大切な人


「え? さっきの般若面って、あの更科?」


 朱華がかき氷の屋台に向かった後、その場に残された面々の間では、謎の般若面の正体についての話題が取り沙汰されていた。砂音から説明を受けた元同級生達が、口々に驚愕の声を上げる。


「更科さんって、親が蒸発して転校してった子?」

「ちょっ、それ禁句でしょ~」

「更科って、時任と仲良かった下級生の? あの男女だよな。マジかよ。すっかり女っぽくなってんじゃん」

「昔、男にしか見えなかったのにな。いい感じに育ってんじゃーん。特に胸の辺りとかさ。浴衣であれだけあるのって、相当だろ」

「やだ~、男子最低~」

「あー、面の下見てみてーな。てか、あの面、どんなチョイスだよ」

「それな。趣味悪すぎだろ」

「てか、お前らまだつるんでたんだな」


 愉快気に笑う彼らに対し、砂音が何か言いたげに口を開くも、それより先に、女子の一人が上機嫌に提案した。


「ね、折角だしさ。この後時任君も一緒に回ろうよ。更科さん戻って来たら聞いてみてさ」

「つーか、二人で来てたのか? まさかまさか、デートだったり?」

「あの男女と? 無いだろ。時任なら、もっといい女選り取り見取りだろ。そんな手近で済ませるみたいな事……」

「うん、デート」


 割って入った男子達の揶揄いに、サラリと砂音が答えると。予想外な反応だったのか、軽薄な笑みを浮かべたまま彼らは固まった。構わずに、砂音は続ける。


「だから、ごめん。誘ってくれるのは嬉しいけど、一緒には回れない。彼女と二人で過ごしたいから」


 一切の恥じらいもなく堂々とそう言ってのけると、砂音はにこりと笑み掛けた。いつもののほほんとした穏やかな笑みではなく、何処か凄みのある、一種逆らい難いものを感じさせる笑みだった。

 それには、口さがない人々をすっかり黙らせる力があったようで。元同級生達は、圧倒されて言葉を失ってしまった。


「の、ノロケられちまったよー」

「何だよ、熱々かよぉ」

「つーか、遅くね? 更科まだ戻って来ねえじゃん」


 暫しの気まずい間の後、誤魔化すように彼らがそれぞれ口にしたものの中には、砂音も気に掛かっていた事柄があった。

 そう。朱華がまだ戻ってきていない。近場の屋台に行ったにしては、遅くないか?

 立ち止まっていると邪魔になる為、脇に逸れて会話に興じていた訳だが。ここからだと、向かいの屋台の様子ですら人通りの多さに遮られて、明瞭には視認出来ない。もしかして、お目当てのかき氷屋が行列にでもなっているのだろうか。


「そうだね……俺、やっぱり朱華ちゃんの所に行くよ」


 みんなは、またね。と、そのまま別行動の挨拶を告げると、元同級生達も快く送り出してくれた。調子の良い事に、二人の仲を応援するような声も飛んで来る。それらには深く取り合わず、砂音は通りに戻ると朱華が向かったと思われるかき氷屋を探した。


 ――あれ?


 向かいの、と言っていたからあちら側だろう、と見当を付けてみたが。おかしな事に、それらしきかき氷屋はすぐに見つかったのに対して、その付近に朱華の姿が見当たらないのだ。それどころか、通りを歩く人混みの中に目を向けてみても、彼女の姿は何処にもない。

 鼓動が、不穏に脈打った。背筋に冷たいものが走る。にじり寄る不安を決定的なものに変えたのは、次に砂音が見つけたあるものの存在だった。


「あれは……」


 人々の行き交う足元。何気なく視線を落としたそこに、見覚えのある色彩の布の塊が落ちているのが見えた。人波を掻き分けて歩み寄り、拾い上げてみると。思った通り、それは朱華が手にしていた橙色の巾着袋だった。何故、これがこんな所に――。


「……朱華ちゃん?」


 問うような呼び掛けに、応える者は無く。零した声は、雑踏に吞まれて消えた。



 ***



「あった! うさぎ! あれはどうだ⁉」

「うん! あのうさぎさんだよ!」


 その頃、朱華と迷子の少女は、遂に〝うさぎの屋台〟を見つけ出す事に成功していた。それは朱華の予想通り、ゲーム系の屋台で。内部正面奥に設置された雛壇の一番上に、ででんと一匹。円らな瞳の愛らしい大きな白いうさぎのぬいぐるみが座らされていた。その下の段にも、多種多様な景品が並べられ、人々がコルクの弾を詰めた玩具の銃でそれぞれに狙いをつけている。


「射的の屋台だったか」


 それならまぁ、小さな女の子には危ないから駄目だと母親が止めた理由も分からなくはない。少々過保護な気もするが。

 件のぬいぐるみは目玉景品の一つであるようで、一番の大きさを誇っているが。ぬいぐるみ自体を狙うのではなく、景品名の書かれた横のボードに当てて倒したら貰える仕組みになっているようだ。しかし、それがまた細い上に小さく。おまけに一番遠い上段で、非常に狙い辛そうだ。お蔭で、まだ誰にも落とされていなかった事が幸いして見つけられた訳だが。


 当面の目的の達成に目を輝かせていた少女だったが、辺りにきょろきょろと視線を彷徨わせては、次第に表情を曇らせていく。その様子から察しは付いたが、朱華は一応訊ねてみた。


「どうだ? 近くに母ちゃん達は居そうか?」


 少女はふるふるとかぶりを左右に振った。やはり、居なかったようだ。どうしたものかと朱華が小さく息を吐くと、少女は見るからにしょんぼりとしてしまった。その瞳がうるりと潤むのを見て。


「な、泣くな! きっと、母ちゃん達もここに戻って来るって! そうだ、うさぎ! あれ、お姉ちゃんが取ってやるからさ!」


 大いに慌ててそんな思い付きを口にした朱華だったが、少女は思いの外その提案に食い付いてきた。


「ほんとっ⁉」


 ぱっと顔を上げて期待の眼差しを向けてくる彼女を、誰が裏切る事が出来ようか。朱華は握り拳を作って、力強く応じてみせた。


「ああ、任せろ! お姉ちゃん、こういうの得意だからさ!」


 少女が泣き出すのを阻止出来た事にホッとしつつ、そのままの勢いで射的屋の店主に声を掛けた。幸い、すぐに取り出せるようにと財布と別に小銭入れを帯の懐に忍ばせていたから、巾着袋が手元に無い今でも、幾らかの軍資金はある。

 さて、あとは本当に当てられるか、だ。射的なんて、それこそ小学生の時以来やっていない。しかも、中学生以上の大人は子供よりも更に離れた位置から狙わなければいけないルールになっているらしい。


 ――でも、外す訳にはいかねーな。


 家族と逸れて不安になっている少女に、少しでも笑顔を届ける為にも。朱華は一つ、大きく深呼吸をすると、改めて射的銃を構えた。最上段、大きな白うさぎの隣に置かれた、小さな的に狙いを定め――引き金を引いた。

 勢いよく射出されたコルクの弾は、吸い寄せられるように的に向かって飛んでいき……。


「あっ‼」


 当たった! 朱華の弾は見事、一発でお目当ての的を仕留めたのだった。「おめでとうございます!」と興奮した声で祝辞を飛ばしながら、店主がぬいぐるみを抱いて、朱華に授与する。受け取ったそれを、朱華は見守る少女に、ずいと差し出し。どうだ、と言わんばかりに得意満面な笑みを浮かべて見せた。

 伸ばした手が、そっと触れると。少女はそのまま、ぬいぐるみを愛おし気にぎゅっと抱き締めた。ふわふわの毛並みに気持ち良さそうに頬を寄せ、朱華に負けない眩しい笑顔を見せてくれる。


「ありがとう、お姉ちゃん!」


 最高の労い。それだけでもう、やった甲斐があったというものだ。少女の純真さに朱華が全力で和んでいると、そこに声を掛ける者があった。


「ナナ!」


 少女の名。ハッとして少女と朱華が同時にそちらを見遣ると、小学校高学年くらいの男の子がこちらに向かってくるのが窺えた。少女が即座に反応を示し、駆け出した。


「お兄ちゃん!」

「バカ! 何処行ってたんだよ! 母さんも心配してたぞ!」

「ママは?」

「あっちで待ってる! ていうか、そのうさぎは?」

「あのね、お姉ちゃんが取ってくれたの!」


 少女がこちらを振り向くと、彼女のお兄さんと思しき男の子と目が合った。笑い掛けようして、当初少女に怖がられたのを思い出し、軽い会釈だけして見せる。男の子は少し戸惑ったようだったが、同じように小さくぺこりと返してくれた。それから、「ほら行くぞ!」と少女を促して、背を向ける。


「お姉ちゃん、ありがとう!」


 最後に今一度元気に礼を述べると、少女はお兄ちゃんに手を引かれ、歩き出した。……母親の待つ場所へと。


「良かったな、ナナちゃん」


 彼女は、大切な人達の元へ無事に帰れたのだ。

 その背を見送りながら、朱華は少し羨ましくなってしまった。――逢いたい。自分も。早く。


 無性に、砂音に逢いたくなった。

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