第12話 昼休み、体育館倉庫、何も起こらないはずがエロい

 2007年7月13日金曜日12:19。


 千帆が所属している女子バレー部。

 彼女たちが練習に使っている体育館の倉庫へと僕はやって来た。

 基本的にうちの高校の体育館は開放されており、生徒であれば自由に出入りが可能だ。ただし、倉庫や体育館内に付随する他の部屋には、出入りに鍵が必要になる。


 倉庫の鍵は開いていた。

 おそらく、なんらかの手はずで千帆が外したのだ。


「おーい、千帆ー! いるかーい!」


 両開きの倉庫の扉をゆっくりと横に引く。

 正面、曇りガラスの窓から光が差し込んでいる。体育館の屋根で日陰なのだろう、窓の光は弱く昼間なのに倉庫は薄暗い。薄い闇の中にぼんやりと浮き上がる棚やら跳び箱やらポールやらに注意して僕は中に入る。


 少し進んで窓の正面。

 体育マットが無造作に積み重ねられた前。

 ちょうど窓からの光が差している。


 倉庫の中で一番明るい場所に立ち僕は辺りを見渡した。

 千帆の姿はそれでも見つからない。


 まだ来ていないのだろうか。

 いや、あの千帆が待ち合わせに遅れるはずがない。

 というか、状況的に僕に会いに来ない訳がない。


 なにせ僕と千帆は今、おおっぴらに人前で会うことができないのだから。


 いやまぁ、別に具体的な障害があるわけではない。

 それは迷惑なことに、僕のプライドだけの問題なのだが。


「……はぁ。本当にすっかりと忘れてたよ。高校時代の僕が、千帆のことを避けていたことなんて」


 そう。


 高校に入ってからの三年間。

 そして、千帆と大学で復縁するまでの半年ちょっと。

 僕と千帆は絶交状態にあったのだ。


 将来的には結婚するし、今は超絶愛しているし、彼女の居ない人生なんて考えられない僕だけれど、この時期、千帆と僕は学校で一切口をきかなくなっていた。


 なぜかと言えば答えは簡単である。


「ほんと、自意識こじらせ少年かよ。これまでさんざん人前でイチャコラしてきておいて、なにが女子と一緒に居るのが恥ずかしいだよ。幼馴染と恋人だなんてダサいだよ。全然ダサくないよ、ラブコメだったら王道だよ。一番人気の奴。もはや幼馴染というだけで負けなしだよ。勝ち確鉄板エピソードだよ」


 そう、遅れてきた思春期にやられてしまったのだ。

 幼馴染と一緒に居るのが、なんとなく男として恥ずかしいと思ってしまったのだ。

 彼女でもなんでもない女の子と、ただ昔から一緒にいるというだけで、四六時中一緒にいることに疑問を覚えたのだ。


 そんな気づかなくていいものに気づいてしまった僕は、あろうことか千帆に対して「恋人でもないのに一緒にいるのはおかしくない? 俺たちもういい歳なんだし、少し距離を取ろうよ」って、高校入学を期に言ってしまったのである。


 高校を選ぶとき「お互い一緒の高校がいいよね!」って、言ったのは誰だよ。

 そんなことすっかり忘れていたあたり、この当時の僕は本当にクズです。

 反省しております。


 嘘だ。

 実はそれも嘘なのだ。

 本当の理由は他にあるのだ。


 僕の身長がまったく伸びなかったからである。


 中学三年間を通して、むっちむっちのボインボインのモデルバディに成長して、エロいデカい可愛いの三拍子そろった完璧美少女になった千帆。

 それに対して、僕は当時チビガリヒョロオタクだったのだ。


 二人で並ぶとまったく釣り合いが取れない。凸凹カップルにしても限度があるぞという、恐ろしい身長と発育の差が二人の前に立ちはだかってきたのだ。


 僕は彼女と並ぶという恐怖に、為す術もなく逃走した。

 むっちむっちのエロエロ女子に成長した千帆と、まともに恋愛できる気がしなくて、僕は彼女から逃げたのだ。


 このどうしようもないヘタレめっ!(絶叫)


 もちろん、今の僕たちだったら二日くらいで喧嘩をしても仲直り。

 スタバでドリンク飲みながら、ほっぺたについたクリームをお互い掬いあいーの舐めとりーのからの謎ドヤ顔で解決する。

 よくわからんけどそれで一発だ。


 けれど、その時は僕も千帆も幼かった。


 千帆、人生ではじめての大激怒。

 愛らしい顔を憤怒に染めて、バレーで鍛えたしなかやかな身体を震わせて、彼女は僕に対してはじめて大声で叫んだのだ。


「あーちゃんなんてぇー! しらないんだからぁー! 怒ったぁー! 私、もう怒っちゃったんだから! 金輪際ぃー! 私の前にぃー、顔を出さないでぇー!」


 って言われてしまって完全沈黙。

 僕は彼女が怖くて謝れなくなった。

 ここでも僕は勇気が出せなかった。


 ほんと、ごめんねって次の日にでも謝ったら、きっと許してくれた――それは彼女と同棲しだしてから、嫌というほど知ったし学んだ――のだけれど、それができないばっかりに、僕は高校三年間を棒に振ることになったのだ。


 うん。


「この時代にタイムリープしてやることあったよ。どう考えても、千帆と一緒に高校生活やり直す奴じゃん。はい、おしまい。解決な奴」


 そしてそのことを僕はめちゃくちゃ後悔していた。


 なんでこんなバカなことをしてしまったんだろうと、めちゃくちゃ後悔していた。

 もし千帆のことをこんなバカな理由で遠ざけていなければ、もっと違う未来もあっただろうと思っていたのだ。


 いや、未来よりも過去の問題だった。


 だって、高校三年間ですよ。

 ラブコメにおいて、もっとも重要な時期。

 高校三年間でございますよ。


 文化祭、林間学校、修学旅行、運動会、テスト勉強に大学受験。


 一番人生の中で青春する時期。

 一番生きててたのしい時期。

 ラブコメで常にフォーカスされる黄金の青春時代。


 それを、僕は自分の愚かさによって灰色に染め上げた。

 僕だけじゃない、千帆の青春さえも灰色にしてしまった。


 並ぶとバランス悪いとかいう、ほんとしょーもない理由で。


 もちろんそれがあったからこそ、大学でよりを戻してから急速に仲を深め、一年で親に内緒で同棲をはじめ、あげくむさぼるように同棲しているアパートでお互いを求め合い、ただれにただれて今に至ったとも言うこともできる。

 物は考え用だ。


 けど! たぶん大学でそんなことにならなくても、遅かれ早かれこうなっちゃう気はするから! 遅いか早いかの段階で、たぶん結婚していろいろとタガが外れたら、今みたいな感じになっちゃうと思うから! むしろ、僕たちの思い出に、なんか青春っぽいシーンが少ないから! ないことはないけれど、大学三年生からの同棲してた四畳半アパートでの汗だくの日々が、メモリーの大半を占拠している状態だから!


 だからまぁ、やり直せるならやり直したいです! 今更だけどマジで!


 青春がお互いの匂いが香ってくるような艶めかしいものばかりなんて嫌なの!


「もっと俺だって爽やかな青春を送りたかったんだ! こんなアダルトビデオよりも濃厚な日々なんて――悪くはないけれど、それだけじゃ物足りないの! そんな当たり前のことに、タイムリープしてようやく僕は気がついたんだ!」


「えー? そうー? 私は別にぃー、あんな青春もぉー、嫌いじゃないよぉー?」


 どこからともなく声がする。間延びをした特徴的な声がする。

 この声を僕が聞き逃すはずがない。

 愛しい妻の声を、聞き逃す僕じゃない。


 けどどこかわかんねーなこれ。


 戸惑ったがはいおしまいよ。


 いきなり、僕は何者かによって目を塞がれると、そのまま背中から引き倒された。


 まずい、こんな体育館の倉庫でこけたら大変なことに――とか思ったのだけれど、まるで見計らったように僕の背後には柔らかいものがある。


 体操マットだ。

 柔軟体操用にバレー部が使ってるのだろう。

 入るときに見たわ。

 わはは。


 そして、身体に、まとわりつく、濃厚なエロスの気配。


 うぅん、これ、朝もなった覚えがありますわ。

 そしてなんか、朝よりも心地締め付けがきつい気がしますわ。


 やだー、もー、なんなのなんなのー、なにされちゃうのー、こわーい。


「んふふー、おこちゃまあーちゃん、つかまえたぁー。さーてぇー、今ぁ、あーちゃんのことをー、後ろからぎゅーってしてるぅー、私はいったいだれでしょぉー? 身体に伝わる感触からぁー、あててみてねぇー?」


「はっはっは、なにをそんなバカな。千帆しかいないじゃないか、そんなの。呼び出しておいてこんな悪戯。まったく、悪戯っ子だな、千帆は」


「正解せいかい大せーいかーい! すごぉーい、どうしてわかっちゃうのぉー? 目かくししてるのにぃー! あーちゃんってばすごぉーい!」


「ふっ、これが愛の力さ」


 嘘です。

 声で分かるっちゅうねん。


 そして、シチュエーション的に千帆しかいないでしょ。

 これで間違えたらそれこそとんだ赤っ恥でございますよ。


 とぼけてもいいし、キザったらしい台詞を言う必要もなかったけれど、僕はあえて千帆のいたずらにノリノリで応じた。この場合、千帆を下手に刺激しない方が、惨劇の未来に繋がらないだろうと判断したからだ。


 はたして僕のこの決断により、最悪の惨劇は回避され――。


「正解したぁー、あーちゃんにはぁー、見事な賞品をプレゼントォー!」


「わーい、やったぁ!」


「私ぃー、昼休み分だよぉー! さぁあーちゃーん! イチャイチャしよぉー?」


「ヤダァーッ! こんな雑なアダルトビデオみたいな展開やだーっ!」


 なかった。

 よりただれた未来に到達しただけだった。


 全力脱兎。


 僕は千帆の腕の中で力の限り暴れると、その万力の如きしめつけから抜け出す。


 多分僕は泣いていたんだと思う。涙で滑りがよくなっていたんだと思う。

 あと他にもいろんな汗が出ていたのかもしれない。


 おかげでなんとかヌルリと、千帆の縛めから僕は脱出することができた。


 いつもだったら、一度捕まったら絶対に逃げることができない、千帆の『イチャイチャ・スリーパー・ホールド』。それを死ぬ気で脱出した僕は、すぐさまその場で立ち上がると、こんな所でやらかそうとしたエロ妻(JK)を叱るべく振り返った。


 だが――。


「ユニフォーム! 女子バレー部のユニフォーム! なんで!」


「えへへぇー! 更衣室からぁー! こっそりぃー、持って来ちゃったぁー! 好きでしょぉー、あーちゃーん! 私の、このコスチュームー!」


 大好物です!


 なんとそこには、僕の大好物の格好に着替えた、ムチムチエロ妻(JK)バレー部ユニフォームモードが待ち構えていたのだった。


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