違和感と、祭りの始まり


 バスは程なくしてやって来たが、座席は先人達ですぐに埋まり、ようやく朱華達の乗る番になる頃には、立ち乗りのスペースも大分埋まってしまっていた。


「どうする? 次のを待とうか」

「いや、あたしは大丈夫だ。行こう」


 砂音の提案に、朱華は気合い充分に答えた。先程投下した燃料が心中で勢い良く燃え上がっており、蒸気よろしく鼻息を荒くする。

 そうだ。グズグズしてはいられない。逸る気持ちのままに、混み合ったバスに自ら乗り込んだ。砂音が後に続くと、そこで丁度満員になったようで、背後で扉が閉ざされた。直後、バスが走り出す。


「ぅおっ」


 思いがけぬ大きな発進時の揺れに、朱華はつい、たたらを踏んでしまった。ぽすっ、と顔から飛び込むように寄り掛かったのは、なんと砂音の胸で……。瞬間、思考が飛んだ。


「大丈夫? 朱華ちゃん」


 頭のすぐ上から、砂音の声が降ってくる。吐息が掛かるような距離。


 ――ふぉおおおっ‼ 近い、近い‼


「ご、ごごごめっ‼」

「いいよ。結構揺れるから、捕まってて」


 慌てて離れようとする朱華を押し留めるように、砂音はそう告げた。

 捕まってて……と言われても。どうしたらいいのかわからずにおろおろしている間にも、バスは走行を続けている。悪路なのか、確かに結構揺れる。狭い車内では他に身の置き所もなく、朱華は観念して大人しくそのままの姿勢でいる事にした。


 大きな揺れが生じる度に、朱華が倒れないよう、砂音が支えてくれて……何だか、抱き締められているような気分になる。浴衣越しに伝わる温もりが、こそばゆい。高まる鼓動を悟られそうで、ハラハラするが。幸いバスの走行音が大きいので、それで打ち消されていると思いたい。


 ――まだか。まだ着かないのか。


 満員バス、恐ろしい。このままでは、目的地に到着する前にこちらの心臓が破裂しそうだ。早く着いてくれと思う一方、ずっとこのままで居たいような気もしてしまう。矛盾した自分が同時に存在していた。


 ――ていうか、どんな顔をしいていたらいいんだ。


 所在なさにずっと下を向いていたが。ふと、砂音がどんな表情をしているのかが気になった。思い切って様子を窺うべく、そっと顔を上げてみる。もしかしたら、彼も照れているのではないか。ほんのりとでも、頬を染めてくれていたら……。

 なんて期待を抱きつつ、見上げた先の彼は――窓の外を見ていた。朱華から顔を逸らすようにして。遠くを見るように。その表情が、何処か思い詰めたようで……朱華は、思わず息を呑んだ。


 視線を感じたのだろう。次の瞬間には、彼はこちらに振り向いた。目が合うと、ハッとしたような間を置いて。それから、ふわりと柔和な笑みを浮かべて見せた。今しがたまでの深刻さなど微塵も感じさせないいつもの穏やかな笑みに、朱華は幻でも見たのかと思った。

 そうして、遅れてやってきた照れに、一気に茹でタコ状態になると、再びぱっと下を向いた。


 ――ビックリした。


 何だったんだ、今のは。気の所為……だろうか。

 気にはなるものの、もう一度顔を上げて確かめるような勇気はなくて。心に少し靄の掛かったまま、以後はバスの振動に揺られるに任せた。



 ***



 十五分程の間だったろうか。朱華には無限にも感じられた走行時間だったが、やがてバスは目的地へと到着を告げた。すし詰め状態からようやく解放されて会場の地を踏むと、外の空気を思い切り肺に吸い込んだ。むっと暑くて乾いた、何処か懐かしい、夏の夜の臭いだ。

 だけでなく。ふわりと鼻腔に飛び込んで来た様々な食べ物の臭いは、向かいの通りから展開されている屋台の群れから漂ってくるものだろう。


 宵闇を照らす赤提灯のノスタルジックな光と、愉し気な祭り囃子のBGMに、嫌でも心は踊った。先刻まで抱いていた不穏な違和感も、頭の隅に追いやられる。童心に返ったような心地で、朱華は感慨深く漏らした。


「うわぁ、懐かしいな! ここの祭り、小学生以来か」


 朱華が転校する前に住んでいた、砂音の実家のある地だ。当時、砂音と他の男友達と一緒に、この祭りに来た事があったのだ。昔はやたら広くて大きく感じられたものだが、今見てもそれなりな規模があるように思える。何せ、町ぐるみのお祭りだ。神社まで続く通り一帯を屋台が占め、時間になれば河川敷で花火が打ち上げられる。盛大な催しなのだ。


 ここに来たいと言い出したのは、朱華の方からだった。色々あった末に、砂音とこうして晴れて恋人同士になる事が出来たのだから、二人の思い出の地を、またいつか訪れたいと思っていたのだ。その矢先、この祭りの存続を知り、是非にと誘いを掛けた。

 砂音も同じ事を考えていたらしいが、朱華にとってこの地にはいい思い出ばかりという訳でも無い事を知っていたので、誘いあぐねていたようだ。


 ――『大丈夫? 朱華ちゃん。もしかしたら、知っている人に会うかもしれないよ』


 心配そうに尋ねた彼に、朱華は力強く頷きを返したものだった。


 ――あたしは大丈夫だ。音にぃが一緒だから。


 六年前。母親の失踪から、向けられる同情と好奇の視線に追われるようにして、この地から逃げ出した。あの時の辛い記憶がなくなった訳ではないけれど。……それだからこそ。新たな幸せの記憶を沢山積み上げて、上塗りしよう。

 変わらない目前の町の風景と、いつかの夏祭りの記憶を重ね合わせながら。朱華は会場に向けて、一歩足を踏み出した。

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