第5話 お酒を邪な理由で勧めてくる妻がエロい

「もぉー、せっかく可愛かったのにぃー! パジャマに着替えさせるなんてぇー! あーちゃんってばぁー、本当に女心が分かってないよぉー! ぷんぷんだよぉー!」


「僕の方がぷんぷんだよ」


 ちょっと寝るには早いけれど、裸エプロンからパステルグリーンのパジャマに愛しの妻を着替えさせる。しぶる彼女を着替えさせるのは結構手間がかかった。

 だが、こんなの着ていて風邪ひかれるよりはマシだ。


 19時過ぎ。

 僕と千帆は着替え終えて寝室から出た。

 お互い部屋着になった僕らはそのままリビングのテーブルの前に座る。


 千帆は前ボタンのレーヨンパジャマ。

 僕はダークグレーのスウェット。


 まだちょっと肌寒さの残る四月後半には適した服装だった。

 ただまぁ、それが個人の身体に適しているかどうかは別だ。


「むーっ、このパジャマぁー、前がきつくて嫌なのよねぇー」


「それは見れば分かるけれども」


「あぁいう服だとぉー、胸元が開いてるのが多いから楽なんだよぉー」


「なにそれざんしんなこすぷれのりゆう」


 けど絶対それだけが目的じゃないでしょ。

 いくらでも、胸がきつくない服はあるでしょう。

 なんでそれを着ないでこういうの着ちゃうわけ。

 絶対にわざとでしょ。


 わざとだよね。

 一理はあるかもしれないけれど、九理はエッチな目的のためだよね。

 エッチ目的だよね。


 僕はだまされないぞ。

 ぷんぷん。


 ダメです。とにかく、そういうエッチな服はほいほい着ちゃいけません。

 僕は千帆にきつく注意するとテーブルの上に腕を置いた。


 はぁ、ようやくこれで一息吐ける。なんだかんだで定時で上がれたけれど、今週はかなり過密なスケジュールだったからな。

 破綻しなかっただけマシだし、深夜残業しなくて済んだのは御の字だけれど、すっごいつかれたなぁー。


 はー、しんど。


 そんな感じで僕がぐったりとしていると、まぁまぁまぁと千帆がやってくる。


 手にはアサヒのスーパードライ。缶の奴。

 普段はビールは買わないのだが、どうしたのだろう。


「おつかれさまでしたぁー、あーちゃーん。ゴールデンウィークのためにぃー、無理にスケジュールをー、間に合わせてくれたんだよねぇー?」


「いやまぁ、いつものことだけれど」


「ありがとねぇー。私はいい旦那さんを持ったよぉー。これは私からのぉー、ささやかなねぎらいだよぉー」


「まぁ、千帆のためなら幾らだって僕は仕事頑張れるからね」


「きゃぁー! あーちゃんってばぁー! すてきぃー! 抱いてぇー!」


「そう言ってなんですぐ上を脱ぐのさ!」


 そうやってすぐ事に及ぼうとする。


 今ちょっと、落ち着いて一息入れましょうってなった所でしょう。

 ちょっとおとなしくしてなさいよ。


 心配しなくても、ちゃんとそのためにゴールデンウィークにきっちり休みを取ってきたんだからさ。急いてはことをなんとやらだよ。


 いやまぁ、僕も早くご飯食べてお風呂入って、スタンバイしたいんですがね。

 むしろ千帆よりよっぽど急いているんですけどね。


 そういうのはちゃんとやることやって、後顧の憂いなくやるのが僕の主義ですのでね。なので、あんまり僕も千帆のことを言えないんだなこれが。


 まぁ、それはおいといて。

 まずは目の前に出されたビールだ。


 なんだかんだで、ビールはうれしいなビールは。

 いつも発泡酒で我慢してるからな。飲み会とかで外で飲むことはあるけれど、家で飲むことはなかなかないからなぁ。千帆も「贅沢はだめだよぉー」って止めてくるからなぁ。そんな千帆が、今日は特別って言ってくれたのは素直にうれしいな。


 頑張った甲斐があったぜ。


 ただし――。


「……千帆さん、プルタブが上がっているのはなんでなんですかね?」


「えー、べつにぃー? ただの親切だよぉー? 別に中にぃー、赤マムシとかぁー、エナジードリンクとかぁー、精力剤とかぁー、入れてないよぉー?」


「それほぼ入れたってゲロってるようなもんじゃん」


 はい、危ない。


 千帆がしれっとこんなもの出してくるから、こりゃなにかあるなと思ったらすごいスペシャルドリンク作っておりましたわ。あからさまにビールの匂いじゃないのが缶から漂ってくるなと思ったら、ど凄いの作っておりましたわ。


 ドリンク切れたって聞いた時からおかしいと思ってたんだよ。

 まだ冷蔵庫にストックあるはずなのになって。あれどうしたのかなって。


 妻よ、全部ぶち込みやがったな。

 仕事用の奴とかもあったのに、全部入れちまいやがったな、千帆。


 もー、なにやってるんだよ、まったく。


 わーい、ビールだー、で、一息に飲んでたら今頃どうなっていたことやら。


「こんなん飲ませてどうするつもりだったんだよ」


「たまにはぁー、獣のようなあーちゃんにぃー、抱かれた夜もあるのよぉー」


「獣になる前に心臓発作で死ぬよこんなの。はい、入れ替えた中身持ってきて」


「はぁーい」


 そう言うや、彼女はすぐにキンキンに冷えたグラスに入ったビールを出す。


 こういうところ。

 冗談なのか本気なのか、よくわからないことやっておいて、しれっとちゃんとしたのは別に用意してる。

 千帆のそういうところが好き。


 ちゃんとビールは用意してあるよぉって、悪戯っぽく言ってくれるところ。


 はぁー、めちゃんこかわいい。

 愛しみで死ぬる。


 僕はいい嫁を持ったなぁ。

 あやうく保険金殺人の被害者になる寸前だったけれど、許してあげよう。

 ま、こういうのも愛嬌愛嬌。


 グラスを渡すと僕の前に座り直す千帆。

 彼女もまた、自分用のお酒――レモンサワーのチューハイの缶とキンキンに冷えたグラスを手に持っていた。


 ほら、貸してと、僕は彼女からレモンサワーを渡して貰う。

 手酌はかわいそうだからね。千帆も、家でお仕事頑張ってたんだし、おつかれさましてあげないと。でないと不公平だ。


 ほらほらとグラスを前に出させる。なんか恥ずかしいなと、これだけやらかしといて無様に照れる千帆に、君の羞恥心はどうなってるのと言いたかった。

 そこをぐっとこらえて、僕はなみなみレモンサワーを注ぐ。


 はて。

 これも少し匂いが変だ。

 いや、あきらかに先ほどのような異臭ではないのだけれど。


 僕は気になってちょっとラベルを確認した。


「あれ、これ、ノンアルコールじゃない」


「そーだよぉー。今日は私ぃー、ノンアルの日なのぉー」


「……もしかして、ビール買ったから遠慮してる?」


「うぅうんー? そんなんじゃないよぉー? なんでぇー?」


「いやだって、千帆ってばお酒好きでしょ?」


 千帆はお酒が強い。

 うわばみかってくらいお酒が強い。

 いや実際うわばみ。

 ザル。


 いくらお酒を用意しても、次々とその胃の中に消えていくのだ。

 大学で入っていたテニスサークルの宴会で、彼女を酔い潰そうとする悪い上級生を、すべて沈めてゴミ箱に捨てて帰ったこともある。

 その逸話から、サークルクラッシャー西嶋って呼ばれてたくらい酒が強い。


 サークラってそういうんじゃないだろって、今になって思う。

 けどまぁ、おかげで千帆が変なことに巻き込まれることはなかった。


 あと、ガタイが良いので、地味に強いんだ千帆。

 護身術を習っているから、そこいらの男じゃ敵わんのよね。

 僕もベッドの上じゃ敵わないのよね。


 だから我が家の夜の営みは双方の合意によって執り行われています。

 やらかしたら即関節技で違う方の天国です。

 繊細に妻を扱うよう気を遣っております。


 なに言ってんだ僕は。

 まだ酒も飲んでないのに。


 とにかく、そんな事情があるものだから、僕はちょっと千帆がお酒を飲まないってことに、違和感を覚えた。彼女が気分なのって言ってしまえば、それで済んでしまうんだけれど、ちょっと小骨が喉に引っかかった気分になった。


 ふぅん。


「……じゃぁ僕も、二杯目からはノンアルにしようかな」


「えー? いいよぉー、あーちゃーん! 飲みなよぉー!」


「いやだって、千帆が飲まないのに悪いし」


「もぉー、せっかくべろべろに酔ってぇー、赤ちゃんになったあーちゃんをー、見られると思ったのになぁー」


「にだんがまえのすきのないかまえ! おぬし、さてはさくしだな?」


 はい、またくだらない理由でしたー。

 ベロベロに酔い潰れて自分を見失うと僕が幼児退行するのを狙ってましたー。


 やべー、ついつい飲まされるところだったー。

 ゴールデンウィークだから、まいっかーって、ベロベロに酔うところだったぁー。


 やめてよ!

 さっきのドリンクより心臓に悪いよ!

 人を気軽に幼児退行させないで!

 酔うとそうなる僕がわるいんだけれどさ!


「もぉー! あーちゃん赤ちゃんコレクションがぁー、また増えるなぁーってぇー、楽しみだったのにぃー!」


「なにそれそんなの撮ってたの。今すぐ消して、お願いだから」


「これなんかね最高なんだよぉー、本当の赤ちゃんみたいに私のお」


「消して! 一生のお願い! なんでもするからぁ!」


 ぶぅぶぅと口を尖らせてスマホをしまう千帆。


 写真は消してくれなかった。

 また今度隙を見て消そう。

 バックアップ取ってるだろうけど、それでも消しておこう。


 そんなことやってるうちに泡がどんどんとなくなっていく。こりゃいかん、せっかくのアルコールなんだから早く飲もう。

 僕は千帆の前にそっとグラスを差し出す。


 グラスを掲げて、目線の高さで打ち合わせる。

 チンと澄んだ音が響くと、僕たちはそれぞれのグラスの中身を一息に飲み干した。


 ぷはぁ。


 やっぱり旨い。

 入れてくれた人の腕もいいんだろう。とても旨い。

 こりゃビアガーデンでも味わえない奴ですよ。


 僕たちは次の缶のプルタブを上げる。千帆はノンアルコール梅サワー。僕はドライゼロ。二人揃ってノンアル日和な晩餐となった。


「はい、というわけで、お酒は今日はほどほどにたしなみます」


「もぉー、残念だなぁー」


「いいじゃんか。別に、いつも通りでもさ。何か不満なの?」


「まぁー、そう言われればぁー。別にいいかなぁー」


 はい、じゃぁそれでいいでしょう。


 そんな心配しなくても、僕もちゃんと今日に向けて仕上げてきてるんだから。

 むしろ、僕を信頼してまかしてもらいたいもんだ。


 まぁ、そんなことは口が裂けても言えないけれど。

 痴女は許されるかもしれないけれど、男がやったらただの変態だからね。

 それはやっぱり黙っていないと。


 僕はちょっと気恥ずかしくなって口を噤む代わりにドライゼロを飲んだ。


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