第5話 俺の数少ない友達と妃菜が面倒なことになっている件について①

小豆沢あずきさわ、そろそろ戻った方がいいんじゃないか?」

 辰弥たつやが時計を見て、妃菜ひなに言った。俺も時計を確認すると、朝のショートホームルームまで、あと五分になっていたのだ。


「そんなー! 亮祐りょうすけ先輩と離れるなんて考えられないです!」

 とうとう抱きつかれた。俺の右腕に、歳のわりに豊かに育った妃菜の胸が押し当てられる。制服とブラ越しでもわかるほど柔らかい胸だ・・・・・・って、俺は何を考えてるんだ・・・・・・


 ここで反応したら妃菜の思うつぼだろう。拒絶も、喜びもしない。ただただ無視を続けることにする。


 周りから女子の「はー」という柔らかいため息が聞こえてくると思いきや、男子の「うー」といううめき声にも似た声が聞こえてきた。前にいる辰弥は生温かい目で見てくるし、エミリー(笑里えみり)に至っては、「よくもまぁ」と言わんばかりの表情をしている。


 周りからしたら羨ましかったり、ラブラブに見えたりするのだろう。だが、現実は違う。俺は妃菜を危険視しているし、腕に胸を当てているのは完全に妃菜の独断だ。


 俺はすでに妃菜に友達になろう、と言ったことを後悔している。気の迷いだった・・・・・・何かの魔術にでもかかっていたのだろう。しかも「亮祐先輩」と呼べとまで・・・・・・誰か、記憶を消す方法を知らないか?頭をぶん殴るか・・・・・・


 どうでもいいことを考えていると妃菜が俺の腕から離れていった。妃菜としても遅刻はしたくないのだろう。(ショートホームルームまでに席に着いていなければ遅刻になる)だったら、こんな時間にわざわざ俺の教室に来るな。


 妃菜の顔を見るとどう見ても不服そうだった。じゃあ何か、俺がもう一度、一年生になればいいのか? そんなこと絶対に嫌だ・・・・・・高校が一年間延びるのが嫌なのではなく、単純に妃菜と同級生になるのがきつい。


「わかりました。また休み時間でも家でも会えるので今はこのくらいにしておきます」

 休み時間にも来る気なのか・・・・・・それと、家にも来るな。本気で住む気なのか? それは勘弁してくれ・・・・・・


「じゃあ、先輩! また後で」

 と言うと俺のほおに何か柔らかいものが当たった。周りから息をのむ音が聞こえてきた。どんだけ、息をのむんだよ。そろそろ死ぬぞ。


 それよりも、なんだこの感触は? 小さくて、柔らかく、そして温かい。二つの弧のような形をしていて、間には細い隙間がある。


 遠い昔に母親からこの感触を受けたことがあるような気がする・・・・・・まさかな・・・・・・そんなわけないよな。


 その柔らかいものが離れた。俺はものすごく怖かったが、一応妃菜の方を向いた。俺と目が合うと妃菜は人差し指を自分の唇に当てた。


「本当は口にしたかったですけど、それは今日の夜にとっておきますね」

 と言うと、くるっと体を反転させて、教室から出て行った。ウインクされたように見えたのは・・・・・・気のせいだ。


 さっき俺のほおに当たっていたのはおそらく指だ。それ以外の何ものでもない。反論は許さん。「本当は口に」と言っていたが、あれは・・・・・・あれだ、その・・・・・・思いつかない。


 それはそれとして、ようやく静かになった。もう、帰っていいか? 疲れた・・・・・・これから、授業を受けるとなると憂鬱になりそうだ。それよりも、これから毎日こんなことが続くと考えた方が憂鬱になりそうなんだが・・・・・・


「ねぇ、亮ちゃん」

 エミリーが俺を呼ぶ声がした。


「どうした?」

「あのビッチのことりんちゃんには言わない方がいいよ」

「どうして、そこで鈴花すずかが出てくるんだ?」


 エミリーが未だに妃菜のことを「ビッチ」と言っていることはひとまず置いといて、エミリーが口に出した「鈴ちゃん」とは堀北ほりきた鈴花のことだ。


 鈴花は俺の幼なじみ・・・・・・だったらすごいんだがな。高校に幼なじみが三人もいたらもう奇跡としかいいようがない。だが、残念ながら? 鈴花は俺の幼なじみではない。


 鈴花は俺と同じ書道部の部員だ。俺が部活に入っていることに疑問を持ったかもしれないが、何かに入らなければ勧誘が永遠に続きそうなほどしつこかったので、つぶれそうで、なおかつゆるそうだった書道部に入った。


 活動は、週二くらいで、ほとんど何もしていない。書をしたためるのも年に数回程度でいい、ゆるすぎる部活だ。今は、書道部がゆるすぎるということは問題にしないでくれ。ゆるいからと思って選んだ俺でさえ、さすがにゆるすぎるのではないかと思っている・・・・・・ほぼつぶれてるよな。


 話はそれたが(だから、俺は誰に話してるんだ?)俺と鈴花はクラスも違うし、話すと言っても部活のときとか、ばったり会ったときに話す程度で辰弥たちほど話すことはない。


 俺としては、最初のころは話す気も何もなかったのだが、鈴花が何度も話しかけてきたり、エミリーからも「話したら?」と勧められたので、話しているうちに友達になった。まぁ、俺としても悪いやつには見えなかったのでそれほど気にならないのだが。


 俺が鈴花と初めて会ったのは、実は高校に入ってからではない。もう少し前に会っている。それは高校入試の・・・・・・この話はしなくていいか。


 とにかく、俺と鈴花はそれだけの関係だ。だから、妃菜のことを秘密にしないといけない理由はない。と言っても、遅かれ早かれ全校生徒に知られそうなんだが・・・・・・はぁ、平穏に暮らしたいのに・・・・・・


「そうだな、亮祐やめとけよ」

「だから、なんでだよ」

 辰弥まで俺に念押ししてきた。一体何があるというのだ。


「とにかくやめとけ」

「だから・・・・・・」

 話が平行線すぎる・・・・・・


「たっちゃん、亮ちゃんにそんなこと言っても絶対にわかんないって。ただの朴念仁だから」

「それもそうだな」

 エミリーと辰弥が楽しそうに顔を見合わせながら、笑った。


 エミリー、この話題を持ち出したのはお前だ・・・・・・なのに急に朴念仁呼ばわりはそれは人としてどうなんだ? しかも辰弥もそれにのるな・・・・・・俺に何か恨みでもあるのか? 何かしたか?


 そう思っていると担任が入ってきて、ショートホームルームが始まった。妃菜は遅刻しなかったか・・・・・・って、また悪い癖が始まった・・・・・・


 こうやって、俺の新たな高校生活が始まったのである。みたいな、それっぽいことを一応言っておこう。

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