第陸章 六道将と受付嬢

『ですが……』


 カシャがギルド長の手を引いただけであっさりと倒されてしまう。

 ギルド長がそんなあっさりと倒されるとは思えないので、何かしらの技を遣ったと考えるのが自然だ。


『本性を現していない『畜生道』を相手取っての今の体たらく……小生が鍛えていた修行時代の方が優れていたように思えます。我らの元から去ってからの半世紀、貴方様は何をしておいでだったのです? これでは世界を導く大役をお任せする訳には参りませぬぞ』


「だ、誰がこの世界の支配者にしてくれと頼ンだよ? 勝手に俺の人生を決めるンじゃねぇ!」


 信じられない光景だけど、俯せにされて腕を押さえ込まれただけでギルド長の動きは完全に封じ込められてしまっているらしい。

 苦悶の表情を浮かべながら立ち上がろうとしているギルド長に対して、カシャは大して力を入れている様子は無い。そう見せているのではなく、実際に力など必要としていないのだろう。


「これって、お爺ちゃんが得意としていた合気道?!」


『ほう、善く存じていたな? 如何にもこれは小生が異世界で身に着けた武道、合気の技だ。その昔、姫様にも伝授差し上げたのだが、この御気性ゆえ、"まどろっこしい”と真剣に学んでは頂けなんだ。そして、そのツケを今、こうして払われておられる』


 カシャはどうやら敵(?)であっても褒める時は褒める性格らしく、合気道を知る私を褒めるが、一方でギルド長を"姫様”と呼びながらも容赦をする気配は無かった。

 それにしてもギルド長が両性具有である事は知っていたし、胸も大きく、男言葉を遣いながらも髪の手入れは行き届いており、肌もキメ細かくてお化粧もバッチリだったけど、改めて女性扱いをするのは今更感が否めない。


『さて、如何したものか。冒険者となって経験を積まれれば、訓練とはまた違う力を得られるのでは、と推移を見守ってきたが、こうも成長が見られぬとなると判断は間違っていたのか? それとも引退をされた時に御迎えすれば、ここまで衰えることはなかったのであろうか? いや、いずれにせよ、小生の判断が過ちであった事に違いはないがな』


 カシャはギルド長の腕を更に捻るが、ギルド長も意地なのか、呻き声をあげない。


『なら失敗作って事で処分しちまおうぜ。クローニングして新しい774番を改めて教育すりゃ良いじゃねぇか』


 嗤いながら提案するヌエにカシャは渋い声を出す。


『簡単に云うな。それでは我らの都合で簡単に王を挿げ替えられる・・・・・・・・・・・・と世に知らしめるようなもの。我らは偉大なる御主おんあるじ様と姫様に仕える将である事を忘れるな』


『へーへー』


 つまらなそうに返事をするヌエの頭を大女がポコリと殴る。


『返事は"はい”、そして一回だ。それにお前とて不意を喰らって鼻から大出血ではないか。姫様を悪く云えた口か、んん?』


 窘められたヌエは"けっ”と吐き捨てると腕を組んで口を閉ざした。

 見れば顔を覆う布についた血はいつの間にか消えていて、『血』の文字だけが残っている。


「アンタ達はこれからこの世界を侵略するつもりなの?」


 この場において口を開く権利が私にあるのか分からないけど、訊かずにはいられなかった。ヌエだけでも恐ろしいのにそれより強いのが少なくとも御主様とやらを含めて三人いるし、将軍と名乗るからには軍隊だって率いているだろう。況してやこの世界とは異なるが、彼らは一つの世界をたった半世紀で征服しているのだ。


『ほう、姫様が拘束されておるこの状況で口を開くとは中々見上げた胆力だわい。ワシが初めて御主様と御目文字した時は震えて挨拶もろくに出来なんだわ。それを思えば実に大したものよのう』


 大女が顎を擦りながら感心した様子を見せる。


『その度胸に免じて教えてやろう。侵略とは少し違う。ワシらがするのは、まず対話・・だ。武人、政治家、知識人、宗教家、商人、職人、農民、それだけではないぞ。拠ん所無い事情により日の目を見る事が無かった才ある者、表社会に身の置き場の無い者、老若男女美醜貴賤の区別無く、同志を募る。勿論、改宗は望んではいない。信じる神は人それぞれだからな。仕える主を裏切れとも云わん。ただ我らの活動に賛同を得られれば良いのだ』


 その上で――見えないはずの大女の顔がニヤリと笑ったのが分かる。


『最終的に王達に迫るのだ。"我らの盟に加わる意思が有るか否か”をな』


 これは侵略をするよりタチが悪い。

 王様達の周りを自分達の賛同者、否、協力者で固めた上で降伏を迫るとは……

 これが僅か半世紀で世界を征服した絡繰りか。

 強大な力を持つ異形の戦闘集団が自分の気付かぬ内に臣下を屈服し、味方が居なくなった状態で降伏を迫られれば王様も受け入れざるを得ないだろう。


「もし、降ふ…盟を拒んだ王様はどうなるの?」


『言葉を選ばずとも良い。安心せい。その場で殺すなどせぬわい。その時は『国盗り』の宣戦布告をして戦闘開始じゃ。その前に我らに降る意思のある者は受け入れて厚く偶すると伝えておくがな。すると不思議なものでなぁ。その直後に大抵の王は慌てて我らに縋るのだ。"盟に加わる。否、軍門に降る”と、のう』


 想像に難くない。

 きっとその時には家臣の殆どが彼らに降るのだろう。

 そればかりか民衆もまた王を見捨てて、新たなる指導者を迎え入れるのだ。

 孤立した王様は漸く悟る。自分は既に丸裸であるのだと。


『ったく、いつもながら、いけまどろっこしい話だぜ。国を二つ三つばかり惨たらしく滅ぼせば自ずから国を差し出すだろうによ。腕の振るい甲斐が無ェってもんだ』


 ヌエが頭の後ろで手を組んでつまらなそうに云った。


『前にも云ったであろう。それでは必要以上に怨みを買う事になり、滅ぼした国を再興するのにも時間と労力を消費するから旨味が薄くなるとな。何より必要以上の、否、不必要な犠牲を御主様は好まれない。あの御方は覇王であれ暴君ではない。だが、貴様が勝手な行動をすれば民衆は御主様を暴君と呼ぼう』


 カシャに戒められてヌエはますます機嫌が悪くなったようだが、何かに当たるほど幼稚ではないようで、舌打ちをしただけだった。

 カシャは声を殺して痛みに耐えているギルド長を見下ろす。

 しかし、先程とは違って、何故か微笑んでいるような気がした。


『なるほど、確かに姫様は衰えたのかも知れない。しかしながら、先にヌエから貴方様を救うために行動し、今も我らと対話を試みる彼女の勇気は生来持って生まれた気質もあるのでしょうが、それだけではありますまい。恐怖を乗り越え毅然と立つ姿を見るに貴方様が育てられたのが善く分かります』


「か、買い被りだ。俺は毎日叱り飛ばしていただけだ。後はクーア君に説教され、爺さんに導かれた結果だろうさ」


『いえ、ただ叱っていただけなら貴方様を救うために命をかけて行動を起こせなかったはず。姫様はしっかりと人を育てられたのです。その点のみを見ても、やはり姫様は指導者になるべき御方なのだと確信致しました』


 カシャはギルド長を解放した。

 ギルド長は捻られた関節を揉みながらカシャ達を警戒している。


『気が変わりました。本当なら姫様を連れ戻し、再教育をするつもりでしたが、彼女……済まぬが、芳名を賜っても?』


 ギルド長を見ると頷かれたので名乗る。


「サラ…サラ=エモツィオン」


『感謝する。サラ=エモツィオンのような人間を育てられた事に免じて再教育は不要と見做しましょう。そもそも教えるべき事は既に伝授してあったのです。そして野に下った貴方様を御主様は祝福されていたのですから。"実際に世界を知らぬ者が導き手にはなれぬ。あとはあやつ次第だ”とね』


「気に入らねぇな。全てはアイツの思惑通りかよ」


『さて、小生如きには御主様の御心は計り知れませぬ。現に鵺将軍ぬえしょうぐんを相手に不甲斐無い戦いを見せられた姫様に憤りを覚えていたのは確かゆえ。しかし、真に磨くべきは指導力であったのだと確信した今、我らは去りましょう』


 カシャが右手を挙げると、彼女の近くに黒い稲妻のようなものが落ちる。

 その衝撃に一瞬、腕で顔を庇う。


「こ、これは?!」


 顔を上げると、カシャのそばに炎を全身に纏った巨大な骨、形状からして猫の骸骨が二頭と、それらが引く馬車、否、戦車があった。


『今暫しのおさらばで御座います。しかし今後、不甲斐無いお姿を再び拝見仕れば、次こそは容赦なくお連れ申し上げまする』


 カシャが戦車に乗り込むと大女が冒険者達の死体を担いで戦車に次々と積み上げていく。


「待て! 冒険者達の死体をどうするつもりだ?!」


『知れた事。『畜生道』も申していたでしょう。彼らはあやつが狩った・・・戦利品。文字通り、煮て喰おうと焼いて喰おうと鵺将軍の勝手次第。糧となるのが、否、糧とする事こそが彼らの栄誉となりましょう』


 さも当然と云わんばかりのカシャに背筋が凍る思いがした。

 話が分かる人だと思っていただけにショックが大きい。


「ソフィア様! それだけはなりませぬぞ! 人が人を食すなどあってはならぬ大罪でありましょう! 先程、人をやめたと仰せになられたが、心まで畜生になって何とする! それでは覇王の臣とは名乗れますまい!」


 今まで呆然とされていた大僧正様がカシャに諫言なされているが、カシャは冒険者の死体を返す素振りを見せない。


『それは人を食さねば餓死するまで餓えた事が無いから云えるセリフだ。無論、御主様の世界に行く前の小生なら同意見であったろう。だが、云ったはずだ、小生は人を捨てた・・・・・と。あの極限の地獄の中で小生が禁忌を犯すのは時間の問題であった。だからもう小生の事は忘れよ。小生もソフィアの名は捨てた。そして…』


 カシャが顔を隠す布を剥ぎ取る。

 その顔は最早人間とは呼べなかった。

 造作は美しい。しかしその問題は目だ。

 強膜は血のように赤く、瞳は金色に光り、そして瞳孔は縦に長かったのだ。

 耳は本来、人間が持つ位置には無く、頭部に猫のような耳がツンと立っていた。


『身も心も怪物となった小生はもう貴様とは一緒にはいられぬ。だから貴様も小生が婚約者であった過去を忘れるのだ』


「ソフィア様……」


 大僧正様への決別の言葉と共にカシャの目から一筋の涙が落ちる。

 一滴だけ。それが人としての最後の涙と云っているかのようだった。


『では、さらばだ。次に会う時は小生が戦力として投入された時、即ち敵となっているだろう。それまでに貴様も覚悟を決めておけ。今の貴様の心は千々に乱れていよう。そのような様では貴様の槍は小生には届かぬ。大僧正ならいつまでも腑抜けた顔をするまいぞ。小生の知る槍のマトゥーザはそのような軟弱な男ではない。必ずや毅然と我らに立ち向かってくると信じている』


「畏まってそうろう


 カシャは再び布で顔を隠すと猫の骸骨と繋がっている鉄で出来たイバラのような手綱を握った。


『では帰還する…ん? 鵺将軍、何をしている?』


『よぉっ』


「どわぁ?!」


 気付けば目の前に『血』の文字があった。


『へぇ、こんなところに手裏剣を隠していたのか。武器を帯びているのに投げる寸前まで殺気を見せなかったからな。大したもんだぜ、お前』


 しかも次の瞬間、しゃがんで私のスカートを捲っていた。

 スパッツを穿いてはいたけど、それでもこんな豪快にスカートを捲られては恥ずかしいものである。


「何さらしてけつかんねん、この変態!!」


『どわっ?!』


 スカートの端を掴むヌエの手を振りほどくように体を回転させつつ飛びながら後ろ回し蹴りをヌエの側頭部に見舞った。

 お母さん直伝、対セクハラ防御術の一つ。『鬼のソバット』だ。

 打点が低めで体重が乗りやすいため、体重が軽い女の子でも威力が出しやすい。

 昔、痴漢に遭った時にかましたら股間を直撃して、しかも潰してしまってから封印していたけど、つい出してしまった。

 ま、まあ、乙女の絶対領域を覗いた変態には良い薬だろう。


『あてててて…お前、凄いな。冒険者の誰もが俺様に触れられなかったのに、油断していたとはいえ、こうもあっさり一撃入れやがるとは…しかも技の発動まで殺気がまるで感じなかったし』


「じゃかあしいわ! 乙女の神秘を覗くゴンタクレには当然の報いや!」


『ゴンタクレて……』


 ちなみに、ゴンタクレとはカイゼントーヤ語関西弁で"いたずら者”"困ったちゃん"を指している。目の前のアホンダラに相応しい言葉や。

 ヌエは痛がりはしてもダメージは受けてないようで頭を擦りながら近づいてくる。


「な、何よ?」


『お前、気に入った。俺様の嫁にしてやる!』


 ヌエは布を捲ってニンマリと笑った。

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