章間 ~アネモネチュートリアル~

章間 アネモネチュートリアル(上)

「それでは簡単なチュートリアルを始めまーす!」


 アネモネ七王子支部第三課こと、アビーズの四名は平日の夜九時という非常識な時間に集合を掛けられたのが、前回の誘拐事件から約一週間を経た月曜日の今日だった。


 俺達に当てられた部屋の入口には新しく「三課/アビーズ」と書かれた名札が掲げられたものの、個人の机を含めて内装に大きな変化はない。


 琴乃曰く「寮のベッドより眠れる」と評判の皮の柔らかいソファーに座った四名、俺こと東雲大和、隣の天藤樹人、斜め前の琴乃春音、正面の月崎蛍は爛々と説明を始めた青木さんを浮かない表情で眺めていた。


 というのも、月崎は小学生の頃から出入りしていたらしいので今更だろうし、俺はこの時間に集まるメリットを見つけられなかったから。樹人と琴乃に関してはまだ明日の宿題を終えていないためだろう。


 そんな不機嫌な面々を気に掛けることも無く、受付・サポート担当の青木さんはニコやかな笑みを浮かべ、鼻歌を歌っていた。


 それにしても青木さんも不思議な人である。この一週間、前回の事件の報告書作成の手伝いや自分の机の整理などで出入りしていたが、常に受付にいる気がする。


 ……いや、たまにスタッフルームへ入ってすぐの会議室っぽい机で寝ていたけど。


 ちなみに、長机の配置や部屋の隅にある共用の電動コーヒーメーカーから勝手に会議室のような部屋と呼んでいたが、ちゃんと会議室だということを先ほど青木さんから承った。


 やや小柄である青木さんがきっちりと着込んだスーツ姿で案内してくれる姿が現代版の座敷童を連想したのはここだけの共通認識である。


 溌溂とした声で青木さんが説明をする。


「それじゃあまずは前提の確認です。アネモネは全国に複数あるチェーン店方式の探偵会社です。その歴史は警察庁と有志の私立探偵との争いに遡りますが……皆さん忙しそうなので割愛します。紆余曲折を経て成立したアネモネでは、便宜上グループを第何課という呼び方をしますが、警察の様に課ごとに担当事件が異なるという訳では無いです。ただし、皆さんはまだ間もないので、基本的に凶悪な事件は回ってこないと思ってください」


 まあ、新人が殺人事件を担当とかは無理だろうしな。というか、そもそも殺人のような明確な事件は警察の担当な気もするが……そのうち分かる日が来るのだろう。


「ここまでで何か質問はありますか?」


 青木さんの問いかけに樹人が「はい」と挙手した。


「青木さん、ずっといる気がするんですが、私生活大丈夫ですか? 過労死とか彼氏とか……」


 ゴロは良いのに内容は最悪である。


 一瞬青木さんの周囲だけ時間がフリーズした気がしたが、笑顔を顔に張り付けたまま答えた。


「天藤君はあれですね、高校生活が不安なんですね? 大丈夫です、探偵はモテますよ! ……多分。あ、あと学校の友達等に極力探偵のことは話さないでくださいね」


 恐ろしき話題のすり替えに加え、それでどうやって探偵とモテるという因果関係を導くのかは甚だ疑問だ。ただ、その話し方の圧がこれ以上触れるなと物語っていた。


「で、他に質問ある方?」


 樹人は固まり、琴乃は時計を確認し、月崎は眠そうにしているが、利益主義を自称する俺には一つだけ聞いておかなければいけないことがある。


「奨学金の金額と給与は別ですか、それとも一括ですか? それと残業代は?」


 残業代、という言葉に月崎が顔をしかめたのは、前回の一件で月崎が真犯人までたどり着けなかった当てつけとでも解釈したからだろう。だが、俺の主張はそこでは無く報告書の作成や今後このように夜間呼び出されるかどうかなのだ。


 ……だから、睨むのはやめてもらえませんか、月崎さん。眠いなら寝てていいから。


 俺の問いに、青木さんはスラスラと優しい声で説明を始めた。


「奨学金は労働契約料が当たり、給与は別途出来高で支給されます。よって残業という概念はありませんが完全フレックスタイム制です。とはいえ、余程豪遊しない限りは授業料やその他を差し引いても余りある金額が奨学金として支給されますよ。勿論返済は不要です」


 フレックスタイム制ということはいつ働いても良いということだ。完全出来高というのも分かりやすくていいが、そこまで必死になって事件解決に走り回る必要が無さそうで一安心である。


 それにしてもここまで契約等を把握しているあたり、やはりアネモネにいる期間は長いのかもしれない。


 それから再度質問が無いことを確認して、青木さんは俺達に海外の某有名魔法ファンタジー作品と同じくらい分厚い探偵カタログなる冊子……というよりも本を配って説明に移った。


「今から、皆さんには制服を選んでもらいます!」

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