ドエロい夢のその後に

 病院にやってきた上島うえしまなえは、優子の顔を見るなり


「ロリコン使うんでしょ?」


 と後ろでげんなりとした様子のデスモンド五所ごしよ川原がわらを、実に雑に紹介した。金髪碧眼、黒いタキシードを着こなした美形の白人男性のなりをしているが、まごうことなき死神であり、また夢魔でもあり、さらに筋金入りの小児性愛症者である。街を歩けば幼女とすれ違うたびに後を付け、上島が使役する際は幼女の寿命を所望する。


 そのように、存在自体が人間社会に悪影響を及ぼすであろうハードな変態性を誇る死神にも苦手な状況はあるらしい。青菜に塩、インカ帝国にスペイン人、スルメのみ与えられた犬といった様子を隠そうともしないデスモンドは、青白い顔で眉間にシワを寄せていた。老人ばかりの病院に辟易といった様子だ。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 粗神室長からの電話は、夢魔貸し出しの提案だった。


「八重咲さん、困ってませんか」

「え? いえ? 大丈夫……? です……?」

「困ってないならいいのです。引き続き頑張ってください」


 自らの評価と業務の完遂を秤にかけた結果、後者が沈んだ。


「すみません、やはり困ってます。困り果ててます、室長。どうしましょう」


 粗神の含み笑いがPHSの向こうから聞こえてくる。


「なら上島さんに出向してもらいましょう」

「今こちらがどういう状況か、室長はご存知なんですか?」


 優子の問いを流し、カチ……カチ……という音が聞こえてきた。人差し指のみでキーボードを入力しているようだ。時々音が高くなるのは入力ミスだろう。しばらくその音が続く。

 もしやこれを待たねばならないのかと優子が焦り始めた時、


「よし、これで上島さんが2時間以内に到着しますよ」


 とひと仕事終えた感丸出しの粗神が言った。ふう、という吐息も混じっている。


「ありがとうございます、室長。ところで」

「はい」

「なんて入力なさったんですか?」

「『よろしく』と、笑顔の顔文字ですね。こなれてきましたよ」


 ありがとうございます以外に言う言葉を持たない優子だが、心の中では大声で喚き立てていた。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



「老人ばっかりで気分が悪くなってきましたよ……」


 さて、デスモンド五所川原をどう使うか。腕組みをしながら優子は考えた。服部の夢に奥さんを出現させることなどできるのだろうか。

 優子が問うとデスモンドはいともたやすく答えた。


「できませんよ、そんなこと」

「えっ。できないんですか?」

「できませんって。夢魔をなんだと思ってるんですか」


 なら何の為に来たんだと首をかしげたところ、デスモンドの宿主である上島が口を挟む。


「こいつの言っていることは本当。自在に夢を操れる能力なんてないよ。ただドエロい夢を見せることができるだけ」

「信用ならねえな」


今まで黙っていた太蔵が急に割って入った。


「『バースの再来』って言葉と同じくらい信用ならねえ。ドエロいって言っても相手によって嗜好が違うだろう。そんなことができるとは思えねえ」


 優子が何か言おうとする前に、デスモンドが喋り始めた。


「そうですドエロい夢を見せることができます相手によって用途によって内容を変えつつ百花繚乱の淫靡な花が咲き誇る様はまさしくオンデマンド。幼女にそれを見せるじゃないですかもちろん直接触るなんて野暮なことはしませんよそうするとどうなると思いますか親に相談するか自力でなんとかするか蕾がどう開くかというきっかけを与えるんですよ私は。夢の中の出来事な」

「死神って興奮するとみんなこんな感じになるの?」


 優子は背後の太蔵を振り仰ぎつつ、下品なマシンガントークを続けるデスモンドを指差した。


「え。わし、あんな? あんな感じ?」

「うん、人が一杯いるとこに行くと、あんな感じ。コロスコロス言ってる」

「え? わし……あんな?」


 わし、あんな?……えぇ……と小声でブツブツとつぶやき始めた太蔵とマシンガンをぶっ放し続けるデスモンドの間に立った優子は、決断を下した。


「じゃあデスモンドさん、服部さんにドエロい夢を一つ二つ見せてやってください」


 ドエロイ夢の先には奥さんがいてもおかしくない。その夢が服部のくじけた精神を修正してくれる可能性はあるだろう。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 翌日13時。リハビリ室で優子は服部の到着を待つ。朝のバイタルチェックは別の看護師が担当したので様子はまだ分からない。

 患者が次々と入室してくる。その中に服部はいない。あと5分待ってみようと優子は心を固める。


 上島とデスモンドは昨夜のうちに帰った。本来は優子の仮住まいに泊まっていってもらうつもりだったのだが、上島が


「優子にドエロい夢を見せるわけにはいかないからね」


 と断ったのだ。

 デスモンドは「こんな年増に何かするわけないでしょう」と抗議していたが、やらかす可能性がないわけではない。何もするなというだけで上島の寿命を削らせるわけにはいかないのだ。


 そろそろ服部を迎えに行こうとエレベーターに向かう。下の階へのボタンを押そうとしたところ、チャイムと共にドアが開いた。そこには車椅子に乗った服部がいた。


 何か言おうとした優子だが、何を言えばいいかわからず、


「始めますか」


 とだけ言った。

 無言で頷いた服部は優子に車椅子を押されながら重い口を開く。


「リハビリ中にドエロいことをする気がしたから来た」

「訴えますよ。昨日の水かけと合わせて」

「そうだよな。夢だよな。やけにリアルだったから、もしかしてとも思ったんだが」


 まずは手すりに捕まって立つ練習だ。立つ、座るを何度も繰り返す。自由に動かない下半身と腰周辺に痛みが走り、服部の顔には苦痛の表情と汗が浮かんでいる。


 ストレッチを行う床に寝転がり、無理がない程度に体を伸ばされ、服部は心もほぐれてきたのか、ポツポツと話し始めた。


「昨日は悪かった」

「どの件ですか?」

「コップをぶつけたことだな」

「ぶつかってないから大丈夫です」


 体を密着させるストレッチは、術師と患者の距離がゼロになる。自然と心を許し会話が弾む例も珍しくはない。

 顔を紅潮させながら服部は言った。


「夢でな、うちの奴に逢えたんだ。初めてだよ、5年も経つのに」

「そうですか、何か仰ってました?」

「『いつまでふてくされてるんだ』って叱られたよ」

「そうですか」


 優子は微笑みながらストレッチを続ける。


「サボってた分、体が硬くなってますので、ちょっとだけ痛いですよ」


 笑顔で服部の体を伸ばした。くぐもった悲鳴が聞こえる。充実した表情で優子は額の汗を拭った。

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