委員会編4
ジリリリリリ
無情な目覚ましのアラームを止める。
照明を完全に落とした1K、10畳ほどの寮の部屋で、ぼんやりと目を開きカーテンの隙間から青い光が漏れていた。部屋はいつも通り読み終えた本で足場の大半が埋め尽くされており、部屋の中央に置かれた椅子コタツが4月末にも残る早朝の寒さを主張している気がした。
「寒い……」
そう呟き羽毛に再度潜る。一瞬を長く感じる程の時間とともに、温もりと睡魔に包まれた。
何か用事があった気がしたが、まあいいだろう。この安らぎの前には何もかも無意味……。
ピピピピ、ピピピピ
せっかくの二度寝を今度はスマホのアラームが妨げる。
だが、高校生にとって一日平均4時間近く触っている相棒だ。目を開けるまでも無く手探りで操作してアラームを止めるなど、文字通り朝飯前。
これで今度こそ……。
ジリリリリリ
ピピピピ、ピピピピ
なにかの本で読んだが、人間は二方向から同時に攻撃を受けると弱いらしい。
「……負けました。ありがとうございました」
花粉による鼻づまりのような重たい頭をもたげて両方のアラームを止める。
現時刻は7時前。
昨日の自分に対して投了すると同時に、三重で目覚ましを掛けた昨日の自分に感謝する。
ちなみに、あと四回ほど1分おきにアラームが鳴る様に設定してあった。
……どれだけ信用してなかったんだ、昨日の俺よ。
そう愚痴りつつも内心で感謝するというツンデレごっこをしつつ、顔を洗い、冷凍していた食パンをオーブントースターで焼きバターを塗る。
普段は食堂で食べているのだが、時間が無い時はこうしてオーブントースターで適当に焼いたパンをつまむのが昔からの習慣だ。
さて、俺の信じる真理として「人間は利益を得るために行動する」というのがある。たまに、目先の利益に眩んで長期的に不利益な行動をしてしまうこともあるが、早起きなど不利益・無益の代表格たる行為をするということには、それ相応の利益、理由があるのだ。
そう、今日は……図書当番である。
下らないと思うかもしれないが、この責務を果たす利益は大きい。というより、サボった場合の不利益が計り知れない。周囲の信頼を失い、教員に叱られるだけに留まらず振替で同じ業務をやらされ、一方で穴埋めをしたにもかかわらず内申点は削られる。哀しいかな、これが学校という社会に縛られた社畜ならぬ校畜、学生の務めなのだ。
という訳で、早朝の睡眠という多大な犠牲を払ってでも俺は図書当番に行く!
垣間見える社畜な未来を逃避しながら手早く身支度を済ませて電子錠を閉め、エレベーターで一階へ降りた。男子寮を出て二重の自動ドアになっている事務棟のエントランスを抜ける。
学校まで徒歩十五分と地味に距離があるのは単に適した土地が見つからなかったからか、それともインドアな学生に運動させるためか。場合によっては通学という学生生活らしいイベントを維持するなんて下らない理由かもしれない。
そう、通学路のイベントと言えば……。
そんな下らないことを考えていたせいか、トントンと左腕を軽く叩かれ、驚きと共に左を振り返ってしまった。
「おはよう、シノッチ。残念、こっちでした!」
反対方向、つまり右側から悪戯っぽく声を掛けてきたのは、やや湿らせた長い灰色の髪を靡かせる少女、琴乃春音だった。
先ほどまでの妄念を振り払い、早朝の低い血圧が正常に戻ったのだけ確認して俺は先ほどの反省を行う。
「肩では無く腕を叩かれた時点で察するべきだったな」
「シノッチ朝弱いんだね」
「逆に琴乃は元気だな」
「まあ、流石に寝起きはテンション低いけどね。でも寮には温泉あるし、アレで朝風呂するのが楽しみなんだ!」
……温泉? 寮に?
顔に出ていたのか、琴乃が丁寧に解説をしてくれる。
「あれ、シノッチ知らない? 共用棟の二階に温泉あるの。寮の移転先探してる時に偶然源泉が見つかったから、先代の理事長が私財で買い取ってここに寮を立ったんだって。月野先生が言ってたからソースは信用できるよ、たぶん」
「そんな理由かよ……」
月野先生は本名、月崎翡翠。俺達のクラス担任にして現在通っている穎稜学院の理事長兼アネモネ七王子支部の支部長。その理事長が言うのだから間違いなかろう。
それにしても寮と学校が離れていた理由が温泉だったとは……。
もうどうでもいい。ひとまず今晩行ってみよう。
「ところで、琴乃は何で今日はこんな早いんだ? いつも遅刻ギリギリだろ」
「ギリギリとは失礼な。一定の割合で遅刻してるよ!」
「ギリギリアウトじゃないか……」
俺の諦観の籠った発言を軽く笑い飛ばして琴乃は口を開いた。
「アタシは今日日直だから。シノッチは?」
「俺は図書当番だ」
「……あれ、今日だっけ? 昨日じゃなく?」
「怖いこと言うな。昨日放課後、図書室へ直接確認しに行ったから多分大丈夫だ。それにせっかく早起きしたんだから今日に決まってるだろ」
「……そういうことかぁ。それにしても根拠の重さが逆だよ⁉」
俺の言葉になにか呟いてから丁寧なツッコミをいれると琴乃はふと思い出したように、それにしても、と話始める。
「男女別の五十音で日直なんて小学生みたいだよね」
「どうせ月野先生の気まぐれだろ。あの人、何だかんだで恋愛脳な節があるからな」
「女の子はいつまでも乙女なの! さすがに職権乱用な気がしないでもないけど」
アレは裁判で勝てるレベルと思いつつ、隣で笑う琴乃を目の端に留めて思考する。
琴乃春音という少女はかなりフランクな性格で、客観的にみてもかなり可愛らしい部類に入るだろう。ただ、そんな性格に対してあの異常なハッキング技術。家出したとは言っていたし、彼女の過去に一体何があったのか。そしてそれは樹人や月崎も同じだ。樹人は完全にアメリカで育っただけとも思えないし、月野先生との関係も不明。月崎も前の事件で多少は聞いたが、あの病的な人間不信は並大抵の出来事で形成されるものではない。気にはなるが踏み込んで良い内容かどうか。
「ねえ」
踏み込んだ場合のメリットは価値観が分かるので行動の予測がしやすくなること。
「ねえってば」
踏み込んだ場合のデメリットは拒絶される可能性と実質的に得るものがないということ。
これらを天秤にかけた場合……。
「ねえ、シノッチ!」
俺がふと現実に帰ったのは背伸びした琴乃に耳元で名前を呼ばれたからだった。
「すまん、それでなんだ?」
心拍数が増加しているのは急に現実に引き戻されたからであって、隣にいる少女のシャンプーの匂いがどうとかそう言う理由ではない。
誰にでもなく言い訳を並べていると琴野がキョロキョロと周囲を伺っていた。
「何か視線を感じない?」
気付けばもう学校の正門が見えており、俺達と同じ境遇と思われる学生がチラホラと歩いていた。そして、言われてみれば誰かに見られているような気もする。
「可能性としては早朝から登校している人間の理由を考えている場合、男女が二人で歩いているからという邪な視線。場合によっては先の会話で月野先生が呼び出されたとかあるかもな」
「最後の『それありそう』って思っちゃうこと自体が一番怖いんだけど」
「あの人、割となんでもありだからな」
「くわばらくわばら」
大袈裟に両手を合わせて念仏を唱える仕草をする琴乃を眺めながら、葉桜が青い芽を出し始める校門をくぐった。
まさか、ね。
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