章間 アネモネチュートリアル(下)
青木さんは俺達に海外の某有名魔法ファンタジー作品と同じくらい分厚い探偵カタログなる冊子……というよりも本を配って説明に移った。
「今から、皆さんには制服を選んでもらいます」
なんだろう。帽子で組み分けして制服の色を決めるとかそんな感じだろうか。
ペラペラとページをめくると服の他に双眼鏡や簡易GPS発信機、スタンガンや拳銃までいろいろと探偵業務に役立つか微妙なラインナップが載っていた。ただ、それらのカタログの前に数十ページに渉る大量の法律やら注意事項やらが記載されていたのはご愛敬である。
こういうものが好きそうな琴乃はすっかりこの本に見入っている。単に興味が勝ったのか、宿題を諦めたのかは俺の知ったことではない。
制服と言われて俺はふと月崎を見た。最近よく目が合う気がするのは俺の自意識過剰というものだろう。
「何かしら?」
「いや、お前のそれは私服なのか制服なのかと思ってな」
その言葉にきょとんとし、顎に手を当てて考え込む月崎。
現状、月崎を覗く俺達三名は私服でアネモネに出入りしている。実は以前、穎稜学院の制服で来たことがあったのだが、青木さんにしばらくは私服で来るようにと注意されたのだ。
月崎の白のブラウスに黒のロングスカートという装いは私服にしてはお嬢様然としているし、制服としてもカタログをパラパラとめくった感じではありそうだ。
だが、俺の予想に反し、返ってきたのはあいまいなものだった。
「そう言えば深く考えたこともなかったわ。制服といえば制服だし、私服と言えば私服ね」
「どっちだよ」
「昔からこの手の服を着ているから私服なのだけれど、中学生の時に帰国した姉さんが同じような服を何着も買ってきたせいでアネモネへ来ると時は大体この服装なの。それに服を買ってきたときに経費で落としたとか言っていたから制服とも呼べるんじゃないかしら?」
「なるほど、分からん」
「私もよ」
まさか本人も分かっていないとは思わなかった。
青木さんの「問い詰めなきゃ」という呪いじみた声は聞かなかったことにする。
それにしても、と今度は凄まじいスピードでカタログを読み込んでいた琴乃が顔を上げた。
「なんで制服ってあるんですか? 着る服選ばなくていいから楽だけど……」
制服のメリットデメリットについては簡単なディベート対象になるレベルの難問だ。しかし、受付プロの青木さんは目を伏せながらもそつなく答える。
「実はアネモネで制服制度ができたり、探偵であることを伏せるようになったのは数年前からなんです。とある探偵一家で強盗殺人があって、その際に探偵と警察官の夫婦が殺害される事件がありました。犯人の動機が別事件で真相を見抜かれた逆恨みで……」
樹人の視線がこちらを向いている気がする。月崎もだ。
これを自意識過剰と片づけるかはさておき、理屈は分かった。
「要するに、公とプライベートを分けた方が安全ってことですか」
「東雲君の言う通りです。もっともほーちゃんのように自衛手段を携帯していればそこまで厳しくは言いませんが……」
以前月崎が呼び方を直すように依頼していたが、未だに青木さんはほーちゃんと呼んでいた。ちなみに琴乃も同じ呼称を継承しているので名前を呼ばれると不機嫌になるという珍事が起こっている。まあ、そのうち月崎も諦めるだろう。
はてさて、月崎の拳銃の入手方法も判明したところで、俺もこの探偵カタログをちゃんと読むことにした。無論、法律系の話は読み始めると日が変わりそうなのでパスだ。
防犯の観点か単に雰囲気が緩いのか、制服の種類は多岐に渡っていた。社会人のような本格的なスーツ調のものもあれば、きらびやかなドレスやゴスロリ、メイド服などコスプレ感あふれる服も揃っている。
……ちなみに男性用の燕尾服ではなくメイド服があるのだが、印刷ミスだと信じて次のページをめくった。
悪寒に耐えながらさらにページをめくると見覚えのあるベレー帽やチェック柄のコートが出てきた。これは以前、初めてアネモネへ来た際にエレベーターの場所を案内してくれた少女が着ていた服だ。この流れで見るとむしろ正統派の服装に見えるのが不思議である。
俺は適当にスーツと制服を足して二で割ったような服を選び本の端に印をつけると、そのままカタログの後半へ向かった。
テンションの高い琴乃にどの服が可愛いとかと言われて困惑した表情を浮かべる月崎。それを微笑ましそうに眺める青木さん。隣の樹人は真剣な表情で黒のロングコートを眺めているが気にしないことにしよう。
俺がポケットから懐中時計を取り出すと時刻は十時を回っていた。
コイツ等、明日学校があることを覚えているのだろうか。
そんな俺の疑問に対する回答は、翌日、樹人は宿題を忘れ琴乃は遅刻した、という事実から導けるだろう。
俺は最後に一つだけ追加の注文をしてカタログを閉じたのだった。
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