第捌章 霧が晴れて

 私は目の前に広がる光景を信じる事ができなかった。

 聖帝のおわすスチューデリア城の玉座の間で倒れている一人の老人。

 その顔はきょとんとしており、自分の身に何が起こったのか分かっていない様子だった。


「来て下さると思っておりました、伯父上」


 手に血刀を下げた銀の髪を持つ青年がクーアさんに対面して跪いた。


「君が殺したのかい?」


 クーアさんが老人を見下ろして問う。

 巻毛のかつらが外れて禿頭とくとうを晒しているがその顔に見覚えがある。

聖帝陛下その人だった。


「陛下は人の道を大きく外れてしまいました。大恩ある伯父上、我が国の財政を立て直す基盤を創り上げたビェードニクル伯爵に仇を為し、此度は国教たる星神教を辱める策を躊躇いなく実行するに至り、このままでは国が滅ぶと判断したのです」


 青年の言葉にクーアさんはやるせない想いを込めた溜息を吐いた。


「短慮をしたね。只でさえ君は魔女の血を引くってことで立場が危ういのに、これじゃ元老院の妖怪達を喜ばせるだけだよ?」


「伯父上が手を下しても政治屋達を喜ばせただけだと思われますが?」


「僕なら、僕が犯人なんじゃないかなと匂わせつつも証拠を残すヘマはしないよ」


 クーアさんを伯父上と呼ぶこの青年こそ、聖都スチューデリア第一帝位継承者レオニール皇子であった。

 聖帝陛下の御正室、聖后陛下はなんとクーアさんの妹君であるのだそうだ。

 クーアさんは再び陛下の遺骸を見下ろすと憐れむような表情になる。


「なんて死に顔だい。かつて魔王様の軍勢と闘っていた頃は、自ら斬り込み隊長を買って出て、常に前線で僕や『不良勇者』を守って戦ってきたのに……まるで自分の死にすら気付いてないかのようにポカンと大口を開けて死ぬ奴があるかい」


 クーアさんは陛下の亡骸に膝枕をしてご尊顔に手を添えると、瞼と口を閉じた。


「これで少しはマシになったね。まったく……君には色々と云いたい事があったけど、五十年来の友達付き合いと死に免じてこれで勘弁してあげるよ」


 クーアさんが陛下の額に竹篦を喰らわせると、クーアさんの心が届いたのか、単に叩いた拍子なのか、陛下の表情が苦笑いにも似た形となった。


「笑って誤魔化す癖は死んでも直らないのか、君は?」


 クーアさんは乱暴にかつらを被せると、放るように陛下を床へ横たえた。


「間違っても冥王様を口説くんじゃないよ? 冥王様が美女のお姿で男の亡者を裁くのは、あの世へ旅立つに際して最後の煩悩を捨てられるかどうかの試練なんだからね? それで地獄に堕とされても助けに行ってやらないからそう思いな」


 両の掌を合わせて目を閉じると、クーアさんは静かに祈りの言葉を捧げる。


「冥王よ。今より参る愚かだが結局憎みきれなかった友に永遠の安息を……」


「クーアさん……」


 罠に掛けられ、命を奪われかけたというのにこの人は……


「それとパっつぁんの来世ですが、どうせなら女の子にでも転生させてやって下さい。あの女好きからすれば下手な地獄に堕とされるよりよっぽど良い薬になるでしょうから」


「クーアさん……」


 こういう所がいかにも魔女なんだなぁ、と思わずにはおれなかった。


「生まれ変わったパっつぁんが本当に女の子だったら前世の記憶を思い出させてからかってやろうかね?」


「よしましょうよ、趣味の悪い」


 魔女さながらにケタケタ嗤うクーアさんを見ても、恋心が冷めないのだから私も大概であろうけどね。

 と、お互いに種類の違う笑顔を見せ合う私達に近づく気配があった。

 今まで沈黙していたレオニール皇子だ。

 きっと陛下を弔うクーアさんの邪魔をすまいとされていたのだろう。


「伯父上、この上は私に力をお貸し下さい。聖都スチューデリアを真の意味で立て直す為にも内務大臣の任に就いて私を支えて頂けませぬか? 我が国を食い物にせんとする元老院議員とそれらが推す暗愚な弟に対抗するには伯父上の知恵が必要なのです」


「断るよ。僕に政治家の素質は無い。それに僕はもうスチューデリアと付き合うのは懲り懲りだ。これからは魔女の谷に戻って隠居するさ。何、心配はいらない。僕と母様の二人が生活するくらいなら三十年は魔法の研究をしながら遊んで暮らせるだけの蓄えはあるし、いざという時はお金の稼ぎ方も心得ている。君を手伝わない代わりに、僕も君に面倒をかけるつもりはないよ」


 にべもないクーアさんにレオニール皇子は何とも云えない表情を浮かべた。

 しかし内心、穏やかではないのは私もだ。

 クーアさんが魔女の谷に引き籠もってしまえば二度と会うことは叶わないだろう。

 それは嫌だ。尊敬する上司であり、何よりもこの世の誰より愛しい人を失いたくない。


「伯父上のお父上、つまりお祖父様は公爵の地位にあると同時に大変に優れた内務大臣であったと聞き及んでいます。お祖母様の魔力を多分に受け継がれた伯父上ならば、きっとお祖父様の明晰な頭脳も引き継いでおられるはず」


「レオン、いやさ、レオニール皇子。その優れたお祖父様を殺しただけでは飽き足らず、公爵家を無慈悲に改易したのもまた君のお祖父様だよ」


 クーアさんの冷たい眼光にレオニール皇子はたじろいだ。

 が、次の瞬間、名案が浮かんだと云わんばかりの明るい表情を浮かべる。


「そ、そうだ! かつて改易された伯父上のご実家であるツァールトハイト家を再興させましょうぞ! 伯父上が新たな当主となり、公爵の地位に返り咲けば我が国は盤石なものとなりましょう!」


「この虚け者がッ!」


「ヒッ!」


 ああ、今ならクーアさんに一喝されたサラの気持ちが良く分かる。

 騎士達の魔力を奪い取った時の威圧感すら比べものにならない気迫は、レオニール皇子だけでなく後ろに控えている私さえも恐怖で身が竦む有り様なのだ。普段の勝ち気な言動とは裏腹にナイーブな面もあるサラの事、生きた心地がしなかっただろう。


「お伯父上が……あの小柄な伯父上が巨大に見える?」


 そう、魔女としての妖艶さではなく、唯々クーアさんの背中が大きく見えるのだ。

 この感じは私の遠い過去の記憶を呼び覚ます!


「父さん? そうだ! 今のクーアさんの背中は、私がずっと追いかけ続けていた偉大な師であり絶対的な信頼の象徴であった父さんの背中を思い出させる!」


「魔女と交わった家を再興させてなんとする! それこそ元老院議員にとって最上の餌ではないか! 況してや私は内縁の妻の子。妾腹ですらない! 実家も何もないのだよ! その私がツァールトハイト家の当主? 嗤わせるんじゃあない!」


 クーアさんはレオニール皇子の胸倉を掴んで持ち上げると、額がぶつからんばかりに顔を近づけた。見かけによらずかなりの膂力だ。


「それに貴公が今やらんとしているのは身内で自分の周囲を固める愚策中の愚策! 身内人事などしたら、いくら志が高かろうと、あっという間にまつりごとが腐敗するのが分からぬほど愚かなのか!」


 クーアさんが手を離すと、皇子はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。


「まったく……お説教なんて柄じゃないのになぁ。どうせ、パっつぁんも癇癪を起こすばかりで叱った事なんてなかっただろうし、レクトゥールが心配する訳だよ」


「母上、否、聖后陛下が?」


「そ、レクトゥールは飽くまでお后様、政治に口出しする訳にもいかないしね。だから、折を見て君の甘ったれた考えを矯正してくれって頼まれていたんだよ」


 クーアさんは肩を竦めて私の方へと振り返った。


「けど、僕には子供がいないからさ。父様に叱られた時の事を思い出して真似てみたんだけど、どうだろう? あ、勿論、胸倉を掴まれた事なんてないから誤解しないでね」


「ええ、時には心を鬼にして我が子を叱る父親そのままでしたよ。先程のクーアさんの背中は確かに大きく見えて、私も父を思い出しました」


 本当に怖いと思う同時に父さんと故郷を懐かしく思い出させてくれたのだ、クーアさんの背中は。


「そう云われると面映ゆいな。そうか、僕も伊達に歳食っていたわけじゃないんだと知れて少しほっとしたよ」


 そう云って笑うクーアさんは、いつもの愛らしい彼に戻っていた。


「そういう訳だから、レオンもそろそろ自立して、自分で仲間を捜すんだね」


「伯父上……」


 項垂れるレオニール皇子を一瞥してから、クーアさんは頭を掻きつつ続けた。


「ただ、このまま去るのも後味が悪い……置き土産に君の立場を少し良くしてあげるよ」


 何故か私の頭上に目をやったクーアさんを訝しむ間もなかった。

 何者かが背後に降り立ち、私はたちまち拘束されてしまう。


「『男魔女』め! 私に気付いていたのか?」


 疲労と憎悪が込められた声から察するに中年の男のようだ。


「君も指折りの盗賊と謳われたのなら殺気くらい隠しなよ? 態々自分の居場所を教えているようなものさ」


 肩を竦めるクーアさんに背後の殺気が膨らんだ。


「悪党とて長年連れ添った恋女房を殺されて平気でいられる道理はない。フォッグの仇を討たせて貰うぞ、『魔女の王』よ!」


 恋女房? フォッグの仇?

 つまり、この男が怪盗の片割れのミスト?


「悪党ながらその心意気は天晴れだと云わせて貰おうかな」


「ふん! 仇に褒められたところで嬉しくもないわ!」


 一生の不覚。レオニール皇子の前で害意が無い事を示す為に棍を足下に置いていたのが仇となってしまったか。いくら宮殿の中とはいえ油断しすぎだ。


「ところでフォッグの首はどうしたのさ? 身に付けている様子は無いけど?」


「夫婦の契りを交わした時の約束でな。明朝には部下が盗賊ギルド本部を眼下に臨む丘の上に埋葬してくれている事だろう」


「意外とロマンチックな事をするね」


け。日陰の世界に生きる身だからこそよ」


 成る程。大手を振ってお天道様の下で生きられないが故に、死した後くらいは日の当たる場所で眠りたいというわけか。


「それにしても、よくここまで忍び込めたね? って云うか、僕がここに来るって予想を立てられたのは凄いよ。君達とパテールの計画じゃ僕は今頃、軍に逮捕されていただろうからさ」


 クーアさんの疑問にミストは鼻で嗤った。


「貴様がここに来たのは想定外よ。私は偽りの契約を結んだ聖帝に制裁を加えにきたのだ」


 そう云えば、クーアさんが出張ったことに、話が違うと証言していたはずだ。

 今となっては契約内容を知っても意味はないが、彼らとしては契約に虚偽があったことこそが重要なのであろう。


「作戦では冒険者ギルドは完全撤退し、後に合流する親衛隊に我らは保護される手筈であったのだ。だが、間者からの報告では聖帝は貴様に戦闘を命じたとあった。つまり奴は初めから私達を貴様にぶつける為の捨駒にするつもりだったに違いない!」


 ミストは右手に握られたナイフが私の首筋に食い込む。


「しかし聖帝は既にそこにいる皇子に殺されていた。そこへ貴様が現われたという訳だ。あまりに想定外のことが続いたが、逆に考えれば好都合! 本部への手土産に『魔女の王』の首を頂いて行こう!」


 どうやら私を人質にクーアさんの動きを封じ込めて斃す算段らしい。


「動くなよ? 皇子様も迂闊に人を呼ばない方が良い。今の状況を考えろ。今の貴様は父親殺しにして王殺しの大罪人だ」


「その通り。レオン、今は僕を信じて何もしないで」


 状況はかなりマズい。

 このままではクーアさんが殺されてしまう。

 その時、胸元にある感触に妙案が浮かんだ。


「いくら時代が変わろうと、か」


 偉大なる先人、魔女ユームの教えを有り難く実践させて貰うとしよう。

 私は体を拘束するミストの左腕を振りほどこうと藻掻くふりをして胸元に爪を当てた。


「おい! 暴れるな! 死にた……何っ?!」


 私は肌着を斬り裂いて乳房を露出させる。

 キツかった肌着から解放されたせいか、大きく跳ね上がりながら初夏の夜気を引き裂く感触が場違いながら何とも心地良い。

 これでミストの注意を引くと同時に、乳房に挟まっていた切り札が零れたのをキャッチした。


「お疲れ様! 疲れた体には甘い物が一番よ!」


 緩んだ拘束を抜け出した私は、先程、冒険者がくれた『スイートハニー』をミストの口の中に押し込んで起爆用の紐を引く。


「クーアさん! 皇子! 伏せて!」


 私がクーアさんに駆け寄って押し倒すと同時に背後で爆発が起こる。

 衝撃が過ぎ去って振り返ると、上半身を失ったミストが倒れていた。

 想像を超えるグロテスクな光景に胃が持ち上がるような感覚に襲われるが、自分がやった事だと心の内で云い聞かせて何とか落ち着きを取り戻す。


「事務長もなかなか過激だね。爆弾もそうだけど、色仕掛けをするようなタイプには見えなかったからさ。ちょっと驚いたよ」


 流石は元治療術士と云うだけあって慣れているのか、この惨状を見てもクーアさんは平然と笑いながら私の乳房を指差したものだ。

 私としては手で胸を隠しながら曖昧に笑う事しかできない。

 咄嗟のこととは云え、男三人が見ている前で胸を曝け出したのだ。

 我ながらよくやってのけたものである。


「でも、丁度上手い具合に聖帝殺しの犯人が見つかったよ」


 クーアさんの見詰める先にはミストの下半身があった。

 レオニール皇子はそれでクーアさんが云わんとしている事を察したのか、困惑と驚愕の入り交じった表情を浮かべる。


「お、伯父上? いくら盗賊でも我が罪を着せるなど道理に反するのでは?」


「この程度で罪悪の意識を感じていたら国家元首は務まらないよ。ミストだって元はパテールを殺そうとしていた訳だからあながち嘘じゃないし、何より君以外の皇子が聖帝になってごらんよ? それこそこの国は元老院議員にむしゃぶりつかれて滅びてしまうよ」


 やはりクーアさんも政治の話になると相当ドライになるようだ。


「もし、気が晴れないって云うのなら、その残った下半身を丁寧に供養してやるんだね」


「承知致しました。出来得る限り手篤く葬りましょう」


 レオニール皇子がミストの遺骸に手を合わせ、許せ、と呟くのをクーアさんは満足げに見ていた。


「見張りの兵士もさ。賊の侵入をここまで許した挙句に大ボスを殺されたんだ。上手く恩を売れば味方になってくれるよ。同様に数こそ少ないだろうけど臣民の幸せを願う、心ある元老院議員を厚く遇していくとか、こういった積み重ねで味方を増やしていけば足場は盤石になると思うから頑張りなよ」


 クーアさんがいきなり私を抱き寄せたので、私はどぎまぎしてしまう。

 同時に遠くから大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。


「爆発から数分経ってようやくお出ましか。ホント、この国の兵は威張るだけで質が悪いよね。その辺の教育もしっかりしなよ? 『親』になるんだからさ」


 私達の体が影に沈んでいく。


「お、伯父上はどうしても私を手伝って下さらないのですか?」


「まだ云うか。甘えないでよ、四十六歳。僕はもう帝室とは関わらないの」


「わ、私は諦めませんからね!」


「あっそ」


 クーアさんがあっさり返すと同時に、私達は影の中に沈んでいった。

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