第伍章 パスタ屋評定
「で、だ。カルボナーラってのは元々炭焼き職人って意味でよ。何日も炭焼き小屋に篭もらにゃあならねぇ職人が保存の利く卵、ベーコン、チーズを使って調理したのが始まりって云われてンだ」
何なんだ、この状況?
副ギルド長オススメのパスタ屋、アルデンテで二人っきりのディナーを楽しんでいたら、いつの間にか、ベロンベロンに酔っ払ったギルド長が同席していた。
しかも、何故かカルボナーラが載ったお皿を片手に講釈を打ち始める始末である。
二人っきりのディナーを楽しんでいたのにだ。大事なことなので二回云わせて貰ったけど何か文句あるかしら?
「あの何故、ギルド長がここに?」
「何故って飯を食いに来たに決まってンだろがよ」
うっ、この息の臭い。ビールとワインをちゃんぽんしているに違いない。
悪酔いしているギルド長に私は負けじと食ってかかる。
「そうではなくて! この席は私と副ギルド長の席ですよ!」
「まま、そう怒らないでさ。食事は多い方が楽しいよ」
憤る私を副ギルド長が宥めるが、それはそれで腹が立つものである。
「でもギルド長がそんなに酔われるなんて珍しいですね。いつもだったらウォッカでジンを割って呑んでも平気の平左なのに」
それって割っていると云えるのですか?
「ああ、酔わねぇとやってらンねぇよ! クーア君が出張に行ってから聖帝のクソボケから呼び出しを受けてな。いくら俺が世間様に対して突っ張って見せても、国のトップから名指しで呼ばれちゃあ逆らうわけにもいかねぇさ!」
今日、大僧正様から賜わったお話のせいで、若干なりとも皇族への心証を悪くしていた私はそれだけで嫌な予感を覚えるようになっていた。
そういった予感に限って当たるというのは本当のようで、ギルド長の口からとんでもない事を知らされた。
「あンのエロジジイ! 例の神像奪還に失敗した二人組を侍らせて偉そうに踏ン反り返りやがってよ。あろう事か、“国の宝を取り戻す重要な任務をこのような未熟な者達に押しつけるとは非情な者共よな。可哀想に、朕が手篤く慰めてやらねば、この未来ある二人の若者は心に深い傷を残すところであったぞ”って抜かしゃあがった!」
なんと聖帝陛下は既に神像の奪還失敗をご存知だったのだ。
しかも、それを出汁にギルド長を態々呼び寄せて痛罵を浴びせるとは……
それにしても、手篤く慰める、か。それがどういう意味なのかは考えたくもない。
「それにしても腹が立つのはあの莫迦二人だ! これから夜伽でもすンのかって問い詰めたくなるようなエロいナリしてジジイにしなだれかかってニタニタ嗤いやがって! どうせ一晩限りの遊びなのに後宮に入れると思っていやがるに違ェねぇ!」
云うまでもなく情報源はあの二人であろう。
二人が自発的に陛下に知らせたのか、はたまた呼び出されたのかは知らないけど、これは容易ならない事態になったと思って良い。
「で、パっつぁんは他に何て云ってきたのさ?」
思わず漏れそうになった悲鳴を押しとどめた私は褒められても良いだろう。
いつのものほほんとした笑顔と似ているようで全く違う。
私は云いようのない恐怖に襲われて身動き一つ出来ない有り様だった。
「クーア君。いつだったか、俺の笑顔が怖いって云ったことがあったが、人の事ァ云えねぇンでないかい? いや、流石は男でありながら魔女の奥義を究め『魔女の王』と呼ばれるようになっただけはあるか」
「質問に答えてないよ? 後さ、君はどんな冒険者でも我が子のように可愛いって云っていたよね? なのにさ、今の君は、うら若き乙女の肌が嫌らしい年寄に穢されたというのに、そこについては何も触れてないよね? むしろ見下すってどういう事なのさ?」
先程まで真っ赤だったギルド長の顔は真っ青を通り越して白くすらなっていた。
現役時代、数々の伝説を残してきたギルド長も、世界最高レベルの魔法使いの静かな怒りを目の当たりにしては旗色が悪くなるらしい。
いつもなら多少砕けながらも敬語を使っていた副ギルド長が、プライベートな時間とはいえギルド長に対して気安い口調で話すという事は、もしかして大僧正様がおっしゃったように昔の魔女一家の幼きクーアに立ち戻ってきているのではないのか?
だが、私の危惧は杞憂であると伝えるかのように副ギルド長の微笑みは普段の愛らしいほにゃっとしたものに変わった。
「大丈夫。僕は二度と『魔女の王』にはならないよ。これでも僕は七十年以上生きているんだ。もう一部を見て全体を悪と見なす短慮は犯さないから安心して」
副ギルド長が私の頭を撫でてくれる。
それだけで私は母に抱かれる子供のように安心できた。
恐らくは先程の一部と云うのはきっと、縛り首となったご兄弟に石を投げつけた民衆の事を指しているのだろう。
「むぅ、随分といい雰囲気じゃねぇか、お二人さん?」
見ればギルド長が不機嫌そうに唸っていた。
いい雰囲気は兎も角、部下に視界から追い出されては確かに面白くはないだろう。
「まあ、良いさね。クーア君も元に戻ったことだし、話も戻すとするさ」
ギルド長から伝えられた陛下のお言葉は絶句させられるには十分な衝撃を伴っていた。
「聖后たっての願いであるからクーアを冒険者ギルドに下げ渡したが、このような大失態を犯す組織におってはかつての宮廷治療術師の名が泣こう。常ならば即刻クーアを返して貰うところであるが、猶予をくれてやるのもまた聖帝たる者の度量というものであろう。一週間である。一週間後のこの時間までに神像を取り戻し、大僧正殿を安堵させよ。さすれば此度の失態、目を瞑って進ずる」
これには流石の私も沸々と怒りが湧いてきた。
下げ渡すだの、返して貰うだの、副ギルド長は物ではないというのに!
「まあまあ、怒ったところで神像が返ってくるでもないし、ここはじっくり作戦でも練ろうよ。珍しくパっつぁんが一週間も猶予をくれたんだしさ。昔だったら明日、非道いときは夜明けまでにって無茶を云ってたよ」
しかし、当の本人に宥められては矛を収めるしかないし、そもそも抜いた刃を向ける場所などどこにもなかったのである。
「まずは居場所だけど、例の二人が向かった所から移動はしてないだろうけど、一応、シヤンさんの仲間に探って貰ってる」
どうやらここの主人であるシヤンという男は裏に回れば密偵の真似事をしているらしい。
「次にフォッグとミストの戦闘能力なんだけど、これは全くと云って良い程情報が無い」
「無いって、彼らの情報を得たからこそ二人は降格で済んだのでは?」
すると副ギルド長は困ったように眉尻を下げた。
「降格で済ませる為に情報を得たって事にしたんだよ。一応、アジト周辺には一寸先も見えないほど深い霧に覆われていて、視界が利かない中、後ろから殴られた。あの霧こそその名の通りフォッグが術で操っていたに違いないって証言してるし、嘘じゃないさ」
いや、本当に情報が全く無いじゃないですか。
「その辺の情報は僕に当てがあるから心配しなくても良いよ。ちなみに容姿だけど、これもさっぱり……二人とも顔中を包帯で巻いて隠していたそうだけど、声はハスキーながら高かったから女性だったのでは、と云っていたね。相手が女性だから何なのさって話だけどさ」
ふぅむ。やはり大した情報は無かったか。
これはいよいよ持って、腰を据えて事に当たらなければいけない。
加えて、聖帝陛下がこの一件に絡んで副ギルド長の進退を賭けようと云うのだ。
冒険者ギルドの面目を横へ退けたとしても失敗する訳にはいかなかった。
「ま、白浪さん達の情報が集まり次第、僕が出ますよ。初めはCランクだったのが、いきなり僕が出張るとなったら相手も意表を突かれると思いますしね」
これは大僧正様にもお伝えした手筈であった。
「よし! こうなった以上は俺も出るぜ。生きた伝説と謳われた俺の実力、久々に悪党共に見せつけてやろうじゃねぇか!」
「何を馬鹿な事を云ってるんですよ。組織のツートップが揃って出て、双方共に何かあったら冒険者ギルドはどうなるんですか? 本作戦でのギルド長の役割は司令官となってギルド職員と冒険者達の指揮を取ることですよ。僕が乗り込んでいる間に、アジトから逃げ出した者を捕らえるとか、盗賊ギルドの本部へ報告しようとする間者を見つけて始末するとか、色々忙しいはずですからね」
副ギルド長の言葉にギルド長はしばらく唸っていたけど、ついには頭をバリバリ掻きつつ溜息を盛大に吐いた。
「わーったよ。だがな、流石に単身で連中のアジトへ乗り込むことは許さねぇぞ? 敵が怪盗二人とは限らねぇし、どンな罠が仕掛けてあるか分かったモンじゃねぇからな」
ギルド長を安心させるように副ギルド長は敢えて呆れ顔で返した。
「当たり前でしょう? 単身で魔界の城へ乗り込んで魔族の王子を斃すようなあーたと同様に思われては困りますよ。僕はか弱い魔法使いなんですから」
か弱いという言葉の定義って何だろう?
「事務長? 何か云った?」
「いいえ、何も!」
ああ、副ギルド長。可愛らしく小首を傾げないで下さい。
傍目、犯罪でも構わないかなって思い始める自分が怖くなってくるので……
「フォッグ達のアジトへ乗り込むメンツも作戦を詰めながら決めていきますよ。もっとも僕が後衛なので必要とするのは前衛を数名くらいですかね?」
それを聞いて、私の胸にある決意が宿る。
「そうだな。それじゃ、これ以上は良い案も出ないだろうから解散すっか。シヤン! 勘定だ!」
テーブルの上にあった伝票を全部持っていくあたりがギルド長らしい。
しかし、ギルド長の顔を潰すようで申し訳ないが、それは領収書だったりするのだ。
「なんだ? 随分、安いじゃねぇか?」
「そりゃ、そうでしょうよ。副ギルド長は入ってきた時にお金を払って、これで食べられる分のビールと肴をねっておっしゃるんですから」
副ギルド長は共に食事をする者がいる場合、先にお金を払って食事を頼み、払った分までお酒をお代わりするようにしているそうだ。
こうする事で予算オーバーは防げるし、何より酔いながらの支払いはトラブルになりかねないというのが副ギルド長の持論である。
もっともお店によっては逆に嫌がられるので、常連となって気心の知れたお店に限るそうだけど。
「あっしら密偵を使う時もねぇ。こっちが何かを云う前に、これでみんなと呑んでよって金貨十枚、ぽんと下さるんでやすから、こちとらも身を粉にしようってもんでさ」
「さよか……じゃあ、俺は別の密偵を探すとするか」
暗にギルド長が吝いと云わんばかりの亭主にギルド長はあっさりと背を向けた。
これは彼も想定外のことだったようで、慌てたようにギルド長の足にしがみつく。
「そいつはちょいと水臭ェ話じゃ御座んせんか! あっしはギルド長の為ならいつだって火の中、水の中へ飛び込むと云ってるじゃねぇですかい。それをあっさり別の奴にすると云われたんじゃあまりにも情けねぇ」
ああ、なるほど。
ギルド長はああして腕は良いけどお金に五月蠅いあの密偵をいつもからかっているのだろう。
ギルド員達とはまた違った信頼で結ばれたギルド長と密偵に私は自然と笑っていた。
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