第拾肆章 不死鳥の苦悩

「こんなものかな?」


 夕食後、山に入った私は闇の中で急な斜面を駆け登りつつ、迷路のように乱立する木々や岩を避けながら木剣で叩くという修行を始める。

 木の葉が生い茂って日中も薄暗いほどなのに、月も星も見えない今では、まさに闇の世界だ。灯りを持つ事は許されない。闇の中で行う事にこそ意義があるのだとか。

 夜のイービルマウンテンは山自体が巨大な魔物のようで、見上げるだけで怖気が走り、足を踏み入れる事に躊躇してしまったくらいだ。

 『天狗の山走り』と呼ぶこの修行は常人からすれば荒行とも云えるけど、ミーケ将軍や玄武衆に云わせると朝稽古前に行う準備運動でしかないそうな。

 そりゃ、こんな事を続けていたら嫌でも強くなれるというものだろう。

 まず立っているのもツラい急勾配を駆け上がる事で強靱な足腰を得られる。

 要となる下半身の強さは剣客、武術家問わずに必要となるので道理だ。

 次に天然の迷路ともいえる木々の間を最高速のまま擦り抜ける事で空間認識能力が高まり、その際に木剣で叩く事で握力も同時に鍛えられる。

 それを夜の闇の中で行う事で勘といった超感覚まで養う事が出来、当然ながら持久力の向上にも繋がるんだ。

 一石二鳥ならぬ一石五鳥の訓練と云えるだろう。

 事実、常人よりズバ抜けて高い成長能力を与えられている人造人間である私は一度熟しただけで疲労困憊になったものの、筋肉及び骨格のダメージが癒え、疲労が回復すると能力がかなり向上しているのを自覚できた。

 中を繰り抜いて空洞にし鉛を流し込む事で重量を上げた木剣もスタート前は重く感じていたのに、今では物足りなさを覚えるほどだ。

 私は先日キャンプ地とした河原をゴールとし、筋肉を解す柔軟体操を行っていた。

 これは筋肉が成長すると固くなって柔軟性を損なうので必ず行うようにとミーケ将軍から指導を受けてから半世紀以上忠実に守り続けている事だ。

 況してや私とユウお姉さんは成長が顕著なので特に気を付けている。

 もしも股割りやY字バランスが出来なくなりましたと云おうものなら、ミーケ将軍からどれだけのお仕置きを受ける事になるか、想像するのもオソロシイ。

 ユウお姉さんなんて、“じゃあ、柔らかくしてやろう”って回転股裂き固めローリング・クレイドルを掛けられて悶絶していたからなぁ……

 身長が110センチ程度のミーケ将軍が190センチを優に超えるユウお姉さんに無理矢理仕掛けるものだから余計に痛そうだったのを覚えている。

 ちなみにミーケ将軍はパワーこそ無いけど、相手の重心を崩す事も得意で触れた瞬間に投げられて、気付いた時には関節技を掛けられたり、喉元に剣を突き付けられたりして降参を促されるんだよ。

 初対決の時なんて、私、クーア先生、ユウお姉さん、マトゥーザお父さん、パっつぁんの五人掛かりで挑んだのに一分もかからずに全滅したからね。

 まさに秒殺だったんだから笑えないよ。


「どれどれ、上手くいったかな……」


 私は途中で狩った五羽のウサギの血抜きが出来ているか確認する。

 ウサギといって侮るなかれ。相当苦戦を強いられたんだよ。

 逃げ足が早かった? 違う、違う。強かった・・・・に決まってるだろう?

 魔界の影響で凶暴になっていると聞いていたけど人を襲うなんて思わない。

 いきなり集団で襲ってきて噛み付いてくるんだ。

 反撃しようにも、すばしっこい上に的が小さいから当てにくい。

 しかもだよ。執拗に指を狙ってくるんだ。私が剣士と見て、まず剣を握れなくしようとする意図が見えてゾッとさせられた。ウサギは賢いと聞くけど、まさか相手に合わせた戦い方が出来るとは想像しようもないよ。

 どうせ闇で視界が利かないのならと私は目を瞑り、『不死鳥』が司る『生命』そのものをる。

 私を囲む敵意ある命は五つ。飛び掛かってくる命に向けて剣を振るう。

 嫌な手応えと共に一つずつ命が消えていく。

 目を開けると血を吐いて痙攣しているウサギ達の姿があった。

 私はそのまま持っていき、川原で手早く動脈を切って血抜き作業を始める。

 本当は仮死状態にして心臓をポンプにして血を抜くのだけど、既に絶命しているので『不死鳥』の魔力で心臓のみを小さく動かしていたってワケ。

 やれやれ、狂暴化したウサギでこれじゃ神殿騎士がまともに山を登っていたら全滅していただろうね。クーア先生がいてくれて良かったよ。


「うん、上出来かな。後で宿屋のマスターに渡しておこう」


 後から追いかけると云っていたけど、まだ姿は見えない。

 人の命は近くにないし、私は汗と返り血で汚れた体と服を洗う事にする。

 胸を覆う軽鎧ライトアーマーを外して軽く血を落とすと裸になって服を洗う。

 綺麗になったのを確認すると適当な枝に引っ掛けて、今度は私も水浴びだ。

 川の流れは急だけど、しっかり踏ん張れば流されるほどではない。

 東を見れば少しずつ明るくなってきているので日の出が近いのだろう。

 クーア先生達はまだ寝ているのだろうか?

 もしかしたらミーケ将軍はマスターと一緒に来るかも知れない。

 そう思うと体の奥が熱くなってくる…事は残念ながらないよ。

 官能小説じゃあるまいし。

 ただクーア先生とミーケ将軍の二人は和解後、かなり親密になっていた。

 魔界の眷属である彼らに同性愛のタブーは無い。むしろ男性器の成長がほぼ止まっているせいか無邪気に求め合い愉しんですらいるように思える。

 果たしてそんな二人の間に私が入って良いものなのだろうか?

 いや、求めれば抱いては貰えるだろうけど、逆に二人から見て私という存在はどういうものなのだろうかと考えれば考えるほど躊躇してしまうんだ。

 ゲヒルンさんは善意から、このまま行動に移さなければ、いずれ見向きもされなくなるぞと云ってくれているけど、その方が良いような気もするんだ。

 けど、二人から忘れられてしまうと考えて、それも嫌だと思う浅はかな自分も確かに存在するんだよね。

 ああ、いけない。今は重大な事件を追っているのに何て非道い煩悩なんだ。

 ふと自分の体を見る。戦闘には邪魔でしかない大きな乳房が目に入る。

 ユウお姉さんは“少しは分けろ”と揉んでいたものだけど、私の胸が大きくなったのはユウお姉さんがしつこく揉んでいたせいでもあると思う。

 新しい恋を見つけようと一度ならず考えた事もあったけど、この胸をクーア先生やミーケ将軍以外の殿方に触れられると想像した途端に吐き気を覚えたものだ。

 一度だけマトゥーザお父さんの紹介でお見合いをした事があったのだけど、その人は品行方正を絵に描いたような若い僧侶で、しかも家柄は侯爵と申し分は無かった。

 私自身、その優しい人柄に惹かれるものがあったし、彼も私が非処女でも気にしないでいてくれたのだけど、いざ、婚約という段になって彼に抱かれる自分を想像した結果、吐き気を覚えたんだ。

 その日の晩、あの研究所での最終試験で無数の死刑囚に襲われた記憶が悪夢となって私を苛んだ。しかも悪夢の中で私は為す術も無く蹂躙されていた。

 悪夢は夜毎に私を追い詰め、最終的に彼を拒むようになってしまい婚約自体がご破算となる。

 五十年前、ミーケ将軍を我から襲い、度々クーア先生やユウお姉さんとも寝た・・私が何故と不思議だったんだけど、漸く理解出来た。

 クーア先生とミーケ将軍の二人が未だ男じゃない・・・・・からだったんだ。

 第二次性徴が始まっておらず、しかも幼さ特有の中性的な愛らしさが私のトラウマを刺激しなかったのだろう。

 そう自覚した瞬間、私は恋する事を諦めたんだ。

 だってそうじゃないか。私は同性或いは精通していない幼い男子しか愛せないと分かってしまったのだから。

 故に私は迷っているんだ。

 私は神殿騎士として死ぬまで独身を貫いて生きていくべきか。

 或いは半永久的に大人になれない二人の情けに縋って歪んだ恋に生きるべきか。

 人からは“くだらない”と一笑に付されてお終いだろうけど、私にとっては狂おしいまでの悩みだった。懊悩と云っても良い。

 だからなんだろうね。そんな調子の私が刺客・・の存在に気付かなかったのは当然だったのかも知れない。


「えっ?」


 川上から大きな桃がどんぶらこ~、どんぶらこ~と流れていった・・・

 気付いた時はどうしようもなかった。桃はあっという間に川下へと消えてしまう。


「拾わないのかよ?!」


 これが盗賊ギルドの殺し屋・桃のプフィルズィヒとの運命の邂逅だった。

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