事務長の場合

第壱章 クエスト失敗しました

「戯けええええええぇぇぇぇいっ!!」


 副ギルド長室から聞こえてきた怒鳴り声に思わず仕事の手を止めてしまった。

 否、私だけではない。ギルドの事務員も皆、手が止まっており、仕事を探したり各手続きをしていたりする冒険者達も何事かと顔を見合わせている。


「事務長? 今の声って副ギルド長でしたよね? あの人がここに来てから五年は経ちますけど、あんな怒鳴り声を出したのって初めてじゃないですか?」


 確かに普段はのほほんと女の子みたいな可愛い笑顔を振りまいている副ギルド長だけど、あの人は皆が思っているほど軟弱ではない。

 気弱なようで芯はしっかりしているし、仕事ぶりも十年以上事務員を務めている私ですら舌を巻くほどの事務処理能力を持っている。

 以前、ギルド長から聞いた話によると、副ギルド長はある事件を切っ掛けに怒りをなるべく抑えるようにしているらしい。それ故か、ギルド員がミスをしても表情を引き締めて注意をするだけで、怒鳴るということは極力しないように気を使っているのだそうだ。

 だからと云う訳でもないだろうけど、副ギルド長のことを嘗めてかかるギルド員も少なくはない。

 丁度、現在副ギルド長室に呼び出しを受けているサラ=エモツィオンのように……


「おーおー、凄ェ迫力だな。普段、怒らない奴がいざ怒鳴るとなると気が引き締まるだろ?」


 副ギルド室から聞こえてくる怒号に、ギルド長もご自分の執務室から出てこられたようだ。


「ま、そういう効果も期待してクーア君を副ギルド長に任命したンだけどよ」


 ギルド員からお茶を受け取ったギルド長は、楽しそうに笑いながらお茶を啜る。


「ここにいる事務員もついでに冒険者共もよーく覚えておけよ? クーア君は決して温厚でもヘタレでもねぇ。無用な軋轢を避ける為に大人の対応をしているだけであって、本来のクーア君はかなり気性が激しいンだぜ。あンまり嘗めてっと、魂抜かれてヒキガエルと入れ替えられるなンてありえるからな?」


 そんな魔女じゃあるまいし……

 顔を引きつらせている私達を余所にギルド長は副ギルド長室の扉を親指で指した。


「で、サラは何をやらかした? クーア君があれだけ頭に来てンだから相当だぞ?」


「どうやらBランクに相当する依頼が失敗に終わったそうなのですが……」


 私の説明にギルド長は眉をひそめて副ギルド長室へ目を向けた。


「それが何でサラが説教を受ける羽目になるンだよ? いや、失敗にも色々ある。何があったンだ?」


 そもそも依頼というのが、我らが聖都スチューデリアの国教たる星神教の大神殿から歴史のある貴重な神像が盗まれたことに端を発する。

 しかも神像を盗んだ賊というのが厄介で、昨今、巷を騒がせている怪盗フォッグ&ミストと名乗る二人組の腕利きであるという。

 大神殿におわす大僧正様直々に持ち込まれた依頼の内容は、事を大きくして信徒の不安を煽るわけにもいなかい。内密に神殿騎士を派遣して神像を奪還する事は不可能である為、有能にして勇敢なる冒険者達の手で早期解決をお願いしたい、というものだった。

 そこで冒険者ギルドはフォッグ&ミストが過去に行ってきた犯罪を総浚いしてデータを作成し、ただの一度も人を殺したり女性を犯したりした事がない事実から本件をBランクの依頼として募集をかけたという経緯があった。


「ギルドで募集した時点でもう秘密もクソもねぇだろ」


 ごもっともです。

 それでも守秘義務が生じる依頼であったし、神殿騎士が大っぴらに捜索をするよりは一般の方々に神像盗難を悟られずに済むのもまた事実でして。


「で、奪還に失敗したンか。けどよ? それが何でクーア君がぶちギレる原因になるンだよ? そりゃあ、大僧正の爺さん直々のご依頼だ。冒険者ギルドの威信にかけてもって気合が入ろうってモンだ。だが、そンな怒りを買う程の失敗たぁ思えねぇけどなァ」


 勿論、冒険者がいくら有能でも結局は人間である。失敗も少なくないだろう。

 しかし、依頼を持ち込む側も失敗のリスクを負うことを盛り込んでギルドと契約を交わしている。依頼のランクが高くなれは、それに見合うだけの報酬とリスクが生じるのは当然であろう。

 だからこそ、依頼人は依頼料の半分を契約料代わりにギルドに納め、残りの半金を依頼成功の時に冒険者へ支払うというシステムになっているのだ。

 つまり、今回のように怪盗から神像を奪い返すという依頼が失敗に終わったとしても、冒険者ギルドはたとえ星神教のトップである大僧正様といえども非難される事はない。

 もっとも当然のことながら、今後の依頼人からの信用に関わるので失敗をしないに越したことはないのは云うまでもないだろう。

 ギルド長と二人で訝しんでいると、不意に副ギルド長室の扉が開いた。


「兎に角、先方には僕が謝っておくから、サラちゃ……おっと、サラ=エモツィオンは家に帰りなさい。今日の夕方にも、一週間の謹慎を云い渡す通達が届くよう手配するから従うように……分かったね?」


「はい……」


 やや憔悴している様子だけど、変に逆らう素振りも見せずにサラは机の上を整理して、そのまま誰とも挨拶することなく帰宅の途に就いた。

 私とギルド長のそばを通る時でさえ無言のままだ。

 目上に対する行為ではないが私もギルド長もなんとなく声をかけづらく小さな背中をただ見送った。

 それにしても驚いた。

 いつも笑顔を振りまいて、冒険者のみならず我々ギルド員にも癒しを提供してくれる副ギルド長があそこまで険しい表情を見せるなんて想像すらしたことがなかった。

 確かにギルド長のおっしゃるように、気が引き締まる思いだ。

 思わず副ギルド長の顔を見詰めていると、視線に気付いたのか副ギルド長の表情がいつも見せている、ほにゃっとした苦笑いに変わる。


「あ、恥ずかしいところを見せちゃいましたね、ギルド長。事務長も驚いたでしょ?」


「え、ええ、正直に云わせて頂ければ、らしくないかと……」


 すると副ギルド長は困った様子で頬を指で掻いた。


「らしくないか……でも、さっきの怒った僕も本物の僕だよ。本当は僕だって怒りたくないけど、叱る時は叱らないと相手の為にならないからね」


 確かに一理ある。

 それに今回の一件で、副ギルド長に嘗めた態度を取っていたギルド員もこれで副ギルド長の認識を改めたことだろう。


「しっかし、一週間の謹慎たぁ穏やかじゃねぇな? 一体全体どうしたってンだ?」


 ギルド長の疑問ももっともだ。

 いくら大僧正様からのご依頼だからといってこれだけの罰を与えるなんて、それこそ副ギルド長らしくもない。

 するとふわふわと宙にあった副ギルド長の体が床に接して、彼の表情が再び厳しいものとなった。


「本件において、サラ=エモツィオンはBランクに指定されていた依頼をCランクの冒険者二名に独断で許可を出し、結果、二人の冒険者はフォッグとミストの両名に返り討ちに遭ったとの事です」


 これは副ギルド長が怒るのも無理はない。

 事情を知っていれば私も一緒になってサラを叱責していただろう。

 冒険者と依頼のランクの差が成功率を落とすという事もあるが、下手をすれば冒険者の命にも関わってくるからだ。


「幸い、フォッグらは人殺しを好まない性分のようで、二人は装備を取り上げられ全裸にされたものの体には傷一つ無く、抱き合うように縛られてご丁寧に大神殿の前に転がされていたということです」


 つまり敵は、返り討ちにした冒険者達が大僧正様のご依頼によって派遣されたのだと既に察しているというわけか。


「依頼内容と冒険者のランクの差があったので尋問したところ、例の冒険者ですが近頃ではCランクの依頼では物足りなくなってきていた上に、新しい装備を買うお金を手っ取り早く稼ごうと報酬の額を見て、更にフォッグらが殺人を好まない事から彼らを侮り依頼の落札を申請……本来なら突っぱねるか、上に判断を仰ぐべきであったサラ=エモツィオンは件の二人とは同郷の幼友達であり実力を高く評価していた事から独断で申請を受理、依頼遂行の許可を与えたというのが顛末です」


 今回の罰は甘過ぎると思ったけど今のギルドは人手不足なので、と話を締めた副ギルド長に私は思わず唸ってしまっていた。

 状況が分かれば、一週間の謹慎は確かに甘い。甘いが冒険者ギルドの職員数を鑑みればその辺りが落としどころであったのだろう。


「他に減俸も考えたのですが、彼女の御両親は既に亡くなっており、養うべき病弱の弟さんがいるのでそれは取り止めました。薬代を稼げなくなり、思い余って犯罪に手を出されてはそれこそ冒険者ギルドの不名誉となりますのでね」


「いや、英断だな。処分としては甘ェが、普段から嘗めきっていた相手にこっぴどく叱られたンだ。今頃ァテメェの仕出かした事の重大さが骨身に染みてるだろうよ」


 ギルド長の言葉に副ギルド長は再びふわふわと宙に浮かび上がると、私達と目線を合わせて微笑んだ。


「注意すべきところは僕の方からキツくお説教しておきましたので、お二人はサラちゃんを叱らないであげて下さいね。この上、ギルド長と事務長からお小言を云われてしまっては彼女が追い詰められてしまいますから」


 やはり基本的に副ギルド長は優しい人なのだと再認識できた瞬間だった。

 いや、人の上に立つべき人と云うべきか。

 普段は優しく部下に接していても、いざとなれば恨まれてでも云うべき事ははっきりと云う。部下に嫌われたくない一心で部下となあなあの関係になる上司よりは理想的な上司であろう。


「それと例の二人組ですが……まあ、若い女の子だからなんでしょうね。口を開けば、大勢の目がある中で裸にされて恥ずかしかっただの、お嫁に行けないだの、ばかりで反省の色が見えませんでしたが、フォッグとミストの容姿、戦闘能力の程度、仲間の有無など有益な情報をもたらしたので、今回に限り除名処分は避け、Dランクへの降格及び向後の依頼十件は依頼達成数にカウントしないという罰で済ませました」


 一見厳しいようだが今後、自力でCランクに返り咲き、更に上も目指せる土壌を残してあげているところが副ギルド長らしい。


「という訳ですから、午後から大神殿へ出張に行ってきますので、後の事は宜しくお願いしますね」


「おう、今日の分の書類は全部こっちでやっとくから心配しねぇで行ってこい。大僧正の爺さんにヨロシク云っといてくれ」


 了解です、と手を振って出掛ける準備を始める副ギルド長に声をかけた。


「私も同行させて下さい。サラは私の直属の部下です。本来であればサラをきちんと教育できていなかった私も罰を受けるはずでした。それに只でさえ副ギルド長には憎まれ役をさせてしまった訳ですから、少しはお手伝いをさせて下さい」


 私の言葉に副ギルド長は苦笑とも微笑みとも取れる微妙な笑顔を見せた。


「義理堅いなぁ。でも、確かに責任者が二人も顔を見せればマトゥーザ……いやさ大僧正の心証も少しは良くなるかも知れないね。じゃあ、僕は馬車の手配をするから事務長は中央通りにある甘味屋、パーラー・すちゅーでり屋に行って名物の極上鶏卵プリンを取りに行ってきて。大僧正はコレに目が無くてさ。人気商品だけど、予約してあるし、もうお金も払ってあるから僕の名前を出せば貰えるはずだよ」


 こういうところにそつが無いのだから恐れ入る。

 お詫びに行く前にちゃんと大僧正様の好物をリサーチしているのも流石だ。

 私はプリンの引換券を受け取ると、中央通りへ向かうのだった。

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