打ち上がる花火と想い
改めて下駄と向かい合う砂音に、朱華は素朴な疑問をぶつけてみた。
「直せるの?」
「うん。母さんがよく下駄で転んだりして、鼻緒を切らせてたから。お手の物だよ」
「ああ……
砂音の母親を脳裏に思い描くと、得心がいき。朱華は思わず頬を弛めた。
言葉通り、砂音は手馴れた様子で鼻緒をハンカチで継いで直してしまった。彼はこうした手作業は不器用だとばかり思っていたのに。意外な手際の良さに、感嘆の息が漏れる。必要に応じて身に付いたスキルというやつだろうか。
そんな事を思っていると、修繕を終えた下駄が早速足元に置かれた。
「はい。これで大丈夫だと思うけど……歩ける?」
靴擦れならぬ鼻緒擦れを起こしていた親指と人差し指の股には、きっちりと手当が施され、絆創膏が巻かれている。砂音がやると主張したのを頑として突っぱねて、自分で処置を施したのは言うまでもない。(足を触られるとか、恥ずかしすぎる!)
ともかく、大丈夫と告げて安心させるように笑み掛けて見せた。さもなければ、帰宅までの間ずっと先刻のようにお姫様抱っこで運ばれかねない。砂音ならやる。絶対。
そうして、そっと下駄に足を差し入れた時。突如運動会の空砲を彷彿とさせる大音量の破裂音が、頭上で轟いた。
ハッとしてそちらを見上げると、樹々や建物の屋根の合間から、僅かに瞬く火花の断片が窺えた。
「あ……花火。始まっちまった……」
そういえば、もうそんな時間だった。
「やっぱり、ここからじゃあんまり見えねーな」
本来なら、今頃見やすい河川敷に移動して観賞している筈だったのだ。またぞろ自責の念が首を
「朱華ちゃん。良かったら、神社の方に行かない?」
「え?」
何で? と問うより先に、彼は
「ちょっ、音にぃ⁉ あたし自分で歩けるって!」
「流石にその足で神社の石段を登らせる訳にはいかないよ」
「で、でもっ‼」
必死な抗議は、砂音の意味深な笑みに封じ込められてしまう。本当に、音にぃはズルい。朱華がその笑顔に弱い事も、きっと分かってるんだ。
赤く染まりゆく顔を隠したくても、お面は外して首から提げたままだ。この体勢では、身動きも取れない。苦し紛れに瞳をぎゅっと閉じ、身を任せていると。やがて彼が歩を止めた気配がした。
「ほら、見て。朱華ちゃん」
呼ばれてそっと瞼を開くと、目前には一面の夜空が広がっていた。石段の一番上。そこから見える景色には、周囲の建物の屋根も樹々も、低い位置にあって邪魔にはならない。スクリーンのように開けた紫紺の空に、極彩色の花火が次々と花開いては、散っていく。その壮麗さに、朱華は思わず息を呑んだ。
「ここからなら、見えると思ったんだ。高所からなら見つけやすいかもって、実はさっきここから朱華ちゃんを探したから」
砂音の説明も耳に入らない様子で、朱華は「綺麗」とぽつりと零した。まさか、こんな風にちゃんと花火を見られるなんて。彼女の失敗も、彼が良い方に転じて、帳消しにしてくれた。それが、嬉しくて。目の前の光景がより美しく輝いて見え、強く胸を揺さぶった。
瞳に花火の色を落として見蕩れる彼女の反応に、満足げに微笑んでから。砂音も夏の夜空を仰ぐ。暫し二人共に無言で花火を眺めた。
それから、ふと。朱華は己が砂音に抱えられたままだった事実に気が付いた。
「わぁっ⁉ ご、ごめん! いい加減重いよな⁉ もう自分の足で立つから‼ って、おわっ⁉」
「っ朱華ちゃん! 危ない!」
今更ながらに照れが再燃して、慌てて降りようとした為に。急にバランスを崩して落下しそうになり、朱華は思わず目を瞑った。しかし、予想した衝撃は訪れず。恐る恐る目を開いたら、今度はそのまま驚愕に瞠目する事となった。すぐ近く。唇が触れそうな程の近距離に、砂音の顔があったからだ。
どうやら、彼が咄嗟に朱華を支えてくれたらしかった。
「大丈夫? 朱華ちゃん」
「だ、だだっ大丈夫……だけど」
――ち、近い! 近いって‼
心の叫びはMAXボリューム。今にも逃げ出したい気分なのに、何故だか目が逸らせない。花火に魅入られた時のように……いや、それ以上に。彼のヘーゼルの瞳に、朱華の意識は囚われてしまった。
見つめ合う瞳と瞳に、互いの顔が映っている。呆れる程に真っ赤に染まった自分の頬が、赤い花火の照り返しではない事くらい、きっと彼にも気付かれている。ドンドンと身の
リサの言葉が甦る。――『花火を見ながら、ロマンチックなキス……』
どんな作戦内容だったかは、忘れた。今は何も考えられない。ただ、自然と。彼の唇に触れたいと思った。
求めるように、熱で潤ませて。そっと、瞳を閉じた。――キスして。と、言葉に出さずとも、気持ちが通じ合えるような気がした。
思いがけない朱華の行動に、砂音はハッとして時を止めた。瞬間、脳内が空白になる。彼女が何を想って、そうしたのか。彼にはちゃんと、伝わった。――しかし。
ぎゅっと、何かを決意するように唇を噛み締めると、砂音はそのままゆっくりと、朱華を地面に下ろしたのだった。
――え?
唇が触れ合うでなく、地に足が付き。肩透かしを食らった気分で、朱華はキョトンと目を開いた。無意識に問いを乗せて砂音を見つめるが、彼は視線を避けるように顔を背けてしまった。
「足、痛くない?」
取り繕った質問にも、何だか違和感を得る。
――今、あたし……拒まれた?
その答えに行き着いた時。突然目の前に靄が掛かったかの如く、暗くなった気がした。先程まであんなに綺麗に見えていた筈の花火も、濁ったフィルター越しのように、霞んで滲んだ。
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