第弍章 霧の中に潜みし敵

「おお、クーアよ。よう来た、よう来た。相変らずめんこいのぅ。小遣いやろうか?」


 好々爺の面相で副ギルド長の頭をわしわしと撫でる大僧正様に私は呆気に取られていた。

 今日、初めてお目文字したのだが、これほど気さくな方だとは思ってもみなかったのだ。

 お年を召してはいるが、肩幅が広くがっしりとしており、立ち振る舞いに隙を見出すことができない。

 しかし、顔だけを見れば、長い顎髭を撫でながら、ほふほふと笑っていらっしゃるので、そのギャップも私を戸惑わせている要因だ。

 聖都六華仙の一人として『水華仙』の称号を持ち、星神教のトップに君臨されていることから、厳しい方なのではと勝手に想像していた上に、今回の冒険者ギルドの失態から叱責を受けるのではと覚悟していた私は間抜け以外に云いようがない。


 と、ここで私達が教えを乞う星神教について簡単に説明したいと思う。

 星神教とは我らが聖都スチューデリアの国教であり、世界でも最大級の規模を誇る宗教の一つに数えられている。

 読んで字の如く、天空に輝く星の一つ一つが神であり、昼は太陽、夜には月と星々が我らの生活を見守って下さっているという考え方の宗教だ。

 信徒一人につき一つの星が守護神となって『宿命』を授け、我々はその『宿命』により夜の闇にも似た人生という名の試練を進んでいけるのだと、朝晩、神に祈りを捧げている。

 余談だが、神々は司っている『力』の性質によって、『獅子』『狼』『亀』『不死鳥』『虎』『龍』と六つのグループに分けられている。

 例えば私は『虎』の神々の一柱を守護神に戴いているが、『虎』の神々は『大地』と『豊穣』を司っており、その影響で地属性の魔法の資質を持っている。

 これを『宿星魔法』と云い、己の守護神が司る属性と同じ属性の魔法を遣えるようになるけど、一属性に特化しており他の属性が遣えないという欠点もある。

 少々話は逸れるが、副ギルド長は全ての属性の魔法を操れるけど、それは彼が森羅万象に宿る精霊の力を借りる『精霊魔法』の遣い手であるからだ。

 火属性の魔法が遣いたければ火の精霊、水属性ならば水の精霊と魔法ごとに異なる精霊と契約しなければいけないので手間がかかるものの汎用性が高い。

 また、中位、上位の魔法を遣いたければ、それなりの地位にいる精霊に認められて契約をしなければならない。つまり、才能のみならず、精霊からの試練によって知恵と勇気が試される事から、今では若手の『精霊魔法』の遣い手は減少傾向にある。

 対して『宿星魔法』は一点特化ではあるものの、本人の素質と努力次第では子供でも上位の魔法が遣えるようになるので、近頃では一属性一辺倒の魔法使いも珍しくないのだ。


 閑話休題。

 副ギルド長は大僧正様の手を払いのけると、溜息を一つ吐いた。


「はぁ……僕はもう食うに困らないだけの収入があるよ。むしろ僕達の方がお土産を渡さなきゃでしょ? はい、君の好きなパーラー・すちゅーでり屋の極上鶏卵プリン」


 風が吹き渡る爽やかな草原の如き鮮やかな緑色をした髪を、嵐が過ぎ去った叢へと変えられた副ギルド長は呆れた顔をしてお土産のプリンを大僧正様に手渡した。


「おお、おお! これがな、少ーしブランデーを垂らすとすこぶる旨くなるのぢゃ! 後に茶会を催すで共に食そうぞ!」


「こら、破戒僧! 何、ナチュラルに酒瓶を取り出してるのさ?」


 って、副ギルド長? 何、ナチュラルに大僧正様にタメ口を利いているんですか!

 焦る私を尻目にお二人は笑顔と呆れ顔を交互に入れ替えながら談笑されている。


「ところで、今回の神像奪回を失敗した件、あれは完全に冒険者ギルドの不手際だった。これこの通り、申し訳ない!」


 にこやかにお互いの近況報告をしていた中で、不意を突くように勢いよく頭を下げた副ギルド長に大僧正様は目を丸くされていた。

 しかし、それが突然の謝罪のせいなのか、虫の触角のような長い髪飾りが鞭の如くしなって大僧正様のご尊顔を襲ったせいなのか、怖くて訊けない。


「おいおい、相手の虚を衝いて主導権を握ろうとする昔の悪い癖が出ておるぞ。何か昔に立ち返るような出来事があったかのぅ?」


「やっぱり、君に隠し事は無理だよね」


 心配そうに顔を覗き込む蒼い瞳に、副ギルド長はバツが悪そうに頭を掻いた。


「最近、人を守る為に人一人殺したよ。相手は聖帝陛下お抱えの密偵だった」


 何ですか、それ?

 副ギルド長が何故、聖帝陛下と事を構えたのか。否、何故、人を殺めなくてはならなかったのかを問おうとする私を遮るように、何かを叩くような音が重なる。

 見れば険しい表情を浮かべた大僧正様がブランデーの瓶を机の上に乗せていた。


「話せ! 愚僧も僧籍に身を置く者の一人ぢゃ。懺悔の一つくらいは聞いて進ぜよう」


 大僧正様自らが懺悔を聞いて下さるなんて、信徒として羨ましい限りだ。

 しかし、副ギルド長は珍しく嫌そうな顔をして首を横に振る。


「忘れたのかい? 僕は星神教徒じゃないよ。それどころか、あらゆる宗教を、神を嫌悪しているんだよ、僕は」


 あまりにも不敬なことを云う副ギルド長に私の血の気が引いていく。

 けれど、大僧正様は気分を害された様子を見せずにグラスを取り出した。


「知っておるよ。お主が神そのものを恨んでいるのは百も承知ぢゃ。だがな、懺悔とは本来、神仏に己の罪を告発して赦しを乞うものではない。心の内に秘めた罪を吐き出して楽になる為のシステムぢゃよ。それを救われたと勘違いしておるだけの話よ」


 な、何か聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がする。

 大僧正様はグラスになみなみとブランデーを注ぐと副ギルド長の手に持たせた。


「呑め! 話さぬ内は謝罪を受け付けぬし、街へは帰さぬと左様に心得い!」


 副ギルド長はしばらくブランデーに映る自分の顔を睨んでいたが、大きく息を吐くと一気に煽った。









 全てを語り終えた副ギルド長に対して大僧正様はしばらく無言だった。

 無論、私も言葉が無い。

 まさか、聖都スチューデリアの頂点たる聖帝陛下がビェードニクル伯爵の領土を狙っていただなんて誰が想像出来ようか。

 確かにこれは自分の胸にしまっておくよりないだろう。

 未遂に終わったとはいえ、国家元首の陰謀を知ってしまい。それを阻止したギルド長と副ギルド長の心労が如何なるものなのか計り知れない。


「ふぅ……」


 今の溜息は誰のものだったのか。私か、副ギルド長か、大僧正様か、或いは三人ともだったのかも知れない。


「パテール……あの馬鹿者はいよいよ狂ったか? 若かりし頃は暗愚ながらも民の為に体を、命を張る立派な皇子ぢゃったがのぅ」


「まあ、美形だったし人からは愛されていたよね。それで何を勘違いしたのか、“世の中の女はみんな俺のもの”って巫山戯たことも云ってたけど」


 しばらくお二人とも暗く打ち沈んだ表情をされていたけど、ほぼ同時にグラスを空にして顔を上げた。


「そのうちパテールめには神罰が降ろう。それより気分はどうぢゃ?」


「最悪だよ。逆にあの密偵の顔が鮮明に頭の中に甦るし、パっつぁん……じゃなかった。陛下の悪口云ってたら、昔、妹を犯されかけた事まで思い出しちゃったじゃないか」


 聖帝陛下の過去の悪行までも聞かされて私の内心は穏やかではなかった。

 しかし、大僧正様はと云えば、身を乗り出してニヤリと笑っているではないか。


「あった。あったな、そんな事! あの時、妹殿を救出しに行ったクーアは怖かったぞ。パテールの奴、睾丸を片方引き抜かれて泣いて赦しを乞うておったからの」


「一応は皇族だからね。子孫を残せなくなったら一大事だって無意識のブレーキがかかっていたのかも知れないよ」


 見た目が可愛く、ほんわかとした雰囲気を持っている副ギルド長だけど、昔は皇族にすら容赦ない制裁を加える恐ろしい人だったようだ。

 それを思えば、サラを叱責していた時のあの迫力は、そんな情け無用の昔を思い出しかけていた影響もあったのだろうと推察できる。


「さて、僕はそろそろ行くよ」


 ふわりと浮かんだ副ギルド長に大僧正様は驚いたように顔を上げた。


「何ぢゃ? これから茶会を開こうと思っておったのに。それに久しぶりに会ったのぢゃ。夕飯くらい食っていけ」


「気持ちは嬉しいけどね。もたもたしていたらフォッグ&ミストなんて漫才のコンビ名みたいな白浪(しらなみ:泥棒の別称)の思惑通りになっちゃうよ」


「おい、まさかお前さんが自ら神像を取り戻そうと云うのか?」


 副ギルド長はそれには答えず、ニッコリと私に向けて嗤ったので、不意を突かれた私の心臓はドキリと跳ね上がった。


「そもそもフォッグとミストがBランクに指定されているのが可笑しな話だったのさ。もしもの話なんてしたくないけど、仮にBランクの冒険者が神像奪還に派遣されても失敗していた公算が高いよ。いや、Aランク持ちでも二人や三人じゃ歯が立たないさ」


 え? 何? 一瞬、私の頭は何を云われたのか理解が追いつかなかった。


「フォッグとミストは盗賊ギルド・窃盗部門を統括する超一流の大泥棒だよ。僕もまさかそんな超大物が自ら動くとは思ってなかったし、怪盗フォッグ&ミスト関連の書類はノータッチだったから気付くのが遅れてしまったんだよ」


 盗賊ギルドとは世界各地に跋扈する盗賊達が結集し相互扶助を目的として作られた組織のことで、我々冒険者ギルドとは古くから対立している。

 犯罪者の集まりながら一丁前に様々な部門に分かれており、先程、副ギルド長が前述した窃盗を専門とする部門、詐欺師の部門、標的となる大店や貴族の屋敷などの調査を受け持つ部門、殺し屋を周旋する暗殺部門なんてものまで存在するのだ。


「そなたはフォッグ達のことを知っておったのか?」


「直接の面識は無いよ。けど、組織同士が長年対立してようと僕個人には付き合いのある気の置けない盗賊の友人もいるからね。そこから噂程度に聞いたことがあるってだけさ」


 だからね、と副ギルド長は手が隠れるほど長い袖の先から右手を出して、ご自分と私を交互に指差した。


「今回の一件は冒険者ギルドの完全な手落ちだって云ったのさ。なら、組織の幹部として責任を取らなくちゃなんだよ」


 副ギルド長の黒光りする無骨な手が私の頭の上に乗せられた。

 無骨と云っても筋骨隆々というのではない。普段は長い袖の中に隠されている副ギルド長の両腕には何故か蜈蚣の甲羅を思わせる意匠の手甲が嵌められている。

 趣味が悪いから外して欲しいと何度抗議したか覚えてないが、その度に苦笑と共に誤魔化されるのが常であった。


「僕はこれから情報を買いに行ってくるよ。居場所を変えている可能性は低いけど、念のためフォッグとミストの情報を出来る限り集めるのは悪くないからね」


「何故、逃げないと思うのですか?」


 すると副ギルド長は呆れたように顔を弛緩させて私の顔を見た。


「シャッテ? シャッテ=シュナイダー君? 状況分かってる? いつもの君だったらとっくに情報を纏めて策を練っているところだよ?」


 正直云って今の私の頭は使い物になっていない。

 次から次へと衝撃的な情報が流れてくるせいで脳が処理しきれていないのだ。

 副ギルド長の緑の瞳に間抜け面を晒す私の顔が映る。


「良いかい? 盗まれた神像は歴史的な価値はあるけど金銭的価値は無い」


「悪かったのぅ」


 大僧正様の憮然とした呟きに私は反応出来ずにいた。


「それでも下手な王宮より警備が厳重な大神殿から神像を盗んだ理由は、事件を表沙汰にしたくない星神教の思惑を想定して冒険者ギルドへ依頼がいくよう仕向ける為なんだよ」


 ここに至って漸く私の脳味噌がまともに働き出してくれた。


「怪盗フォッグ&ミストの名がここにきて重要になってくるのですね?」


「いかさま。盗賊ギルドの大幹部が自ら乗り出してきたんだ。彼らとしてはAランクの冒険者が討伐に来ると見越していただろうね。様々な窃盗事件で容易にアジトの割り出しを可能とした証拠をわざと残していったのもその一環だよ。ところが、やって来たのがあんな小物じゃフォッグ達も拍子抜けするやら情けないやらといった心持ちだったと思うよ」


 ああ、彼らの思惑は私達がBランクに指定してしまったのと、サラの独断でご破算になってしまった訳か。


「そこまでは良い。敵の本当の狙いが冒険者ギルドだというのも得心がいった」


 大僧正様は今回の事件で最も不可解な部分に触れられた。


「ぢゃが、それで奴らに何のメリットがある? Aランクの冒険者を片っ端から返り討ちにすることか? 違うぢゃろうなぁ。星神教か冒険者ギルドの権威を貶める為か? それも違うな。高ランクだろうと冒険者をちまちま倒したぐらいで屋台骨が揺らぐ我らではない。丸っきり動機が読めんのぢゃよ」


「けど、それを繰り返せば冒険者ギルドも星神教も本腰を入れるようになるだろうねぇ。事件が大袈裟になってくれば神殿騎士も動かざるを得ないだろうし、そうなれば軍隊は大袈裟としても警備兵の介入くらいは考えられるよ。何せ国教の総本山から神像を盗まれたんだから聖帝陛下としても心穏やかじゃ済まないだろうさ」


 そこまで聞いて、私の脳裏にある考えが浮かんだが、流石に有り得ないし、畏れ多いことなので口にするのも憚られた。


「そう、盗賊ギルドの真の狙いはこの国に住む人々の関心を神像争奪戦へ向け、尚且つスチューデリア城の警備を手薄にすることにあるんだろうね。ここの警備を抜くような恐るべき盗賊集団だ。隙間のできた宮殿に忍び込むなんて朝飯前なんじゃないかな?」


 私の考えを読んだかのように話を続ける副ギルド長に私は戦慄させられた。


「流石に目的が聖帝陛下の暗殺ではないと僕も思うけどね。そんなことをすれば、如何に屈強な盗賊達だろうと軍隊によって殲滅させられるって分かっているだろうさ」


 もし、本当に盗賊ギルドの目的が王宮であるとするならば、確かに一刻の猶予もならない。副ギルド長が自ら早期解決を図るのも当然の事と云える。


「それにしても神像は良かったなぁ。権威はあっても価値は無し。国が取り戻そうにも神像一つに軍隊を動かしたら逆に恥となるから派遣するにしても警備兵止まり。しかも聖帝陛下の耳に入る段階になるって事は、冒険者ギルドが一敗地に塗れている状況になっているはずだから、僕達を出し抜けると嬉々として兵を差し向けてくるだろうね」


 そう云えば、副ギルド長達は聖帝陛下の陰謀を一つ叩き潰しているのだった。

 ならばギルド長ですら梃摺る盗賊から、自分の手で神像を取り戻してあの一件の溜飲を下げようと考えても可笑しくはない。


「じゃ、そういう訳で、僕はそろそろ行くよ。マトゥーザも今度はゆっくり寄るから、その時は御夕飯よろしくね」


 そう云うや、副ギルド長は自らの影に沈み込むように消えていった。

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