第拾弍章 温泉宿での攻防

 盗賊ギルド・暗殺部門に所属している殺し屋・ましらのアッフェは温泉に浸かりながら獲物が来るのを待ち構えていた。

 盗賊ギルドにて首領ドンの秘書・蝮のヴィーパーにより召集された殺し屋は四人、アッフェは先遣隊として『世界の境界』と呼ばれるダンジョンがあるとされるイービルマウンテンという如何にもな名前の山の麓にある村へ一人潜り込んでいた。

 魔王を信仰する悪魔崇拝者の村という事もあって星神教によってイービルヴィレッジと名付けられてはいるが、蓋を開けてみれば善良な人々が穏やかに生活していて拍子抜けさせられたものである。

 宿屋の主人にそれとなく“星神教に目を付けられて生きづらくないのか”と訪ねてみたところ五十年前までは確かにでっち上げ・・・・・に近い容疑をかけられて討伐隊を送り込まれてきたそうだが、その悉くを返り討ちにし、大神殿の前に裸で吊し上げる事を繰り返していたという。


「若い娘を裸にするのは少し残酷な気がしましたがね。神の代弁者を気取って、こちらの云い分を聞かずに攻撃してきたのですから自業自得ですな。生きているだけありがたいと思え、こうなりたくなければあの村に近づくなと仲間に伝えろと諭したのですよ」


 それでも討伐隊はやって来たので業を煮やした村人達は有ろう事か当時の大僧正を攫い、大神殿の屋根の上に飾られている十字架に裸に剥いて張り付けにしたそうな。

 初めこそ“天罰が下るぞ”と騒いでいたが、腹に刺青を入れ始めると次第に宥めるような口調になっていき、慈母豊穣会が信仰する地母神の姿を見事に彫りあげると顔面を蒼白させてしまう。星神教にとって地母神は最も忌避すべき存在であったからだ。

 千年前、隆盛を極めていた星神教は驕り昂ぶり、地母神が治めていた土地を奪う為に彼女を淫魔へと貶め、信徒を殺戮したという暗黒の歴史があった。

 だが彼らはその悪行により自らの最高神・太陽神アポスドルファによって天罰を下されて滅亡寸前まで追い込まれたのだそうな。

 星神教徒ではない宿屋の主人とアッフェには彼らがどうやって許され、再び隆盛を取り戻したのかは知るところではないが、以来、慈母豊穣会と事を構える事は禁忌とされ、互いの勧誘活動がバッティングした際には星神教の方が引き下がるように指導されているという。

 その地母神の姿を彫られるという事は大僧正にとっては死に勝る屈辱であり、恐怖であったのだ。その後、救出された彼は隠居を表明し、スチューデリアの片田舎にて引き籠もったというのであるから効果は覿面であったのだろう。

 その結果、星神教はイービルヴィレッジから手を引いたのである。

 そもそも討伐隊も負ければ殺されはしないものの裸に剥かれて晒されるという恥辱を味わわされるとあって士気は既にがたがたであったのもあるだろう。


「星神教を凹ますとは聞く分には小気味の良い話だが、ここの村人は神殿騎士を返り討ちにするほど強いのかね?」


「お客人も旅をしているのならミーケ将軍の悪名は耳にした事はあるでしょう」


「噂じゃ大層強いそうだね。そればかりか実に卑怯な事もするとか」


「あの人が正々堂々と戦った方が相手は危ないですよ。卑怯というのもダンジョンに仕掛けられた罠がミーケ将軍のお手製だってだけの話です」


「それで村人の強さとミーケ将軍の強さがどう繋がるのだね?」


「村人の殆どがミーケ将軍の薫陶を受けていると云う事ですよ」


 なるほど、神殿騎士如きでは相手にならない訳だ。

 子供ですらミーケ将軍に鍛えられているような村を襲う方がどうかしている。


「しかし星神教に勝ったんだ。村の名を変えようとは思わなかったのかい?」


「変えるも何もこの村の名前は初めからゲッティンと云うのですよ。星神教が勝手にイービルヴィレッジという呼び名を広めてしまったのです。今や完全に定着してしまったので訂正のしようが無いのですな。そのクセ、住所はゲッティンのままでして、イービルヴィレッジ宛てに手紙を出しても永遠に届くことはないでしょうね」


「道理でこの村宛てに手紙を出しても返されてしまう訳だ。ゲッティンという村の名、覚えておこうよ」


「ほう、この村に何か用事がお有りで?」


「風の噂で相当潤っている村を聞いていたのでね。商売をしようと思っていたのだよ」


 小間物屋という触れ込みで村に潜入していたアッフェは商品を並べて見せた。


「これは…お客人、客層をお間違えではありませんか? 確かにこの村は余所と比べれば裕福ではありますがね。例えばこの口紅などお貴族様が使うような高級品でしょう。流石に分不相応かと思いますよ」


「い、いや、今時はこれくらいの品は庶民でも手が届く価格となっているものでござるよ。これなど拙者の妻も愛用してましてな。オススメですぞ!」


 宿屋の主人は咄嗟に出てしまったアッフェの言葉遣いやどう考えても庶民が買えるようなレベルの物ではない化粧品や装飾品の数々に元は騎士か貴族の出ではないかと推察する。勿論、商人ではないのは明白だ。ここが裕福な村という噂を聞きつけたと云ってはいたが、それでも品揃えが高級すぎる。決して庶民に手が出せるような品ではないのだ。そんな事も分からない商人がいるはずがない。

 もしかしたら盗品であるのかも知れない。まっとうに仕入れたのならば血の臭い・・・・がするはずがなかろう。

 目的は何だ? 宿屋の主人が懸念しているのはその一点だ。

 盗品を売りに来た? 否、盗品を買い取る故買屋こばいやなる者がいるのに態々辺鄙な村に売り付けに来る意味がない。

 この村へ盗みに来た? 否、確かに村人の多くは小金を貯めているが、それだってここへ来るだけでも命懸けだったはず。態々遠征・・するなんて間尺が合わないにも程がある。だったら手持ちの盗品を金にする方が先だろう。

 では本当の目的は何だ? アッフェの身の熟し、隙の無さ過ぎる足運び、そして何より盗品以上に醸し出される血の臭い・・・・。それは当人も自覚があるのか、香水を大量に吹き付けており、却って余計な異臭となって鼻を突いたものだ。

 刺客・・か? では誰を狙っている?

 村人の誰か? 否、人から怨みを買うような者はこの村には一人もいない。

 ではミーケ将軍か? 否、数々の冒険者達が返り討ちに遭っている強者相手に一人というのは考えにくい。後で仲間が合流するにしても商人を名乗ってこの村へ訪れるというのも不可解だ。普通に冒険者を名乗った方が都合が良い。

 ん? いや、むしろ冒険者では都合が悪いのか?

 この村と縁があって冒険者を騙っては都合の悪い相手とくれば…クーアか!

 つまり、このアッフェという男は盗賊ギルドの殺し屋に違いない。

 世界中に“目”を持つ盗賊ギルドはクーアがこの村に逗留している事を掴み、刺客を放ったのだろう。

 話は聞いている。星神教の神像強奪事件にクーアも絡んでおり、その際に盗賊ギルドの幹部、フォッグとミストを斃していた。その復讐か。

 だがアッフェは長年対立してきた遺恨からか、冒険者と名乗ってもクーアならばすぐに見破ってしまうと考えたからか、商人に扮するという失態を犯していた。

 斬るか、とも思ったが、仲間がいるのなら泳がせた方が良いと思い直す。


「そ、それでは私は温泉にでも入って来ようかね」


 これ以上ここにいてはボロが出ると思ったのか、アッフェはそそくさとその場から逃げるようにして去った。









 アッフェが温泉に入ったのは宿屋の主人からの追求を避ける為でもあったが、実はクーアの行動パターンを掴んでおり、この時間帯にクーアが湯に入ると分かっていたのだ。

 ここの露天風呂はミーケ将軍が経営しているだけあって趣向を凝らしており、特に中央に設置した大岩はオブジェとしてだけではなく、他の客からの死角を作り出して各々好きな真似・・が出来るように計算されていた。

 猿のアッフェにとってこの岩はお誂え向きであり、クーアの様子を伺える上にこの程度の岩は一足で跳び越えられるので奇襲をかけるのに持って来いなのである。

 まさに猿の異名は伊達では無いという事だ。


「夏場の温泉も良いものだよね」


「まあ、温めだし上気のぼせる事もねェからな」


 二人か…厄介だな。今日は取り止めるか?

 いや、何が悪かったのか、宿の主には疑いの目を向けられているし、今日で決着をつけた方が良いだろう。

 耳を澄ませば体を洗っている様子だ。ここの温泉はルールに厳しく、まず洗い場で体を洗ってからでないと温泉に浸かってはいけないそうな。

 面倒なと思ったが、それで宿を追い出されては本末転倒だとアッフェは律儀に従っていたものだ。


「さあ、綺麗になったし温泉に入ろうか」


 よし、入ったか。何やらガシャガシャ五月蠅いのは気になるが、顔を出して見つかってしまっては元も子もない。

 アッフェはじっとクーアの気配を探る。


「それにしても君、まだ剥けないんだ? 僕はもうとっくに剥けてるよ?」


「五月蠅ェな。皮が上手く剥がれねェンだから仕方ねェだろ?」


「ほら、僕に任せて。綺麗に剥いてあげるから」


「よせって! 自分で出来るよ!」


「良いから、良いから…ほら、綺麗に剥けたよ。艶々でぷにぷにしてて可愛い」


「つつくな、つまむな、人の物を」


「ほら、口を開けて…美味しいかい?」


「ああ、とろとろで美味しいよ」


 こいつは驚いた。

 蝮の兄貴が“オカマ野郎”と云っていたが男同士で乳繰り合ってやがる。

 今なら殺れるか? 如何にクーアといえどもヤってる時は無防備だろう。

 もう一人は可哀想だが殺しの現場を見てしまっては口を封じるしかない。

 アッフェは覚悟を決めると、左腕の皮膚の下に隠していた千枚通しにも似ている凶器を引き出した。

 死んで貰うぜ、クーア。蝮の兄貴が窃盗部門の統括に昇進すれば、俺も殺し屋なんて汚れ仕事をしなくても良くなるんだ。これで俺も盗賊として華々しくデビュー出来るってもんだ。

 アッフェはほくそ笑むと、一足に大岩の上に跳び乗った。

 死ね! クーア!!

 躍り懸かった瞬間、何かで体を巻取られて、恐ろしい力で締めつけられてしまう。


「マジで引っ掛かりやがった。こんな見え見えの罠に飛び込むか、普通?」


『意外とね、情事にふけっていると思い込ませると殺し屋も油断するみたいだね』


「何が情事だ。温泉玉子を食ってただけじゃねェか」


『けど、じっとこちらを窺っていた誰かさんはそう信じたみたいだよ』


 何だ? 何が起こった?

 理解出来たのは暗殺に失敗した事と骨が折れんばかりに締めつけられている事だ。


『覚えておくんだね。裸になっても無防備になるどころか、むしろ危険になる存在もこの世にはいるって事をね』


「クーア……なの…か?」


 間違いなく手配書に描かれている女の子のような柔和な童顔がそこにあった。

 しかし、そこにいたのは異形としか云えないモノである。

 まず頭にあった二本の髪飾りが伸びて蜈蚣の触角のようになっていた。

 腕に蜈蚣の甲羅を思わせる意匠の手甲が装着されていると報告にあったが、それはガントレットどころか肩まで覆っていたのだ。

 更に腹周りを黒くて堅いものに覆われているが防具とは思えない。明らかに昆虫の外骨格のようにしか見えない。

 下半身は最早、人ではなく、無数の節足が並んだ巨大な蜈蚣のようで、それがアッフェの体を締めつけていたのだ。

 分かりやすく云えば、巨大な蜈蚣の頭部の代わりに外骨格に覆われた人間の上半身、正確には鼠蹊部から上の部分が繋がっていた。

 しかも生身の人間の部分は頭部と胸部のみという有り様である。


『ここは“見ーたーなー?!”って云うところかな?』


「じゃあ、僕は“はーなーせー”って云うよ」


『却下』


「何でだよ?!」


 クーアにお姫様抱っこにされているミーケ将軍が彼の頭を叩いているのを、アッフェは呆気に取られて見詰めるしかなかった。


『さあて、僕の記憶違いじゃなければ、盗賊ギルド御抱えの殺し屋・猿のアッフェ君? 誰に雇われたか教えて貰おうか』


 名前を云い当てられて愕然としているアッフェに対してクーアは今まで見せた事の無いニンマリとした笑みを浮かべて、更に彼の胴を締め上げるのだった。

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