第8話 妃菜と鈴花と俺の件について③
バスの中と家に帰る道中何もなかったと言えば嘘になるが、いがみ合うことはなかった。俺が気づいたのは二人(と言っても
家に着くと俺は妃菜に頼んでコーヒーを淹れてもらうことにした。妃菜に頼んだのは、俺が怠惰だからということではなく、俺が淹れている間に妃菜と
かと言って、妃菜がいない間に俺と鈴花の会話が弾むということはなかった。L字型のソファーの一辺ずつに俺たちは腰掛け、鈴花はソファーに座って恐縮してしまったので俺も話しかけようにも話しかけられない状態になっていた。
「ゴールデンウィークは他のどこか行くのか?」
だが、招いた方が客人に窮屈な思いをさせるのは好ましくない。なので当たり障りのなさそうな話題を振ってみた。
「えっと、家族と映画に行くくらいかな」
「へー、鈴花は家族と仲いいんだな」
「そんなことないよ」
別に褒めてもいないのだが、鈴花は照れたような反応をした。
「
「俺? 俺は特に考えてないな。今日も妃菜が言い出したことだから」
「そ、そうなんだ」
俺がしまった、と思ったときにはもう遅かった。鈴鹿の顔はすでにうつむき加減で自分の膝を見ていた。妃菜の名前を出すんじゃなかった。
俺も二人に気を遣いすぎてそろそろ精神が崩壊しそうだった。この後またあのいがみ合いが始まると思うと心が病んでしまいそうだ。
「お待たせしました」
俺たちの会話が途絶えたタイミングで(もしかして見計らっていたか? って言うのは考えすぎだよな)妃菜が三人分のコップを持ってきた。
「鈴花、砂糖かフレッシュはいるか?」
「あ、大丈夫。ありがとう」
鈴花がコーヒーを受け取る。砂糖とフレッシュは持ってくる前に聞いておくべきだったな、と少し反省してしまった。
「妃菜も座れ」
「はい」
俺が妃菜に座るように促すと、妃菜はさも当然のように俺の横に座った。
いつものことと言えばいつものことだし、鈴鹿と話すならば真横よりもこちらの方がいいのかもしれないが、本心を言うともう少し離れてほしい。だが、それを言うとさらに近づかれそうな気がする(実際に体験している)のでそのまま放っておくことにした。
これから何を話そうかと考えていると、妃菜が口火を切った。それもいつも通りぶしつけな爆弾発言を言った。
「それで、阿婆擦れさんは亮祐先輩のことをどう思っているんですか?」
「コホコホコホ」
「鈴花、大丈夫か?」
丁度コーヒーを飲んでいた鈴花がむせかえってしまった。俺は慌ててテーブルに置いてあったティッシュを取って、鈴花に渡した。
「あ、ありがとう」
鈴花は目に涙を浮かべながらそのティッシュを受け取った。話せるなら大丈夫そうだな。
にしても・・・・・・
「妃菜、いい加減『阿婆擦れ』とか『ビッチ』はやめないか?」
俺は妃菜の方を向きながら言った。
鈴花がむせてしまったのは妃菜が急に『阿婆擦れ』と言ったからだろう。だからというだけではない。モールの中でも、教室でもこれから先色々なところでこのワードを出すのは少々きまりが悪い。
「じゃあ、何て呼べばいいんですか?」
少し逆ギレ気味に反抗された。妃菜が俺に反抗するのは珍しいことなので少し驚いたが、それ以上になぜ逆ギレされるのかということの方が驚きだった。
「『
「『阿婆擦れ先輩』は?」
「だからそれをやめろって言ってるだろ」
もしかして妃菜には日本語が通じないのか? さっきまで日本語で話してたよな? じゃあ、俺の説明能力が低いのか?
俺は鈴花の方を向いた。すでに咳は治まっていて、普通に呼吸もできていた。
「鈴花は何て呼ばれたいんだ?」
「え?」
体をびくつかせて俺の方に目を向けた。何のこと? といいたげな目をしていたので、もしかしたら俺たちの会話を聞いていなかったのかもしれない。
「妃菜に何て呼ばれたい?」
「な、何でもいいよ」
「うーん、じゃあ『鈴花先輩』でいいか?」
「うん。大丈夫だよ」
「ということで、妃菜、呼び方を変えろよ」
「・・・・・・はい」
どうして不服そうなんだ! と突っ込もうかと思ったが、それも面倒くさいので俺は妃菜の反応をながした。ちなみになぜ『堀北先輩』にしなかったかと言うと、なんとなく名前の方が近しい気がしたからという子供じみた理由を持ったからだ。
「それで、鈴花の方は妃菜のことを何て呼ぶ?」
「『
「お前は少し黙ってくれ」
唐突な戸籍の偽造に驚くこともなくただただ呆れた。誰が『嘉神妃菜』だ。妃菜が兄妹だったことも、ましてや婚姻関係を持ったこともない。
「私は何でもいいよ」
「じゃあ、『妃菜』でいいんじゃないか?」
「呼び捨てはちょっと」
「そっか。それじゃ『妃菜ちゃん』とか『妃菜さん』とかにすればいいんじゃないか?」
「妃菜ちゃん! 先輩、今度から『妃菜ちゃん』って呼んでください!」
「だから黙ってくれ」
どうやら妃菜的には『妃菜ちゃん』の方が特別感を感じるらしい。それが、俺が人のことを呼び捨てにする(エミリーは少し違うが)からか、それとも女子全体的になのかは俺は知らない。
「えーっと、じゃあ『妃菜さん』にしようかな」
鈴花が遠慮がちに言った。そんなに遠慮がちにされると、俺と妃菜がいい雰囲気を出してたみたいで気まずいんだが・・・・・・
何はともあれ呼び方が決まったってことは一歩前進だよな。これだけで疲れたが、他にも親睦を深めておかないと色々とまずいだろう。あとは・・・・・・
「っで、鈴花先輩は亮祐先輩のことをどう思ってるんですか?」
俺が何を話そうかと考えているときに、妃菜が終わったと思っていた話題を出してきた。
「えっと・・・・・・」
鈴花がタジタジになってしまう。いきなり意味のわからないことを言われたらそうなるのも無理はない。
「妃菜、俺と鈴花はただの友達だ」
「先輩は少し黙っていてください」
俺は今度こそ驚いた。妃菜が真剣な目で俺を止めたのだ。こんなことは今までなかったと思う。良くも悪くも妃菜は素直で、自分に忠実な人となりだ。
だが、そんな妃菜が俺に反抗したということはそれなりの理由があるのだろう。それなら黙ってみた方がいいかもしれない。
「鈴花先輩、私は亮祐先輩のことが大好きです」
俺がこれ以上何も言わないと思ったのか、妃菜が話し出した。
「いえ、私は亮祐先輩のことを愛しています」
言い直す必要はなかったと思うぞ。
「私は先輩のためなら子宮以外の臓器なら売ることもできます」
お前やばいのベクトルがずれてないか? 今までも相当やばかったが、何と言うか狂気じみてるぞ。
「そのくらい私は先輩のことが好きです。先輩と付き合いたいです。でも、それが叶わなくても、先輩といられるだけで私の心は満たされます。鈴花先輩はどうですか? 亮祐先輩といてどう思いますか?」
妃菜の目が鈴花をまっすぐにとらえているように見える。俺としてはなぜそんなことを聞いているのか全くわからなかったが、鈴花の方は何やら考えるようにうつむいている。
誰も話さない静寂の時間がリビングに漂った。どれだけの時間が経ったのだろう。実際には一分にも満たない時間だったに違いないが、俺にとっては数十分に感じた。
そこでようやく鈴花が顔を上げた。その表情は俺を見ていた妃菜に負けず劣らず真剣だった。
「私は亮祐君といられて楽しい。楽しくてしょうがない」
鈴鹿の声に憂いの色は感じられなかった。
「どんなに楽しいかは言葉では言い表せないけど、とにかく楽しい。心が躍るって感覚がわかる気がする」
と言った鈴花の目が俺に向けられた。飾り気のない笑顔が俺に向けられる。何かそんなに感謝されることをした覚えはないが、とりあえず手を挙げて鈴花に応えた。
俺も知らない間に色んなことをしてるんだな。って思っても、本当に心当たりがないんだよな。鈴花と会うと言えば部活のときで、しかもただただ話すだけだ。
考えてもわからない。なら、今日のところは鈴花の感謝をありがたく受け取っておこう。それに妃菜もありがとな。
「ふっ、それなら私たちは仲良くできそうですね」
「う、うん」
何があったか見当もつかないが、妃菜が手を差し出して、鈴花がそれに応えて二人で握手をしている。俺もこの場にいるのに、俺の知らない間に二人におかしな? 友情が生まれている。
えっ、急すぎないか? どっかのアニメの殴り合った後に友情が芽生えてるシーンみたいに急すぎないか? 女子ってそういうものなのか?
「と言うことで先輩。色々と解決しました」
「おっ、おぉ」
そうなのか? ならいいんだが。
「じゃあ、私はこれで帰るね。妃菜さん、コーヒーありがとう」
「大丈夫です。お気をつけて」
本当に仲がよくなったようだ。何はともあれこれで今日の目標達成だな。意外とすんなりいって拍子抜け感が強い。
「それじゃ、鈴花、家まで送るよ」
「うん、ありがとう・・・・・・って、えっ!」
「先輩、それは早すぎると思います!」
「何がだ?」
変える雰囲気だったろ? もしかしてタイミング早かったか?
「い、いや、その、迷惑じゃない?」
「全然。来てもらってるのは俺の方だし」
「で、でも・・・・・・」
「遠慮するなって」
「じゃあ、お願いします」
鈴花が縮こまり、妃菜がほおを膨らませるというなんともよくわからない状況になってしまった。二人のことはよくわからんな。
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