第肆章 ヘルト・ザーゲ・後編

「第四巻では本拠地に追い詰められたことで本気になった魔女ユームとの死闘が描かれておるが、実際は調子に乗った勇者、否、名声を得ようと勝手に同行してきたパテール皇子が油断して暢気に兵士に休憩を命じた隙を突かれ、思わぬ反撃を受けて浮き足立っただけの話なのぢゃがな」


 後はヘルト・ザーゲに書かれている通りの展開だった。

 渓谷に誘い込まれた勇者様と若かりし頃の聖帝陛下、パテール皇子の率いる兵士団がまず受けたのは無数の落石による歓迎であったという。少なくない兵士が石に足を取られ、巨岩に潰されていく中、今度は谷に棲むモンスターが襲いかかってきた。

 善戦するも陣形を乱された兵士達は次第に追い詰められて、ついに撤退する事になったのだが、ここにきて勢いに乗って進軍してきたツケを払わされることとなった。

 なんと狭い谷のせいで陣形が細長く伸ばされてしまっており、情報の伝達が末端まで届くのに時間がかかる他、薄くなった陣の脇腹をオークやゴブリン、オーガなどの伏兵に襲われる事態に陥ってしまう。

 谷の上から火矢を射かけられ、石が降り、モンスターが追ってくる状況では兵士も只の的と変わり果て、パテール皇子が這々の体で谷から脱出する事に成功したときには、五百いたはずの兵士は残り数名しか生き残っておらず、折角分かり合えそうだった護衛騎士達は大僧正様お一人を除いて全滅。そして、あろう事か勇者様は魔女一家に捕らえられてしまった。


「その頃、未熟だった勇者、否、我々ではクーアの人が持つには強大過ぎる魔力の前には為す術が無くてのぅ……破壊力重視の巨大な火柱を起こす魔法と竜巻を操る魔法を組み合わせる事で編み出された、龍の如くうねる八本の炎の竜巻を自在に使役するクーアオリジナルの殲滅戦用大魔法『ヤマタノオロチ』……神代の伝説にある怪物の名を冠した大魔法の殺傷力、破壊力の凄まじさは筆舌に尽くしがたく、勇者なんぞ聖剣ごと弾き飛ばされておったわい」


 大僧正様は当時を思い出されたのか、二の腕を抱いて震えてしまわれていた。


「勇者を救出しようにも、神の祝福を受けて対魔法防御力を高められた甲冑ごと護衛騎士達をムシケラの如く屠る魔法使いを相手にそれは不可能ぢゃった」


 当時、いくら使いこなせていなかったとしても神から賜った聖なる剣をものともしなかった副ギルド長。

 複数の、しかも属性の異なる魔法を組み合わせて強力な新魔法を作り上げる独創性といい、効率良く魔力を運用する技術といい、世界でもトップクラスの魔法使いと称えられる力量は既に半世紀以上も前から確立していたのか。

 さて、囚われの身となった勇者様だが、ヘルト・ザーゲではユーム達に復讐の虚しさを切実に訴え、後に改心させる伏線が張られるけど、実際では武器を取り上げられ、逃亡防止に裸にされて軟禁されていたらしい。


「勇者が女の子だったとは驚きだけどね。悪いけど容赦はしないよゥ。ま、家にある物なら何を食べても良いし、本も好きなだけお読みよ。ただし、家の外に出るのはオススメしないよゥ。オークやオーガどもは女なら種族なんて関係ないんだ。モンスターに純潔を散らされたくなけりゃ大人しくしていることさね」


 魔女はそう云い置いて勇者様の好きにさせていたそうだ。

 聖剣のない勇者など何するものぞ、と高を括ったか、勇者様の中に何かを見出したのかは分からない。


「それ以降クーアはな、文字通り素っ裸で堂々と食い物を喰らい、本を読んで寛ぐ女勇者と度々遭遇する事になったのぢゃ」


 勇者様とて理知を知らぬ子供ではないはずだが、人前で裸体を晒すことに羞恥を覚えている様子は全く見られなかったらしい。

 物語では膝裏まで届く髪は漆黒ながら日の光を受けて光沢を放ち、背は殿方にも見劣りするものではなく、目鼻立ちも卑しからず、その頭脳は明晰であったとある。

 つまり、才色兼備を絵に描いたような美少女であると説明されており、当時を振り返る大僧正様をして、希に見る美形だが、欠点は鷹のように鋭すぎる目付きぢゃ、と評価されていた。

 斯様に美しい少女が生まれたままの姿で魔女一家の団欒の場に普通に混ざるに至って、ついに折れた。


「悪かったから服を着とくれ。裸のまま一緒にカードゲームに興じられてはこっちが落ち着かないよゥ」


 ええ、魔女一家の方が……


「何だ? たったの五日ではないか。魔女にしては良心を咎めるのが早かろう」


 そう云って嗤う勇者様に魔女一家は、コノヤロウと思ったとか思わなかったとか。

 憤る家族を制して前に出たのは副ギルド長だった。


「嗤うって事は感情があるはず。恥ずかしくなかったの?」


 彼の疑問ももっともだけど、勇者様の答えは予想を遙かに超えたものであったという。


「元いた世界においては、物心着く前から常に人前で肌を晒しておったそうでな。今更、全裸にされたところで何も感じないし、何の拘束力も無いと嘯いたそうぢゃよ」


 なんと勇者様は母親の胎内から生まれた人間ではなかったのだ。

 とある国の軍隊が最強の兵士を量産する為、研究の末に創り上げた人造人間……錬金術でいうホムンクルスが勇者様の正体……

 私は初めて知らされた事実に、今度こそ打ちのめされてしまった。


「ヘルト・ザーゲに勇者の名が一度でも記された事があったか? 無かろう。それもそのはずぢゃ。あやつには名など無かった。強いて名乗るならば、Uシリーズ型番645が名前になるかと申しておったわい」


 勇者様の正体を知って衝撃を受けたのは私だけではなかった。

 幼きクーアですら、憎き勇者が過去、研究員達にその体を好き勝手に弄られていた事実に同情の念を覚えたほどであった。

 しかし、勇者様の方はあっけらかんと、お陰で並の努力では手に入らぬ強さと知恵を手に入れる事が出来た、と語ったという。

 ちなみにUシリーズのUは究極を意味するultimateの頭文字だそうな。


「しかし、そのような出会いのお二人がどうして共に魔王と戦うようになったのです? 況してや副ギルド長は魔王から下にも置かない可愛がられようだったのでしょう?」


 すると大僧正様は驚くべき事実を語られた。


「簡単なことぢゃ。魔女ユームと子供達の復讐は勇者の策によって成就したのぢゃからな」


「な、何ですって?」


 あろう事か、勇者様は生かさず殺さずの状態で足止めされていたパテール皇子の元へ帰還し、本国へ援軍を寄越すよう申請させ続け、逐次投入されるスチューデリア軍を、例の陣形を細長く引き延ばす策で繰り返し撃破されるよう仕向けた。

 中には谷の上に登って進軍しようと献策する者もいたが、谷の両サイドは鬱蒼とした森林に覆われており、森に入ったが最後、森の中での戦闘でゴブリンや魔女の手によってモンスターと化した植物などに勝てる道理もなく、瞬く間に殲滅させられてしまう。

 大軍を派遣しようにも狭い谷と深い森を攻めるには逆に不利となり、森を伐採し燃やそうとしても魔女ユームや幼きクーアの絶大な魔力によってあっと云う間に火を消し止められ、切られた木も一瞬にして修復されてしまう有り様であったそうだ。

 こうしてスチューデリア軍は勇者様と魔女によって徐々に追い詰められていった。

 そして、それと同時に恐るべき作戦が実行に移されていたのである。

 その頃になると、聖帝のおわすスチューデリア城の中には兵が殆ど残って折らず、宮廷魔道師でさえも魔女の谷へと派遣されて手薄の状態となっていた。

 それこそが勇者様の狙いであった。

 魔女ユームが聖帝陛下に『呪殺』の魔法を仕掛ける事に成功してしまったのだ。

 聖帝は日を追うごとに気持ちが苛立ち、周囲に当たり散らすようになっていった。

 次いで政務に身が入らなくなり、玉座に座り込んで呆ける日々を過ごした。

 更にはベッドから起き上がれなくなり、悪夢に魘されることが多くなったという。

 最後は、寝ては悪夢、覚めては幻覚に襲われるようになり、四六時中、誰かに謝り続けているような有り様であった。

 昼夜を問わず、恐怖に責め苛まれた聖帝はついに落命の日を迎える。

 遺命として、パテール皇子へは魔女の谷からの撤退を、側近達へは魔女狩りの廃止及び犠牲者とその親族への賠償を命じると、次の聖帝を指名する余力も無く息を引き取った。

 その死に顔は、妻や子供達でさえ目を背けるほど恐怖に歪んでいたそうだ。

 こうして魔女ユームは聖帝への復讐を果たし、後継者を指名しないまま聖帝が崩御したことで皇子達による熾烈な後継者争いが勃発。これによって官庫からは羽が生えたかのように金と食糧が消え失せ、更には先の蝗害から数年間、蝗が増え続ける事で飢饉が続き、聖都スチューデリアは暗黒の時代を迎えることとなる。

 歴史上にポブレ=ビェードニクル伯爵が登場するまで、民衆は飢餓に喘ぐ事になるのだが、お陰で副ギルド長の怒りが収まったのだから皮肉なものだ。


「事実は小説より奇なり、と申しますが、まさか勇者様が魔女と手を組むなんて……」


 沈む私への返事は、私の頭へと載せられた大僧正様の大きく温かい掌だった。


「勇者はのぅ。召喚されたあの日、聖帝から命じられておったそうぢゃ。弱者を踏み躙る悪を討て、とな。魔女狩りは天下の悪法よ。勇者は聖帝の命を忠実に、見事に遂行した。そうは思わぬか?」


 大僧正様のお言葉に私の口元は何故か無意識の内に綻んでいた。


「それからぢゃな。勇者とクーアが連むようになったのは」


 お二人は互いに、『不良勇者』『男魔女』と罵り合いながらも離れる事はなかったという。

 しかし、如何に恩があろうと、大恩ある魔王の元を去ってまで勇者様に随行する理由には弱いような気がした。


「こればかりは愚僧の口からは云えぬて。どうしても知りたくば、クーアの心をお嬢ちゃんで占めれば良い。憎からず思っておるのぢゃろう? ん?」


 俄に私の頬が熱くなるのを感じた。

 確かに私はクーアさんを密かにお慕いしているけど、年齢が年齢だ。

 もっと云えば、クーアさんの見た目はどう頑張っても十歳前後、私が横にいるなど端から見れば犯罪以外の何物でもない。


「ま、色恋なんぞは当人達の問題ぢゃ。これ以上、愚僧がどうこう云えば罰が当たろう」


 なら、初めから云わないで欲しいですよ。


「ん? おお、いつの間にかこんな時刻か! 今から城下町に戻っては日が暮れよう。待っていなさい。馬車を呼んであげるよって」


 見れば、確かに窓からの光は紅いものとなっていた。

 大僧正様が部屋から出て行かれると、私は急に手持ち無沙汰になってしまう。


「しかし、クーアさんの心を私で占めるのと、彼が勇者様についた理由にどのような関係があるのだろう?」


「僕が何だって?」


「ふ? ふふふふふふふふふくくくくくくくくくくふくふくふくふく?」


 私の影からひょっこり顔を出したクーアさん、もとい副ギルド長のせいで、私の口から意味のある言葉を紡げなくなってしまった。


「ふふ、普段はクール&ビューティーで通している事務長がそこまで狼狽するなんてね。ちょっと驚き過ぎの気もするけどさ」


 私の醜態に副ギルド長は申し訳なさと可笑しさが同居した微笑みを見せた。

 いけない。先にも増して私の顔が熱を帯びてきている。

 ただ、この恥ずかしさがどういう種類のものなのかは自分でも分からなかった。


「ごめん、ごめん。笑ったりしちゃってさ。お詫びに最近、よく行くようになったお店で御夕飯を奢るよ」


 副ギルド長が私の手を取ると、更に私の顔はヒートアップしていった。


「あはは。事務長の顔、夕陽のせいで真っ赤っかだよ」


 何ともベタな助かり方をしたものである。


「じゃあ、しっかり掴まっていてね」


なんと今度は私の体まで影の中へと沈んでいくではないか。


「お嬢ちゃん。すまぬが馬車が来るまで時間がかかるそうぢゃ。ただ待つのも暇ぢゃろう。一緒に晩飯でも……ありゃ? どこへ行ったのかの?」


 完全に影の中へ沈みきる直前に大僧正様のこんな声が聞こえたような気がした。

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