第玖章 月夜の誓い

 気が付けば、私達は副ギルド長室にいた。

 先程のクーアさんの言葉を思い出した私は、どうしても問わずにはいられない。


「クーアさん、魔女の谷に帰るというのは本気なのですか?」


「まあねぇ、今回の件で色々と懲りたからさ。それに例の一件で人を殺めてからこっち、どうにも魔に与する者としての気性を抑えきれなくなってきているし、ここらが退き際かなとも思っていたんだよ」


 満月の光に照らされたクーアさんは、幻想的であると同時に儚くもあった。


「今後は君に副ギルド長を継いで貰うさ。君には人望もあるし、ギルド長からの信用も篤い。適任だと思うよ」


 私は胸の奥に湧き上がる想いを堪えきれずにクーアさんを抱き締めた。


「嫌です! 私はクーアさんが好きなんです! 私を置いて魔女の谷に行かないで下さい! もし、行くと云うのなら私も連れて行って下さい!」


 私の想いを伝えたはずなのに、クーアさんはあっさりと私の腕の中から消えた。

 机の影から現われたということは『影渡り』の応用であるらしい。


「気持ちは嬉しいけどね。でも迷惑だよ。僕は魔女の血を引き、魔王様のご寵愛を受けた影響で老いが遠く寿命も恐ろしく長い。只の人間である君と一緒になっても先立たれるのがオチさ。それに見てくれの通り僕はまだ生殖器が未成熟でね。少なくとも君が生きている間に生殖能力を獲得出来るとは思えない。その意味は分かるよね? つまり僕には君と家庭を築く事が出来ないのさ」


 現役時代。仲間の死を看取ったのは一度や二度じゃない。

 しかし、何度経験しようとこの哀しみに慣れる事は無かった。

 況してやクーアさんはこれまでの長い人生でどれだけの友と死に別れたのか。

 しかも彼はこれから今までの何十倍もの人生を歩まなければならないのだ。

 たとえ私とクーアさんが結ばれても、それは気が遠くなるほど長い生涯の中での一瞬に過ぎず、彼の言葉を信じるのなら子供も望めないのだろう。

 しかし、だからといって、はい、そうですか、と諦めろだなんて残酷ではないか。


「勇者様はどうなのですか? 今でも尚、敬称で呼ぶ魔王を裏切ってまで勇者様についていったのは何故なんですか? 私と勇者様とでは何が違うというのです?」


 クーアさんは驚いた顔をしていたけど、一瞬だけ優しい、何かを思い出すかのような表情を浮かべた。


「ああ、マトゥーザから聞いたんだね。彼女はね、当時の聖帝を屠った後、僕達に云ったんだ。“吾輩はこれから世界を征服する。貴様ら魔女は吾輩についてこい”ってね」


 どこの世界に自分が世界を支配するという勇者がいるのだろう。

 いや、この世界だ。しかも勇者様は異世界の戦闘用ホムンクルスだった。


「吾輩が世界を手中に収めた暁には人間と魔女を対等にしてやろう。優れた人種・魔女が見下されることはなくなるのだ。同時に魔女が人間を見下すこともない。見下すのは下に居る者がいて初めて心の安寧を得られる弱者の証明だからな」


 クーアさんはこの言葉にまず痺れたという。


「今まで魔女に尊厳なんて認められていなかったからね。しかも、その尊厳を認めつつ、尊厳があるからこそ人を見下すなとも云ってくれた。彼女が人造人間だなんて関係ない。僕はこれで胸を張って、“魔女の一族であることに誇りがある”、と云えるようになったのさ」


 そしてクーアさんへの最大の殺し文句がこれだった。


「吾輩を創造した科学者共が云うには、吾輩は理論上、老いも無く、永遠に進化し続けるのだそうだ。細胞分裂の繰り返しによる劣化及び癌化はなく、自己再生能力も不滅らしい。分かるか? 吾輩は貴様が望む限り、いつまでも一緒にいてやれる。不老長命は地獄だ。その地獄を一人で生きるのは辛かろう。吾輩で良ければ付き合ってやる」


 クーアさんは月を見上げて微笑んだ。


「嬉しかった! 全てを置いて生き続ける地獄を魔王様に告げられてから、僕は密かに泣いていたし、魔王様にもお恨み申し上げたよ。けど、彼女は一緒にその地獄を歩いてくれるって云ってくれたんだ。だから僕は必死になって生き続けた。パテールに騙されて宮殿の奥深くに押し込められても絶望することなく生きることができたんだ」


 クーアさんは勇者様のお言葉で救われていたのだ。

 永遠とも云える生を歩む地獄を共に行こうと云われれば誰だって嬉しいだろう。

 だが、そこで疑問が残る。


「でも勇者様はいずこへ? ヘルト・ザーゲでは大団円を迎えた後、人々に惜しまれながらも元の世界へ帰られましたけど」


 途端にクーアさんの顔に侮蔑が浮かんだ。

 私に向けたものでないと分かってはいるけど、胸がざわついて仕方が無かった。


「彼女は強かった。否、強すぎた。違うな、強くなりすぎた。理論上、際限なく進化するという彼女は、最終決戦において魔王様をも上回る身体能力を手に入れていたんだ」


 圧倒的な力で魔王を退けた勇者様は、その苛烈な性格と相俟って時の権力者達に恐れられていた。権力者達は勇者様を凱旋パレードに参加するよう要請し、そのコース上に罠を張ったという。


「召喚した勇者を元の世界へと還す魔方陣が敷かれていたのさ」


 クーアさんが察したときには遅かった。

 魔法が発動し、勇者様は馬車と馭者をも巻き込んで元の世界へと還されていった。

 彼らから何の労いの言葉もかけられずに……


「その時、彼女から思念による会話、所謂テレパシーが届いた。“吾輩は必ずこの世界へと戻ってきて貴様との約束を果たす。だから貴様も短慮を起こすな”ってね」


 その後、クーアさん達勇者パーティはそれぞれ高い地位を与えられた。

 魔族撃退の褒美であるが、勇者様の処置について口を閉ざせ、という意味もあったのだ。


「あれ以来、僕は帝室と星神教の権力者達を信じられなく、違うな、許せなくなったよ。魔女の谷に戻って、魔女戦争再び、と思わなくもなかったけど彼女との約束を思い出して大人しくしていたって訳さ」


 クーアさんの人生は聖都スチューデリアと星神教の裏切りによって歪められていたのだ。

 しかし、私にとって重要なのはそこではない。


「クーアさんは寿命云々の前に勇者様への想いがあったのですね」


「うん、だから、ごめん。僕は君の想いに応えられない」


「謝らないで下さい。それよりも」


 私は隠していた胸から手をどけた。

 そしてプロテクターと肌着を脱いでクーアさんと向き直る。

 するとクーアさんは警戒したのか眉根を寄せて睨みつけてきた。


「何のつもりさ? 僕に、魔女に色仕掛けなんて通用するとでも?」


 違いますよ。

 これは身も心も裸になって私の意思を告白するという決意の表れです。


「それでも私はクーアさんにアタックを続けるつもりです。寿命とか勇者様への想いとか関係ないんです。それで諦められるのなら人間は恋なんてできませんよ」


 私は跪いてクーアさんと真っ直ぐ目を合わせる。


「いくら引退を表明しても、引き継ぎには時間がかかります。クーアさんもいきなり姿を消すなんて無責任で不義理なことはできないでしょう?」


「うん、まあ、君が自信を持って副ギルド長の仕事を出来るようにはするつもりだよ」


「ですから、クーアさんが納得して冒険者ギルドを去れないようにするつもりです」


 私の言葉の真意が掴めなかったのか、クーアさんの目付きが鋭くなる。


「何それ? わざと仕事を覚えないってこと?」


 私はクーアさんの右手を両手で包み込んで答える。


「違います。引き継ぎまでに心残りを作るのです。例えば……私とか?」


 初めはキョトンとしていたクーアさんだったけど、次第に口元が弛み、喉からくつくつと笑い声が漏れ出した。


「あははは。事務長って普段は堅物なのにこういう時、無茶苦茶云うんだ。良いよ。僕の五十年以上に渡る想いに勝てるものならかかっておいで」


「ええ、そのつもりです」


 私はクーアさんを引き寄せると、この世に生まれてから二十八年、後生大事に取っておいたファーストキスを捧げたのだった。

 勝算なんて無いのかも知れない。

 けど私は生涯を賭けてこの恋に生きると決めたのだ。

 私の身勝手な誓いだが、それでも祝福をするかのように月の光が優しく私達を照らしていた。

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