信用できない言葉

たまァ取ったるわ」


 静かな広島弁で優子にそう言い残し、太蔵は宗山のもとへとゆっくり歩み寄る。当然宗山は死神である太蔵に気づくことはなく、黙って女に詰められている様子だ。今にもその場に膝をつき土下座で誠意を表しそうだが、土下座をしたところで女の心はピクリとも動かないだろう。もともと土下座以後のことを考えているのだ。


「私も鬼じゃないから、アンタの嫁にも会社にも知らせないでやってもいいよ」


 禁煙エリアにも関わらず遠慮なくタバコに火をつけた女は、煙と共に本音を吐き出した。


「まあ、誠意によるけどね」


 相手からは見えないのをいいことに、太蔵は女の顔をしげしげと遠慮なしに眺める。優子にのみ聞こえる声で問うた。


「こいつも殺していいよな。なあ。こいつの生首、わしのバットに刺して勝鬨をあげてもいいよな」

「ダメです」

「鼻ならいいか。耳片方ならいいだろ」

「ダメ」

「こいつ殺しておいた方が、わしとお前らの利益に沿うぞ」

「命の選別なんてできるわけないでしょう」


 その時、優子の携帯電話が鳴った。同僚の上島からだ。


「あのさ、ロリコンって治らないのかな」

「ごめんかけ直す」


 有無を言わさず電話を切る。何も今そんな相談を受ける必要は微塵もない。


「だけどなあ」


 太蔵がため息をついた。


「この女はダメだ。根っからのバカな悪党だ。何一つ信用できる要素がない。脅し文句からも知性と品性が欠け落ちている。死なした方がいい。雑草は引っこ抜いた方が作物はよく育つ。これ雑草」

「そ、そんなに……」

「ああ。『最後の恋』って言葉と同じくらい信用ならねえな」


 死神にそこまで言わせるのだから、美人局としては超一流なのかもしれない。しかし問題はそこではない。宗山に憑いたトッドクーゲルを祓うことが第一優先事項なのである。


「とりあえず宗山さんをよろしく。3ヶ月分は働いてよ」

「仕方ねえな」


 めんどくさそうなものの言い方の割に、太蔵は素早くバットを振りかぶった。そして宗山の頭部に向けフルスイング。物理的ではない強烈な衝撃に宗山が首をかしげる。同時に太蔵も首をひねっていた。様子を見ていた優子には、二人の頭上に大きなクエスチョンマークが浮かんでいるように感じられた。


「やった?」

「いや、逃げられた」

「え」

「こいつからは追い出したけど、逃げられた」

「ちょっと! わ、私、命を削ってるんですけど! いのち! いのち!! 査定にも響く!」

「まあ、方法がないわけではない」


 命が、査定がと喚き続ける優子を尻目にもったいつけた言い方をした太蔵は、その場にどっかりとあぐらを組んだ。疲れた様子で首に手を当ててぐるりと回す。そして懐中から取り出した煙管にタバコを詰め、のんびりと火を付けゆっくりとそれを吸い込み、白い煙を鼻からたなびかせながら言った。


「お前の寿命、もう一声いっとこうか」


 優子はその声には応えず、無表情のまま両手で雑巾を絞る仕草を何度も何度も繰り返した。太蔵の悲鳴が返ってくる。

 死神は宿主の命令に従わなくてはならない。命令に背くときつめのせっかんが待っている。巻かれたタオルにより締め付けられた太蔵の頭部は、ひょうたん状に潰されていた。

 寒空の下、優子のカタコトが冷たく響く。


「立つ。探す。祓う。する、しない。どっち」

「わ、わかった。します。しますので」


 バットを支えによたよたと立ち上がった太蔵は、生まれたてのロバのように足をガクガクといわせていた。


「誰かに取り憑いたら余計大変なことになっちゃうから、その前にどうにかしてよね」

「今探して……痛え……。る……。いた、早速別の人間に取り憑いてやがる」


 太蔵はよろけながらもバットを振るい、佇んでいた人間の頭上に留まったトッドクーゲルのど真ん中をぶち抜いた。いとも容易くやってのけたことから、死神にとって大した作業ではないのだろう。

 絶叫のような断末魔が優子と太蔵の耳にだけ届く。その響きのおぞましさに自らの腕を抱きながら、優子は太蔵に意見を求めた。


「……今まで、あんな悲鳴聞いたことある?」

「ないな」

「もしかして、あれも生きてるの?」

「まあ生きてるんだろうな」


 全く興味なさげに太蔵は話を切り上げ、宗山に向かって顎をしゃくった。様子を見ろということだ。

 宗山は美人局の女に真正面から向き合い、話をしていた。先程までの衰弱した様子は見受けられない。これならば大丈夫だろう。あとは本人と家庭の問題で他者が口を出すことではない。もともと不倫うんぬんは優子にとってどうでもよく、自殺を防ぐことができれば解決なのだ。


「仕事が終わったらスーパーで発泡酒買って帰ろう、お祝いだ」


 様子を見届けた優子は、月曜日の夜のささやかな楽しみに思いを馳せた。


「……わしが言うのもなんだが、せめてビールを買ったらどうか」


 擦り切れた二つ折りの財布を開き、札が入っていることを確認してから優子は爽やかな笑顔を見せた。


「無駄遣いはできないんだよ。給料もまだ先だし」



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 駅の改札を通り、上機嫌で上り電車を待ちながら、優子は対策室へ業務連絡を入れた。


「八重咲さん、お疲れ様です」


 中年の男の声が応答する。


「あ、室長、お疲れ様です。今から事務所に戻ります」


 室長と呼ばれた男、粗神あらがみ豪一郎は笑いを含んだ声で優子を労った。


「その声だと、うまく行ったようですね」

「はい、大丈夫だと思われ、大丈夫です」


 たぶん、という言葉を付け足そうとして慌てて取り消す。曖昧な言い方を粗神は認めない。下手な物の言い方はそのまま評価につながるのだ。


「とにかく一度戻って報告書を作成します。失礼します」


 電車が入線するアナウンスが響いた。


「室長の機嫌はどうだった?」


 太蔵の声だけが聞こえる。どういうわけか、太蔵は粗神室長を必要以上に恐れている。


「う〜ん、普通……? なのかな? 室長、あまり不機嫌な時ってなくない?」

「そうか、ならいい」


 余計なことを言わずに太蔵の気配は消えた。優子は首を傾げ何か話しかけようとしたが、電車に乗り込むことを優先した。

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