第玖章 動き出す者達
「それで冒険者が遺した言葉なんだけど心当たりがあるみたいだね?」
「それに答える前に提案が一つあるンだがよ」
「提案?」
ミーケは両手を口の前で組み、肘をテーブルに着けて私達を見渡す。
「この案件、俺が預かるからお前達は帰れ。で、全てを忘れて魔女の谷に暫く引き籠もってろ。ついでに俺に関する事も永遠に思い出すな。俺は死んだものと、いや、初めっからこの世に存在しなかったと思え」
「そんな事を云われて“はい、畏まって
『兄貴の云う通りだ。流石に今の言葉は頂けないよ』
「右に同じだ。その提案は我らの力を見縊っていると見做すぞ」
五十年前の暴挙を許してくれただけでなく、それでもまだ私達を好きだと云ってくれたばかりなのに、どうしてあっさりと自分を犠牲にする事を云うかな。
そうそう、私達はミーケ将軍に敬語を使っていない。
再び分かり合えた今、所属や種族を超えて対等に話そうと決めたんだ。
それなのに何故なんだよ。
「見縊るも何も事実だろがよ。テメェら三人纏めてかかってきて俺に掠り傷一つでもつけられると思うか? まさか五十年前の作戦が今でも通用するとは思ってるワケじゃあんめェ?」
ミーケ将軍から上目遣いに問われれば返事に詰まる事になる。
少なくとも私の武がミーケ将軍に届くとは思えないし、そもそも私とミーケ将軍とでは相性が悪過ぎるんだ。
何故なら将軍のお母さんは火の大精霊と契約を成功させた『大賢者』の一人なんだ。彼女は母乳が出にくい体質だったそうで、見かねた火の大精霊が乳母となってミーケ将軍を育てたそうなんだけど、神と崇められている存在のお乳を飲んで育った将軍は元々強大だった魔力を更に増大させるんだけど、何より火属性の攻撃を完全に無効化してしまうようになったんだよ。
それは取りも直さず火属性特化の私の攻撃が一切通じない事を意味していた。
ゲヒルンさんも高位精霊との契約を成功させた並外れた魔法遣いではあるんだけど、元々サポート特化であったし、ミーケ将軍が契約している精霊は全て
ちなみに“最高位級”と呼称したのは正確には最高位精霊じゃないからなんだ。
ミーケ将軍は『大賢者』であったお母さんから魔法の手解き受けていたんだけど、彼は最下位精霊にペット感覚で魔力を与えていたらしい。
その結果、見えるか見えないかというレベルの靄のような姿だった彼らはいつしか存在感を増してはっきりと見えるようになったという。
それを面白く感じたミーケ将軍は更に魔力を与えるようになっていったそうで、気付けば中位精霊のように人に近い姿を取るようになって自我まで芽生えたそうな。
ミーケ将軍の中でペットから友達となり、魔力を惜しみなく与えて益々可愛がるようになり、実際に共に遊んでいる姿が見られたとか。
ミーケ将軍と心を通わせながら成長していった精霊達は名を与えられた事で完全に自立した存在となり、将軍から魔力を与えられなくとも森羅万象に宿る精気を吸収する
恐ろしい事に精霊達は長い年月をミーケ将軍と過ごしている内に以心伝心、いや、もはや
呪文とは謂わば魔法を行使するにあたって契約している精霊に指示を出しているようなものだ。例えば火の攻撃魔法『プロミネンススフィア』ならどれだけ簡略化していようとも『火の精霊よ。敵を穿て』くらいの呪文は必要なんだけど、彼らは、どの魔法をどの標的にどのタイミングで撃つかをミーケ将軍の望む通りに行う事が出来るんだ。
最下位精霊として契約した彼らはミーケ将軍の魔力を糧に成長し、百五十年以上も寝食を共にしてきた事で一心同体となるまでの絆で結ばれるようになった。
その力は今では正に“最高位級”と呼べる程であり、このペースで成長を続ければ百年もしない内に
しかもだよ。完全に自立もしている彼らはミーケ将軍の実家の道場で武も身に着けているそうで、魔法の行使だけではなく、いざとなったら武器を手に取ってミーケ将軍と共に戦う事が出来るというのだからオソロシイ話だ。
その戦闘力は玄武衆と模擬戦をしても互角というのだから堪らないよ。
いや、この場合は人ならざる者達と渡り会える玄武衆がオソロシイのか。
「成長をしているのはミーケだけだと思っているのなら御門違いも甚だしいよ」
そこでやはり反論を口にしたのはクーア先生だった。
「掠り傷ねぇ? なら君に有効打を与えられたら合格って事かな?」
出た。にこやかに笑っていながら全身からサッキュバスの如く妖しい色香を滲み出しているのはクーア先生が怒りを堪えている兆しだ。
ユウお姉さんと同じくらいミーケ将軍を愛しているクーア先生は、将軍の命を軽んじる者を決して許さない。それがミーケ将軍当人であろうとだ。
「ほう、面白ェ事を歌うじゃねぇか? 武は小刀術のみ、頼みの魔法も俺の方が上だぞ。況してやずっと事務職にいたテメェが常に戦いの中に身を置いていた俺に敵うと思ってンのか?」
「ふぅん、脅し文句とは珍しいね。ここは“よぅし、そこまで云うなら行動で示せ”って返すところじゃないかな?」
ミーケ将軍の上目遣いは今や険のある三白眼となっているのだけど、クーア先生は臆するどころか真っ正面から受け止めている。
しかも挑発で返しているのだから流石としか云いようがないよ。
そして気圧されているのはミーケ将軍だ。
もし模擬戦を行って合格となる有効打を与えられたらクーア先生の同行を許可しなければならない。それは取りも直さずミーケ将軍すら死を覚悟する敵とクーア先生が戦う事を意味している。
万が一、クーア先生が命を落とそうものならミーケ将軍には耐えられないだろう。
長年の孤独の中で契約した精霊のみが慰めだった彼にとって愛する人を失うのは恐ろしい事なのかも知れない。
けどね、ミーケ将軍、貴方を失う事も私達にとっては耐え難いものなんだよ。
忘れる事も引き籠もる事も出来ない。我が身を捨てて一丸となって貴方を殺した敵へと復讐に走る事だろうね。
「僕だって君の事を守りたいんだ。強いからって君が全てを背負わなければいけないなんて間違っている。だから戦おう。君と肩を並べて戦う資格がある事を証明して見せるから」
「クーア……」
「それに僕もね、強くなっているんだよ? 戦略だっていくつか編み出している。それを試すには君の様な強者が一番だ。是非、付き合って欲しい」
ミーケ将軍の手を取って微笑むクーア先生に彼も迷いを捨てたらしい。
実に真っ直ぐな目をクーア先生に向けている。
「分かった。今から戦おう。だが分かってるな?」
「勿論、期待は裏切らないよ。ああ、だけど
「ば、莫迦な事を云ってねぇで、さっさと行くぞ!!」
耳まで真っ赤にして足早に演習場へ向かうミーケ将軍に笑いを堪えるのを私達は苦労する事となった。
一方、その頃……
『これはまた下手を打ちましたなァ。今度は研究所ごとドカンですか』
『後少しで安定するところだったのだ。一体何故なんだ…』
『そんな事を訊かれてましても儂は門外漢ですからなァ。答えようがありませんわ』
赤い文字で『五衰』と書かれた布で顔を隠した白衣の男が頭を抱えているのを初老の男が笑って答える。
『五十年前の人型兵器の暴走も非道かった。しかもその生き残りも今や星神教の『顔』や。今更連れ戻す事は叶わんでしょうなァ』
『あの事は既に終わった事だ。
『異端審問会をナメ過ぎましたなァ。あれはただ魔女を迫害しとる狂信者集団やあらしません。人々の暮らしを脅かすもの
素早く
『違う。私が遅かったのではない。あの大爆発にも拘わらず考え無しに乗り込んできた異端審問会が無知で野蛮なのだ。普通は慎重に動くものだろう。原因はガスかも知れない。火薬かも知れない。そのように想定して然る可きではないのか。これだから文明レベルの低い世界は嫌なのだ』
『えろう莫迦にしてますけど
『五月蠅い! しかし、異端審問会はどこへ向かっているのか?』
『そう云えば相談があると云ってましたなァ。それは異端審問会の事で?』
初老の男の問いに白衣の男は頭を抱えるのをやめて向き直る。
『安定しかけていた『
『ふむ、それはどこへ?』
『ここだ』
白衣の男の手の上に光の球体が浮かび上がる。それはこの世界の模型であった。
光の模型にある山の一つを赤い光の矢印が指し示す。
『ほう、そこは『世界の境界』でんな。『黒霧兵』の生き残りからなんぞ聞き出したのか、何かアテがあるのか、よう分かりまへんなァ』
道程は険しいが模型で見ると標高そのものは意外と高くはない。
初老の男は異端審問会の行動が読めずに首を傾げている。
『それを探って貰いたい。あの『黒霧兵』は口が利ける状態ではなかったはずだ。だが闇雲に『世界の境界』へと向かったとは思えぬのでな』
『ようがす。お引き受け致しましょう』
『では任せた。報告は三日以内にするように』
白衣の男の姿が消える。どうやら本人はそこになく立体映像だったようだ。
『ハッ! 自分の失態を棚に上げて偉そうに!!』
初老の男の後ろに控えていた若い男が忌々しげに吐き捨てる。
憤る青年を初老の男が窘める。
『云わせたりぃ。どうせ儂らに頼らねば何も出来ぬ無能共や』
『でも、あれが指導部『天道』の一人とは信じられません』
『お前だから教えたるがな。『天道』は指導部やあらへんのや』
『は? それはどういう…?』
困惑している青年に初老の男が呵々と笑う。
『あいつらはオノレの得意とする事に関してだけに秀でた天才の集まりや。で、天才過ぎて誰からも理解されずに燻っていた連中を『輪廻衆』に拾われたっちゅうワケや。せやけど秀でているのはその一芸だけ、あとは一人じゃ何にも出来へん。飯も満足に炊けん無能や。儂らはそいつらを煽て賺して
『は、はぁ…それは何の為に?』
『決まっとるやろ。奴らを有頂天にさせてその一芸を『
『なるほど、そう考えると憐れなものですね』
『せやろ? だから『
『はい、今後は精々気持ち良く仕事をして貰う事にします』
それがええ、それがええ――初老の男は満足げに頷いたものだ。
『それにしても異端審問会に魔女の取り合わせとはまた奇妙なものやな』
『あの『魔女の王』が異端審問会に協力している事が分からないとは、なるほど、確かに得意分野以外は無能ですね。神殿騎士と毛色の違う魔法使いが混ざっている事に疑問を持てないのですから呆れたものです。しかも五十年前に自分で創造した687に気付くことすら出来ない。可哀想とすら思えてきましたよ』
『その
『ははっ』
青年は恭しく頭を下げた。
『それで異端審問会なんやが儂もちと気になるな。あの星神教嫌いのクーアが連んでいるのも腑に落ちん。そこで御苦労さんやが、
『それを私に任せて頂けるのなら喜んで! みなしごだった私に盗みの技を仕込んでくれた大恩あるミストの兄貴とフォッグの姐さんが受けた苦しみをあのオカマ野郎にも味わわせてやります!』
『そうか、そうか。あの二人は儂に取っても孫のような奴らやった。あやつらの為に怒ってくれるお前の優しさを嬉しく思うで』
『ありがとうございます。必ずや吉報を持って帰ってみせますよ、
『頑張りや。クーアの首を見事
鼻息荒く出て行く青年の勢いは見送る盗賊ギルド・首領の顔を覆う『四苦八苦』と書かれた布を翻す程であった。
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