第6話 妃菜と話し合おうとする件について⑤

「先輩、落ち着きましたか?」

「なんとかな」


 俺が狼狽ろうばいしていた原因が自分と知ってか、知らずかはわからないが(おそらく知らない)、心配した様子で妃菜ひなが聞いてきた。


「それで、話したいことってなんですか?」

 俺が終始、話そう、と言っていたので妃菜も俺が話しがあることを察していたのだろう。言っておくが、結婚しようとかではないぞ。だからその期待に満ちた顔をやめろ。


「妃菜は本当にここに住む気なのか?」

「はい。他に家はないので」

 なんとなく予想はしていたが、やはりもとの家(実家ではなく、一人暮らしをしていた家)は売り払っていたか。


 だが、「家はない」が理由ではないだろう。それは副次的なもので、本当は・・・・・・やめておこう。俺が言うのはなんだか恥ずかしい。


「だから、ルールを決めようと思う」

「ルールですか?」

 首をひねりながらオウム返しのように俺の言葉を繰り返した。意味がわからないのではなく、意図がわからないのだろう。


「そうだ。二人で住むならプライバシーとかもあるだろうから、色々と決めておいた方がいいだろう」

「なるほど。一日に何回するかを決めておかないと、お互いに欲望のままにしてたら疲れちゃうってことですね」

「日本語わかるか?」


 こいつの言語機能は一体どうなってるんだ? どこをどう切り取ったらこんな解釈ができるんだ? それとも俺が決定的に説明する力が足りないのか? それはそれで俺の能力がある意味すごすぎだろ。


「普通に日常生活のルールだ」

「私と先輩の間では、ヤルのも日常生活の範囲に入ると思うんですが?」

「わかった。出て行け。二度と来るな」

「わー、ごめんなさい! ごめんなさい! 怒った先輩もかっこいいのでもう少し見ていたいですが、いったん落ち着いてください」


 俺が扉の方を指しながら家を出るように言うと、妃菜は手をバタバタとさせながら謝った。俺がそれ以上何も言わなかったのは、妃菜の誠意を感じ取ったから、ではなく単にその合間に聞こえた台詞に呆れたからだ。


「はぁ、とりあえず本題にいくぞ」

 前振りを多くしたところで妃菜が爆弾をばらまく機会が増えるだけなので、すぐに本題に行くように話を進めた。


 妃菜もさすがに話が飲み込めたようだ。

「私が家事の全般をやります。掃除、洗濯、料理、その他諸々もろもろ家のことは私がやります」

 さも当然のように自分の仕事を決めた。


 俺としてはとても助かる。だが、俺の家なのにそんなにやってもらうのは少し違うような気がする。妃菜と俺はあくまで?)だ。決して旦那と妻ではない。


「いや、俺も何か手伝うよ」

「いいですよ。私は趣味みたいなものですから」

 満面の笑みでそう言われると俺も何も言えなくなってしまう。


 そんなに甘えていいのだろうか? いいわけがない気がする。妃菜が見てない間に手伝えることは手伝っておこう。一人に任せるのはかわいそうだ。


「話し合いはこれで終わりですか?」

「いいや、まだある」

 妃菜が焦っているように思えるのは俺だけか? 心なしか妃菜の顔も火照っているように見える。


「とりあえず、お互いの部屋に入るのはなしにしないか」

「それはできません!!!!」

 校庭の端から端に呼びかけるような大声が飛び出してきた。反射的に耳を塞いだが、それでも耳の奥がじんじんする。


「・・・・・・どうしてだ?」

「だって、入らなかったら先輩とできない・・・・・・じゃないや、掃除ができないじゃないですか!」

「今、言い直したよな」

「何がですか?」

「いや、なんでもない・・・・・・」


 完全に本心が出ていたが、それが嫌だから俺はお前を部屋に入れたくないんだ。ついでに言うと、俺もお前の部屋に入りたくはない。


「じゃあ、リビングでするんですか? ソファーはちょっと狭い気がします!」

 すでに本心を隠し切れてない・・・・・・はつらつとそんな阿呆なことを言わなくてもいいだろ。もう呆れるを通り越してすがすがしい。


「先輩のアイデアは飲み込めません!」

「じゃあ、どうすればいい?」

「部屋には入り放題で、寝込みも襲い放題」

「拒否する」


 何だその食べ放題、飲み放題みたいな提案は。一万歩譲って入り放題は考えてもいいが、寝込みを襲い放題はただの阿呆だろ。


「だったらせめて寝込みを襲い放題だけでも」

 手をぴったりと合わせてお願いしてきた。妃菜の中では寝込みを襲う方がハードルが低いらしい。


「用があるときだけ入ってもいい」

「やったー!!!!」

 どうせ拒否し続けても妃菜も折れないことはわかっているので、なんとか許せる範囲で譲歩した。それを聞いた妃菜は宝くじにでも当たったかのように飛び跳ねて喜んでいる。


「私の部屋はいつでも入ってきていいですからね!」

「わーい(棒読み)」

 絶対に近づかない、と心に決めた。近づいた瞬間に襲われかねない。


 妃菜が予想以上に喜んでいる。他にも決めたいことがあったがたくさんあったのだが、今日はもう無理かもしれない。


「俺はもう休む」

「はい。おやすみのキスはいりますか?」

「悪夢を見そうだからやめておく」

「そんな! って言うよりも、体が火照ってもうそろそろ限界なんですけど・・・・・・先輩、なんとかしてください!」


 何か聞こえたように感じたが、空耳に違いない。もう、高校生なのだから自分一人でなんとか解決できるだろう・・・・・・この考え方、妃菜に似てないか?


 俺はさっさと歯磨きをして、部屋に戻った。課題などが残っていたが、明日の朝早めに起きてすればいい。もう今日は疲れたし、寝よう。


 俺は灯りのリモコンを机からとってベッドに向かった。今日は鞄を置きに来ただけなのにすでにシャンプーの匂いがしている。自分からしてるのか。


 俺はベッドの掛け布団をとって、横になった。

「きゃっ!」

 何かに当たった気がしたが、かまわず部屋の灯りを消す。


「先輩、抱き枕にしていいですよ。それよりもくれた方が嬉しいですけど」


 よくしゃべる抱き枕だ。さっきの「」は、所謂いわゆるそういう意味だろう。抱き枕をやつがいるなら見てみたい。それよりも、抱き枕はこの世に存在しないだろう。


 俺は掛け布団を寝る・・・・・・


「なんで、ここにいるんだよ」

 もっと早く突っ込むべきだったか? 実際は部屋に入った瞬間に(布団をかぶった状態の)こいつが見えたのだが、なんとなく放っておいた。


「いいじゃないですか。初めてなので大事にしませんか?」

 妃菜が俺に抱きついてきたので、慌てて体を起こして灯りをつける。部屋全体が明るくなると、俺の目に信じられない光景が入ってきた。


「お前・・・・・・どうして下着姿なんだ?」

「えっ、もしかして一枚一枚脱がしていきたいタイプでしたか?」

「どんな性癖だよ」

「まぁ、今日のところは下着だけで我慢してください」


 何を我慢するんだよ! という突っ込みをいれることもなく、俺は妃菜に掛け布団を頭からかぶせた。


「先輩!焦らさないでください」

 掛け布団を脱ぎながら言ったせいで、ややくぐもった声になっていた。俺はそんな茶番に付き合うこともなく、机に向かった。寝るのは諦めて勉強をしよう。


 机に行くとしっかりとゴムが用意されたままだった。俺はそれをゴミ箱に捨てて、椅子に座り、鞄から勉強道具を取り出して、課題を始めた。そのとき、後ろから足音が近づいてきた。まだ絡まないといけないのか、と思いながら俺は後ろを振り返ろうとした。


 だが、それは妃菜によって止められた。

 妃菜の手が俺の首に回って、俺の肩からスッと妃菜の顔が出てきて、顔が横並びになった状態になる。俺と妃菜のほおがこすれ合って、妃菜のほてりが俺に伝わってくる。


 背中には柔らかな感触が二つのり、さらに妃菜が体重をかけるのでそれらが必要以上に俺に密着する。どうやら下着はすでにとってしまったようで、今までに触れたことのないものが俺の薄い寝間着を通して伝わってくる。


「先輩は私じゃ不満なんですか?」

 今までの元気な声とは打って変わった悲しげな声が発せられた。


「お、おい。ば、ちょっと離れろ」

 さすがの俺もこの状態はまずい。今までは冗談で済ませることができたが、今回は別だ。理性をどれだけ抑えられるのかわからなくなってくる。


「嬉しいです。慌ててくれるんですね」

 再び小さな声でそう言うと、妃菜は俺の耳を甘噛みしてきた。ゾクッとする感覚が俺を襲う。


 その後、俺の耳を少し舐め、妃菜の体が俺から離れていった。俺は全神経を目の前の勉強道具に集中させようと必死になっていた。


 俺の後ろで、カチッという小さな音が鳴った。おそらく下着を着ける音だろう。俺はゆっくりと妃菜の方を向いた。そこにはいつもの表情をした妃菜がいた。


「今日はその反応が見られただけで十分です。おやすみなさい、先輩」

 丁寧にお辞儀をして俺の部屋から出て行った。


 俺はしばらく妃菜が出て行った扉を眺めていたが、大きく息を吐いて、体の力を抜き、椅子の背もたれに体を任せた。


「何だったんだ・・・・・・」

 今日一番疲れたかもしれない。今日は大丈夫だと思うが、これから大丈夫か? 特に俺が・・・・・・


 俺は邪念を振り払うために頭を思い切り横に振った。そして、もう考えないようにシャーペンを持って課題に向かった。

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