心を解く道標


「ここにも居ない……」


 三軒目のかき氷屋台の周辺を見渡すと、朱華は落胆の息を吐いた。

 迷子の少女と別れてから、朱華も今度は自分の番だと、意気込んで元居た場所まで戻ってみる事にしたはいいものの。どうも、かき氷屋はメジャーな為か、一店舗では無かったようで。あちこちに散見しており、砂音と逸れたのがどの辺りだったのか自分でも分からなくなってしまっていた。


 周囲の屋台の種類なども、もっとちゃんと見ておくべきだった。そんな風に後悔しても、今更遅い。ただでさえあの時は別の事に気を取られていたものだから、注意力が散漫になっていたのだ。

 地面の方にも同じく気を配っているが、落とした巾着袋らしきものは全く見当たらなかった。


 不安が募る。元の場所にさえ戻れれば、すぐにでも砂音と合流出来るものと思っていた。しかし、その場所さえ見つけられずにいるなんて。……いや、もしかしたら知らず通り過ぎた可能性もある。


 ――音にぃなら、何処に居てもすぐに見つけ出す自信があったのに。


 人よりも高い背。華のある目を引く容姿。どんなに沢山の人が居ても、絶対に気付く。見間違わない。――その筈なのに。

 こうも見つからないのは、砂音の方も朱華を探していて、すれ違ってしまっているのかもしれない。一度、立ち止まった方がいいのではないか。 でも、何処で? 元居た場所も分からないのに。


 取り留めのない思考が脳をぐるぐると占拠する。何が正解か分からずに、焦燥だけが増していった。

 その内に、段々と人混みの濃度が薄れてきた。じきに花火の打ち上げ開始時間が迫ってきているのだ。皆、見晴らしのいい河川敷へ移動しているのだろう。その事が、更に朱華を焦らせた。


 早くしないと、花火が始まってしまう。人通りが少なくなっているのに、何故見つからない。この先はもう、神社しかない。全ての屋台を回ってしまった事になる。


 ――戻るか。


 と、思い定めて進路を変更しようとした所、突如足元がずるりと滑った。


「ぅおっ⁉」


 咄嗟に体勢を整えたので転ばずに済んだが、危なかった。原因を探って視線を下方に落とすと、それはすぐに判明した。なんと下駄の鼻緒がぷっつりと切れているではないか。


「マジか……」


 まさかのお約束のハプニングの連続に、朱華は気の抜けたサイダーのようにへにゃへにゃとその場にしゃがみこんでしまった。

 どの道、もうこれでは歩けない。慣れない下駄で無駄に歩き回っていたせいで、靴擦れならぬ鼻緒擦れまで起こしており、親指の股が赤く腫れ上がって、じんじんと痛みを訴えている。


 ――何してるんだろう、あたし。


 本当なら、今頃砂音と二人で河川敷に移動して花火を待っていた筈だ。変に弱気になったりして、逃げ出したりさえしなければ。巾着を落とす事も、逸れる事も無かっただろう。

 自分が酷く情けなくなった。鼻緒と共に、心までぷつりと千切れてしまったようで。不意に泣き出したくなった。


「朱華ちゃん!」


 その時。背後から掛かった呼び声に、朱華はハッと息を呑んだ。今一番、聴きたかった声。よもや己の都合の良い幻聴ではないかとも疑ったが、振り向いて見ると、確かにこちらに駆けてくる存在があり、それは探し人の砂音その人だった。


「音にぃ?」

「良かった、朱華ちゃん。見つかって」


 砂音の浮かべた安堵の笑みは、改めて朱華の様子を窺うと、途端に緊迫の表情に変わった。


「何処か怪我したの?」

「いや、下駄の鼻緒が切れて」

「大変だ! 向こうにベンチがあったから、そこで直そう」


 言うが早いか、次の瞬間には砂音は朱華を抱え上げていた。あっさりと持ち上げられてしまった彼女は、一泊遅れて生じた照れに、大いに慌てる羽目になった。


「おっおお音にぃ⁉」

「ごめん。少しの間我慢して」


 有無を言わさぬ口調で制すと、そのまま横道に逸れて歩き出す。二の句を失った朱華は、大人しくお姫様抱っこで運ばれる他なかった。

 何だか、前にもこういう事があったな、と懐かしく思う。あの時は、朱華が熱を出して倒れたのだっけ。確か、落ち着かないから運搬方法を変えてくれと訴えて、おんぶにして貰った筈だ。

 今も、頼めばそうしてくれるだろうが。何故だか言えなかった。砂音があまりにも真剣だからか。あるいは、あの時よりも二人の関係性が近付いたからだろうか。


 ベンチは幸い空いていた。そこに朱華を下ろして座らせると、砂音は跪くようにして彼女の足下を確認した。鼻緒が切れているだけでなく、痛々しげに赤く滲んだ指の股を見ては、愁眉を寄せる。

 彼にそんな顔をさせてしまい、朱華は一層申し訳ない気持ちになった。しかし、先に「ごめん」と謝ったのは、彼の方だった。


「無理させちゃったね。俺がもっと早く見つけていれば……」

「ち、違う! 音にぃは悪くない! あたしが勝手に逸れたりしたから!」


 ――そうだ、あたしが悪いんだ。あたしが逃げ出したりなんか、したから。


「あたしが」

「違うよ。朱華ちゃんを一人にさせてしまった俺の所為でもあるんだから、そんな風に自分だけを責めないで」


 遮るように言われてしまうと、朱華は言葉に詰まった。それでもまだ表情を固くしている彼女に、砂音は橙色の巾着袋を差し出して見せる。それが紛れもなく自分の物だと分かると、朱華は目を丸くした。


「これ……!」

「道に落ちてたのを拾ったんだ。朱華ちゃんのだよね」

「あ、ああ、ありがと。良かった」


 これも見つからなかったら、どうしようかと思っていた。ホッとして、思わず腕の中で抱き締めた。


「あの場で待ってようかと思ったんだけど、一人で居ると皆心配して声を掛けてくるから、何だか居づらくて」


 朱華の反応に柔らかな微笑を刷いた後、砂音は眉を下げて、語った。朱華にはその様が容易に想像出来る気がした。そりゃあ、砂音のような美青年が祭りの最中一人で居たら、間違いなくフリーの女性陣が放っておかないだろう。


 ――音にぃ、それたぶん心配とかじゃなくて、逆ナンだ。


 心中で成した朱華のツッコミが伝わる訳もなく、彼は続ける。


「それで、総合案内のテントの方に移動したんだけど」

「待て、何だそれ?」

「町内会の名前だけ書かれた白いテントがあったでしょ? 落し物や迷子の案内なんかをしてる場所なんだけど」

「そんなのあったのか⁉」

「あ、やっぱり知らなかったんだね」


 気付かなかった。あの迷子の少女も、そこに連れて行けば良かったのではないか。知らずに余計に連れ回して迷惑を掛けてしまったのでは……。己の浅はかさを恥じる朱華の傍らで、砂音は穏やかに告げた。


「朱華ちゃん、迷子の女の子にぬいぐるみをあげたでしょ」

「え?」

「テントで待ってる時、子供と逸れた若い母親も一緒だったんだ。暫くして、男の子が女の子を連れて来て、その人が探してた子だって分かったんだけど」


 女の子が抱いていた見覚えのないうさぎのぬいぐるみを見て、母親がそれをどうしたのかと訊ねたら――『鬼のお姉ちゃんが取ってくれたんだ』と。


「それって、朱華ちゃんでしょ?」


 あまりにも数奇な巡り合わせに、理解力が追い付かず。朱華はキョトンと間の抜けた顔をしてしまった。


「朱華ちゃんはその子の親兄弟を、一緒に探そうとしてあげたんだね」


 自分だって、迷子なのに。きっと心細かったろうに。それを表に出さずに、不安そうな少女を励まそうとして――。


「朱華ちゃんはやっぱり、ヒーローだよ。俺の知ってるどの女の子よりも、カッコ良くて優しくて。――自慢の彼女だよ」


 それは、夜道の提灯の如く、凝った心をじんわりと照らして解いていく、温かい光のような笑顔で。彼は微笑んだ。

 不意打ちでそんな言葉を浴びせられてしまっては、胸の内から、ぐっと込み上げてくるものがあった。それを何とか堪えようとして、朱華は顔を逸らす。


「音にぃは、ズルい」


 そんな顔で、そんな風に言われてしまっては、もう何も言えないではないか。

 そっぽを向いて唇を尖らせる彼女に、分かっているのかいないのか。小首を傾げて見せてから、砂音は朱華の頭を優しく撫ぜた。頑張ったねと、いつものように。

 朱華は、この手に弱い。やっぱり、この人には敵わないと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る