第20話 秘密のミステリアス・スパイ・シスターズで二人がエロい

 路地裏から少し離れて、住宅街の中にある公園。

 住宅地一つ分くらいのスペースに、鉄棒とブランコ、そして砂場。ベンチが二つ置かれた簡素な遊び場。そのベンチに腰掛け、僕と相沢はさきほどの話の続きをした。


 結論から言うと、相沢は未来人ではなかった。

 タイムリープの力も持っていなかった。


 何が僕に彼女を未来人でないと確信させたか。


 それは、ためしに話した未来の知識――。


「えぇっ! HUNTER×HUNTERって2021年になっても、まだ休載してるんですか? 冨樫先生、いくらなんでも仕事してなさ過ぎじゃないですか?」


 その一つ、HUNTER×HUNTERに対する相沢の反応だった。


 そうだよね、過去の人間には信じられないよね。

 これから僕たちがあの漫画に、十年近く心を奪われ続けるなんて。

 そりゃ聞いたら驚くよね。これがまだ十年も続くのって。


 未来から来たか確認するにはHUNTER×HUNTERの話をすればいい。

 だって展開も、連載期間も、休載の多さも、想像できないのだから。


 誰だって素で驚く。


 驚かなかったり反応が薄いのは、連載の冨樫先生を知っているからだ。


 という訳で、この反応から、僕は相沢が過去の人間であると確信した。


「どうですかセンパイ? 信じていただけましたか?」


「うん。ごめんね相沢、変なこと言っちゃって」


「いえ、そんな。むしろ私の方がびっくりですよ。まさかセンパイが、未来からタイムリープしてきたなんて。いったい何しに戻って来たんですか?」


「それが分からないから苦労してるんだ……」


 逆に、相沢は僕が未来から来たことをあっさりと受け入れてくれた。

 既にこれだけやらかした後である、事情を説明した方が早いだろうとあえて未来人であることを明かすと、彼女は驚くくらいあっさりと僕の言葉を受け入れた。


 いや。あの濃厚なやりとりの後だからこそ、彼女は信じてくれたのかもしれない。


 お互いを傷つけ合うような出来事だったと思う。

 もっといいやり方があったとも。


 けれどもそのおかげで、僕は過去の世界に理解者を得られた


「センパイ! 気落ちしないでくださいよ! きっとぜったい、元の未来に戻る方法はあるはずです! 私も協力しますから、一緒に頑張りましょう!」


「あぁ。そうだね」


「大丈夫! この天才美少女高校生名探偵な相沢郁奈ちゃんがついていれば、百人力です! センパイが未来に帰れるよう、全力でサポートしちゃいますから!」


「頼もしいよ」


 千帆と二人、孤独に理由も分からず過去の世界に放り込まれ、五里霧中の状態で歩かなければならない恐怖に、温かい光が差し込んだ気がした。

 相沢が助けてくれることで、何か劇的に物事が進展する訳ではない。

 だが、彼女が励ましてくれるのを僕は本当にありがたく感じた。


 ありがとう相沢。


 未来に無事に帰れたら、きっと君に感謝を伝える。

 これまで僕に黙って寄り添い支えてくれたことへの感謝の気持ちを。

 たとえそれがもう手遅れで、彼女にとって望む答えではないとしても。ここまで僕のことを想ってくれている相沢に、僕は少しでも本当の気持ちを返してあげたい。

 そう思った。


 さて。


 一つ疑問が残る。


「……なんで千帆は、相沢が未来人じゃないって分かったんだ?」


 相沢を問い詰めるに当たって、妻が僕に放った予言は見事に的中した。

 けれどもそこに論理的な正しさを僕は見いだせなかった。


 千帆はギャンブルをするタイプではない。何も考えていないようで、実はめちゃくちゃ物事を考えている。だからきっと、今回の話にもちゃんとした理由がある。


 相沢を前に僕は少し黙考する。

 すると、そんな僕を見て相沢がいきなり苦笑いをした。


「やっぱり、センパイの未来のお嫁さんって、千帆さんだったんですね」


「……うん? え、ちょっと待って? なんで相沢が千帆のこと知ってるの?」


「……えへへ」


「ちょっと待って、二人が出会ったのは僕が大学に入ってからのはずだよね。確か、千帆と三人で映画を見に行くことになって、そこで相沢のことをはじめて紹介して」


「あー、未来ではそういう設定になっちゃってるんですね、千帆さんとあたしって」


 そういう設定。


 未来では。


 どういうことだろう。


 千帆のことを今の相沢が知っているのは間違いない。けれども、千帆との未来の関係を、彼女はこの時点で知っていない。

 やはり相沢は過去の人間だ。


 では、なぜ彼女は千帆を知っている。


 戸惑う僕の前で、また、えへへと笑う相沢。

 彼女はすっかりと涙が乾いた手で頬を掻くと、その手を自分の鞄に伸ばした。


 緑色のリュックサック。

 その口を開いて、相沢は中からピンクの携帯電話を取り出す。

 折りたたみ式。シンプルなフォルムのそれを手にした彼女は、少々お待ちくださいと僕に断って、おもむろに電話をかけた。


 懐かしいコール音が、まだ青々とした夏の空に流れる。

 だが、すぐにその音は途切れた。


「はぁーい、もしもぉーし、郁奈ちゃーん」


「あ、はい。すみません、今、大丈夫でしたか?」


「大丈夫だよぉー。そろそろじゃないかなぁーってぇー、思ってたからぁー」


 コール音の代わりに響く、独特の間延びした喋り。


 にっこりと、けれども少し気まずそうに笑って相沢が言う。


「えっと、センパイ。未来の奥様におつなぎしました」


「……おつなぎしましたって」


「もしもしぃー、あーちゃーん? びっくりしちゃったぁー?」


「千帆ぉ? どうして、君が相沢の電話番号を! というか、君たちって!」


 笑いが携帯のスピーカーからも、それを握りしめる相沢の口からも漏れる。


「私とぉー、郁奈ちゃんはねぇー、高校時代からぁー、お友達だったのよぉー?」


「嘘でしょぉ!」


「ほんとよぉー。それでねぇー、これはあーちゃんにはぁー、秘密にしていたんだけれどぉー。あーちゃんとぉー、高校時代に仲良しだった郁奈ちゃんにぃー、あーちゃんのぉー、観察をお願いしてたのよぉー?」


「……観察?」


 なに、観察って。


 ちょっと、やめて。相沢、こっち見て気の毒そうに苦笑いしないで。

 あと、携帯電話の向こう側で笑いを堪えないで千帆。


 怖い! 女の子、怖いよ!


「あのですね、実は私は、千帆さんから依頼を受けた、対センパイ特化型凄腕女子高校生スパイだったんですよ?」


「なにその凄くニッチで潰しがきかなさそうなスパイ」


「そして私はぁー、そのスパイに命令を伝えるぅー、司令官だったんだよぉー」


「雇い主じゃなかったの! というか、何でそんなことしたのさ二人とも!」


「それは当然――センパイの童貞っぽい反応が可愛かったから!」


「二人でー、あーちゃんのことぉー、からかってぇー、遊んでたのよぉー!」


「やっぱろくでもないことだった!」


「えへへぇー! それでねぇー、いつも朝のホームルームとか昼休みにぃー、メールで連絡しているのぉー! その文面がぁー、タイムリープのこととかぁー、知らない感じだったからぁー、これは郁奈ちゃんは違うなぁー、ってぇー!」


 そうかぁー、そういう事だったのかぁー。

 相沢が僕に対して、的確に思わせぶりな態度を取れる訳はそれだったかぁー。

 これ、勘違いしても良い奴かなって、本気で思う訳だぁー。


 そっかぁー、当時の黒幕は千帆だったのかぁー。

 そりゃ僕のことをよく分かった、的確な行動が取れるわけだぁー。


 やだぁー、もぉー。


 嫁とそのライバルが、協力して僕をからかってたとか、なんなの。


 さぶにしてもめいんにしても、ひろいんにあるまじきこうどう。

 きちく、まじできちく。


 おんなのここわい。


「ほっ、ほぁーっ! ほっ、ほぉーん! なにそれなにそれ、なにそれぇっ! それじゃ僕が一人道化ってこと! 相沢じゃなくて、僕が道化だったってこと!」


「……まぁ、そうなっちゃいますね、結果的に」


「そうなっちゃうねぇー、かわいそうだけれどぉー」


「かわいそうだけれどって! 千帆! 相沢! 君たちって人は!」


「やーん。怒るムーブもぉー、童貞高校生っぽーい。かぁーいぃー」


「ごめんなさい、センパイ。最初は私一人でからかってたんです。途中から千帆さんが、私も混ぜてって言ってきて……それで、二人の方が面白くなっちゃって」


「なっちゃってじゃないよ! 君ら、ラブコメ真面目にできないのぉ!」


「ほらぁー、今でもぉー、こういうこと言うのよぉー、あーちゃんってぇー?」


「……くっ、ラブコメの主人公みたいなこと言ってる。ダメ、恥ずかしすぎる」


「いっそ殺してくれよちくしょう!」


 ぷすぷすと不完全燃焼みたいな笑いを漏らす相沢。そして、「もー、ほんとぉー、しょーがないなぁー」とか言う僕の妻。


 まじか。嫁公認で、僕をからかって遊んでいたとか、マジか。

 この二人、そりゃ気が合うわけだよ。僕に隠れてこそこそと、一緒に遊んでいたのだから。僕を使って、一緒に遊んでいたのだから。

 そりゃ気も合いますわな。新入にもなるよ。


 そしてこの感じ。

 千帆ってば、相沢の僕への気持ちも気づいている感じだな。


 とほほ。知らぬは男ばかりか。


「誤解しないで欲しいけれどぉー、私たちはぁー、フェアな関係なのよぉー」


「そうです。センパイに近づくことができない千帆さんに変わって、あたしがセンパイに近づいて悪戯をする。代わりに千帆さんは、センパイを的確にキョドらせる、渾身のいじりネタをあたしに提供する。ウィンウィンの関係ですね」


「ウィンウィンじゃないよ。僕、ぼっこぼっこに負けてるじゃん。惨敗じゃんよ」


「だってあーちゃんだからぁー」


「だってセンパイですし」


「ひどい、このこたち、ほんとひどい。あくまよ、あくまがここにいるわ」


 思った以上に妻と後輩の僕の扱いが酷い。

 十年目にして初めて知った真実に愕然として僕は肩を落とした。


 けど、と、言って、相沢は僕の手から携帯を取り返す。


「センパイのことを好きな気持ちは本当です。私も、千帆さんも、その想いは変わりません。センパイへの想いが本当だったから、私は千帆さんの話を受けましたし休戦協定を結んで彼女と組むことにしたんです」


「……相沢」


「ねぇー、普通さぁー、恋のライバルにぃー、好きな人の情報渡すなんてぇー、絶対にしないよねぇー? なのにぃー、郁奈ちゃんってばぁー、私のことを可哀想だって言ってぇー、協力してくれたんだよぉー?」


「……千帆」


「その、つまりですね。あたしたちは、センパイいじめたい同盟でもあり、センパイ大好き同盟でもあるっていうか。同じセンパイを好きな女の子同士、わかり合える部分があったっていうか。えっと、なに言ってんでしょうね、あたしってば」


 また、顔を真っ赤にして照れる相沢。

 恥ずかしそうに頬を掻いて熱を冷ます姿に、僕はその言葉が真実だと確信した。


 だったら、まぁいいか。


 たしかに酷い話だが、僕のことを想ってくれていたのは本当なのだから。相沢の気持ちを裏切り続けた酬いが、こんな可愛らしい秘密なら全然安いと僕には思えた。


「ねぇー、郁奈ちゃんってばぁー、かわいいでしょぉー?」


「わかった、相沢のことは許すよ」


「すいません、センパイ」


「やったぁー! 流石はあーちゃーん、話が分かるぅー!」


「けど千帆、君はちょっと許さないから。なにやってんのさ、もう」


 未来の夫を、恋のライバルと一緒になって、弄って楽しむ嫁なんてあります?


 ちょっと後で話があるからと、僕は相沢の携帯電話越しに千帆に凄んだ。

 やーん、こわいーとか言ってるがちっとも本気じゃない。

 彼女としては想定通りのことなのだろう。


 相沢も怖いけれど、やっぱりうちの妻の歩ほうが一枚上手だよな。


「あ、千帆さんを責めないであげてください! センパイと喧嘩して会えなくなったあと、すごく悩んでいたんですから!」


「そうなの?」


「そうですよ! そもそも、この話を出してきた時も、すっごく恥ずかしそうにしていて! 私がセンパイのこと好きなのを知っていて、それでもなんとかセンパイと接点を持ちたくって、それで言い出して来たんですから!」


「ちょっとぉー、郁奈ちゃーん! やめてぇーっ! それ、秘密のお話ぃー!」


 なんだそうだったのか。

 僕と会えなくて、それはそれでかなり落ち込んでいたのか。


 なるほどなるほど。


 また千帆のかわいい話が増えたぜ。


「もぉーっ! ちょっと郁奈ちゃぁーん! あーちゃんに説明するからぁー、少し電話変わってぇー!」


「あ、はい」


 センパイどうぞと、また相沢が僕に携帯を差し出す。

 ピンクのガラケーを受け取ると、僕はそれを自分の耳元に宛てる。話の内容に気を遣ったのだろう、相沢は立ち上がると、僕から少し離れた。


 それから少しして、電話の向こうにいる千帆が深いため息を落とす。


 僕に文句を言う空気ではない。

 文句を言う時は強い口調で僕に迫る千帆だ。いきなり重い空気を纏って話し出すのも珍しい。そして、秘密を暴露されたくらいで、妻はこんな風に落ち込まない。


 すっかり軽い会話をするつもりだった僕は、その雰囲気に気持ちを引き締めた。


「郁奈ちゃんの口ぶりからぁー、察したけれどぉー。あーちゃーん、郁奈ちゃんのことぉー、泣かせちゃったでしょぉー?」


「……うん」


「もぉーっ! だからぁ、違うってぇー、言ったじゃないのよぉー! ほんとぉー、あーちゃんってばぁー、そういうところぉー、ダメダメの鈍チンなんだからぁー!」


「……うん」


 そっか。

 黙っていれば分からなかったし、放っておけばよかったのに、千帆が口に出したのはそういうことか。


 相沢が傷つくのをそれとなく庇おうとしたのだ。

 それだけ、やはり大切な友達なんだな。


 こんなことなら素直に妻の話を信じておけばよかった。


「郁奈ちゃんとはねぇー、同じ委員会でねぇー、知り合いになったのぉー。校内美化委員でねぇー。ほらぁー、郁奈ちゃんってぇー、少しスタート遅かった出しょぉー」


「……うん。知ってる」


「それでねぇー、私が先輩としてぇー、いろいろと教えてるうちにぃー、仲良くなってぇー。そしたらぁー、あーちゃんの家にぃー、出入りしててぇー? 郁奈ちゃんもぉー、私が隣に住んでるのに気づいてぇー、こんなことになったのぉー」


「……なるほどな」


 相沢はきっと僕の会話から千帆に絞られていると思っている。

 その勘違いを壊すのはしのびない。


 僕はまたなさけない口ぶりで、電話の向こうにいる妻にうんと返した。


「高校二年間はぁー、郁奈ちゃんにぃー協力して貰っていたからぁー、私もあーちゃんにぃー、モーションかけるの我慢してたのぉー。けどぉー、郁奈ちゃんはぁー、結局あーちゃんにぃー、告白できなくってぇー」


「……そうだったんだ」


「一緒に居られるだけでぇー、充分だからってぇー、卒業式の日にぃー、泣いて私に言ったのぉー。だからぁー、同じ思いはさせたくないなぁー、ってぇー」


「……ごめん」


「あやまるならぁー! 郁奈ちゃんにでしょぉー! もぉー、唐変木ぅー!」


 妻の叱責が胸に染みた。

 まったくその通りで何も言い返せなかった。


 結局、僕が全部悪いのだ。

 そもそも千帆を無視したのが、この脆い三角関係の始まりだったのだ。


 思春期をこじらせやがって。

 なにしてんだよ、高校生の僕。


 こんなにも、僕のことを想ってくれる女の子がいたって言うのに。


 ふと、千帆との間に訪れた沈黙を、僕はただただ受け入れた。


 僕には何も、彼女たちに対して発言する権利がない。

 その痛々しい沈黙をあえて受け入れた。


 それに耐えかねるように、沈黙にメスを入れたのは――僕よりよっぽど相沢のことを理解している、彼女の年上の友達だった。


「しょーがないなぁー。ダメダメなぁー、あーちゃんのためにぃー、私が一つ脱いであげましょうかねぇー」


「え?」


「せっかくタイムリープしてるんだものぉー? 楽しまなくちゃでしょぉー?」


 電話の向こうの妻は、そう言ってどこか優しく笑った。

 それは相沢と同じ、誰も傷つけたくない、優しい笑い声だった。


☆★☆ 執筆の励みになりますので面白かったら評価・フォロー・応援していただけるとうれしいですm(__)m ☆★☆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る