神頼みしたらちょっと効いたから

「まずは殺してみないとわからない〜。邪魔するあいつの頭に一撃〜。しぶとかったらみんなで囲んで滅多打ち〜」


 金属バットを肩に構え人混みを悠々と突っ切る死神の太蔵は、変としか言いようがない歌を歌いながら宗山の後を追った。もし人間がそんな歌を歌いながら金属バットを振り回そうものなら3分後には警察に取り囲まれ威嚇射撃の一、二発は喰らうだろうが、死神の行動や声は普通の者には届かない。


 たまに勘の鋭い子供がポカンと口を開けてその背中を目で追う。後を追う八重やえざきゆうはそれを見て心の中で詫びた。教育に悪いモノをお見せして本当にすみませんと。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 わずか一月前。福利労務省の地下室で太蔵に取り憑かれた直後、顔を合わせた瞬間の第一声が


「この女がわしの宿主かよし殺すから死ね。どうやって殺してくれようか。縊るか刺すか吊るすか剥ぐか蒸すか折るか締める投げるか。お前はどうやって死にたい? 選んだ死に方では死なせんぞ」


 という常軌を逸した早口だったことを優子は思い出す。

 慌てて理由を聞いたところ、


「だって生きてるんだから、殺したいって思うだろが、普通」


 というシンプルすぎる答えが返ってきた。優子が目をパチクリとさせていると説明が足りないと思ったのか、太蔵は言葉を続けた。


「だって子供見たら『可愛いな、殺したいな』って思うだろ」

「思いませんが」

「ケガ人なら『可哀想だな、殺してあげようかな』ってなるだろ」

「全く思いませんが」


 最初の問答がこれだった。優子はひたすらビックリしていた。取り憑かれたことにではなく、同意を求められたことに対してである。

 なぜ優子が殺されていないかというと、本人に死ぬ気が全くないからだ。死神は勝手に人を殺すことはできない。もし勝手に殺せるのであれば、人間社会は存続できるはずもない。


 同期の上島に憑いている死神は美形の白人男性で夢を見せる夢魔だが、女の子ばかりを狙うと聞いた。小児性愛症者という嗜好を隠そうともせず、幼女の寝姿とみるや涎をダラダラと垂らしだすから困っちゃうんだよね、との相談を受けたことがある。相談されたところで優子も同じような状況だったので「そうだよね、困るよね」くらいしか言えなかったことを記憶している。


 一つだけわかったことがある。どうやら死神というのはやはりというかなんというか、どいつもこいつも人を殺したくて仕方がないらしい、ということだ。品性がねじ曲がっている者が多いのは死神として活動してきた結果によるものか、先天的なものなのかはわからない。


 なお、福利労務省スーサイド対策室員が徹底的に叩き込まれる4箇条がある。それは以下のようなものだ。


 1、死神は宿主の命令に従わなくてはならない

 2、死神は勝手に人を殺してはならない

   対象者が自死を望んでいる場合は宿主の指示に従う

 3、宿主は死神に自らの寿命を差し出しその謝礼とする

 4、死神は宿主に残りの寿命を示してはならない


 それを決めたのが誰かは知らないが、そのルールに死神たちは逆らえない。それがあるからこそ優子は死神の太蔵を使役できているのだ。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 宗山が女性と接触した。優子は電信柱に顔だけ隠して様子を見守る。情報によれば、宗山は不倫相手からゆすられているとのことだった。要するに、今どき悪質な美人局に引っかかってしまったのだ。


「それだけで死にたくなってくれるとは、なんともまあ」


 太蔵が優子の横に浮きながら、バットをスイングする。優子はため息で応じた。


「普通なら弁護士に相談するとか、逆に開き直るとか、色々逃げ道はあると思うんだけどね……」

「まともな判断ができてないな、あいつ。死にたがってる」

「うん。宗山さんは自分が死んで精算できると思わされてる」


 新種の精神病と思われたのは、人に憑依する悪霊だった。医療分野が白旗を上げ、困り果てた政府が戦時中さながらに神頼みをしたところ、ちょっとだけ効いたのである。政治家たちは無邪気に喜んだ。


「やっぱり困った時は神頼み」

「そうだ!」

「この神の国でオリンピックも問題なく開催できる」

「そうだ!」

「これからはGOTOテンプルの時代ですな」


 といった能天気で無責任な言動からスーサイド対策室が生まれたことは優子が知る由もないことである。


 優子は地面を見つめ、しばらく考え込んだ。


「だから、そうはさせないようにしないと。がんばりたい」


 優子は固い決意を口にする。


「ほう」


 目の前には太蔵のニヤニヤ笑いがあった。


「な、なによ」

「随分ご立派な決意表明だが」


 人の心を熟知したような口調で死神は続ける。


「その決意は正義心によるものか。それとも査定が気になるか」

「どっちだっていいでしょ」


 優子は目の動きだけで太蔵を睨みつけつつ、再び長い時間考えた。ゆっくりと目を開け、静かに、はっきりとした数字を口にする。


「3ヶ月」


 太蔵の肩がビクッと震えた。


「私の寿命を3ヶ月あげる。だから宗山さんに取り憑いたト……、トッド……を祓ってきて。足りるでしょ」

「何だって? よく聞こえなかった。もう一度はっきり言ってくれ。何を祓えと?」

「本当恥ずかしい。あの黒いの、なんで横文字で呼ばなきゃいけないの。カッコいいとかそんなどうでもいい理由なんだろうけど」


 ニヤニヤと笑い続ける太蔵を目だけで威嚇した優子は、咳払いをしてから一息に告げた。


「宗山さんに取り憑いたあの『トッドクーゲル』を祓ってきて早く」


 笑いが収まりきらなくなった太蔵は、大口を開けて笑い出した。優子はこの死神が「孤路志ころし太蔵たいぞう」という冗談のような名前だったことを今更痛感する。


「ガハハ! なんでお役所なのに日本語使わねえんだ! ガハハ、お前らこぞってバカしかいないのか!」

「私もそう思うよ! だけど私が付けた名前じゃないもん。偉い人が付けたんだもん」


 笑い終えて真顔に、そして今度はまなじりを釣り上げて笑いの表情を作った太蔵は、低い声で告げる。


「まかせとけ。二人と一匹、確実に殺してきたる。どうやって殺すのがいいか。割くか焼くか割るか開くか焦がすかどれがいいか」

「あのね、興奮すると早口になるのやめな。悪いこと言わないから。本当に心の底から気持ち悪いよ」


 注意というよりは口撃の部類に入るアドバイスをしてから、念の為に確認する。


「やっていいのは宗山さんじゃないからね」

「わかっちょるわい、わしに任せとけ。一発で仕留めたるけんのう」


 急に広島弁になった太蔵は、金属バットを片手でブルンブルン振り回し始めた。

 なぜか「かっこいいから」という理由だけでドイツ語で命名された死の悪霊、『トッドクーゲル』こそが、人を自死に至らしめる原因であった。それに取り憑かれた精神を正常に戻す方法は、死神による攻撃のみ。


 スーサイド対策室職員は自らの寿命を死神に差し出し、それにより死神を使役する。自分の命を削って人の命を助けるという、とても表沙汰にはできない仕事に今から優子は取り掛かるのである。


 また、なんかかっこいいからという理由だけでドイツ語で命名されたトッドクーゲルだが、職員でそう呼んでいる者は一人もいなかった。だいたい「霊の黒いアレ」とか「丸くて黒いの」、果ては「あのドイツ語の奴」と呼ばれているのが対策室内での公然の事実だった。

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