第参章 魔女の兄弟
「うへぇ、内臓の位置が滅茶苦茶だァ。この子、何で生きてるんだろう?」
少女の額に指を当てているクーア先生が顔を顰めている。
戦場で多くの悲惨な死体を目にし、魔女として様々な呪いを見てきたクーア先生がこのような顔をするくらいなんだから余程の事なのだろう。
「隊長、クーア様は額に指を当てているだけのように見えるのですが、それで分かるものなのですか?」
「莫迦者。それだけで分かるはずがなかろう。先生はああして患者の肉体に魔力を流して診察をしているのだ。索敵に魔力の網を周囲に展開する魔法遣いを見た事は無いか? 先生はその応用で全身に怪我や病巣が無いか診ておいでなのだ。これぞクーア先生が開発した診療魔法『スキャニング』である。その精度は凄まじく、顕微鏡を用いねば分からぬ程小さな癌すら見逃さぬ。感染症や毒も体内に入り込んだ異物として認識するらしい。しかも毒の種類まで分かるそうだ」
「種類まで分かるのですか?! この人、何故、冒険者ギルドにいるんです? 病院でも開業すれば多くの命を救えるでしょうに」
騎士達が疑問に思うのも分かるけど、クーア先生が病院を建てて人を救う事は無いと思う。何故なら魔女達は半世紀前の魔女狩りを許してはいないのだからね。
治療に見合う報酬を支払うのなら兎も角、クーア先生が我からスチューデリア人を救う為に動く事は有り得ない。“お大事に”と労ってくれれば良い方だろう。
聖都スチューデリアがクーア先生のお父上とご兄弟、そして犠牲となった魔女達を生き返らせでもしない限りは許す事はない。いや、未だに燻る復讐の念を押さえているだけ賞賛すべき事だと私は思うよ。
「こりゃ頭まで弄られてるなァ。僕は脳に関しちゃ門外漢だし、どうしようか」
クーア先生が振り返る。
「聖都スチューデリアって確かガイラント帝国とは敵対まではいかなくても仲は悪かったよね? 国全体がアンチ星神教だったし」
「そうですね。けど少々面倒な手続きを踏む事にはなりますが、使者を送る事は可能です。先生はガイラント帝国に何か御用がお有りですか?」
ガイラント帝国は聖都スチューデリアの西側に位置する大国で軍事力だけを見れば世界一の強国なんだ。国土は聖都スチューデリアのおよそ三倍あるのだけど、それだけでは飽き足らず近在の小国を攻め落としては属国としている。
良質な鉄の産地でもあるからか、強力な銃器や兵器を国中に配備しており、国外に自国の軍事力を誇示している。ただ兵器が充実し過ぎているとも云い変える事も出来、そのせいで帝国軍の兵士自体は弱兵であるとも云われている。
「僕の弟がガイラント帝室の御抱え医師をやっていてね。特に脳の研究に力を入れているんだよ。ガイラント帝国専売の認知症治療薬を作ったのも弟でさ、この子みたいに脳を弄られている被害者も弟なら何とか出来るかも知れない」
認知症治療薬の開発を手掛けていたなんて流石はクーア先生の弟さんだね。
認知症の治療は医に携わる人達にとって悲願でもあるけど、現状では進行を遅らせるのが精一杯みたいなんだ。
けどガイラント帝国が専売している治療薬は死滅した脳組織の修復をある程度ではあるものの可能とし、認知能力の回復も認められているらしいね。
ガイラント帝国は死刑囚を用いた臨床実験をバンバンやっちゃうから医療の発展が著しく、特に新薬の開発力は世界一の実績を誇っている。
だから難病に効果的な新薬や治療法を開発すると、それらを帝国の専売特許として他国との外交カードにするという狡猾さも持ち合わせているんだよ。
「ちなみに使者を立てて弟を引っ張って来るのに何日くらいかな? 僕の名前を出せば弟は喜んで来てくれるとは思うけど、帝国との交渉が難しいよね」
「左様。まず交渉の書簡の遣り取りをせねばなりますまい。その上で使者を立てて……少なくとも数日で出来る交渉ではありませぬ」
同盟国ならまだしも想定敵同士の交渉となったら下手をすれば年単位になりかねない。いくらクーア先生の弟さんの協力を仰ぐ為とはいってもすんなりとはいかないだろうね。
「で、あるか。仕方ない。僕が『影渡り』でちゃちゃっと弟を攫ってくるか」
「おやめ下さい。そんな事をしたら聖都スチューデリアとガイラント帝国で戦争になってしまいます。大将軍閣下がおられるので早々に負ける事はないでしょうが、勝算は皆無と云っても過言ではありませぬ」
「冗談だよ」
クーア先生は朗らかに笑っているけど、神殿騎士達はガイラント帝国と戦争になると聞いて愕然としている。中には恐怖の表情を浮かべている子もいた。
「と云うか、
「はい?」
『やあ、久しぶりだね兄貴。最後に会ったのはいつ以来だったかな?』
「ヒッ?!」
神殿騎士達が怯えるのは無理も無い話だ。
クーア先生のそばには少女(?)の
先生の面影が見える可愛らしい顔立ちにハニーブロンドの髪を伸ばしている。
前髪も長く左目だけが隠れるように整えているのは何かの拘りかも知れない。
首だけではない。手首から先だけだけど細く白い指を持つ両手も浮かんでいた。
「態々来て貰って悪いね、ゲヒルン。最後に会ったのは年始に家族で集まった時だよ。みんなで料理を持ち寄ってささやかな宴会をしたじゃないか」
『そうだったね。久々に家族全員が集まったからか、母様が普段なら控えているお酒をバンバン呑んじゃって最後はサバトさながらの裸踊り大会になったっけ』
「レオンなんて青い顔して必死にレクトゥールと子供達の体をマントで隠そうとしてたよね。身内なんだから構わないだろうにさ」
『おっしゃる通りだね。その点、レオンの奥さんなんか、公爵令嬢とは思えないくらいはっちゃけて盛り上げてくれたんだから、見習って欲しいよ』
先生と生首は“愉しかった”と笑っているけど、反面、神殿騎士達は先程の戦争云々の時よりも顔を青くしていた。
紹介するね。この生首、失礼、このクーア先生をちょっと大人びた感じにした人こそ、先生の弟さんでゲヒルンさん。
元々は五体の揃っていて、男の人でありながら絶世の美女と呼んでも良い人だったんだけど、魔界の公爵夫人に見初められて拉致されてしまった事があったんだ。
“愛人となれ。栄達は思うがままぞ”と誘惑されたそうだけど、奥さんと子供を愛していたゲヒルンさんはそれを拒否してしまう。
怒った公爵夫人は首を刎ねられてしまった挙げ句、それだけでは飽き足らないと更に体をバラバラに解体してしまうんだ。
その時、クーア先生から要請を受けて魔界軍が救出に来たんだけど、そこで彼らが見たのは、そのような状態になって尚、魔力で生かされ続けているゲヒルンさんの悲惨な境遇だった。
魔王とクーア先生達は相談の末、“まだやるべき事が有る”というゲヒルンさんの意思を尊重して首と両手だけで生きられるようにしたんだそうだよ。全身を生かすとなると魔王の強大な魔力を持ってしても数日しか生きられないそうで、後はゾンビにするしか方法は無かったんだって。
しかしゲヒルンさんの精神力は凄まじく、このような境遇にもへこたれる事なく帝国での地位を確かなものにしていったという。
ちなみに普段は人形に首と手をくっ付けて操り、ローブで隠しているんだってさ。
ただ今回は帝国に無断でスチューデリアに来たそうで、人形の胴体にダミーの頭を載せて居留守をしているらしい。
帝国の重鎮が来たら時間稼ぎをしておくように、と命じられたお弟子さんが可愛そうだけど、是非とも頑張って頂きたいものだね。
うん、後でお菓子を作ってゲヒルンさんにお土産として渡して貰おう。
後、余談になるけど件の公爵夫人は断首の上、その首は地獄の炎で永遠に燃やされ続ける罰を受けているそうだよ。
『それで兄貴が念話で云っていたのがこの子かい?』
「そうなんだ。それでどう? 脳の専門家として意見を聞かせて欲しいな」
ゲヒルンさんの右手が冒険者の顎を持って目線を合わせる。
クーア先生は冒険者の額を左手で触れ、右手の指をゲヒルンさんの額に当てた。
こうしてゲヒルンさんに脳の状態のイメージを送っているんだよ。
『これはまた随分と切り刻まれているね。生きているのが不思議なくらいだ』
「やっぱり話せるようにするのは難しいかい?」
『ちょっと時間をくれるのなら神経回路を魔力のパスで正常に繋ぎ合わせて一時的に正気に近い状態にする事は出来るよ。ただ…』
「ただ?」
『今の悲惨な自分の体を知ったらそれこそ正気じゃいられないんじゃないかな。兄貴が不老長命になったと知った時の事を思い出してみてよ。俺だって本当は生首になった自分に絶望して暫く荒れていたものだよ』
ゲヒルンさんの言葉にクーア先生は唸ってしまう。
先生の場合は同じく不老長命のユウお姉さんや私と出会った事で救われた。
ゲヒルンさんも奥さんと子供達が今の状態となったゲヒルンさんを変わらずに愛してくれたから乗り越えることが出来たんだ。
「けど、このまま一生ヘラヘラ笑ってもいられないよ。生かすにしてもずっと誰かに面倒を見させる訳にもいかないさ。たとえ地獄のような真実が待ち構えていたとしても本人にしっかりと認識させなきゃいけないんじゃないかな」
『それもそうだね。確かにこの子は唯一生き残った事件の証人だ。残酷だけど正気に戻って貰うしか選択肢は無いか』
「そういう事だね」
ゲヒルンさんは精神を集中する為か目を閉じ、両手で冒険者の頭を押さえる。
クーア先生も補助として冒険者の後頭部に手を当てながら目を閉じた。
「ぐ…ああ…ぐご…」
お二人が作業に入ってからすぐに冒険者が反応を示した。
全身を跳ねさせて苦痛に耐えるような表情になる。
「ルクス、体を押さえて」
「はい!」
私は暴れる冒険者を抱きしめる事で拘束する。
「あぎゃばらでどぼれぎあすぼろべ」
冒険者の口から意味を持たない言葉が飛び出し、暴れる力も徐々に強くなっていくけど、私は『不死鳥』の力で肉体を強化して何とか堪える。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぐぎゃあああああああああああっ!!」
人とは思えぬ声を張り上げ、有り得ない速さで頭を振り回しながら冒険者は白目を剥いて暴れ続ける。
「ぎゃあああああああああああああああああっす!!」
まるで地獄の業火に焼かれる亡者のように叫けんだかと思えば冒険者の体は糸が切れた操り人形のようにガクンと動きが止めた。
死んでしまったのかと神殿騎士達がざわつくけど、心臓は動いていると伝えれば静かになった。そこは普段、厳しく鍛えている甲斐があったというものだ。
「お……おま……」
『ん? 正気に戻ったか?』
「ゲヒルン、離れて!」
冒険者の顔を覗き込もうとしていたゲヒルンさんの首を持ってクーア先生が冒険者から離れる。釣られて私も冒険者から離れてしまったけど何があったんだろうか?
『おお…おおい……大いなるモノの眠りを……妨げるべからず……』
白目を剥いたまま冒険者が語り出すけど、どう見ても正気に戻った様子じゃない。
それどころか、この威圧! 若いとはいえ心身共に鍛え上げられた神殿騎士達が震え出すほどの覇気をこんな若い冒険者に放てるとは到底思えない。明らかに何かおぞましいモノが取り憑いている。
『大いなるモノを目覚めさせる者に災いあれ!』
「大いなるモノ? それは?」
『大いなるモノ…大いなる…おおい…おおい…おおおおおおおおおおっ!!』
なんと冒険者の肉体が黒い煙を出しながら溶けていくじゃないか!
その無惨な姿と強烈な臭気に若い騎士の中には嘔吐している者もいた。
『大いなる…おおい…だず…げべ…大いなるモノを…目覚めさせるな…』
肉だけでなく骨まで黒く変色しながら冒険者は崩壊していく。
『おおいなる…だずげ…ものを…べ…おおい…おおい…だずげべ…』
恐らく冒険者の自我が蘇った事がトリガーとなって崩壊が始まったんだろう。
私達に救いを求めながら、何者かのメッセージを伝えている。
『めざめ…ざべるば…おおい…たずげで…おおいおお…だず…げ』
「あい分かった。汝に救いを」
もはや詳しい事情聴取は不可能だろう。
ならば今すぐ苦しみから解放してあげるのが慈悲だと思うんだ。
私の両手を炎が包み込む。
「せめて痛みを知らずに逝くが良い」
両手の中で炎の魔力を極限まで圧縮させる。
「だが、汝も冒険者なら言葉を残せ。この村を滅ぼした者は?」
『り…りりり…りんね…てん…どう…』
「“りんね”? “てんどう?」
『に、にん…げん…』
「“にんげん”? 人間か?」
これらの言葉がどのような意味を持つのか分からない。
けど、この冒険者は今必死に言葉を遺そうとしてくれている。
決して聞き逃す訳にはいかない。
『りんね…りん…にん…げんど…おおいなる…もの…おおい…おお…おおい…』
「これまでか…」
クーア先生を見ると頷かれた。
先生もこれ以上は限界だと悟ったのだろう。
『おおい…おおい…おおいなる…めざべ…さべるば…』
「汝の死は無駄にはしない。安らかに眠れ。奥義『滅鬼双炎掌』!!」
私の炎は悪鬼を打ち滅ぼす破邪の力が備わっている。
突き出された私の両掌から破邪の炎が球体を成して撃ち出される。
そして炎は冒険者を包み込んだ。
『おおい…おおい…おおい…おぢゃ!!』
瞬く間に冒険者の肉体は浄化されて消えていく。
来世では幸せになるんだよ。
私は彼女の冥福を祈って合掌した。
「しかし、今の言葉が手掛かりになるんでしょうか?」
騎士の云い分ももっともだと思う。
だけど今となっては“りんね”“てんどう”“にんげん”の三つのワードこそが重要な手掛かりだった。
ふとクーア先生とゲヒルンさんを見ると、お二人の顔色が悪い事に気付く。
「クーア先生? 何かお心当たりでも?」
「あるって云えばあるかな?」
「それは真で?」
しかし、どう見てもお二方とも気が乗らない様子。
訝しんでいると、決心されたのか、躊躇いながら口を開かれた。
「物凄く会いづらいんだけど仕方ないか」
『仕方ないだろうねェ。会った途端に殺されなきゃ良いけど…』
声をかけにくい程、お二人の落ち込み振りは凄かったんだよね。
「でも、いつかはちゃんと詫びを入れないとだし、行くしかないか」
『だね…どうすれば話を聞いてくれるかな? 一応、好物も持っていこうか』
「あの……誰に会うおつもりなのでしょう?」
私の問いにクーア先生は死んだ魚のような目をして答える。
「行けば分かるよ。この地上と魔界を繋ぐ扉が唯一存在する超々高難易度ダンジョン『世界の境界』にね」
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