委員会編7
「琴乃先生、PCがフリーズしました」
「分かりました。見せてください……ってシノッチまで先生って呼ばないで!」
俺の雑な振りに、それらしい丁寧な言いまわしで即答したのは我らがハッカー、琴乃春音先生様だった。ちなみに入部したてのパソコン部ですでに顧問からも先生と呼ばれているのはちょっと前に得た情報だ。
俺が青いロボットに泣きつく眼鏡少年の気持ちに共感していると、歩み寄ってくる琴乃を見て貸し出しに来ていた生徒が反応した。
「あ、その……春音ちゃん」
「ああ、由美ちゃん。やっぱり図書館に来てたんだ。さっき佐々木さんが探してたよ?」
「ほんと? なら貸し出しは今度にします。失礼します」
佐々木、佐々木……うちのクラスの生徒だろうか?
俺はその三文芝居のようなやり取りに違和感を覚えながらも、去り行く女子生徒を見送って、カウンターへ入ってきた琴乃に席を譲った。
「それで、どしたの?」
「いや、先程の生徒の学生証をスキャンしたらフリーズしてな」
「どれどれ……。うーん、なるほど」
そう言いながら琴乃がいくつかキーボードを同時押しすると画面が暗転し、文字列が浮かび上がった。気づけば四次元かどこからか取り出したのか、小型のタブレットを接続して何やら弄っている。
「もう少しかかるから、その辺で暇潰してて」
「ああ、頼む」
俺はカウンターから出て適当に新聞を手に取ると、近場の椅子をカウンターの向かいに移動させて新聞を広げた。
『学校へのサーバー攻撃による生徒個人情報の流出』『怪盗団を名乗る謎の集団が博物館に予告したも現れず。悪戯か』『巨匠、白澤の新作映画公開記念』
……下らない見出しばかりだな。
「シノッチ、普通に机で読んでてもいいよ?」
「別にそれでも良いんだが、司書の先生にその様子を見られると弁明が面倒だからな。見張りでもしていたことにするさ」
「うーん。シノッチ、正直気が散って邪魔だから粗大ごみの日は気を付けて。そもそも画面見ても何やってるかわからないでしょ?」
「まあな」
俺の堂々とした返事を聞いて小さく笑う琴乃の笑みはどこか作り物じみた感があった。もしかすると今朝のことをまだ引きずっているのかもしれない。
どのように犯人を捜すか、いや、そもそも俺がこの件に介入する利益はなんだろうか。触らぬ神に祟りなし。いじめがあったら見て見ぬふり。これは現代人の常識だ。
何か違和感を覚えつつも俺はひたすら御託を並べる。
今朝の態度から察するに橋本自身も俺たちには関わらないでもらいたかったみたいだしな。
「ねえ、シノッチ」
琴乃がマウスでスクロールしながら、抑えめの声で話しかけてきた。
器用な奴だと感心しながらも、俺は黙って続きを促した。
「今朝の件どうするの?」
「どうするっていうのは?」
「もちろん、雪ちゃんを助けるかどうか」
俺はまた沈黙で返す。ちょうどそれについて考えていたのだ。
だが、何度考えても得られる利益がない。
張る見栄もなければ、見せる相手もいない。
心情では助けるべきと思う一方で、信条が邪魔をする。
そもそも俺が何かする必要があるのだろうか。誰か教員辺りが解決するのではなかろうか。別に人でなくても、時間が解決する場合もある。それまで橋本が耐えきれば……。
俺の思考が堂々巡りとなってきたところで、時間切れを示すように琴乃は「そっか」と小さく呟くとカタッという音を立てて、ワザとらしく大きく伸びをして宣言した。
「はい、終わり! これでまた動くよ」
「助かった」
「やっぱりさ、人に感謝してもらえると嬉しいよね」
そう言って、俺とすれ違うようにしてカウンターを出た琴乃は静かに言葉を置いた。
「シノッチ、PCが壊れた時は焦ったでしょ? 心細かったでしょ?」
「まあ、そうだな」
決して如何に責任転嫁するか考えていた、と言える空気ではないので適当に首肯する。
「一人で困るのってさ、辛いじゃん。そんな時に他の人が助けてくれたら嬉しいでしょ?」
「お節介という言葉もあるぞ?」
「でも、私は助けてもらって嫌だったことは一度もないよ?」
お前の過去なんて知らない。そう言うのは簡単だが、人の価値観を否定することは何の利益にもならない。代わりに別の例を挙げた。
「俺はちゃんと助けを、助けられる能力のある人物に頼んだ」
「それはシノッチが強いからだよ。普通は勇気がでなくて声を掛けられないか、そもそも辛いことに気付いてないか」
琴乃の言いたいことは分かる。
だが、それでも根本的な思想が違うせいか、納得はできない。
「私はね、辛い時に助けられるのが友達だと思うんだ」
それは理想論だ。美化された教育上の友情だ。その本質はただの相利関係に過ぎない。
だが、物事の本質を論じることが常に有益であるとも限らない。
「だからね」
彼女の理屈は至極単純だ。自分が助けられて嬉しかったから人を助ける。実に人ができた考え方だ。だからだろうか、続く少女の宣言は捻くれた俺には眩しかった。
「私は、雪ちゃんを助ける。何が助けになるか分からないし、助けになれるかも分からないけど私は助ける。情けは人の為ならず、だよ!」
そう言葉を残して、図書室を後にする琴乃から視線を逸らしながら一人になった環境で思考する。
一体彼女は何が言いたかったのだろうか。たかが一月とはいえ、俺が自分の利益を基準に行動を決めていることは何度も明言してきたはずだ。仮に俺を動かしたいなら何か具体的な利益を提示するのが合理的だろう。そもそも俺に全く関心が無いという可能性も十分あるが……まあ、考えるだけ無駄だな。最善手を指し続けることができないのが人間なのだ。
俺はそこで一度思考を打ち切り、最後に琴乃が残したことわざについて考える。
「情けは人の為ならず、ね」
どういう意味だったかな。魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えた方が良いとかか?
その時、ふとカウンターの上に置いていた左手に情報の詰まった紙が当たった。
何となく文字を追っていると、『今日のことわざ』というコラムが目に付いた。
「今日は『情けはひとの為ならず』ということわざについて紹介します。この言葉は、助けすぎると本人のためにならない、という意味と勘違いしている方も多いです。ですが、正しくは、人を助けることは巡り巡って結局は自分のためになるという意味なんですね。一日一善、自分のためと思って今日から人助けをしてみましょう!」
驚異的なタイミングの良さに違和感を覚えながらも、欲しい情報が入ったことに満足する。
人助けが巡り巡って自分のためになる、つまり、人助けは最終的には自分の利益になるってところか。
俺はなんとなくPCの動作確認を兼ねて再度マウスを動かす。画面には最後にスキャンした学生証の人物と思われる、4年J組、厚木由美という名前が表示されていた。
やはりクラスメイトだったか。
確かに、三年あれば利益が回ってくるまでの時間としても十分か。だが、イジメに介入するデメリットの方が大きいなんて誰でも分かるだろうに……。
そこでふと予感がして、思考を加速する。
ちょうど人の列が収まったタイミングでの故障、それを見越したように現れた琴乃。そもそも携帯端末を持ち歩いているのに、同級生が直接呼びに来る必要は……。
「情けは人の為ならず、ね」
しばし思考した後、俺はこの言葉を持ってきた琴乃のしたたかさに舌を巻きながら小さく呟いた。
面白い。今回はその努力と計画性、実行力を評価して、そして琴乃を助けるという意味も兼ねて動くか。
俺はゆっくりと立ち上がると、人が来なくなったカウンターを出て新聞を戻した。
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