第捌章 受付嬢とゾンビと新たな出会い

 丘の上にある白いチャペルの中、私はバージンロードを歩いている。

 共に歩くのは父親役を買って出てくれたギルド長だ。

 その先には愛しい旦那様が待っている。

 幸せを噛み締めるように一歩一歩ゆっくりと歩く。

 ギルドの仲間、事務長、幼馴染みの双子の冒険者、皆が祝福してくれている。

 やがて花婿の前に辿り着く。

 ギルド長と花婿が互いに一礼して、私の手を新郎に握らせた。

 今度は花婿にエスコートされて大僧正様の前へと進む。

 『太陽神』と『月の女神』の夫婦像の前で婚姻の誓約をする。

 だが、何故かこの時、何を云っていたのかはあやふやで覚えていない。

 そして指輪の交換を無事に済ませるといよいよ誓いのキスだ。

 新郎が私の顔を覆うベールを上げたその時、私は固まった。

 なんと私の結婚相手は副ギルド長だったのだ。

 副ギルド長の顔が近づいてくるが私の体は硬直したまま動かない。

 やがて唇が触れるようとしたその刹那、扉が勢い良く開けられた。


『ちょっと待った!!』


 途端に私の体が動けるようになり、教会の入口を見た。


「な、何でやねん?!」


 そこには副ギルド長と同じく純白のタキシードを着たヌエがいた・・・・・


『サラは俺様のもんだ!!』


「へぇ…僕の花嫁を奪うつもりかい?」


 心底恐ろしいものを見ると声も出なくなるというのは本当だった。

 男とは分かっているはずなのに、副ギルド長がヌエに向ける笑みは妖艶と云える程の色気があり、それでいて禍々しいまでの妖気を放っていた。

 二人の顔はまるで双子のように瓜二つだが、タイプはまるで違う。

 ヌエが野生的で獰猛な印象であるのに対し、副ギルド長はその小さな体が巨大に見えるまでに威厳があり、更に魔女のような妖艶さも同居しているのだ。


『ハッ! 奪うも何もサラこそは俺様に相応しい女だ!』


 副ギルド長の威圧に負けじとヌエの全身から圧倒的なオーラが放たれる。

 さながら子を守護まもる獣の如き重圧だ。


「面白い事を云うね? ならサラにどちらが夫に相応しいか決めて貰おうよ」


『望むところだ! 俺様がサラを満足させてやる・・・・・・・


「はい?」


「満足? 僕ならサラを極楽の境地・・・・・に連れて行ってあげられるよ?」


「極楽って?」


 気が付けば場面・・は教会ではなく豪奢な装飾が施された寝室と変わっており、私は天蓋付きの大きなベッドに横たわっていた。


「え? 何? な、何で裸になってるの?!」


 一糸纏わぬ姿になっていた私は右手で胸を隠し、左手で股間を隠した。


「さあ、この記念すべき初夜で僕は君に相応しい夫であると証明して見せるよ」


 声のした右を見れば、同じく生まれたままの姿の副ギルド長が微笑んでいる。

 その笑顔は優しげでありながら、情欲が見え隠れして少し怖い。


『いいや、俺様こそサラと似合いの夫婦となれる事を証明して見せてやるよ』


 左を見れば、これまた裸になったヌエが情欲を隠すことなく笑っていた。


「では男の勝負を始めよう。サラ、幸せにしてあげるからね?」


『応よ。サラ、何不自由無い生活をさせてやるからな』


「え? え? ちょっと待って…」


 勝負ってまさか……

 二人は同時に覆い被さってきた。









「いやあああああああああああああああああっ?!」


 私は撥ねるように飛び起きた。

 まだ心臓が早鐘を打っている。

 なんて夢だ。副ギルド長と結婚するのも可笑しいけど、何でヌエとの取り合いにまで発展するのよ。しかもどちらが夫に相応しいか、体に聞くなんて……

 私は未だに落ち着かない心臓を宥めるように胸に手を置く。

 そしてすぐ異変に気が付いた。


「え? 私、何で裸なの?!」


 私はまだ夢の中にいるのだろうか?

 薄暗い部屋を見渡せば、私達兄弟が間借りしているギルド長のお屋敷だった。

 ただし、この部屋は私達の部屋ではない。調度品が豪華に過ぎるのだ。


「おや? もう御目覚めかえ? まだ起きるには早いと思うけどねェ?」


 私は錆びた蝶番のようにゆっくりと声のした方を見た。

 そこには副ギルド長の妹であり、聖帝陛下の御正室、聖后陛下がいらっしゃった。

 しかも彼女までもが下着すら身に着けていない有り様だったのである。


「ええ?! ど、ど、ど、どういう……」


「ああ、覚えてはいないかえ? 君はいきなり気を失ったんだよゥ」


 そう云えば、私は副ギルド長の妹が聖后陛下であると知ってからの記憶が無い。


「昨日は色々な事が起こったから仕方ないけどね。でも倒れた場所が悪かった。冒険者達の血を吸った地面に倒れたものだから、泥やら血やらでそれは凄まじい有り様だったんだよゥ」


 あの時は夢中だったから気付かなかったけど、私は血で泥濘ぬかるんだ地面の上に立っていたのだった。

 どうやら名うての冒険者達がヌエに惨殺され、ギルド長とヌエの人間離れしたハイレベルな戦いを目の当たりにし、そしてカシャ達から聞かされた想像を絶する異世界の話とこの世界を侵略するという野望、現実離れした事が起こり過ぎて感覚が麻痺していたようだ。


「若い娘を血塗れにする訳にはいかないから、同性の僕がお風呂に入れてあげて、洗濯をしてあげたんだよゥ」


「そ、そんな畏れ多い事を……ギルド長も起こしてくれれば良かったのに」


「下手に起こして自分の惨状を見せてショックを受けては可愛そうだと判断したんだよゥ。ならそのまま綺麗にしてあげた方が精神衛生上マシってものだろう?」


 聖后陛下のご配慮には頭がさがる思いだ。

 確かに血塗れになっている自分を見たらパニックに陥っていたかも知れない。


「それに対価は十分に頂いたから気にすることはないさ。僕も久々に若い娘と肌を合わせて眠る事が出来たからね」


「なっ?!」


 思わず自分の体を検めてしまう。

 多少の怠さはあるものの犯された様子はないので安堵する。

 しかし、自分の迂闊さにも気付いた。

 経緯はどうあれ、止ん事無き御方に体を洗わせておいて、お礼も云わずに我が身の無事を確かめる事の無礼に血の気が引く。


「別に怒っちゃいないさね。目が覚めて裸になっていたら驚くのも無理は無いと理解はしているよゥ。それに僕はもう聖后じゃない。云ったと思うけど、宿六が死んだ後、元老院から殉死を求められたから逃げたのさ」


 聖后陛下の寛大さに感謝すると同時にとんでもない事を聞かされてしまった。

 今のお言葉が事実なら聖帝陛下は既に崩御されているという事になる。

 まあ、時として皇族の死は秘される事もあるから驚きはしないけど、一庶民である私がその事実を知ってしまった事こそがマズい。


「心配いらないさ。どの道、一週間以内に発表するつもりだったらしいし、問題があるとすれば、次期聖帝が正式に決まっていない事だから庶民の一部に宿六が死んだ事がバレたってどうってことはないよゥ。むしろそんな事に構ってはいられないんじゃないのかねェ?」


 うーん、この方の話し方はちぐはぐで耳に入りにくくて困る。

 男口調なのか、あだっぽい女口調なのか、どちらかに統一して欲しい。


「そりゃ悪かったね。実を云うと僕達は元々は三つ子でね。けど胎児になるかならないかって頃に僕の体に男の子の一人が吸収されてしまったのさ。そのせいか、僕としては女のつもりなんだけど、男としての意識も多少あってね。母様がいくら矯正しようとも“僕”を“私”にする事はできなかったんだよゥ」


「えっ? もしかして声に出てましたか?」


 聖后様の出生の秘密を聞かされた事による驚きよりも、そっちの方に吃驚してしまったのだ。


「いや、これでも七十年以上生きてるんだ。顔を見れば分かるよ」


 聖后様は苦笑して私の頭を撫でるのだった。


「だからかねェ? この身は男だけでなく女の子も好きなんだよ。バイセクシャルってヤツだね。けど安心して良いよ。合意が無ければキスだってしないから、そう警戒しないでおくれな」


 私は知らず胸と股間を手で隠していた。


「そ・れ・よ・り・も」


 聖后様は妖しく微笑むと私の顎に手を添えて上を向かせる。

 背の高い彼女と視線が交錯するが同性だからか、警戒しているからか、ときめくなんて事態にはならなかった。


「おや? つまらない反応だねェ? いや、それより僕はもう聖后ではないのだよ。僕の事はレクトゥールじゃ長すぎるから、気軽に“レクト”と呼んで欲しいかな? 家族と近しい人達だけに許している愛称さね」


「そんな畏れ多いです」


「構わないよゥ。と云うか呼んで欲しい。宿六や側室達ですら呼んでくれなかったから寂しいのだよ。あれだけベッドの中で可愛がってあげたっていうのにね」


 最後の余計な一言のせいもあると思う。

 愛称で呼んだが最後、取り返しのつかないところまでいきそうなのだ。


「なるほどねェ。忘れていたよゥ。魔女と人間では貞操観念が違うのだったね。じゃあ、こうすれば良いかな?」


 聖后様の体が光輝いたかと思えば、一瞬にして赤を基調とした円柱型のケピ帽と軍服とドレスを融合させたデザインの服を身に着けていた。


「僕と友達になってくれるかい? 可愛らしいお嬢さんフロイライン?」


 聖后様は跪くと股間を隠していた左手を取って恭しく口づけを落とした。

 いや、まあ、それは良いのだが、普通は手の甲じゃないのか? 何故、手の平に?

 そこでハッと気付いたのだ。


「ああ、良い匂い。純潔の乙女の証だ」


「おどれは変態か?!」


「がごっ?!」


 私は聖后様の立てていた膝を足場にして彼女の顔面へと膝蹴りを見舞っていた。

 対セクハラ防御術『闘気で本当に膝が輝くシャイニングウィザード』だ。

 ま、まあ、御自分でもう聖后ではないとおっしゃっていたし大丈夫でしょう。

 それに幸せそうな寝顔(?)をしているし……


「見えた…うら若き乙女の秘密の花園が…」


 もう一発見舞ってやろうかしら……

 聖后様の阿呆な寝言に私は頭に痛みを覚えたのだった。


『レクト様、お召し物をお持ちしました』


 控え目なノックはしたものの、返事も聞かずに入ってきたのは一人の尼僧だ。

 『聖女』の異名を取る絶大な魔力と美貌を誇っていた彼女はヌエに惨殺された後、聖后様によって肉体を修復されて、忠実なゾンビになっていた。


『あら? 床で寝てしまってはお風邪を召しますよ?』


 そう云ってかつて『聖女』と呼ばれていたゾンビは既に聖后様が服を着ているにも拘わらず無理矢理ドレスを着せていく。

 あーあ、高そうなドレスがボロボロになっちゃってるわ。

 あの知性と慈悲が同居していた彼女はもうどこにもいなかった。

 というか、あの愛称って家族と近しい人にしか許して無かったはずでは?

 阿呆らしくなった私は自分の部屋に戻る事にした。


「あの…サラ様? いくら夏の盛りと云ってもそのお姿は如何なものかと思いますよ?」


 朝早くから掃除をしていたメイドに指摘されて私は自分の姿を思い出す。

 私は自分が裸である事を失念していたのである。


「あ…ち、違うの! これは…その…兎に角、私にそんな趣味はないから!!」


 私は自分に宛がわれた部屋へと急いで向かうのだった。

 途中で何人ものメイドと鉢合わせになったのは不幸としか云いようがない。

 せめてもの救いは執事とは一人とも会わなかった事か。

 そして、すぐ聖后様の部屋に引き返して服を着れば良かったのでは、と気付いたのは、身支度を整えて屋敷を出てからだったのである。









 羞恥と自己嫌悪に身悶えしそうになるのを堪えながら歩くこと十分。

 我が職場、冒険者ギルドが見えてきて私は違和感を覚えた。

 役人が昨日の検分をしている事でも無いし、何かが無くなっていた訳でもない。

 否、無くなってないのが問題なのだ。


「何でまだクレープ屋があるのよ?!」


 カシャ達が冒険者ギルドを見張る為の拠点であるクレープ屋は未だに健在で、まだ午前中という時間帯ではあるが既に客が集まっている。


「どういう事よ?」


 クレープ屋に駆け寄ると、丁度客が捌けたところであった。

 屋台の中を覗くと毛先を綺麗に揃えた黒い髪を腰まで伸ばした少女が一人で切り盛りしているようであった。

 しかも少女の格好はカシャ達同様、ピッチリと体のラインが浮き出る黒インナーに絹のようなガウンを羽織っている。

 その上、顔は例に漏れず白い布で隠されて、中央には赤く『刀』と書かれていた。


「アンタ、どういうつもり?! もうバレてるのに同じ拠点で偵察なんて冒険者ギルドをナメてるの?!」


 危険である事は分かってはいるのだが、今朝の醜態でテンパっていた私は自制がきかなかったのである。

 きっと彼女もカシャやヌエといった実力者であるのは間違いないはずなのに、私は食ってかかっていた。


『ふえっ?! 貴方、もしかして私が見えているんですか?!』


 怪談みたいな事を云うヤツね。

 見えているから客もクレープを買いに来てるんじゃないの?

 すると彼女の目の前に光の板としか呼びようがないものが現れた。


『あ、照会出ました。失礼ですが貴方はサラ=エモツィオンさんで間違いありませんか? 鵺将軍ぬえしょうぐんの婚約者の』


「誰が婚約者よ! 求婚はされたけどOKは出して無いわ!!」


『ええ?! でも鵺将軍、凄い嬉しそうに指輪を発注してましたよ? “給料三ヶ月分が相場なんだよな”っておっしゃって。私なんかお値段を聞いて引っくり返るかと思いましたよ』


 何してくれてんのよ、あの阿呆は!

 夢見が悪かったのは、何となくそれを察していたからか?

 昔から、良い予感は外しても悪い予感だけは当たっていたからなぁ…


『サラさんが羨ましいです。鵺将軍、あの人はほら、凄く強い上に可愛いじゃないですか? ファンクラブが出来るほど人気があるのに意外と身持ちが固くって、今まで恋人を作った事が無いんですよ?』


 知らんがな。

 何でそこまで私の事を気に入ったのか、私が知りたいくらいである。


御主おんあるじ様がこの世界から持ち帰られたクーア様の細胞をベースに様々な動物の遺伝子を組み込んで産まれた合成獣キメラの軍団『畜生道』を統括している将軍で、強いのは当然ながらクーア様の頭脳も受け継いでいるのか、政治も出来るのでヨーロッパからアフリカ大陸…あ、地名を云われても分かりませんよね。兎に角、広い地域を任されている優れた政治官僚でもあるんですよ』


「ふーん、私にはただのセクハラ小僧にしか思えなかったけど、それなら尚更私が気に入られた理由が分からないわね」


 あえて突っ込まなかったけど、人工的にキメラ生物を作る軍団と聞いて、私は益々ヌエとの結婚は無理だと感じた。

 ヌエがキメラだからではない。倫理観が破綻しているとしか思えないからだ。


『申し遅れました。私は諜報機関『餓鬼道』に所属している文車妖妃ふぐるまようひと申します。どうぞ、お見知り置きを』


「諜報機関が堂々と敵に名乗るな!!」


 どうにも私の目には、只の天然娘にしか見えない。

 これがわざとなら大したものである。


「で? 既にバレている拠点で諜報機関の人が何をしているの?」


 ここでだんまりを決め込むならこちらにも考えがある。

 レクト様・・・・から頂いた護身用アイテムですぐに彼女配下のゾンビを召喚出来るので、フグルマ何某なにがしを捕らえる事は可能だ。

 ヌエには殺されてしまったが、ゾンビとはいえAランクの冒険者である。遅れを取る事はないだろう。少なくともギルド長が来るまでの時間稼ぎにはなるはずだと思う…多分。

 私は胸ポケットにあるハート型の宝石に魔力を送りながら出方を見る。


『はい、実はサラさんにお願いがあるのです。分析した貴方の性格を考慮して、ここで待てば、きっと来てくれると思ってました』


 そうら来た。

 私は脳裏に現れたゾンビのリスト中から神速の槍遣いを選択して、すぐに召喚できるよう身構えた。


『貴方には是非とも…』


 是非、何だ?

 “一緒に来い?”、“聞きたい事がある?”、それとも“死になさい”かしら?


『私とお友達になって下さい! 鵺将軍と婚約出来た貴方なら、きっと私とも良い友達になってくれると思うんです。私、もうぼっち・・・は卒業したいんですよ。一人でトイレに行ってお昼御飯を食べるのは嫌なんです。一緒にランチを食べて下さい!!』


 何故か、頭を下げて右手を差し出すフグルマナンタラに私は答えた。


「帰れ」


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