花火大会☆ファーストキス大作戦!


 空は既に陽が落ちて、深い紺碧色に染まっていた。久々に降りた砂音の地元駅。改札を抜けると、待ち合わせのロータリーへと向かう。歩く度にカラコロと下駄の音が鳴り響き、気分を高揚させた。

 家からここまで浴衣姿で来たものだから、周囲の視線が気になって仕方なかった。


 ――へ、変じゃないかな。


 一度立ち止まって、改めて己の姿を見下ろしてみる。友人達と散々悩んで決めたそれは、緑地のストライプに、赤や黄色の鮮やかな花が、まるで花火のように描かれたレトロモダンなデザインの浴衣だった。

 やはり一緒に選んで貰って、正解だったと思った。朱華が自分で見繕ったものだと、黒地の渋いものばかりで。……危うく極道の女みたいになってしまう所だった。


 普段下ろしたままの髪も、今日はしっかりアップしてきた。本を見ながら自分で頑張ったのだが、編み込みも上手くいったし、我ながら良い出来だと思う。ソワソワと浮き足立つのは、項がスースーして落ち着かない所為だけではないだろう。


 ――音にぃ、どう思うかな。


 可愛いって、思ってくれるかな。少しはドキッとしてくれるだろうか。

 何せ、前回皆で選んだ渾身の水着ですら、キスの誘発には至らなかったのだ。リサいわく、「時任先輩みたいな真面目なタイプの人なら、水着よりも浴衣の方がときめくんじゃないか」説があるそうで。

 もし本当にそうだとしたら、今日――。


 ぱっと脳内に、自分と砂音のキスシーンを展開してしまい、朱華はまたもや心中で悶絶する事となった。

 いや、落ち着け自分! 気が早い!

 まずは、最近の彼の態度の変化について、確認しなければ。ただの朱華の思い過ごしであれば、それに越した事はないのだが……。


 考えながら歩いている間に、待ち合わせ場所に到着していた。駅前の開けたロータリー。バスの停留所の付近には、自分と同じく浴衣姿の人々が既に結構な数集まって列を成していた。

 毎年この時期になると、祭り会場行きの地元の民間バスが無料解放されているので、皆それ目当てに並んでいるのだ。斯く言う自分達もその例に漏れない訳だが。


 待ち合わせ相手がまだ来ていない事は、見回すまでもなく分かった。周囲より頭一つ分は背の高い彼の姿は、いつも何処に居てもすぐに見つけられるのだ。時計は集合時間の十五分前。ここまでは予定通り。朱華は心の中で良し、と着合いを入れた。

 リサの言葉を思い出す。


 ――『いい? シュカ。まず待ち合わせは、彼よりも先に着いている事。早過ぎても駄目だよ。彼の五分前くらいが理想。そうして、ナンパされてる所を彼に助けて貰うの! 自分はモテるイイ女なんだぞーって事を彼に見せつけて、危機感を抱かせると共に、ヤキモチを焼かせちゃうの! これぞ、〝待ち合わせ☆ナンパでヤキモチ作戦〟!』

 ――『待て、リサ。まずあたし、ナンパなんてされた事がねーぞ。その作戦、無理があるだろ』

 ――『大丈夫! シュカはちょっと目つきが悪いだけで……こう、顔を俯かせて伏し目がちにしておけば、ちゃんと美人なんだから! いけるいける!』


 ――本当にいけるのか?

 内心大いに不安に思いつつも、バス待ちの列から少し外れた位置に立つと、アドバイス通りにやや下を向いておく。後は、待つのみだ。

 朱華には分からなかったが、傍目には一人淋しく、憂いた艶を帯びて映ったようだ。そのまま、少し経った頃。彼女の不安を余所に、なんと若い男性二人組がまんまとこちらに寄って来たではないか!


「こんばんは~」

「ねぇねぇ、お姉さん。もしかして、一人?」


 ――うぉおお⁉ こ、これは⁉ ま、マジで来たっ‼ 人生初ナンパ‼


 まさかの待ち望んでいたシチュエーションの到来に、朱華は興奮と緊張でプチパニック状態になった。――ええと、なんて返せばいいんだっけか⁉

 確か、リサは『ハッキリとは断らずに、ひたすら困ったように笑っておけ』というような事を言っていた。……こんな感じか? と、砂音がよくやる眉を下げた困り顔の笑みを脳内にお手本として想起させながら、朱華は顔を上げて男達の方へと向き直った。


「あぁ?」


 途端に、男達が一気に蒼褪める。曖昧に笑い掛けたつもりの彼女の表情は、残念ながら本人の意図せぬもの――獰猛な獣が、不機嫌に口元を歪ませて睨め付けている――ようにしか見えなかったのだ。


「し、失礼しましたーっ‼」

「は⁉ ちょっ……」


 勢いよく回れ右をして退散していく男達の反応に、朱華は呆気に取られて、見送った。

 いや、待て。何でそこで逃げる⁉ これでは計画が台無しだ。砂音もまだ来ていない。――もう一回! もう一回ナンパして来いよ、お前ら‼


 内心じりじりしながら、バス待ちの列に加わった先刻の男達に念波を送るが如く熱視線を向ける朱華だったが。当の男達は蛇に睨まれた蛙のような気分を味わっていた。


『やべぇ、めっちゃキレてる! めっちゃキレてるよ!

『ぇええええ⁉ マジかよ、ずっとこっち見てんぞ! 悪かったって!』


 心中で繰り広げられる彼らの恐怖と嘆きの言葉は、当然朱華当人には届いておらず。彼女の鋭い眼光はずっと彼らに注がれたままだった。周囲もその異様な圧にドン引きしており、もう誰も彼女に声を掛けようとする者は居なかった。――ただ一人を除いて。


「あれ? 朱華ちゃん、もう来てたんだ」


 緊迫した場にそぐわぬ、穏やかで落ち着いた声。――朱華の大好きな声。振り向くと、案の定。彼女の本来の待ち人である砂音が、そこに居た。「今日は早いんだね」そう言って笑う彼は、紺色の浴衣を着ていた。

 ……ああ、そうだ。実家がやたら大きな和風建築な所為か、砂音は幼い頃から夏祭りといえば、いつも浴衣だった。小学生の頃の思い出の彼に、現在の高校生の姿が重なる。


 あの頃よりも、ずっと高くなった背。少し骨ばった、大きな手。すらりと長い首筋には、喉仏が窺えて。女性が羨ましがるような色素の薄い肌に、長い睫毛を携えた綺麗な容顔をしていても、しっかりと男性だという事が分かる――そんな、大人になった幼馴染兼恋人の姿に、改めて朱華はうっとりと魅入ってしまった。

 

 ――ていうか、胸元!

 浴衣の合わせ目から覗く彼の胸元が、存外大胆に存在を主張していて。朱華は思わず頬を染めると視線を外してしまった。水着の時も大概目のやり場に困ったものだが、浴衣もこれはこれでヤバイ。


「朱華ちゃん?」


 キョトンと小首を傾げる彼に、朱華はハッとして弁明した。


「あ、ああ! まぁな! ちょっと、ワクワクしすぎて、早めに来過ぎちまった!」


 咄嗟に出た言い訳だったが、あながち嘘でもない。朱華の言葉に、砂音はまたぞろ目を丸くすると、直後。嬉しそうに破顔してみせた。


「俺も。凄く楽しみだった」


 ――ああ、天使の笑みだ。浄化されていくようだ。


 朱華がそんな事を思って、じんと胸を打たれていると。彼は、改めてこちらをじっと見つめて。「朱華ちゃんも、浴衣なんだね」と零した。

 そういえば、朱華は子供の頃は夏祭りでも普段着だったので、浴衣姿を見せるのはこれが初めてだ。彼女が俄かに薄い緊張を纏う中、砂音は、続けて言った。


「綺麗だね。とても似合ってるよ」


 また、さらりとそんな事を! 内心で地団駄を踏む勢いで悶絶を余儀なくされる朱華の心情を知ってか知らずか、砂音は相変わらずほわほわと微笑んでいる。――何だか、負けた気分だ。彼をドキドキさせる筈が、こちらばかりドキドキさせられてしまっている気がする。


 ――いいや、まだこれからだ!


 そう、最初のナンパ作戦は不発に終わったが、まだまだ祭りの本番はこれからなのだ! ここから取り戻していこう!

 改めて決意を固めると、朱華はこっそりと拳を握り締め、気合いを入れ直したのだった。

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