第玖章 結社『輪廻衆』の御主様
周りがざわついているが無視だ、無視。
時刻はお昼過ぎ、今日のシフトでは休憩は十二時半から十三時半だ。
私達、受付担当は五人体制で、その日によって休憩時間をずらして昼食を取る。
今日の私は午前十時から午後七時の遅番で昼休憩は十二時半からという事だ。
余談だが、受付は朝の八時開始で夜七時までを原則としている。
期限付きの依頼で締め切り日の七時に達成報告が間に合わなかった場合は一応、夜勤の職員が受け付けるが、間に合ったかどうかの判断は依頼者次第だそうな。
ちなみに、ここの受付は大抵、七時を過ぎても、達成報告は六時五十分だったとギルド及び依頼者への報告書に記載している。
昨日の今日でよく普通に仕事が出来るなと思う向きもあるだろうが、これはギルド長の指示である。
こういう非常時だからこそ、あえて冒険者ギルドは平常運転を行うのだ。
でなければ組織として足元が揺らぎかねないし、盗賊ギルドに代表される敵対勢力に侮られて、今がチャンスとばかりに攻撃を仕掛けてくる可能性があった。
現在、ギルド長は近在の冒険者ギルドのギルド長を集めた緊急会議の為に不在であり、事務長は大事を取って休暇を与えられている。
副ギルド長も昨日から戻っておらず、トップ3が不在という事もあっての平常運転だと理解して頂きたいし、それでも運営できているギルド員の優秀さも見て欲しいのである。
『美味しいですね。誰かと一緒に食事をするのがこんなにも楽しいなんてすっかり忘れてましたよ』
事務室には休憩兼喫食スペースがあるのだが、テーブルの対面に座り、ニコニコとサンドイッチを食べているのはフグルマヨウヒと名乗った黒髪の少女である。
毛先を綺麗に揃えた艶やかな黒髪(姫カットというらしい)、時折りガウン(打ち掛けというそうな)がずり落ちそうになっている撫で肩の上に柔和な童顔が鎮座している。目はやはり人間とは思えず、強膜は黒く、瞳は赤い。しかも瞳孔は山羊のようで見れば見るほど怖い。
「今更だけど諜報機関の人間が素顔を晒しても良いの?」
勧められたサンドイッチを食べながら問い掛ける。
潰した茹で卵とマヨネーズなるものと和えた具材がまた美味しいのだ。
敵の提供した物を食べて大丈夫なのかって?
それを云ったら、冒険者ギルド謂わば敵の本拠地で食事をしているフグルマヨウヒの方がもっと可笑しいでしょ?
彼女だって敵地で毒を盛るなんて莫迦な真似はしないだろう。
倫理観の違いは別として、カシャやヌエ、そして大柄な女の言葉は誠実だった。
ある意味、私は下手な人間よりもコイツらを信用していたのだ。
『問題ありませんよ。我々の装束は認識障害の効果があって、私を『輪廻衆』、あ、私達の結社の名前です。それと認識していない人なら只の一般人のように認識されますから』
「便利なものね」
『それに、いざとなれば顔を変える事も出来ますから』
「そういうところよ」
話を聞く限り、かなり命が軽いらしい世界のせいか、どうも生死観や倫理観に齟齬があって会話がしづらいのだ。
そう云えば、お医者様は治し方を知っているけど、裏を返せば人の壊し方も知っていると聞いたことがある。彼らの世界の医療が発展しているのは、血に塗れた世界だからこそという事もあるのかも知れないわね。
「そう云えば聞きたい事があるんだけど」
昨日から気になっていた事を聞いてみる事にした。
『何ですか?』
「何で
初めは政治と軍が分離しているのかと思ったが、カシャの言葉を思い出したのだ。
御主様とやらは世界規模の乱世を収める為に覇王となるべく立ち上がった、と。
それにこの子は、ヌエが政治官僚であるとも云っていた。
それでもヌエは御主様の意思の元、この世界を侵略する為に行動をしている。
王様が別にいるのなら御主様、御主様と云わないはずだ。
つまり向こうの世界の支配者=組織の指導者と考えても良いだろう。
表向きに王を立てている可能性もあるが、群雄割拠の乱世で必要とされるのは、力で世界を統一する英雄であろうから意味は無い。
『うーん…綺麗に説明は出来ないのですが、御主様が王と名乗らない最大の理由は、御主様は
「どういう事?」
『私達の世界は確かに御主様のご活躍により統一されましたが、飽くまで世界が纏まっただけで、問題は山積みなんです。長年に渡る世界規模の戦争のせいで物資は乏しく、特に食糧は全然足りません。世界中の人が餓えており、復興もままならない有り様でして……しかも戦争で労働力となる人達も殆ど亡くなってしまい、益々作業が滞っているのです』
折角、世界を統一したのに、毎日、夥しい数の病死者や餓死者が出ており、平和な世になったとはとても云えるような状況では無かったらしい。
更には“力による統治は認められない”と勇者気取りの若者がレジスタンスを組織し、ゲリラ戦を仕掛けてくるので復興どころか復旧の目処すら立たないそうだ。
そういったレジスタンスの台頭を防ぐ意味でも“対話”による犠牲者が出にくい方法を採用していたのだが、それでも彼らは気に入らないようだった。
『レジスタンスを捕らえてみれば、王政国家の王子、王女が幹部となっている事が分かりましてね。本来、自分が継ぐべき国を『輪廻衆』が管理しているのを受け入れられなかったのが動機のようでした』
「なんと云うか、呆れた話ね。戦争が終わったのだから、むしろ協力して国を治めていく事を考えるべきでしょうに」
『人間、そう簡単には割り切れないという事でしょう。捕らえた後、それなりにと云うか、捕虜としては破格の待遇をしていたのですが、それでも不服だったようで、ステーキを要求された時の御主様のお顔は忘れられません』
結局、旧王家よりも今の支配者の方がまともだと民に支持されている事実にレジスタンスは徐々に力を失い、いつの間にか自然消滅していったという。
しかも、最後っ屁に“化け物に与する愚民に鉄槌を”と戦後十年をかけて漸く実り始めた畑に火を放った事で、民の怒りを買ったレジスタンスは袋叩きにあい、無惨な骸を晒すことになったそうな。
ここまでくると同情する気にもならない。
庶民と同じく生活する事が出来なかった元王族の末路とはこんなものだろう。
「つまり戦争を終わらせたものの、反乱者や貧困者が未だにいるから
『はい、その認識で構いません。しかし、世界の統一を僅か二十年で果たし、その後、三十年にも渡る復興への尽力は誰もが認めるところではあります。貧富の差こそあれど、今ではもう餓死者はいないですしね。犯罪者も王族・貴族の区別無く、忖度無しで断罪しているので治安は大分良くなってきています。今の実績だけでも“王”を名乗る資格はあると云われていますが、御主様はまだそのつもりにはなれないようですね』
そうか、五十年かけて世界を統一したのではなく、世界を復興させていたのね。
それでも“王”を名乗らないとは、奥床しいのか、理想が高すぎるのか。
ぶっちゃけた話、貧者がいるだけで“王”を名乗れないのなら、未だに少なくない餓死者が出るこの聖都スチューデリアじゃ聖帝陛下だって資格を無くすだろうし、他の国だって問題の無いところなんて皆無だろう。
『ええ、しかし御主様はそれでも『輪廻衆』の首領として活動されるでしょう。全てはクーア様にお見せしても恥ずかしくない国を作るために』
「それよ」
『それとは?』
もう一つ気になっていたのが、彼らの行動が副ギルド長ありきなのだ。
この子もそうだけど、カシャも敬称をつけて呼んでいたし、ヌエも元は副ギルド長の細胞を元に創造された
「アンタ達にとって副ギルド長はどういう存在なワケ? 御主様が副ギルド長にこだわる理由は何なの?」
『そ、それは…』
ここで初めてフグルマヨウヒの目が泳いだ。
云いたくはないのかも知れないけど、私は御主様の正体に目星は付いている。
「アンタ達が御主様と呼ぶ人の正体……それは五十年前、魔王を退けた勇者様ね?」
『な、何故?!』
分からいでか。
これだけヒントがあれば誰だって気付くだろう。
「ヒントその1。アンタは御主様が副ギルド長の細胞を持ち帰ったと云った。つまり一度、この世界に来てアンタ達の世界へと
『そうですね』
「ヒントその2。カシャは元々はこの世界の人だった。そして勇者様と共にそちらの世界へと送られてしまった。しかもそれは五十年も前の事だった」
もうこの時点でヒントというより答えよね。
向こうに世界に行ってからずっと行動を共にしていたと云っていたし。
「ヒントその3。副ギルド長には五十年以上も想い続けている女性がいる。そして御主様の異常なまでの副ギルド長へのこだわりは相思相愛の仲だったと推察出来るわ。
それに大僧正様と副ギルド長は五十年ものお付き合いのある親友同士で、大僧正様は魔王討伐のパーティーのお一人。なら副ギルド長ほどの実力者が無関係なはずがない。ヘルト・ザーゲにも仲間に魔女がいたとあったし、間違いはないでしょ?」
『クククク……』
いきなりフグルマヨウヒが低い声で笑い出した。
これは誤魔化し笑いじゃないわね。
現に彼女から今まで感じなかった威圧感が出てきたからだ。
まさか、当たったのは良いけど、口封じに始末するって展開にはならないわよね?
今更ながらAランク冒険者を虐殺する連中であったと思い出した。
悪意がまったく見えない物腰の柔らかさと天然な言動に騙されたか?!
マズい。今、この場にいるのは非戦闘員のギルド員だし、冒険者も強くてCランクの人達ばかりだ。襲われたら一溜まりもない。
『見事! 見事、正解である!』
フグルマヨウヒはさっきまでとは打って変わって、不敵な笑みを浮かべている。
いや、立ち上がった彼女は見上げるまでに背が高くなっていた。
初めは私とそう変わらない背丈だったのにどういう仕組みだ?
『本来ならば『地獄道』『畜生道』『修羅道』の三将軍が気に入ったと云う貴様の
この威圧感! あの大柄な女より背が低いのはずなのに、彼女よりも今のフグルマヨウヒの方が迫力があった。足が竦んでいないのは殺気というものが感じられないからだろう。これでもし悪意を僅かでも込められたら腰を抜かしていたかも知れない。
『末端とはいえ敵を拠点に招き入れるので、初めは阿呆か懐が広いのか、判断に迷ったが、正体を見破った知恵と度胸に後者であると見てやろうではないか』
インナー越しに脈動する筋肉はヌエの肉体を遙かに陵駕している。
胸こそ物の見事に真っ平らだが、しかし女性らしいラインもしっかりとあって、力と美の同居する様はカシャを連想させる。
「あ、アンタはいったい……」
『んんー? 今、貴様が見事に云い当てたではないか』
「ま、まさか……」
いや、だとしても腰が軽すぎでしょ!
『騙したのは悪かったが、サンドイッチは旨かったであろう? それで不問にせい』
フグルマヨウヒはガウン…いや、打ち掛けをマントのように翻す。
『改めて名乗ろう! 吾輩こそは『輪廻衆』の首領にして勇者! Uシリーズ型番645! そして愛するクーアより与えられし人としての名はユウ! サラ=エモツィオンよ。貴様に吾輩をユウと呼ぶ栄誉を与えてやろう!!』
吾輩をユウと呼べるのはクーアと貴様だけだ、とフグルマ…いや、勇者様は胸を反らして尊大に笑った。
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