお父さん――」
しかし、僕が迫真の怒気で迫ったその相手は、やけにあっさりと自分がこの家の様子を探っていたことを認めると、その非を謝ってきた。
その口調、そしてその声には聞き覚えがある。
いや、聞き覚えどころか、条件反射で誰だか分かるほど、僕はそれを聞いていた。
そう。
千帆の家を覗いていたのは――。
「あれ? センパイ? なんで、千帆さんの家に――」
「相沢? いや、君こそどうしてここに――」
僕と千帆の後輩にして、前のループで協力者となった相沢郁奈だった。
どうやら、僕の家に来る前に千帆の家に寄ったらしい。
しかし、それにしてもやけに早い。
いや、まさか。
これはもしかして――。
お互いの言葉尻が自然にすぼんだのは気のせいではない。
二人揃って、慌てて家を出てきたという格好をしているからだ。
どうして、そんなに慌てて家を出たのか。
自分のことを考えれば、相沢のことも想像できる。
あぁ、なんてことだろう。
間違いない。
二回目のループ時に一回目と違いが出るのは、タイムリープモノのお約束。
けれどもまさか、こんなことってあるだろうか。
相沢が慌てて千帆の家にやって来た理由。
それは一つしかない。
そしてそれは僕にとって、希望とも読み替えられる理由だった。
絶望を顔から拭い去ると僕は相沢に尋ねた。
「相沢! お前、もしかして、前のループの記憶が!」
「センパイ! 祇園祭に千帆さんと一緒に行ったあのセンパイなんですね! センパイも、千帆さんが消えたのを見ていて! それで、急いで調査に来たんですね!」
「そうだ! そうだよ、相沢!」
「センパイ!」
千帆の家の門を開いて相沢が庭に入ってくる。
緊張が張り詰めていた顔を崩した彼女は、僕に向かって駆け寄ってきた。
小さな身体の後輩を胸で抱き留めればわんわんと大声で泣き始める。
しかたない。
千帆が消えた祇園祭でも、あの謎の夜を経験しても、冷静に考えて行動し、ついにはここまでやって来た相沢だったが――やはり根は繊細な少女なのだ。
身近な人間が消失し、タイムリープへ思いもがけず巻き込まれる。
予想外の事態に、彼女は当然のように狼狽えていたのだ。
不安が堰を切ったように彼女の身体からあふれ出る。再び、僕は彼女の恋人に戻ると、その不安を受けとめてあげた。
同時に、僕の中にある不安も、彼女の涙に混ぜて流した。
「センパイ! センパイセンパイ! 千帆さんが! 千帆さんがぁっ!」
「大丈夫だ、相沢! 君が言ったんじゃないか! 千帆はきっと生きているって! 僕も、君も、千帆のことを覚えているんだ! きっと無事だ! まだ大丈夫だ! 僕たちは、まだ、千帆を取り返すことができるはずだ!」
泣きながら語るのは、祇園祭とあの夜のこと。
なにもできず、千帆を救えなかった後悔。
けれども、それだけではない。
彼女は悲嘆に暮れながら、それでもちゃんと前を見ていた。
記憶を持ってループ後の世界にやって来たことを感謝していた。
そう、相沢の気持ちは今や僕と同じだった。
びしゃびしゃに濡れた顔をその小さな手で拭った相沢。ひとしきり泣き晴らした彼女は、僕を決意の籠もった目で見つめると僕に宣言した。
「センパイ! あたしが千帆さんの代わりになります! 千帆さんの代わりに、センパイと一緒にこのタイムリープに挑みます! 絶対に、二人で千帆さんを取り戻しましょう! センパイと千帆さんの未来を取り戻しましょう!」
「……あぁ! 約束だ相沢!」
朝日を拾って輝くその瞳に、僕はこの絶望の中で希望を見ていた。
それは小さな希望ではあった。
しかし、これ以上もなく頼もしい希望でもあった。
どうやらこのタイムリープでは、前のループから何かを持ち帰れるらしい。
僕が持つ手札に予期せず紛れ込んだハートのエース。
もしかすると相沢が、この一連のタイムリープを打ち砕く、銀の弾丸になるのではないだろうか、そんな予感を僕はひしひしと感じていた。
ありがとう相沢。
本当にありがとう。
ここに来てくれて、ありがとう。
あの過去を、前のループを、千帆のことを覚えていてくれてありがとう。
こんなに心強いことはない。
千帆が居なくなった今、相沢の協力はとても嬉しいし心強い。
絶対に二人で、このタイムリープを脱出してやろう。
大丈夫だ。あの千帆が消えた夕方、冷静に思考することができた彼女ならできる。
相沢がいれば、まだ僕はこの理不尽なタイムリープと立ち向かえる気がする。
僕は相沢の肩を抱きながらそう感じた。
時刻はまだ、僕たちが一回目のループで出会うより前。
かくして、静寂がまだ支配している町の中で、僕たち二人は二回目のループを共に攻略することを誓った。
千帆を取り戻すために。
僕たちの未来を取り戻すために。
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