第11話 妃菜と俺の件について
すっかり遅くなったな。予定外のこと(
俺はケーキ屋によって、チーズケーキとチョコレートケーキを買った。(最初の日にチョコレートケーキを作っていたのは、何も媚薬の効果目当てだけでなく、普通に妃菜が好きだかららしい。あと、チーズ系も好きだ)
後は何て言うかだが、と考えていると、俺の目に一つの店が入ってきた。そう言えば、妃菜って・・・・・・
「ただいま」
俺は玄関の扉を開けていつものように挨拶した。どうせいつものように玄関先で座ってるんだろうな、と思っていたが今日はいつもと違った。
「
俺が玄関に入り終わるか否かのタイミングで妃菜が抱きついてきた。今までになく力強く、それでいて優しい抱擁だ。
「おい、離れろ」
いきなりすぎて動揺してしまった。そんな中でもケーキが崩れないように気をつけていたのは父親の影響なのか?
「嫌です! 心配したんですから!」
俺に顔をこすりつけながら妃菜が涙ぐんだ声を出した。そんな反応されたら、俺が罪悪感感じてしまうのはお前だって知ってるだろ。
「心配することないだろ。どうせ盗聴でも何でもしてたんだろ」
こんな発言を普通にするなど俺も狂っているが、本当に狂っているのは妃菜の行動だ。どうして、盗聴なんかするんだ。
「いくら盗聴しても、街路カメラにハッキングをかけて先輩を見ていても安心できませんよ!」
妃菜はまだ俺の方を見ようとしない。その悲惨そうな声と服の上から伝わってくる湿り気だけが妃菜の気持ちを伝えていた。
って、おいおい。盗聴は知っていたが、お前はクラッカーなのか? 俺って犯罪の共犯で逮捕されるんじゃないのか?
俺がそんなこと(で済まされる話ではないが)を考えている間も、妃菜は真剣だった。
「だって、人っていつ死んでもおかしくないんですよ。事故なんて思わぬときに起きるんですから!」
雛のこの言葉は俺に重くのしかかった。一度生死の境目に立たされた妃菜のこの言葉は、誰が言うよりも説得力があり、心に響いてきた。
「私が見てるときに、先輩が、先輩が・・・・・・」
それ以上は妃菜の口から声が出なかったようだ。ただ嗚咽だけが玄関に響いていた。
その音は俺に罪悪感といたたまれなさを与え、妃菜の様子は俺に愛おしさを与えた。そして何よりも俺は感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
自分が助けた人が、これほど自分のことを想ってくれて、これほど命の尊さを感じてくれている。それほどまでにあの出来事が心に残っているのは、人生で最大と言っても過言ではないほどの恐怖だろう。
話を聞いた限りあの事故の後に妃菜の支えになってくれた人はほとんどいなかったようだ。それは家を飛び出してきたお前が悪い、と言えば簡単な話なのかもしれない。
でも、それは正しくない。たとえ家を出たのが妃菜のわがままだったとしても、それは妃菜の決断だ。人の決断を善し悪しは他人にはわからない。もしかしたら出ていなかった方がもっと悪いことになっていたかもしれない。
もちろん、その方がよかったかもしれない。俺が言いたいのはそんなタラレバではない。
その人がその人であることの責任や権利はその人自信にあるのだから、それを他人が妨害することはできない。アドバイスをすることは許されるが、批判することは許されない。
自分で向き合って、妃菜は今ここにいる。俺も妃菜の暴走を止めようとすることはあるが、それは後回しにもできることだけだ。人生に関わるような重大なことではないものだけだ。
今しなければならない重要なことを俺がとやかく言うつもりはない。重要なことは自分で決める。妃菜がここで暮らすというのは非常に大きなことだったに違いない。だからこそ俺は雛を追い出すことはしない。
俺は右手で妃菜の頭をなでた。
「怖かったな。よく頑張った」
「うわー」
俺のその言葉で安心したのか、妃菜はより強く俺に顔を押し付けた。服の湿り気が強まったのは言うまでもないだろう。
どれだけの時間が経ったのか。おそらく十分くらいは経ったと思う。
そこでようやく妃菜が俺の服から顔を離した。ずいぶん前に涙は止んでいたようだが顔を離そうとしなかったのだ。
「すみません。ケーキがあったのに」
「気にするな」
こんなときにまで自分のことは気にしないんだな。
「もう大丈夫か?」
「はい、すみません。少し取り乱しました」
「だから気にするなって。泣きたいときは泣くのが一番だ」
「じゃあ、先輩が泣きたいときは私を呼んでくださいね。いつでも胸を貸しますよ」
「意味が違うだろ」
いつもの元気そうな声ではない。明らかに取り繕って出した言葉だが、それでも妃菜の今の精神状態を推し量るのには十分な台詞だった。
一応言っておくとさっきの俺の台詞は呆れていったのではなく、安心して出てきた言葉だった。
俺たちは、俺が前、妃菜が後ろの状態でリビングに向かう廊下を歩いていた。
「妃菜はチーズとチョコどっちの方がいい?」
「分けませんか?」
「ふっ、意外と欲張りなんだな」
「だめですか?」
妃菜が気まずくならないように今日は俺が話題を振っていた。後ろにいるので見ることはできないが後ろで妃菜がほおを膨らませているのが想像できる。
俺たちがリビングにつくと、妃菜にケーキの入った白い箱を渡した。
「紅茶とコーヒーどっちにしますか?」
「コーヒーかな」
どうでもいいかもしれないが二人ともコーヒー派だ。(しかもカフェイン中毒かというくらい飲む)
妃菜が後ろを向いたときに俺はケーキの他に買ってきたものを思い出した。
「そうだ、妃菜」
「はい?」
これ以上何がありますか? というような声が聞こえた。
「いつものお礼だ。受け取ってくれ」
「これって」
俺の方に振り向いた妃菜に買ってきたハンドクリームを送る。
「好みとかあるのかもしれないから、邪魔かもしれないけど」
「いいえ、そんなことはないですけど・・・・・・でもいきなりどうしたんですか?」
不思議そうな目が俺を見据えてくる。
「今朝、手が荒れてるって話したからな」
「でも、これって高いやつじゃないですか?」
「いつも世話になってるんだ。それを考えたら安すぎるくらいだな」
これは俺の本音だ。妃菜を元気にするためでも、遅くなったお詫びでもない。
「いつもありがとな」
「せ、んぱ、い・・・・・・」
また泣きそうな雰囲気になった。ケーキを冷蔵庫に入れてからの方がよかったか?
「今すぐ脱いできますね!」
「結局そうなるんだよな」
最後の最後でこれだ。完全復活なのか?
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