第19話 ひまわりのように笑って
「相沢ァっ!」
茶色いむき出しの地面を見て。
相沢の影しか見ないよう視線を伏せて。
あらんばかりの気持ちをこめて僕は彼女の名前を叫んだ。
彼女のはしたない姿なんて見たくない。
いや、ちがう。
僕が見たいのはそんな彼女じゃないんだ。
そんな風に、無理して背伸びする相沢じゃない。
たしかにこれは彼女の中にある一面なのかもしれない。
こんな風な激しい感情が、いつでも僕らに対して笑顔を向けていてくれた、未来の相沢の中にもずっと潜んでいたのかもしれない。
それは受け入れる。
今まで知らなかっただけなのだと納得する。
けど違うんだ。
今、僕が見なくちゃいけないのは違うんだ。
知らなくちゃいけないのはもっと違うことなんだ。
未来人かどうかではない。
相沢の身体にその証拠が刻まれているかどうかなんて関係ない。
怒りにとらわれた相沢ではない。
虚構と妄想に囚われた僕に怒り狂う彼女の姿に抱けるものは後悔だけだ。
僕が本当に知らなければいけないこと。
今見なくちゃいけないこと。
それは――ありのままの今の彼女だ。
僕の隣に居ることを選択した、高校一年生の相沢だ。
「そんなことしなくても、僕は君のことをちゃんと見るよ」
「……なに言ってるんですか? まだ、自意識過剰拗らせてるんですか? 本当にどうしようもない人ですね! こんな風に、年下の女の子にいいおもちゃにされて! それでも自分のことが好きなんだろうとか、妄言を言えるんですか?」
「うん」
「そんな訳ないでしょう! いい加減理解してくださいよ! 私は、別に、センパイのことなんて! こと、なんて……!」
だったらなんで言い淀むんだよ。
どうしてはっきりと嫌いと言い切れないんだよ。
どれだけ無理をして、君がこんな惨めな道化を演じているのか、分からない僕じゃないよ。これから先、十年間に渡って、僕は君と付き合ってきたんだ。
君がこんなこと、できるような女じゃないって、僕は知っている。
君が心の中の荒ぶる感情を、制御できない女じゃないと、僕は知ってる。
だって未来の君は、結局僕になにも言わなかった。
こんなにも、激しく嫉妬の炎に駆られる姿を持っていながら、君は最後まで僕にこれを隠し通したんじゃないか。
相沢のことをずっと傍で見てきたから、僕はそれを知っているんだ。
相沢郁奈。
君はこうやって自分の欲望を常に人に対して曝け出すことが上手くできないんだ。
誰かに対してありのまま、自分のエゴを押しつけることが怖いんだ。
笑って、誤魔化して、適度な距離を取って、自分の気持ちを押し殺して、時にこうやって過剰な演技で道化になってまで、君はそれを隠す。
隠さないと、君は人と接することができないんだ。
思い出せばいつだって、君は、僕たちの前で笑っていた。
本音を隠して、空気を読んで、ただただ周りに気を遣って気の利いた言葉を発していた。いや、少しくらいは本音も言ったのだろう。
けれど、それが相手に拾われなくても、君はそれでいいと思ったんだ。
未来の君はきっとそんな生き方を人生のどこかで選択したんだ。
けど、たぶん――今の君はまだ選べていない。
選べきれていないんだ。
だから君は傷ついた。
だから君は、今の自分を見てと、ここまで感情を露わにして叫んだ。
未来の自分がどうとか関係ない。未来人なんて知らない。
ただいま、ここにいる自分をしっかり見て欲しい。
そう思って、はじめてそのエゴをむき出しにして、僕に向かって叫んだんだ。
けれど、叫んでからそれが怖くなって、君はまた悲しい嘘を重ねた。
感情を制御することができない、怒りに乗っ取られてしまった自分を演じた。
演じて、それでも僕に見て欲しいと、君は望んだんだ。
そういうことなんだろう、相沢。
だったら、僕にできることは一つだ。
やらなくちゃいけないことも一つだ。
「僕はちゃんと見るよ。今の君を見る。未来の君じゃない。おどけている君じゃない。そして、こんな風に道化を演じている君でもない。誰かに自分の気持ちをぶつけることを心から怖がる――誰も傷つけたくない優しい相沢を、僕はちゃんと見るよ」
「……なにを、今更、そんなこと」
「だから、お願い。こんなことはもうやめよう。僕は、そんな風に君を追い詰めるつもりはなかったんだ。ただ、君から、君の本当の気持ちを聞きたかっただけなんだ」
「……そんな、そんなの! 今更! だって!」
「ごめんね、相沢。僕が質問を間違えたのがいけなかったんだ。聞くべきは、君が未来人かどうかなんかじゃない。順序が逆だったんだ」
あるいは、僕も無意識に、彼女と同じようにエゴをぶつけることを恐れていたのかもしれない。相沢に拒絶されるのが怖くて、臆病な言葉を選んだのかもしれない。
ごめんね相沢。
だからこれは、君の目を見て言うよ。
今の君を、ちゃんと見て言うよ
僕は決意と共に顔を上げると、後光指す相沢の顔に鼻先を向けた。
スカートの裾をつまんでいた手は、今や彼女の涙を拭うために出払っており、狂気に歪んでいたその顔は、その感情の滾りでぐしゃぐしゃにふやけていた。
空気と意味をなさない涙声が混じった彼女の吐息が僕の胸を悲しく締め付ける。
相沢をこれ以上泣かせてはいけない。
それがきっと、彼女ではなく千帆をパートナーに選んだ僕が、今の彼女にしてあげられる最大限の誠意であるように思えた。
息を吸い、そして、声色を整えて僕はそれを口にする。
相沢に聞かなければならないことを。
そして、今の相沢が待ち望み、未来の相沢があきらめた言葉を。
「相沢郁奈さん。君はきっと僕のことが好きなんだよね?」
「……」
「違っているなら笑ってくれていい。けど、もう誤魔化すようなことはしないで。僕は君の本当の気持ちを聞かせてほしいんだ」
「……もう、何ヶ月一緒にいると思っているんですか、センパイ」
鈍すぎですよ、と、彼女は呟くように言う。
その瞳からあふれ出た涙を拭って、しとどに濡れた指先を背中に隠して、彼女は、人を傷つけることを過剰に恐れる少女らしい、優しい笑顔を僕に向けた。
その笑顔の向こう側にある思いを、僕はようやく見れるようになった。
未来の相沢が必死に隠してきた感情に、僕はようやく気がつけた。
もっと早くそれに僕は気づいてあげるべきだったのだろう。
たとえそれが、彼女を拒絶する言葉を伴っていたとしても。
愚かな僕を、この時ばかりは呪った。
そしてそんな愚かな過去の僕に変わって、未来の僕は彼女に答えた。
「ありがとう。そして、ごめんね。僕には、未来を一緒にすると心に決めた人が居るんだ」
「……いいんです。あたし、センパイと一緒に居られるだけでいいんです。最初から、多くをセンパイに望んでなんていなかったんです。ただ、傍に居られれば。一緒に過ごすことができれば、恋人でも友達でも、そんなのどっちでもいいんです」
「どうして、君はそこまで僕のことを?」
「……はじめて、あたしのことをちゃんと見てくれた人だから。高校に入って、演じることに失敗しちゃった私を、優しく掬い上げてくれた人だから」
言わせないでくださいよ、こんなこと。
涙で濡れた手を出して相沢は僕の頬を両側から引っ張る。
最後のひとしずくを眦から滑らせて、彼女は笑った。
まるで、感情や想いと言った、彼女がその身に抱えていたもの、すべてを出し切ったようにからっと笑った。
青空を背景に、相沢の笑顔はまるでひまわりのように美しく映えていた。
「また、あたしのこと、ちゃんと見てくれましたね! センパイ! もう見失わないでくださいね! 約束ですよ!」
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