第㯃章 受付嬢、口説かれる
私はいきなりの告白とヌエの素顔に二重の意味で固まった。
顔立ちは悪くない。むしろ、中性的な童顔で整っている。
粗野な言動とは裏腹に幼い貴公子といった面立ちだったのだ。
強膜は黒く、瞳はカシャと同じく金色だが瞳孔は何故か四角い。
その目の下には小さな点が並んでいる。ソバカスかと思ったが善く見れば点では無く小さな窪みだった。後に聞いたが蛇でいうピット器官に当たるそうな。
意外と歯は犬歯が鋭く長い事以外は人のそれと同じだ。
「よめ……」
『ああ、お前みたいな面白い女は滅多に居ないからな。匂いからまだ男を知らないようだし、なら俺様が貰ってやる』
先程、云われた言葉が徐々に頭の中で意味を持ち始める。
「よめ……よめ……嫁……はあああああああああっ?! 嫁ぇ?!」
『どぼっ?!』
私は無意識の内に左右からヌエの鎖骨目掛けてダブルで手刀を落とす。対セクハラ防御術の一つ。『地獄のモンゴリアンチョップ』を敢行していた。
『だから、何でお前の攻撃は殺気が無いんだよ?!』
そんな事を云われても困る。
こっちだって気付いていたら技を繰り出していたのだ。
「いや、アンタ、さっきの大僧正様とカシャの決別を見ていなかったの? その流れでいきなり求婚する莫迦がどこにいるのよ?!」
『じゃあ、今日じゃなけりゃ良かったのかよ?
それより返事をくれ、とヌエはさっきまでの獰猛さが嘘であるかのように無邪気に抱きついてくる始末である。
ちょっ?! やめなさいってば! 本当に何なの? これでも『畜生道』と呼ばれる将軍なワケ?! あ、でも子犬っぽい感じは畜生に相応しいと思うべきかしら?!
「って、何、どさくさに紛れて乳に顔を埋め腐っとんのや、クソジャリ!!」
『どへっ?! だから何で殺気が?! しかもフェイントが巧いし…』
一度、蹴り足とは逆の足を振り上げ、素早くその足を引きながら蹴り足で跳躍してヌエの顔面を蹴り抜く対セクハラ防御術の一つ『修羅の二段蹴り』だ。
「と、兎に角、私はアンタの嫁にはならないわよ! 一昨日来なさい!」
『分かった! 火車姉! タイムマシン使って良いか? 一昨日まで戻って、こいつを口説いてくる!』
『ダメに決まっているだろ! 額面通り受け取るな、莫迦者! "二度と来るな”という意味だ』
あー…うん、分かる。カシャって生真面目そうだし、きっと苦労人タイプだわ。
というか、時間を遡れるの?!
いや、聞かないでおこう。肯定されたら気が狂いそうだ。
『でも、何でダメなんだよ? こう見えて俺は将軍だからカネはあるぞ。城持ちだし、使用人もいっぱい雇ってるから苦労はさせないぜ?』
いや、さっきまで、というか、今でも敵対関係なのに嫁に行けるワケないでしょ。
それに私は両親が死んだ時、嫌というほどお金の恐ろしさを味わっているから金持ちになる事が怖くて堪らない。むしろ、共働きで一緒に苦労を分かち合える人の方が良い。
『珍しいヤツだな。でも子育てと仕事の両立は難しいって云うぞ? 何なら俺は料理は得意だし、育児は結構慣れてるぜ。子育ての苦労なら分かち合えるぞ』
「アンタの料理なんて怖くて喰えるか! それにアンタの育児の概念は多分、私のとは違うと思う」
ギルド長を始末して新しいギルド長を教育し直せば良いと云ってしまえるヤツに子供を育てる資格はないと思う。
『うーん、どうすりゃOKを貰えるんだ? あ、もしかしてあれか? お友達から始めようってヤツか?』
「アンタ、ポジティブにも程があるでしょ。どの道、当分は結婚はおろか恋愛なんてしている暇なんか無いのよ、私は」
『何で?』
「何でってアンタも大概しつこいわね。良い? 私には養っている家族がいるの。しかも、病弱だから薬代も稼がないといけないワケ! 云っとくけど、あの子の事を足手纏いなんて思ってないわよ? 本当に可愛くて可愛くてしょうがないのよ。それこそあの子の為ならどんな苦労も苦労とも思わないわ…あ、ヤバ」
あまりのしつこさにキレかけていた私はつい余計な事まで喋ってしまう。
私の莫迦! 敵に態々弱みになる情報を与えてどうするのよ。
どうしよう。ヌエが結婚するには私の弟が邪魔だと考えたら私じゃ止められない。
『なら弟の面倒も見てやろうか? 何の病気かは知らないが、俺様達の世界は大抵の病気は克服している。遺伝病だろうと未知のウイルスだろうと治してやるぜ?』
不覚にも私は今の言葉に揺らいでしまう。
本当なら願っても無い話だ。
生まれつき心臓が弱い弟は医者から十二歳まで生きられないだろうと宣告されていたが、高価な薬で騙し騙しやって漸く十五歳にまで生き存えてきたのだ。
私の夢は弟が普通に成人して、可愛い奥さんを貰って、子供をたくさん作って幸せに生きてくれる事だ。
もし、本当に弟を健康にしてくれるのなら、私は悪魔に魂を売っても良いし、望まれれば体を開く事も、殺されるのだって厭わない。
『いい加減にせんか! お前はフラれたのだ。男だったら潔く諦めんか!』
大女がヌエの頭を思いっきりぶん殴ったのか、物凄い音を立ててヌエが漫画のように地面にめり込んでしまう。
『すまなかったな。だが、こやつも悪い男では無いのだ。出来れば今後も仲良くしてやってくれい。その内、良い所も見えてくるだろう』
い、いや、仲良くした覚えはないんだけど、どうにも調子狂うな。
しかし、この大女も気の良いお姉さんのようでいて、恐ろしい陰謀を担っているし、冒険者達の死体も物のように戦車に積んでいるのだから、やっぱり倫理観が私達と大分異なっているのよね。
『それに弟御の事で力になれるのは本当の話だ。頼ってくれれば、いつでも迎えに行き治療を施してやろう。無論、我らのような
コイツ、見かけによらず人の機微に聡い。
私が弟を救える
ひょっとしたら
じゃなかったら、"その内、良い所も見えてくる”なんて云わないだろう。
「けど、私は月々の薬代で貯金なんて雀の涙よ? とても治療代なんて払えないわ」
『ふっ、心配しなさんな。
大女はガハガハと豪快に笑いながら私の頭を撫でた。
「構わないぜ。連中の医療技術はこの世界の遙か上をいっている。むかつく奴らだが少なくとも火車とそこのデカブツは
ギルド長が人物と云うのだから信用に値すると云って良いのだろう。
だけど、治療するのは私じゃない。弟だ。
「少し時間を頂戴。私が同意しても結局は弟本人に治療を受ける意思があるかどうかだから……」
『無論だ。我らの世界でも手術をするには当人の同意が要る。ゆっくり話し合うが良かろう』
大女は私にカードのような物を手渡してきた。
『決心がついたらそのカードに呼びかければ良い。すぐに迎えの者を向かわせよう』
大女はもう一度私の頭を撫でると、未だに気絶をしているヌエを肩に担いでカシャの戦車に乗り込んだ。
『では姫様、暫時、おさらばです。次に御目文字する時は御味方である事を願っておりますぞ』
「有り得ねぇよ。さっさと行け」
ギルド長は追い払うように手を振っているが、視線の先はカシャではなく冒険者達の死体だ。取り返す事が出来ず、むざむざ食料とされるのを見送らなければいけない事を無念に思っているのだろう。
『行け! ミケにタマよ。我らが拠点へ疾駆せよ』
カシャが鉄のイバラの手綱を鳴らすとあの黒い稲妻が彼らに落ちる。
衝撃が去るともう彼らの姿はそこには無かった。
「チクショウ…俺が不甲斐無いばっかりにアイツらが喰われちまう。俺はアイツらを守るどころか死体すら取り返せなかった…」
ギルド長…
いや、悔しそうに拳を握り締めているのは大僧正様も同じだった。
今回の事件は新たな脅威が現れたことを知れただけではない。
冒険者ギルドに取っても手痛い敗北であったのだ。
「何だか分からないけど、結局、この子達は戦車から奪って良かったんだよねェ?」
誰? 声の方を見ると異様なご婦人がいた。
いや、普通に外出用の白いドレスを着た貴族然とした方だったのだけれど、問題は彼女を囲むように十を越える死体が浮かんでいたのだ。しかもその死体はヌエに殺され、カシャの戦車で連れ去られたはずの冒険者達だったのである。
あまりの光景に絶句していると、大僧正様が一歩前に出られた。
「そなたは何故ここに? おいそれと外出が出来る立場ではあるまい?」
するとご婦人は豊かな銀色の髪を纏めた頭を掻いて照れ臭そうに笑ったものだ。
「いやあ、ウチの宿六が死んでから随分と宮廷もきな臭くなってきてねェ。昨夜、いきなり元老院の連中が後宮に押し掛けてきたと思ったら、宿六と一緒に生きたまま墓に入って殉死しろって云ってきたものだから逐電してきたのさ」
そしたらこの騒ぎだろう、とご婦人は浮かぶ冒険者の死体の一体、Aランクに登録されている『聖女』と評判を取っていた若い尼僧の頬を撫でる。
「喰うの喰わないのって話が聞こえてきたからねェ。こんな可愛い子が得体の知れないのに食べられるのも不憫と思って、つい助けちまったのさ」
うげ……ご婦人は無惨に顔の上半分を潰された尼僧の死体を抱き寄せると躊躇することなく口づけをしてしまう。
すると尼僧の死体は物凄い速さで修復されて愛らしい童顔に戻っていた。
同様に他の死体達にも口づけをすると皆、あっという間に生前の姿を取り戻す。
ただ、残念ながら生き返ったワケではないそうだ。
「うんうん、やっぱり生きていようと死んでいようと人は美しく有るべきだねェ」
修復された冒険者達の死体は地面に降り立つと、まるで生きているかのように自分で歩いてご婦人のそばに寄り添う。
ひょっとしてこのご婦人、死者を操る
「悪いけど、この子達はこのまま冒険者ギルドに返すワケにはいかないねェ。あのヌエとかいう怪物に一矢報いない事には怨念が晴れる事はないよゥ」
「そうか、なら彼らはそなたに任せよう。ギルド長も依存はないな」
「納得はしねぇが、それが一番だって分かっているよ。任せた」
なんと大僧正様もギルド長もご婦人の提案に同意してしまった。
二人はこのご婦人が何者なのか、ご存知なのだろうか?
そう云えば、元老院がどうだの殉死がどうだの云っていたけど……
大僧正様の例もあって私は嫌な予感を覚えた。
「ところで兄貴はどこだい? ちょっと相談したい事があるんだけど」
「今日は千客万来だな。皆、ちょっとクーア君に頼り過ぎじゃねぇのか?」
「そう云うな。普段からクーアに頼りっきりのそなたが云うても説得力が無いわい」
違いない――ご婦人が苦笑いをして大僧正様に同意する。
その苦笑いに私は見覚えがあった。
「取りあえず、さっきの怪物達について説明をして貰おうかな? 僕にも手伝える事があるかも知れないしねェ」
「良いけど、まさか居着くつもりか? 今のアンタを匿うのは爆弾を抱えるより危ねぇと思うんだが」
「固い事を云いなさんな。兄貴が冒険者ギルドに行けるように計らってあげた恩ってものがあるんだからねェ。それにこの子達を
ご婦人は死体達をぞろぞろ伴ってギルドへと歩いていく。
「いずれ分かるから云うておく。彼女こそ聖帝パテールの正室、聖后レクトゥール。クーアの双子の妹でもある。凄腕のネクロマンサーぢゃ」
大僧正様に耳打ちをされて私はその言葉の意味をじっくりと吟味する。
双子…苦笑いに見覚えがあると思ったら副ギルド長に似ていたんだ。
副ギルド長と比べて身長が高いから最初は分からなかったわ。
そう云えば次期聖帝陛下と目されておられるレオニール皇子様もどことなく副ギルド長の面影があるように思えてくる。
そうか、副ギルド長は未来の聖帝陛下の伯父に当たるのね。
「その副ギルド長に私は五年以上も逆らっていたのか……」
漸く脳味噌が事実を認識した途端に私は卒倒する。
完全に意識を失う前に、何故かヌエの顔を思い浮かべていた。
そう云えば野生的で気付かなかったけど、ヌエも副ギルド長に似ていたなぁと、どうでもいい事を考えながら、今度こそ私は気を失った。
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