GW編2


 電気を付けていないので薄暗い、学校寮の一室にある我が城はこの一か月で十二分に荒れ果てていた。


あれだ、エントロピーは拡散するというやつだ。物理の授業で言っていた気がする。


 いつもは配置が分かっているので不自由しないこの部屋も、今ばかりは散乱ぶりを反省しなければならないだろう。


 俺は今、充電を忘れられて拗ねたのか、部屋のどこかに隠れてしまったスマホを探していた。


 まるで泣いているようにスマホ。


 そう電話が来ているのだ。


 音がする辺りを探すことしばし。昨晩読んでいた雑学本の間に虚しく隠れる愛機を見つけた。どうやら昨日の俺に栞としての役割を押し付けられていたらしい。


 見つけられたことに満足したのか、俺が手に取ったタイミングでスマホは泣き止んでしまった。


 慰めるようにやさしく電源ボタンを押すと、土曜日の6:00という無慈悲な表示の下に、登録されていない番号からの着信履歴がある。


 このバイトを始めてから度々起きる現象だが、経験上見知った人間であることが多い。


 俺はためらうことなく折り返しをかけた。


「遅い」


 ワンコールの後、電話から聞こえてきた冷たい声音にかすかに残る眠気が綺麗に吹き飛んだ。


 この声の主はまさか……。


「月崎……か?」


「なにか問題があるのかしら?」


 連絡先を交換した覚えはないが、恐らくアネモネのデータバンクから連絡先を調べたのだろう。


 とはいえ、月崎が俺に電話をしてくるとは。ろくな用件でないに違いない。


 これ以上話すメリットが思い浮かばないため、俺がいかに素早く電話を切るか思考していると、普段の月崎らしからぬ穏やかな話題から入った。


「早朝に悪かったわね。寝ていたの?」


 先程眠気を吹き飛ばした寒気が、さらに背筋を冷やした。


 相手を気遣うという行為自体に利益は無い。だが、他者と取引を行う場合は心理的な摩擦を軽減できるため非常に有益な手段だ。


 ……ようするに、この後に間違いなく面倒な要件が続く。ましてや日頃からそのようなやり取りがない間柄ならば余計にだ。


 俺は言い訳がてら混乱する頭でひとまず現状を説明した。


「スマホと喧嘩してな。混沌の中から救出して復縁したところだ」

「なにを言っているの?」

「分からん」


 電話の向こうで聞こえるため息交じりの声を肯定するしかない。


 だが、このくだらないやり取りで覚悟が決まったのか、月崎がハッキリと告げた。


よ。今日の午前八時にアネモネ七王子支部の前に来なさい。一泊分の荷物を用意するように」


「は?」


 せっかく落ち着きつつある頭が再度冷や水を浴びされたように混乱した。


 要するに泊りがけのバイトの依頼ということだが、同時に三つほど疑問が浮かぶ。


「この連休で俺が外にいた場合はどうしたんだ?」


「この前、第三課の控室で実家に帰るメリットがないって話していたじゃない」


 ……そういえばそうだった。俺の両親は他界しており、世話になっていた母方の祖父母は海外旅行中だ。誰もいない家に帰る意味もなかろう。


 それにしても月崎は俺達より先に探偵の仕事を始めていただけあって、興味なさげであっても意外と人の話を聞いている。あの時も読んでいた本から顔すら上げなかったと思うが。


「泊りがけでどこへ行くんだ?」


「優枝さんが送ってくれるそうだから詳しい場所は彼女に聞いて。それか琴乃さんや天藤君なら知っているかもね。二人には昨日、優枝さんが連絡したそうだから」


 そう言われて俺は自室で一人顔をしかめた。


 いよいよ話が変な方向へ向いてきた。俺も覚悟を決めて三つ目にして最大の疑問をぶつける。


「なぜ、お前……月崎が俺に連絡してきたんだ?」


 俺達第三課へ依頼の連絡は基本的にリーダーの樹人か受付の青木優枝嬢によって行われる。それが一体どうして月崎の口から伝える流れになったのか。

 

「さっき言ったでしょう。大変非常に極めて不本意なのだけれど……依頼よ、私から……あなた個人への」

 

 月崎の苛立ちと恥の板挟みのような声で伝えられた、思いがけない言葉に思考が固まる。俺は絞り出すように返すのが限界だった。


「お前の不満は分かった。それで、具体的な依頼内容は?」


「あなたたちが行く旅館は姉さんの友人の実家なの。3か月前、そこに爆破予告が届いたそうよ」


「かなり前だな」


「ええ。予告日は今日の夕方。ただ、風評被害を恐れて警察には連絡せず、代わりに警備員やあなた達だけを客として受け入れているようね」


 客が予告された事件に巻き込まれたらそれこそその旅館は一巻の終わりだと思うが、目先の利益に目がくらんだのか、本気にしていないのか。


 だが、月崎の声はどこかその予告状に確信をもっているように聞こえた。


「爆破を未然に伏せってことか? 俺に爆弾解体の技術はないぞ」


「それについては天藤君がリーダー研修でトレーニングを受けているから大丈夫というのが姉さんの見解。私にはそうは思えないのだけれど」


「お前はもともと人を信用していないだろ……。けど、今回は同感だな」


 樹人が、あの飄々とした金髪が怪しい手つきで爆弾を解体している光景が浮かぶ。


「まあ天藤君はどうでもいいわ」


 脳内の天藤が誤った線を切って吹き飛ばされた。友よ、達者にな。


「私の依頼はよ」


 どういうことだ? 爆破を未然に防ごうとするのは俺達側のはず。


「おい、月崎……」


「私は別件で動けないわ。琴乃さんと天藤君には荷が重すぎる。だから極めて大変非常に不本意で不服なのだけれど、貴方しかいないの、東雲しののめ大和やまと君」


「消去法かよ……」


 俺が真意を問おうとするも、それを遮るかのように早口な月崎の言葉が被さる。


 相変わらず不服さを前面に押し出した依頼だが、それでも人間不信なはずの彼女の言葉はこの一か月の結果のように思えた。


 やむを得ず、俺は渋々と尋ねる。


「危険手当はでるんだろうな?」


「旅館なのだから現物給付なのではないかしら?」


「こんなに休まらない旅行は初めてだ」


「休んではだめよ。依頼だもの」


 鬼かな?


 月崎に貸しを作れる以上の利益が見えないし、やっぱり断ってやろうかと思ったが、見計らったかのように月崎が言葉を続けた。


「最後に姉さんからの伝言。この旅館で『手がかりが見つかるかもしれない』そうよ。詳しく聞かされていないから詮索しないけれど、気を付けなさい」


「ご忠告どうも」


「ええ」


 月崎はそう短く言うと、手早く電話を切ってしまった。


 無意識にテーブルの上に置かれた懐中時計を手に取る。


 この状況で月崎翡翠が俺に伝える手がかり。

 

 兄貴の行方、か。


 俺は意味もなく、その懐中時計を握りしめた。

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