委員会編5

 琴乃と共に校門を抜けて昇降口へ入る。


 下駄箱の前で見覚えのある女子生徒の姿があった。


 彼女は確か前の席の……誰だっけ?


「あ、おはよう、雪ちゃん!」


 そうだ、将棋部の部長に絡まれていたボッチ少女、橋本雪奈だ。


 俺のそうだという感想が表情に出てしまっていたのか、琴乃に軽く睨まれる一方、睨まれてもないのに橋本は慌ててこちらを向いて笑みを作ると素早く背に何かを隠した。


「お、おはようございまちゅ……噛みました……」


 目元に涙を浮かべている姿に庇護欲をそそられないでもないが、反射的に口を押える様子もない姿に違和感を覚える。


 どうやら背に隠したのは余程俺達に見られらたくないものと踏んだ。


 琴乃も気付いたのか、何か新しいおもちゃを見つけたような笑みを浮かべている。


「雪ちゃん、手に何を持ってるの?」


 下卑た笑みを浮かべる琴乃と必死に目を逸らしてもぞもぞと言いつくろう橋本。


「さてはラブレター?」


 じわじわと攻寄る琴乃に対して、橋本は目の淵に滴を浮かべて必死に逃げようとしている。


 俺は眉を顰めると、琴乃の後ろ襟を掴んで強引に橋本から引き離した。


「やめろ、琴乃」


「あっ、ごめんね雪ちゃん。それとシノッチ、その手を離さないとセクハラで訴えるよ⁉」


「ああ、すまん」


 ドタバタと暴れながらもしっかりと謝る琴乃。


 俺が手を放すと頬を膨らましつつ襟を直した。


 相変わらず後ろ手に何かを隠したままの橋本は胸をなでおろして感謝を述べてくる。


 が、寝起きの時とは違ってツンデレでも何でもなく橋本のために琴乃を止めた訳ではないのだ。


 俺はしっかりと周囲に人気がないことを確認してから、冷めた声を自覚して口を開いた。


「もっとも、その手に持ってるものは見せてもらうがな」


「おお、シノッチ強気だね」


「え、いや、あの……」


 俺の言葉に俯く橋本を見て、俺は自分の予想が正しいことを察す。


 橋本の説得を兼ねて、能天気な琴乃にも分かる様にゆっくりと尋ねる。このまま琴乃が不正確な噂をバラ撒くとちょっとシャレにならないことになるのだ。


「琴乃、早朝の下駄箱に入っていて同級生に見られたくないものと言えば?」


「もちろんラブレターでしょ!」


 俺の問いに間髪入れずにドヤ顔で答える琴乃。電子機器の扱いは大人顔負けでも、所詮中身はただの女子高生か。


「ラブレターの形状は?」


 俺の追加の質問に戸惑ったように琴乃が答える。


「そんなのレターだから手紙、紙に決まってるでしょ。シノッチ貰ったことないの?」


「無いだろ普通。むしろ何でそんな貰って当然みたいな言い回しなんだ」


「いやーシノッチはモテないんだねえ。そうだよね、急に女の子の襟首掴むような人だもんね」


「根に持ってるなら悪かったな。話を戻すぞ」


 そう、琴乃が陽気な雰囲気で話しているから浮いた話に思えるが、事態はもう少し深刻だ。その証拠として橋本が未だに、必死に背に隠し続けているという事実がある。


 俺は咳払いをすると琴野に最後の問いかけをした。


「お前はどうしても同級生から隠したい手紙があったとして、どうやって隠す?」


「うーん。ポケットに入れるか背中に隠す?」


「いい回答だ。それで一枚の紙だったとして、背中に隠す時どうやって隠す?」


「それは勿論手で……あっ、片手で持ってもう一方は隠してません、ってアピールするかも!」


「まあ、それが妥当だろうな」


 琴野がハッとしたように口に手を当てる一方で、橋本の腕が震えているのが見て取れた。前髪で隠れて表情は見えない。


 せっかく気を使ってくれたのに申し訳ないが、ここははっきりと言わせてもらおう。


「つまり、片手で持てないということは手紙の可能性は低い。でもって反射的にポケットに入れることが躊躇われるものが下駄箱に入っていたということだ。


 例えば……ゴミ、とかな」


 俺が言い終えると同時、橋本は諦めたように溜息をつくと隠していたものを前に出した。


 あまり当たって欲しくはなかったがな。


「きっと、誰かが間違えたんですよ。酷いですよね」


 そういう橋本の怒ったふりのような口調とは裏腹に、その瞳は不安で揺れていた。


 そう、彼女は本心では分かっている。これが単なる事故でないことを。


 だが、ここで不安を返しても仕方がない。


 琴野は小さく「ゴメンね」と呟いた後、ややワザとらしい、それでも今この場に求められる明るい笑みを作った。


「ほんと酷いね。こんな非道な犯人、きっと探偵が見つけ出してしょっ引いてくれるよ!」


 そう言ってこちらにウインクする琴乃。


 彼女の意図は分かる。だが、得るものがない。利益がない。


 いじめに関与することは自分に火の粉が降りかかるリスクを伴うのだ。


 その事実が俺の判断を鈍らせた。


 その間に琴乃が怪訝な表情を浮かべたのと同時、


「大丈夫です。もし続いたら、しっかりと先生に相談しますから」


 と気丈なセリフを橋本が述べた。


 琴野が励ます声を聞きながら、訳もない苛立ちを募らせつつ、荷物を置くため教室の階段を上る。


 もうすぐ五月になるというのに、訳もなく廊下は肌寒い気がした。


 そんな重たい空気を砕くように琴野が勢いよく教室のドアを開けた。


「いっちばーん!」


 相変わらずワザとらしく明るい声を上げる同僚を眺めながら、自分の机に向かう。


 が、先頭を歩く琴乃がふと立ち止まった。


「来ちゃダメ!」


 必死な言葉ももう遅い。


 俺と橋本は確かにそれを見てしまった。



 橋本の机にある悪意を。



 当の本人は静かに手に持っていた鞄を落とした。


 稚拙な文字で黒く汚されたそれを見れば誰だって自然と怒りが沸き上がってくる。


「幼稚だな」


 学校の机はプラスチック製なので、拭けば汚れは消えるだろう。だが、心の傷はそう簡単には消えない。


 思わず口を突いた俺の言葉を合図に、ようやく現実に戻った橋本が顔を上げた。


 その青白い頬に流れていた線が印象深かった。


「すいません、私……」


 そう言い残すと、橋本は黙って教室の外に走り出していった。


「待っ……」


 琴乃の言葉も届かない。


 教室の出入り口で誰かとぶつかったが、小さく謝罪してどこかへ去って行った。


 彼女が早朝から登校していたのは俺と同じく図書当番だからだ。だが、図書室とは逆方向に向かった。


 あの方向なら屋上だ。だが、彼女の性格からして恐らく早まることは無いだろう。いや、その勇気を持ち合わせていないだろう、とこの状況を冷静に俯瞰している自分が告げる。


 その声に更に苛立ちを募らせる一方で俺は確かに、隣に立つ少女の呟きを聞き取った。


「ひどい」


 短い一言。


 これを働いた犯人に対する怒りか、追いかけなかった自分への叱責か。


 その真意は本人しか分からないだろうし、本人も分からないかもしれない。


 だが、俺はこの時点で自分の仕事が増えたことを自覚した。

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