第拾章 私達、交際を始めます

 私は今、無機質な白い廊下で不安と恐怖が入り交じった感情を持て余しながら弟の手術が終わるのを待っていた。


『落ち着け、と云っても無理なのは分かっているが座っていろ。手術が終わるまで後三時間はある。貴様の方が参ってしまうぞ?』


 廊下を行ったり来たりしている私をユウが窘める。

 頭では分かっているが、座ったら座ったで不安に押し潰されそうになるのだ。


『そうだぜ。ドクター松戸は今まで五千例の移植手術を執刀しているが、失敗した事は無い天才だ。きっと義弟おとうとも健康を取り戻すだろうぜ』


 ヌエも労るように私の手を取って力づけてくれているのに悪いけど、両親や祖父母を失って、残された唯一人の家族の一大事の前では焼け石に水だ。

 いつからアンタの義弟になったんだ、というツッコミすらも口からは出ない。

 というか、いつの間に弟はヌエに懐いたのだと疑問に思う。

 そう、私達は幾度と無く話し合い、ギルド長、大僧正様、レクト様、事務長の意見も取り入れて、ついに弟は心臓の手術を決意したのである。

 副ギルド長は未だにどこで何をしているのか皆目見当がつかない。

 大僧正様をしてフェニルクス卿共々行方が分からないという。

 それは兎も角、手術の内容が驚きの連続だった。

 まず弟の心臓を健康な心臓と取り替えると聞いた時は正気を疑ったほどであったのだが、ギルド長曰く、向こうの世界・・・・・・では百年以上前から行われてきた手術で、実績もあるそうなのだ。

 しかも弟の細胞を使って全く健康な心臓を創り出し、それを移植するというのだから、もう神をも畏れぬ行為というよりはない。

 しかし、ドナー登録者から弟と体質の似た人間を捜して移植可能な状態(死亡もしくは脳死)になるまで待つよりは安全で早いそうな。

 こちらとしても脳死とはいえ、まだ生きている人から心臓を貰うのは気が引けるのでありがたいが、やはり文明の差か、或いは倫理観の違いか、理解が追い付かず弟とともに苦悩の日々を送ったものである。









 そんなある日のこと、ヌエが私達を訪ねてきた。

 何をしに来たのかと身構えれば、遊びに来たと云うではないか。


『俺様が担当している国は途上国、云い方は悪いが貧しい国だったからな。盟に加わるメリットを伝えて、国を食い物にしている犯罪組織、所謂いわゆる国賊の首をずらっと並べてやったら呆気ないものさ。国賊から流れてくるカネ無しじゃ国を運営出来ねぇ情けない王族共は俺様達を頼る以外に道は無いってんですぐ飛び付いてきやがったぜ』


 短時間で三つもの国を落としたヌエは褒美に休暇を貰い早速遊びに来たらしい。

 以前、“国を惨たらしく滅ぼせば後は勝手に落ちる”と云っていたのは『畜生道』としてのポジショントークに過ぎず、基本はカシャ達とも連携を取っているという。


「じゃあ、何で冒険者ギルドを襲ったのよ?」


『そっちこそ同じ冒険者ギルドなのに知らなかったのか? 俺様が殺した連中、盟に加わった国で禁足地に無断で入り込んでたんだ。しかも出してはならぬ秘宝を持ち去ったんだよ。だから同盟を結んだ俺様が責任を持って報復をし、秘宝を取り返そうとしたんだ。まさか検分するつもりだった死体をそっくり奪われるとは思わなかったけどな』


 幸いと云って良いものか分からないが、レクト様が取り返したのは死体のみで、戦車には武器が残されていたらしい。そして『勇者』が持っていた剣こそが秘宝であったというではないか。

 ちなみに冒険者達の死体を食べると云うのもポジショントークであるらしい。


『サラも“悪しきモノ”の存在は知っているだろう? あの冒険者ども、選りに選って“悪しきモノ”を封じていた秘宝を盗んでいきやがったんだよ。後にどんな大惨事が起こったのかは想像できるよな?』


 “悪しきモノ”とは古来より私達の世界を脅かしている謎の生命体である。

 いや、生命体であるかすら疑問視されている存在で一説には“人の持つ悪意の集合体”であると唱えた賢者様がいたらしい。

 その力は強大で、全てを飲み込む満ちることのない旺盛な食欲と制御不可能な破壊力は一国を一夜にして滅ぼしてしまった例があるほどだ。

 しかも“悪しきモノ”の恐ろしさはそればかりではない。

 彼らの周囲には“黒い霧”が立ち籠めており、それに触れたが最後、肉体が腐っていき三日で命を落としてしまうのだ。その苦しみは想像を絶しており、聖人と呼ばれる仁徳者であろうとも心を歪めてしまい、周囲に悪意を浴びせながら死んでいくと云われている。

 そして腐った肉体は再構築されて、醜悪なモンスターへと変貌し、“悪しきモノ”の尖兵として世界の脅威となって暴れ回るのだ。それは人間や獣に留まらず、植物や無機物、更には神聖な聖遺物さえもモンスターに変えてしまう。“悪しきモノ”と呼ばれる所以である。


『秘宝を取り返した俺様達は禁足地へと趣き、少なくない犠牲を出しながらも復活しかけていた“悪しきモノ”の大物を再び封印する事に成功したんだ』


「そ、そんな事があったんだ」


 しかし、その命懸けの行動が盟を結んだ国だけではなく、周辺の国にも高く評価されて、次々と『輪廻衆』の盟に加わりたいと手を上げたのだという。

 怪我の巧妙というものだろう。


「それにしてもアンタ達ですら“悪しきモノ”を相手にすれば犠牲が出るのね」


『そりゃな、俺様達だって無敵じゃないし、不死身でもない。上には上がいる。必ずいる。悔しいけどそれが現実だ。それでも“悪しきモノ”の力は想定以上だったけどな。しかも俺様達の技術でも肉体が腐り始めたヤツらを救う事が出来なかったよ。腐った部分を斬り落とすだけじゃもう手遅れでな。結局犠牲者を一カ所に集めてナパームで焼き尽くすしか方法はなかった。チクショウ……』


 その戦いでヌエは、右腕であり莫逆の親友とも云える存在を亡くしていた。

 仲間を殺したヌエは確かに憎くはあるが、その仲間のせいで友達や仲間を失うことになったヌエを思うと憎みきれなくなってしまう。

 私には『勇者』とヌエのどちらが悪いのか判断が出来なくなっていた。

 だから私は自分の思うままに行動すると決めた。


『サラ?』


 そうか、そうきたか、私。

 何も考えずに行動した結果、私はヌエの小さな体を抱きしめていたのだ。

 ヌエが嘘をついている可能性? 涙こそ流していないけどヌエが泣いているのが分かる。これが演技なら見抜けなかった自分が間抜けだっただけだ。

 けど、私の心が云っているのだ。ヌエを放っておいてはいけないと。

 ちょろいと莫迦にしたければすれば良い。私は自分の心に従ったまでだ。


「黙ってなさい。今日だけよ」


 確かに『輪廻衆』は侵略者であり、仲間の仇ではある。

 しかし、それでも戦乱の世を統一した英雄であり、救国の士でもある。

 そして、この世界でも『輪廻衆』に救われている者が大勢いるのだ。

 しかも災いの原因が冒険者であるのがまた笑えない。

 『勇者』達がヌエに殺されて、あまつさえゾンビになっているのは自業自得としか思えなくなっている。それがヌエ達に感化されたのか、『勇者』達の悪行を知ってしまった事で、憧れの感情が反転してしまったからなのかは自分でも解らない。

 けど、私を好きって云ってくれた人が弱音を吐いて哀しんでいるのを黙って見ていられるほど私は大人になれていないのだろう。

 私はヌエの頭を胸に抱いて、予想に反してサラサラな黒髪を撫でる。


「頑張ったわね。大切な友達と仲間を失いながらも、この世界を守ってくれてありがとう。“悪しきモノ”を封じてくれて感謝するわ」


『俺様の話を信じるのかよ? もしかしたら、サラの気を引く為の三味線(しゃみせん:この場合は相手を惑わすためにする言動を指す)かも知れないだろ?』


「莫迦にするな。これでも冒険者ギルドの受付で何百もの冒険者を見てきたのよ。まあ、少し前に騙された事もあるから説得力無いかもだけど、あからさまな嘘くらいは見抜けるわ。アンタとは短い付き合いだけど、そんな嘘をつくようなタイプには見えなかったしね」


 私のような一庶民には想像出来ない世界だけど、将軍という地位にいるからには弱味を見せられないだろうし、況してや弱音を吐くなんて以ての外に違いない。

 これは私の勝手な憶測だが、ヌエは親友達を失った哀しみを発散する事が出来ずにいたのではないだろうか。

 そこへ纏まった休暇を貰った事で、思い浮かんだのが私なのではなかろうか。

 自惚れかも知れないけど、ヌエの好意には打算が無いように思える。

 だからこそ無意識に癒やしを私に求めてここに来たのではないか。

 それにユウからヌエがまだ五歳・・でしかない事も聞いている事もあった。

 いくら肉体が鍛えられていようと、どれだけ高度な教育を受けていようと、ヌエの人生はたったの五年でしかないのだ。つまり心はまだまだ未熟なのである。

 ユウに上手く乗せられたような気もしないでもないが、私にはヌエを突き放すという選択肢は初めからなかった。

 それに前にも云ったけど、ヌエって私の好みにどんぴしゃなのよね。

 この好みが病気のせいで十五歳という年齢の割りに成長が遅くなってしまった弟と重ねているのか、両親、祖父母を盗賊に襲われて失った後、会った事もない親戚連中から家財の一切合切を奪われて、私達姉弟も奴隷商人に売られかけたトラウマから大人の男が苦手になっていたからなのかは分からない。

 またヌエ自身、意外と紳士的であり、今日も手土産に花束と美味しいお菓子を持ってきてくれた。何よりお洒落なスーツを着こなして強膜も白く擬態して気を遣ってくれている。何より、弟の為に強心剤と治療プランの説明を用意してくれたのが嬉しい。


「まだアンタのお嫁になるつもりは無いけど、その前段階ならOKしても良いわよ」


『えっ? どういう……』


「普通ならまず交際してお互いを理解し合うものでしょう? 段階を踏んでいこうって事。アンタも云っていたでしょ、まずはお友達からって」


『つまり俺と前向きに付き合ってくれると?』


「そういう事よ。まあ、セクハラかましてきたら分からないけどね」


 ギルド長は分かるとして、なんと大僧正様とレクト様もヌエと交際する事になったとしても“裏切りには値しない”と明言されていたのだ。


 “侵略者ではあるが悪に非ず”


 この大僧正様のお言葉はカシャとの遣り取りからも分かるし、ヌエから聞いた話で私も確信に至った。

 ただ不可解なのはレクト様で、『勇者』達のゾンビに一矢を報いさせるとおっしゃっていたけど、ヌエ本人は気に入っているらしい。


“兄貴の細胞を使った合成獣キメラならボクからすれば甥も同然さね”


 そう仰せになったレクト様だったが、直後に涎を啜るものだから何とも云えない。

 大僧正様曰く、“ブラコンでナルシストの両刀遣いぢゃ。後は察しろ”との事。

 私はついレクト様に抱擁されるヌエを想像してしまう。


『お、おい? ちょっと苦しいんだけど……』


 おっと、いけない。

 何故かヌエを抱きしめる手に力が入ってしまったようだ。


「まあ、取り敢えず付き合うからにはまずは筋を通さないとね」


『筋って何だよ?』


 私は抱擁を解いてヌエの目を真っ直ぐに見据える。


「弟にアンタ、いや、ヌエを紹介してからギルド長や大僧正様にレクト様、事務長を始めとしたギルドの仲間に交際を報告するのよ。私は秘密の交際が出来るほど器用でもないし、心配してくれている人達に不義理だけはしたくないわ」


 理由はあれど冒険者なかまを殺しているヌエと交際する以上、中には私を裏切り者扱いをしてくる冒険者やギルド員も出てくるだろう。

 ひょっとしたら『輪廻衆』の情報を寄越せと云ってくるヤツも出てきて煩わしい思いをするかも知れない。

 だけど私はそれでも筋だけは絶対に通すつもりだ。

 私の性分ではあるけど、何より家の財産を悉く奪っていった親類のような不義理な大人達に振り回されたくないという気持ちが大きい。

 『輪廻衆』の幹部との交際を秘密にしていて、それがどこかから洩れた時に弱み・・になるのが嫌だというのもある。

 私は私の意思の元、ヌエと交際すると決めたのだ。

 弟を救う為でもなく、ヌエの持つ財産が目当てでもない。

 私は将来の伴侶に相応しいかヌエを見定める為に、また逆に私がヌエと結ばれるに値する女に成長する為に交際をすると決めたのだ。

 その不退転の決意を内外に示す為にヌエとの交際を公表する。

 それが私が通すべき筋であると思ったのである。


『はぁ…やっぱり凄い女だったんだな、俺様が惚れた女は』


「違うわよ。ヌエもヌエで私の決意が本物であるかをこれからの交際で見極めるのよ。云ったでしょ。交際はお互いを理解し合う為にするものだって」


 そう云って私はあまりしたことのないウインクをした。

 瞼と連動して頬の筋肉が動くのが分かったので、さぞかし不器用なものだっただろうけど、それでもそれなりに可愛く見えたのか、ヌエは頬を赤くしている。

 私はそんな彼を再び抱擁する。

 交際すると決めた途端に可愛く見えてきたのだから仕方がないでしょ?


「じゃあ、まずは弟を紹介するわ。体は弱いけど、それに甘えずギルド長に頼んで書類仕事を少しずつさせて貰っているのよ。おまけに最近では副ギルド長に師事してコンサルティングの修行もしているみたい。病弱なれど軟弱に非ず。きっとヌエとも仲良くなれるはずだわ」


『そうか、それだけの意欲があるなら、健康になった後、学校に通わせてやるのも良いかもな。勿論、学費は俺様が出してやるよ』


「その時は喜んで貸して貰うわ」


『そこは素直に援助を受けてくれよ』


 私達は自然と腕を組みながら弟が仕事をしているギルド長の書斎に向かう。

 一応、話は通していたけど、ヌエと会った弟は彼の事を気に入ってくれたので安心はしたが、“クーアさんに似てる”と頬を染めたので逆の意味で心配させられるというオチがあったのは予想外だった。

 だがこれにより、後に私達は『神々の清算』と呼ばれる戦いに巻き込まれていくことになるのは前述した通りだ。

 私達は知る事になる。

 ユウが『輪廻衆』を使ってこの世界を征服しようとしている意味を。

 神々が有事のたびに勇者を召喚してきたツケが回ってきた事を。

 『輪廻衆』が一枚岩ではなく、ユウが敢えて自軍に引き入れる事で制御を試みようとしている一団がいた事実を。

 そして既に副ギルド長とフェニルクス卿率いる異端審問会が『人間道』を名乗る集団と死闘と呼ぶのも生温い凄惨な戦いをしていた事を。









『手術は成功した。明日の検査で異常がなければ面会を許そう』


「ありがとうございます。先生!」


 まだ事実を知らない私は弟の手術が無事に終わった事に安堵していた。

 ヌエと手を取り合って喜んでいた私は、後に彼が本当の姿となって私達の前に立ち塞がる事になるなんて想像すらしていなかったのである。

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