第4話 「お嫁さんにする? 新妻にする? それとも私?」で妻がエロい(2)

「志野さん」


「ひゃいっ! ご、ご返却ですか! ご延長ですか!」


「ちがいますちがいます。ここは職場じゃなくってマンションですよ」


「……あれ? 鈴原さん? アタシったら、いつの間に外に?」


 そう言って、彼女は眼鏡を手に取るとハイネックの裾で優しく拭く。

 悪気はないのだろうけど、そういうのは外でやっちゃだめだ思う。

 いろいろと、その、はみ出してしまいますので。


 決して悪いものではないですが。

 ただ、男の目には悪いものです。


 どうしてこう、僕の生活範囲にいる女性たちは、男の視線に無防備なのだろう。

 階段から見たときに志野さんが僕の陰に入るよう、さりげなく陣取りながら、僕は小さくため息を吐いた。


 彼女の名前は志野由里さん。年齢不詳。


 僕たちの部屋のお隣さんで、つい一年前に越してきたのだ。

 市内にある図書館で非正規の司書をしている。独身、らしい。

 というのもUR賃貸は配偶者や子供といった親族がいないと入居しづらいのだ。お隣さんということで、彼女と交流のある千帆から聞いた話によれば、どうやら年金暮らしのお母さんと同居しているそうなのだ。今時めずらしい孝行娘だ。


 そして、普段はもっとちゃんとしている。

 今の彼女の姿はオフモードである。


 地域住民とやりとりをする司書さんだ。

 プライベートならばともかく、こんなだらしない格好や生活スタイルで仕事もしていたら、いろいろと問題になることだろう。


 仕事に出かける彼女を見たことがあるが、打って変わってとてもビジネスウーマン。また、その状態で話をすると、ずいぶんとキビキビ話すそうである。僕はその状態の彼女と会話したことがないので、妻の千帆から聞いた情報である。

 実際、彼女たちが隣に越してきた日、すごい美人さんが隣に越してきたよぉと、千帆がなぜかはしゃいでいたのをよく覚えている。


 まぁ、それはともかく。


「ごめんなさい鈴原さん。ご迷惑をおかけして」


「いえいえ、お隣さんじゃないですか」


「うー、目がちかちかする」


「執筆ですか」


 ちょっとどもったような笑いが志野さんから漏れた。


 これも千帆情報。

 どうやら志野さんは小説家志望らしい。


 妻曰く、物書き特有のなんかどろどろとしたオーラを身に纏っているんだそうな。流石に憶測でそれは失礼だろうと思ったが、ある時志野さんと話す機会があって、そのときに失礼を承知で聞いてみた。すると彼女は否定も肯定もせず、さっきと同じようにどもった感じで僕たちに笑ってみせたのだ。


 以来、「まぁ、物書きってあまり表だっていうもんじゃないしね」と、僕と妻の間で暫定小説家志望ということで志野さんを扱うことになった。そして、夜にオフモードで家の外に出ている彼女を、原稿終わって疲労困憊なのだと仮定し、それとなくねぎらうようになったのである。


 小説家の苦労は、まぁ分からないでもないからね。

 何を書いているのか、もうプロなのか、ペンネームはとか、何も知らないんだけれども、優しくしてあげよう。

 それが僕たち夫妻の志野さんと接する上での基本方針だった。


 さて。

 いつものように恥ずかしそうに頭の後ろを掻く志野さん。

 仕草はどうにも野暮ったい――はずなのだが、その性的主張が強すぎる身体もあって、なんというかすこぶるその仕草が目に毒だ。


 うぅん。あんまり長居するのは得策じゃないな。

 ご近所付き合いは大事だけれど、一番大事なのは家庭の円満だ。もし、ひょんな拍子に、こんな姿を千帆に見られたらどんなことになってしまうか。


 きっと嫉妬の炎を燃やして――寝かせてくれないだろうなぁ。


 離婚よってならないのはいいんだけれど、それはそれでつらい。


 三十越えた身に、徹夜でそれはちょっときついんだ。

 千帆はなんでもない感じだけれど。


 この辺り、男女の体力差を感じるよね。

 男は所詮瞬発力だけの生き物なんだなって、痛感しちゃうよね。


 とほほ。


 とにかく、安全安心な家庭環境と夜の健康を守るためにも、ほどほどのご近所付き合いを心がけねば。僕はそう決心すると、会って早々で失礼だけれど、彼女との会話を自然に打ち切ることにした。


「あんまり無茶しちゃダメですよ。身体が資本なんですから」


「いえ、その。ほんとご心配をおかけします」


「あと、まだ寒いですから、ちょっと上に羽織った方がいいと思いますよ」


 最後にちょっと嘘と親切。

 上着がハイネック一枚という格好はちょっと目に毒だ。


 夜闇に紛れてきっと周囲の人間によく見えないだろうけれど、間違いが起こってしまってはまずい。疲労困憊で頭が回らない志野さんをそれとなく僕は誘導する。


 ご親切にどうもと、僕の言葉を額面通りに受け取って部屋に戻る志野さん。

 彼女が部屋に戻るのを確認すると、僕はほうと息を吐いて自分の部屋へと向かう。だが、部屋に入る寸前、横からふと扉から顔を出す彼女に声をかけられた。


 今日はようよう、去り際に声のかけられる日だな。


「……あの、鈴原さん。ちょっとだけよろしいですか?」


「えぇ、はい、なんでしょうか?」


「千帆さんから聞いたんですが、交際記念日と同棲記念日と結婚記念日が一緒って本当なんですか?」


 なに喋ってるの千帆ってば。

 在宅仕事するようになってから、ちょいちょい志野さんとお茶してるとは聞いているけれど、いったい何を話しているの千帆さんってば。


 そんな夫婦のどうでもいいプライベート情報、別に話題にしなくてもいいでしょ。

 事実だけれどもわざわざ言わなくてもいいでしょ。


 僕たちが付き合いだしたのが大学二年の春。

 それで、一年付き合った記念にその日から同棲し始めた。

 その後もずるずると色んな記念日にしていき。

 その流れでその日に入籍しようってなったのだ。


 そんなことやってるんだから、華麗に記念日は揃っちゃっうよね。


 長いこと付き合ってるカップルの、あるあるパティーンだよね。


 ない? そうかな? ないかな? 本当かな?


 なんにしても、恥ずかしいこと話すなよ、千帆。

 これ、どう、答えればいいのさ。返答に困る奴だよ。


 うわー、まだなんも言ってないのに、顔が熱い。

 顔色でもうバレバレだよこれ。

 嘘吐く必要を感じない状況だよこれ。


「えっと、本当ですよ?」


「す、すごい! ロマチックですねぇ!」


「いえ、そんな言うほどのことでもありませんよ?」


 大学時代に暇を持て余した男と女のただれにただれた情愛の行き着く果てとか言われてもなんも文句が言えない。だってその通りだから。

 実際、そんな綺麗な話ではないから。

 ロマンなんてちっともない。


 若いって怖いよね。平気でこんな恥ずかしいことしちゃうんだから。

 その若さが二十七歳まで持続してたのも怖いっちゃ怖いけど。

 けど、三十越えた今となっては素面じゃできない所業だよ。


 ほんと、はずかちい。頭から湯気が出そう。


「ちなみに、プロポーズはどちらから?」


「ごめんなさい、それはちょっと、また千帆から聞いてください」


 僕は急いで話を打ち切った。

 まずい、これは違う意味で家庭の危機だ。


 仲良し円満、今でもラブラブ新婚カップル、行ってきますからおやすみまでキスで溢れる優しい家庭、鈴原家が恥ずかし崩壊してしまう危機だ。


 志野さんの真顔で正気に戻ってしまう前に。僕が恥ずかしいと自分の家での行いを認識するよう矯正される前に、はやくセーフティーハウス――僕と千帆の愛の巣へと逃げ込まなければ。いや、逃避してもしかたないんだけれど。


 とにかく逃げよう。

 僕は急いで部屋の鍵を取り出すと部屋へと逃げ込んだ。


 広がるのは、真新しい木目のフローリング。

 ウォルナット。近くのホームセンターで購入してきたのを、手ずから張り替えたものだ。土間の部分はチャコールのタイル柄。これはシートを貼り付けている。

 革靴を脱いで上がり框をまたぎ、灰色の足拭きマットの上に僕は着地する。


 すると――。


「あ、帰ってきたぁー! あーちゃん! おかえりぃー!」


 すかさず、僕の帰宅を察知して、千帆が正面のリビングから駆けてくる。


 やれやれようやくいつもの日常だ。

 ゴールデンウィークだからだろうか今日はなんだか疲れたな。

 そう思って、ネクタイを緩めながら目を閉じ開くと、次の瞬間、目の前には俺の奥さんが立っていた。


 身長百七十センチとちょっと。女性にしては高身長。

 それに見合った、肉付きのよい体つき。いわゆるモデル体型。

 出るところが出て、引っ込むところが引っ込んでいる。けれども、年相応にちょっと緩い所もある、そんな絶妙エロカワボディ。


 大人な体つきに反して顔はベイビーフェイス。美人とかわいいのちょうど半分いいとこどりをしたような絶妙な塩梅。もちろんそれは好みの分かれる顔だとは思うが、僕はばっちり好み。大好物でございます。

 絶妙なウェーブがかかった黒いロングヘアー。腰まで届くそれを、後ろの端の方で紐で絞って一房にして揺らしている。


 見せるもんじゃないけれど、見てくれこれが僕の最強奥様。


 鈴原千帆。三十二歳。結婚五年目。裸エプロン+フライパン・お玉装備である。


 すごいはかいりょく!

 きゅうしょにクリティカルヒット!

 こうかはばつぐんだ!


 うん。

 ちょっと待って。

 ちょっと待って、待って、千帆。


 ちょっと待って。


 見てくれと思ってからすぐ、僕は目の前の光景を疑った。

 いや、割と週末はよく疑ってる――帰るといつも予想外の格好で千帆が出迎えてくれる――のだけれど、それでも今日も疑った。


 三十越えた嫁が、ノリノリでエロい格好している。

 その状況に心臓がやばい感じに跳ね上がった。

 きゃぁエッチーとはまた違う感情を伴って跳ね上がった。


 ほんと、なにやってるの千帆さん。


 歳を考え――セーフ! ギリギリセーフ!(やけくそ)


 僕は妻の名誉のために心で叫んでいた。


 いやまぁ、言うて全然セーフですが。

 千帆は美人さんだから、普通にまだ全然裸エプロン大丈夫ですが。

 文句があるならかかってこい。


 僕の葛藤をよそに、ピンクのエプロンにたわわや大事なデルタゾーンを包んで身をくねらせる千帆。もうなんていうか、エプロンの着方を完璧に理解している感じだ。

 見える所と見えない所を、鏡を見ずとも制御できてるところがほんとエロい。


 匠感が半端ない。

 裸エプロンの匠である。

 よく分からんけれど。


「お嫁さんにするぅー? 新妻にするぅー? それとも私ぃー?」


「全部千帆じゃないか! というかなにやってんのさ千帆!」


「えぇー? 悩殺かなぁー? うっふん」


「くっ、殺せ……!(即オチ二コマ)」


「あーっ! ちょっとあーちゃん、まだ死んじゃダメぇー! 死ぬならぁー、ベッドの上でぇー、仰向けになって死んでねぇー?」


「死んでねじゃないよ! ほんともう君ってばさぁ、こういうのはちょっと、こういうのはほんともうちょっと、世間体ってものがあるんだから……」


「あーちゃん? エッチな私はきらい?」


 うーん! 大好き!


 嫁がエッチでうれしくない男なんていません!

 困惑するかもしれませんが、それは一時的な感情のバグです!

 男はいつだって、何歳になったって、嫁がエッチだとうれしいんです!


 けど、こんな玄関でやることじゃないよ! どうするのさ! もしも僕以外の人が家にやって来たら! そんな格好で外に出て、襲われちゃったら僕は嫌だよ! そんなアダルトビデオみたいな展開、僕はちょっと許せないよ!


 こんなに可愛い千帆が家から出てきたら、相手にその気がなくっても変なことなっちゃうじゃないか! こんなにエッチな千帆がでてきら、勤労学生でもベテラン配送員でもオホーってなるじゃないか! そういうのちょっと考えてよ、お願いだから!


 はぁー、もう。

 まーったく、もう。


「……千帆はもうちょっと、慎みを持つべきだと思うんだ」


「えー、慎んでないあーちゃんにぃー、いわれてもなぁー」


「……見るんじゃありません」


「今日も元気だねぇー、あーちゃんのおち」


「あーっ! アーッ! 僕元気! すっごい元気! ハツラツぅー! 今日もハツラツゥうー! みなぎるパウワァーっ! ほとばしる汗ぇーっ!」


 とにかく、はやく奥に入ろう。

 僕は裸エプロンはさておき、妻の背中を押してリビングへと向かうのだった。


 ほんともう、こういうのは二人の寝室だけにして。お願いだから。


「もー、あーちゃんってばぁー、素直じゃないなぁー。恥ずかしがり屋さーん」


「頼むから千帆はもうちょっと恥ずかしがって」


「なによぉー、まるで人をー、痴女みたいにぃー」


 そうだね、うん。

 僕も君が痴女じゃないと信じたいよ。

 ちょっと愛情表現が僕に対して振り切ってるだけだって思いたいよ。


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