迷子と遭難


 背中に感じる砂音の視線を振り切るように、朱華は半ば駆け足で目的の屋台を目指した。


 ――何で、逃げてんだ。あたし……。


 いや、理由は分かっている。砂音が同窓生達と楽しそうに話しているのを見て、自分は何だか邪魔者に感じてしまったから。

 それだけじゃない。砂音の事だから、きっとあのまま居たら朱華の事も彼らに紹介した事だろう。その時に注がれる視線を想像して、怖気付いてしまったのだ。


 母親が失踪した可哀想な子。そんな風に噂が立って、あの小学校では変に有名になってしまった。そうでなくても、自分は砂音の同級生の女の子達みたいに、ふわふわとした可愛らしさは持ち合わせていないのだ。

 こんな子が砂音の彼女なのか。と、落胆されるのではないか。なんて。


 ――いけねー。何弱気になってんだ。あたしらしくもない。


 自分が砂音に到底釣り合わない事は、最初から知っていた筈だ。その上で、彼が選んでくれたのだから。自信を持たなければ。

 過去ともちゃんと向き合っていくと決めたばかりだったのに。自分で自分が情けなくなり、朱華は心中で己に喝を入れる。


 よし、とりあえずかき氷を買ったら、戻ってちゃんと挨拶しよう。

 こんな風に不安になるのは、例によって最近彼に避けられている節があるように感じられるからだ。その辺りの事も、ハッキリさせて、しっかりしなければ。

 そう覚悟を決めて意気込んだ所で。朱華の耳が小さな悲鳴を拾った。


 ハッとしてその方角に視線を転じると、地面に程近い低い位置で、小さな女の子が人波に押しやられ、転びそうになりながら流されているのが見えた。


 ――大変だ!


 咄嗟にそちらに向かって駆け出すと、朱華は女の子に手を差し伸べた。


「こっちだ!」


 声に反応して、女の子が彼女の手を掴んだのを確認すると、朱華はその子を引き寄せて、人波から守るように腕の中に入れた。……が、押し寄せる人波がそれで止まる訳でなく。少女を抱いた朱華ごと、抗う術もなく大群の進行方向に流されてしまった。


 行き着いた先は野外ステージの設置された広場だった。丁度催し物が始まる時間帯だったらしく、人々が一様に急いでこちらに向かっていた理由が知れた。

 ようやく激流を抜け出せた朱華は、ステージから離れた位置で、腕の中の女の子をそっと解放した。特に怪我とかはしていなさそうだが、一応訊ねる。


「大丈夫か?」


 顔を上げてこちらを見た少女は、何某か答えようとしたのか口を中途半端に開いたまま、刹那硬直し――次の瞬間、思い切り青褪めた。


「お、おお鬼っ‼」

「⁉ ああ、そういやお面着けたままだったな。わりぃ」


 怯える少女の反応で自分が般若面を着けていた事実を思い出した朱華は、慌ててそれを外して笑い掛けて見せたのだが。


「鬼ぃいっ‼」

「何でだ⁉」


 素顔でも同じ反応が返ってきた。感じの良い笑みを作ろうとすると、どうも顔がぎこちなく強ばって凶悪な面相になってしまう朱華だった。


「おお落ち着け! あたしは悪い鬼じゃない! いや、鬼じゃない!」


 あたしが落ち着け、と自分にツッコんでから、改めて屈んで女の子と目線を合わせ。朱華は確認した。


「こんな所で、一人でどうした? 誰かと一緒じゃないのか?」


 すると、少女は思い出したようにぐずり出してしまった。


「ナナがうさぎさん見てたら、ママとお兄ちゃん、いなくなってたの」

「ナナちゃんってのか。えーと、つまりはぐれたんだな? 迷子か……」


 周りをキョロキョロ見回してみるが、誰かを探しているような素振りの人物は見当たらなかった。近場には居ないのかもしれない。

 そうしている間にも、女の子の顔はくしゃりと歪み、本格的に泣きべそスイッチが入ってしまいそうだ。


「あー、泣くな。大丈夫だ。お姉ちゃんが一緒に探してやる。こういうのは、下手に動き回らずに、最初にはぐれた場所で待つのが一番なんだ。どの辺ではぐれたか、分かるか?」

「……うさぎさんのところ」

「ん、んー……それって何屋さんか分かるか? まさか、屋台にペットショップはねーだろうし」

「あのね、うさぎさんのぬいぐるみが当たりなの。ナナそれやりたかったけど、危ないからダメって言われて。でも、ずっと見てたら、いつの間にかママもお兄ちゃんもどっか行っちゃったの」


 当たり……危ないからダメ。


「もしかしたら、ゲーム系の屋台か?」


 景品がうさぎのぬいぐるみの所を探せばヒットするかもしれない。屋台を探す内に先にこの子の母親かお兄さんに見つけて貰える可能性もあるし。


「よし、そうと決まれば、来た道戻ってみるか。……と、その前に」


 かき氷を買うと言って、そのまま砂音を置いて来てしまっていた。事情説明と合流を図る為、スマホで連絡を取ろうと思い立ったのだが。


「……あれ?」


 肝心のスマホが――いや、それを入れていた巾着袋自体が、手の中から紛失している事に気が付いた。

 一気に血の気が引く。いつから? いつから持っていなかった? 砂音と離れた時にはまだ手にしていたように思う。記憶回路を遡ると、すぐに心当たりのあるシーンに行き着いた。


 ――あの時か。


 きっと、人波の激流に呑まれている間だ。あの時に何処かで落としたんだ。それしか考えられない。



 ――マジか。これじゃ音にぃと連絡取れねーじゃんか。


 リアルに頭を抱えてしまった朱華だったが。女の子が不安そうにこちらを見る視線に気が付くと、ハッとして。やけっぱちに、ニカッと歯を出して笑んで見せた。


「大丈夫だ。安心しろ。きっと見つかるさ」


 少々ぶっきらぼうな手付きで少女の頭を撫でながら放ったのは、朱華が自分自身に向けた言葉でもあった。

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