第拾参章 首領クリュザンテーメ
『いい加減、白状して欲しいんだけどなァ』
裸のまま洗い場の天井から吊されている
殺し屋として依頼人の名を明かすなど出来る訳がない。
たとえ拷問にかけられたとしても口を閉ざす覚悟でいた。
いたのではあるが、湯の中でたゆたう巨体を見ては怖気が走るというものだ。
漆黒の甲冑を身に纏っているのなら只の悪趣味と云えるがそうではない。
その身を覆う強固な鎧は昆虫や甲殻類でいう外骨格なのだ。
普段はすっぽりと長い袖に隠されていた腕は肩から指先までを甲羅が覆っている事に加えてなんと左右ニ対、四本であった。
その内の二本で黒髪の幼い子供を横抱きにしながら残る二本で構っている。
子供の方はやや憮然としているが、されるがままにさせていた。
腹部も甲羅で覆われ、背面も同様であるが、何故か胸部は人と同じ生身である。
甲羅に覆われていはいるが人型をしているのは股間までで足から先は完全に蜈蚣の如き長い胴体と化しており、真っ赤に輝く節足が無数に並んでいた。
あの小さなローブの中にこれだけの長い脚部がどうやって収まっていたのか教えて欲しいものだ。
『んー…じゃあ、こうしよう。君が質問に答えてくれたらなら僕も君の訊きたい事に答えてあげるよ。勝負に勝った方が妥協してるんだから、ちょっとは素直になってくれないかな?』
「魔女のクセに甘い事を云うのだな。俺はてっきり拷問でもされるのかと覚悟をしていたのだが?」
アッフェが挑発するようにクーアを嗤ってみせる。
裸のまま吊されているのに大した胆力だ。
或いは自暴自棄になっているのかも知れぬ。
『やっても良いけど血で温泉を汚したら僕らは宿を追い出されちゃうよ。それに君だって裏社会で名を知られた殺し屋だ。多少痛めつけられたくらいで口を割るとも思えない。拷問をするにしてもきっと凄惨なものになる。となると、こっちの精神衛生的にも宜しくないってワケさ』
「五十年前の魔女戦争で数多くの異端審問会を血祭りに上げていた幼きクーアの言葉とは思えぬな」
『あははは…あれは若気の至りというか、誰だって大好きだった家族を無惨に殺されたら頭に血が登るでしょ? たまたま僕に聖都スチューデリアに喧嘩を売るだけの力があっただけさ』
アッフェの背筋に冷たいものが走る。
照れ笑いをしているようで、その目の奥に隠しきれていない憎悪を見てしまったからだ。一見すると人の良さげな幼い魔法遣いであるが、その怨念は晴れていないに違いない。きっとこれからも聖都スチューデリアを許す事はないのだろう。
虎の尾を踏んでしまったかと思ったが、今の所クーアに逆上している様子は無い。
だがその瞳からは夜の闇よりもなお
これによりアッフェは慎重に言葉を選ばざるを得なくなった。
何故ならアッフェの祖母はまさに魔女裁判を精力的に行っていた異端審問会のメンバーの一人であり、魔女の疑いのあった女性を水責めにしては幾人も溺死させてきたのだ。その報いか、魔女の復讐戦争では肺の中を汚水で満たされて陸地でありながら溺死させられるという凄惨な最期を遂げていた。
猿のアッフェを知るクーアの事だ。きっと祖母の事も知ってはいるだろう。
「仮に俺が依頼者を告白したとして何のメリットがある? よもや暗殺者を解放するなどという真似はすまい?」
『いや、素直に白状してくれたのなら、ちゃんと解放するさ。その後、失敗した挙げ句に依頼者をバラした殺し屋を盗賊ギルドが許すかまでは責任持てないけどね』
アッフェはどちらにせよ、自分が詰んでいる事を悟った。
仮にこの場から生還しても盗賊ギルドの
その場では“お疲れさん。結果は残念やったが機会はまたあるやろ。今日のところはゆっくり休みぃ?”と云ってくれるだろうが、翌朝にはベッドの上で冷たくなっている自分を容易に想像出来たのだ。
逃げるのは不可能だ。自分以上の暗殺者を数多く抱える首領から逃れられる事などとても思えない。むしろ
首領は盗賊ギルドに所属している内は我が子、我が孫のように慈しんでくれるが、離脱者や依頼者を明かす裏切り者を決して許さないだろう。
組織力もそうであるが、首領自身が牙狼月光剣の達人であり、闇属性のみでいえば『賢者』に匹敵する魔法の遣い手でもあるのだ。とても敵う相手ではない。
逃げる事も返り討ちにする事も不可能である以上、従うよりないのである。
「殺れ……どの道、俺の未来に死しかないのであれば、俺はお前の手にかかって死ぬ。あの御方に失望されて殺されるのだけは
覚悟を定めたアッフェにクーアはげんなりとした顔を見せる。
アフェの首を取ったところで、それこそクーアにメリットがないのだ。
この猿のアッフェは十中八九フォッグとミストの報復であると見ていた。
それ以外で盗賊ギルドがクーアに刺客を送り込んでくる理由がないからだ。
一応、殺した者の礼儀として御悔やみの品と香典を送り、ミストの息子からも“ご丁寧な挨拶、痛み入ります”という旨の返事を貰っている。
それが縁となって手紙の遣り取りをするようになったが、只の一つも恨み言を述べられた事は無く、むしろ盗賊である両親を恥じ、死という形となったが日陰の世界から解放してくれた事に感謝さえしていたのだ。
もし、これで怨念を隠していたのなら大したものであるが、文面や筆圧からは決して復讐心を読み取ることは無かったのである。
ちなみにミストの息子は既に親とは縁を切っており、ガイラント帝国の南に位置するバオム王国という小国にて大工見習いとして頑張っているそうな。つまりは堅気なのである。
ならば依頼者は盗賊ギルドの首領その人である可能性が一番高い。
盗賊ギルド・首領は裏切り者を許さない非情な一面を持つ一方、殺された手下の仇を討ったり、捕らえられた者を救い出す人情家の一面も持つという。
恐怖と救済、この二つを持って配下の心を掴んでいるのだろう。
或いは盗賊ギルドとしてのメンツというのもあるのかも知れない。
クーアとしてはアッフェの口から“首領からの依頼である”との証言が取れれば良かった訳で、望めばアッフェを保護する事も吝かではなかったのだ。
だが、実際にはアッフェは首領の為に死ぬとまで云うではないか。
これほどの忠誠を見せるとは、所詮は盗賊の集団と些か侮り過ぎていたらしい。
さて困った。こうなったらもう本当に拷問にかけても口を割らないだろう。
さっさと舌を噛み切らない事から死への恐怖そのものは消えてないだろうが、自分は助からないだろうと諦観している節も見受けられる。
痛みによる拷問が通用しないとなると
痛みを与えずに体を捻れさせたり、引き伸ばすか、逆に縮める事も出来るけど有効かは分からない。
『お察しの通り、猿のアッフェは
なんと大岩に寄り掛かって温泉に浸かる老人がいたのだ。
いつの間に? 気配はまったく感じられなかった。
懐のミーケを見ても驚いている事から彼も察する事が出来なかったらしい。
『ふぅ……エエ湯でんな。日頃の疲れが癒やされるで』
老人は『四苦八苦』と赤い文字で書かれた布に覆われた顔を手拭いで拭った。
しかも、その前にはお盆が浮いており、徳利とお猪口が乗っている。
その姿は隙だらけのようでまったく付け入る隙を見出す事が出来ない。
またクーアは顔の見えぬ老人にどこか懐かしいものを感じ取っていたのである。
「ど、首領?!」
『応、みんなの首領さんやで』
「い、いつからそこに?! まったく気付きませんでした」
『阿呆! 怪盗と呼ばれたフォッグとミストを一端にしたんはこの儂やで? 服をゆるゆると脱いで、誰にも勘付かれる事なく温泉に入る程度は朝飯前や』
飄々と答える老人に誰もが動けずにいた。
一人は恐怖の為、一人は隙を見出す事が出来ぬ為、そして胸を締め付けられる郷愁にも似た想いに囚われてしまったが為である。
『心配せんでエエ。
途端にアッフェを吊していた縄が消える。
猿の異名と取る殺し屋は危なげなく床に着地した。
一体、何をした? 刃物を投げる様子も無ければ魔法を行使した痕跡も無い。
そもそもアッフェを拘束していた縄そのものがまるで手品のように消滅しているではないか。
『これでも儂は盗賊ギルドの首領やで? 盗めるものなら離れていようとも目が届く範囲の物は何でも盗めてしまうんや』
このようにな――いつの間にか、アッフェの体は首領の腕の中にあった。
「ど、首領……」
『おお、どこも怪我が無くて何よりや。それより、こんな無粋なモンは
なんと首領がアッフェの股間を掴むと無造作に引き抜いてみせた。
それは今にも脈を打ち出しそうなほど精巧に作られた偽物であったのだ。
女の暗殺者が男湯に忍び込む為に盗賊ギルドが開発した変装道具だ。
「首領……」
助けられたアッフェは布越しとはいえ首領に口づけをする。
つまり、この二人がどういった仲であるのかを物語っていた。
『待て待て、人の目があるさかいな。続きは帰ってからや』
首領はアッフェを押し戻す。
同時に男の胸板を模した胸当てが外れて小振りながらも形の良い乳房が現れる。
壮年の男と思われていたが温泉で化粧が取れたのか若い女の顔と戻っていた。
『猿のアッフェはこの通り返して
『まあ、ここにいられても持て余していたから助かるけど』
『おお、そうかい。話の分かるお人で助かったわ』
しなだれかかるアッフェを今度は押し戻さず肩を抱き寄せながら首領は笑う。
『よっしゃ、アッフェを見逃してくれた見返りにエエ事教えといたるわ。クーア先生の命を
『何でその事を?』
『見返りと云うたはずや。それに今回の仕掛けは盗賊ギルドの幹部候補が考えたものでな、狙われとると知って警戒しとる者を仕掛けるくらいはやって貰わんと困るんや』
アッフェの乳房を揉んでいる様は一見すると只の助平親爺にしか見えないが、それでも尚、クーアは攻め込む隙を見つける事が出来ない。
『何か裏があると思ったら僕に幹部昇進の試験官をやれってことかい』
湯の中でミーケに構いながらクーアが答える。
先程から言葉を発していないミーケはただ息を荒くして何かに耐えている様だ。
その顔は紅潮しているが、温めの湯なので湯当たりした訳ではなさそうである。
『そう云わんと楽しんでや。あっと驚く仕掛けばかりでクーア先生を退屈させる事はないと思いまっせ。このクリュザンテーメが請け負うたるわ』
首領が立ち上がる。
肉体もそうだが、そびえる
『ほな、頼んだで』
アッフェを伴って去ろうとする首領をクーアは黙って見送る。
『ああ、そうそう』
首領が振り返る。
『的はクーア先生だけやあらへんで? 異端審問会が何故、魔女と連んでいるのか、どうしても気になるお人がおってな。そちらの方にも話を伺いに行く事があるかも知れんで。気をつけるこっちゃ』
『そちら……ルクスの事?』
聞き返した時には首領と猿のアッフェの姿はどこにも無かった。
『ちっ! 只でさえ厄介な事件を追っているのに面倒な……』
フェニルクスも暗殺者に斃されるような鍛え方をしていないので心配はしていないが、忠告はした方が良さそうだ。
『それにしても盗賊ギルドの首領が自ら出向いてくるとは思わなかった。多分、目的は愛人を救う為でも僕に忠告する為でもないな。僕と異端審問会との繋がりを疑問視している存在をほのめかした事から今回の事件と盗賊ギルドはきっと無関係じゃないだろうね』
クーアは
『そうか、無関係じゃないどころか、多分、事件の黒幕と盗賊ギルドは繋がりがあるんだ。刺客が送られてきたのは偶然じゃない。刺客の中には黒幕の意図を汲んで動いている指揮者もいるはずだ。手掛かりの少ない事件のキーを得る為に刺客を手捕りにする必要が出てきたってワケだ』
盗賊ギルドの首領もなかなかに
冒険者達を我が子同然と云いきるどこかの誰かを思い出してクーアは笑う。
『そう云えば何で彼は僕の事を先生呼ばわりしてたんだろう? ミーケに心当たりは無いかな?』
問い掛けても返事はない。
訝しんで顔を覗き込んで、クーアは“しまった”と叫ぶ。
盗賊ギルドの首領と渡り合う為の
クーアの腕の中でミーケは何度も
『ああ、ごっめーん! だ、大丈夫かい?!』
完全に
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