第6話 妃菜と話し合おうとする件について③

 俺と妃菜ひなは料理をほとんど食べ終わって、妃菜が用意していたムース・オ・ショコラを食べていた。口溶けがなめらかで、ショコラの甘みも絶妙だった。


 飲み物にコーヒーを淹れてきてくれたのだが、いつもの豆ではなく妃菜が自分で買ってきたようだ。しかも挽いた状態ではなく、さっき挽いたばかりの豆で淹れたコーヒーだ。コーヒーミルなんて家のどこにしまってあったのかも忘れていたが、それを見つけて、しかも動く状態までメンテしたようだ。


「妃菜ってバイトしてるのか?」

「いいえ。今までしたことありませんよ」

 ムース・オ・ショコラをパクッと一口食べながら妃菜が首を振った。


「じゃあ、どうやって生活費を貯めてきたんだ?」

 妃菜は家を飛び出してきた身だ。仕送りが十分にあるとは考えられない。もしかしたら、仕送りなど皆無なのかもしれないし。


「あぁ、もともと持っていたお金があったので、それを元手にして株とかFXとかをして稼いでました」

 さも当然のような口ぶりでそう言うと、妃菜はポケットからスマホを取り出してその画面を俺に見せてきた。


 見たこともない線やなんやらが俺の前で動いている。全く意味がわからない。妃菜のスペックの高さがこんなところでもあらわれる。一体何ものなんだ?


「そうだ! 先輩、バイトやめませんか? そうすれば私とのイチャイチャの時間も増えますよ」

 何かをひらめいたような口ぶりで、何も嬉しくない提案をしてくる。一つ訂正しておきたいのは、俺は妃菜と「イチャイチャ」をしたことはないので、増えるということはない。始まりもしない。


「って言うよりもどうして先輩はバイトしてるんですか? ご両親がそんなに有名な方だったらお金に困らないんじゃないんですか?」

 不思議そうな顔で俺に聞いてきた。


 そりゃぁ、お前みたいに株とかの才能がないからな、というのはいったん置いといて、確かに俺は仕送りなども受けている。他の人に比べたら不自由のない暮らしができる。それでも俺にはバイトをする理由がある。


「前にも言ったが俺は親の知名度で少し苦労した。俺のその経験もあって、イモウトは親の名を隠して学校に行っていた。だから授業参観のときは一人だけいつも親がいない状態だった。今でこそ成長したから外に言えているが、小さい頃は俺よりも苦労したと思う。イモウトは海外でスポーツをしているから俺よりも金がかかる。だから俺に与えられる金は迷惑料としても、激励料としてもイモウトにいくべき何だ」


 これが、俺がバイトをしている理由だ。俺がバイトで稼ぐ分だけイモウトに仕送りを分けている。


「だから、バイトをやめるわけにはいかない」

 俺がバイトをしなくても親からは十分な金がいくと思う。それはわかっている。だが、これは俺の意地みたいなものだ。


「せ、先輩・・・・・・」

 俺が妃菜の顔を見ると目をうるうるさせて俺の方を見ていた。えっ、どうした? 俺なんか変なこと言ったか? シスコンみたいだった? だったら誤解だ。俺はイモウトに嫌われているし、俺はイモウトのことをイモウトとしか思っていない。


「何だ?」

 何を言われるかわからない。まぁ、どうせ阿呆みたいなことに決まっているが。


「先輩って本当に優しいんですね。私、もっともっと先輩のこと好きになりそうです」

 未だにうるうるさせている。なるほど、悲しみのうるうるではなく、感動のうるうるだったわけか。


 人から「優しい」って言われるのは意外と悪い気はしないな。その後の一言は余計だが・・・・・・俺は何も聞いてない。聞いてない。聞いてない。


「私、暇なときに婚姻届もらってきますね!」

 と言うといきなり妃菜は宙を向いて上の空になった。何を考えてるんだ? まさかすでに結婚式とか考えてるんじゃないよな?


「残念だったな、俺はまだ結婚できる年齢じゃないんだ」

 皮肉っぽく言ってやった。いくら妃菜でも法律の壁は越えられまい。


「残念に思ってくれるんですね!」

 上の空だった妃菜が急に戻ってきた。そんなに表情とか変えて疲れないのか? しかも「残念だったな」はお前に向けて言ったんだが。


「でも安心してください。私の愛は婚姻届がなくても揺るがないですから!」

 そんなことは一切聞いてない。それどころかやめてほしい。むしろ、揺らぐどころか消えさてほしいのが俺の本心なんだが。


「それでも不安になることがあるのでキスだけでもお願いしていいですか?」

 今度は顔を朱に染めて恥ずかしそうに何かをねだってきた。もうどうすればいいんだ? 誰かこいつの取扱説明書でも作ってくれ。


「拒否する」

「どうしてですか! こんなに相思相愛なのに!」

 もう絶句するしかない。妃菜の中では俺は相思相愛になっているらしい。俺のどこにそんなそぶりがあったんだ?


「もう、私からキスしますね」

「ちょっと待て・・・・・・」

 妃菜を手で制止して、残っていたムース・オ・ショコラを食べ、コーヒーを飲み干した。


「コーヒーのおかわりもらえるか?」

「はい。いいですよ」

 と俺がカップを差し出すと、それを受け取って台所の方に向かった。


 妃菜はコーヒーの入ったポットを持って、すぐに戻ってきた。俺のカップにはすでにおかわりをついでいたようで、席に座る前にカップを渡されたので、俺は「ありがとう」と言って受け取った。そしてすぐに一口すする。


 俺にカップを渡した妃菜もポットをテーブルに置いた後、席に座って残っていたムース・オ・ショコラとコーヒーをたいらげ、自分のカップにコーヒーを淹れた。


「コーヒー淹れるのうまいな」

「ありがとうございます。豆もお店に行って選別したものなので、雑味はないように気をつけてます」

「そんなこともできるのか」

「はい!」


 へぇ、と思いながら俺はもう一度コーヒーを飲んだ。本当に美味しいコーヒーだ。同じマシンで淹れたとは思えない。これが豆の選別と、その場で挽くの違いなのか。


「ふぅ、落ち着きますね・・・・・・って、何で話をそらしてるんですか!」

 さすがにばれたか。妃菜がいいのり突っ込みを大声でやった。もしかしたらこんな才能もあるのか?


「キスの話してましたよね?」

「皿洗いは俺がやるよ」

「いえ、大丈夫です。私がやります・・・・・・って、そうじゃなくて!」

「俺がやればいいってことか?」

「いえ、私がやるので先輩はゆっくりしていてください・・・・・・って、だからキスの話!」

「魚か?」

「キスの旬は初夏あたりからなのでもう少し待ってください・・・・・・そっちじゃなくて!」

「あぁ、料理のことか」

「じゃあ、明日キクラゲ買ってきますね・・・・・・何で、木須肉ムースーローの話してるんですか! そんなの「キス」がついてるのは漢字だけじゃないですか!」


 俺も妃菜の扱いが大体わかってきた。家事関連の話をしたら絶対に一回はそれにのるらしい。困ったときはこれを使えばなんとかなるかもしれないな。それでも、すぐに木須肉が出てくるのはすごいな、ってお互い様か。


「とりあえず皿を片付けないか?」

 何にせよ目の前に皿が置きっぱなしになっているのは多少なりとも気になるので、妃菜に提案した。皿洗いなんて俺がやってもいい、と言うよりもこれだけやってもらっているのだから皿洗いくらいは俺がやりたいのだが、おそらく自分がやると言い張るだろう。


 妃菜は不服そうな顔を浮かべていたが、妃菜も少しは気になっていたらしく、渋々皿を片付け始めた。


「まぁ、妃菜一人にのもあれだから、手伝うよ」

 自分でやりたい、と言い張るのであれば、せめて手伝いくらはさせてくれるだろう。


 しかし、どうやらねじがぶっ飛んでいるやつには違う意味に聞こえたらしい。

「本当ですか! 一人でヤルのもいいですけど、やっぱり相手がいた方がいいですよね。じゃあ、今日の夜でいいですか? つけるかつけないかはお任せします。学校でも言ったとおり危険日なのでほしかったらつけなくていいですよ。って言うよりも私的にはつけないでくれた方がありがたいです」


 皿を台所に運びながら妃菜が俺に嬉しそうに言ってきた。


 皿洗いの話・・・・・・だよな。「夜」って言うのは今の夕食のこと。「つける」のは手が荒れないように手袋をという優しさだろう。「危険日」は・・・・・・聞いてないことにしよう。


 こいつの脳みその中は一体どうなってるんだ? 何割を家事が占めていて、何割を勉強が占めていて、何割を性欲が占めているんだ? どこかの研究所で調べてもらえないのか?  


 俺はため息をつきながら妃菜の背中を見ていた。今回は食われなくてよかった。これから色々なことを決める必要がありそうだ・・・・・・

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