奨学編 後日談 後編

「丁重にお断りさせていただきます」


 俺の言葉に目を丸めて一瞬固まった後、月野先生は唐突に声を笑い始めた。


 気が済むまで笑ったのか、それとも俺の苦い表情を見て同情でもしたのかは不明だが、しばらくして落ち着くとゆっくりと口を開いた。


「一応、理由を尋ねてもいいかい?」


 理由、ね。そんなものいくらでもある。


 才能がないから。


 探偵が嫌いだから。


 そもそも奨学金は不要だから。


 だが、それ以上に俺がこの結論に達した理由があった。


「ここまで強引に勧誘してくる意味が分からないから、ですかね」


「強引? なんのことだい?」


 わざとらしさは皆無でも女狐という表現が似合いそうな具合でとぼける目の前の女性に内心で苛立ちが募る。


「……樹人は貴方の差し金ですね?」


「へえ。どうしてそう思うの?」


 しらばっくれる気もなさそうだが、無条件で教える気もない、といったところか。


 だが、この対応は首肯しているに等しく思えた。


「あいつは最初、引き留めた俺に、人が落ちたかもしれない、と言ったんです。そう、最初から人以外の可能性を考えていた。にもかかわらず、人じゃないという可能性は俺に言われて初めて検討したと言っていた。この違和感、嘘をつく意味、樹人のメリットを考えたのが始まりでした」


 あくまで物証は無く、推測の域を出ない。


 だが、それでも問わねばならないことだった。


 樹人が友人たり得る存在か、つまり利用できる人間か確認するために。


「樹人があなたの指示で俺をあの場に誘導したと仮定した場合、俺の隣ではなく正面に座ったというのは目撃者になるためであったと考えられるし、そもそも俺をあの場に誘ったのは樹人だ。それに、入学式で寝ていたことを樹人は知っていたが、何故俺の行動を見ていたのか、という疑問も残る」


 そこまで一気に言い切ると、一度息を吸って脳に酸素を供給する。


 その間に、ニヤリと笑みを浮かべる月野先生から質問が来た。


「天藤君が君を説明会に呼んだのは分かったけど、私は別に関係ないでしょ?」


「いいえ、樹人が奨学金の説明会へ俺を誘うとき、まるで俺の両親が他界していることをしっているような口ぶりでした。しかもしっかりと俺の好物な損益の話も絡めて。あの時は偶然だと片づけましたが、ここまで偶然が重なっているなら、必然と考えるべきだ。事前に俺の信条、家庭の事情を知っていたと考える場合、それをリークできる人物は限られる」


 そこで言葉を切ると俺はハッキリと理事長の目を見て言った。


「俺の家族構成のようなプライバシーを知っている、つまり学校関係者にして、俺をあの奨学金の説明会へ誘導するメリットのある人物。それは貴方だけですよ、月野先生」


 俺の問いに対して少し考えてから答えが告げられた。


「証拠は?」


「ないです。ただ、樹人の言葉を信じるなら、出会ったのはアメリカでしょうか」


「そこまでハッキリと言われると清々しいねえ。うーん、そうだねえ」


 どうやら満足いかない答えだったらしい。


 とはいえ、別に何の問題もない。ただ、俺は探偵のバイトを断っただけだ。


 俺は用が済んだので帰ろうとしていると、急に月野先生が口を開いた。


「まあいっか。そもそもどうして強引に勧誘するのか、って話だよね。なら、ヒントだけね」


 樹人に関する話題には触れず話を戻す月野先生。続く言葉はまるで秘密を打ち明けるように、されど悪戯をするような抑揚を秘めていた。


「私もね、東雲和也を探している」


 その名前を、兄の名を聞いた瞬間、時が止まったような錯覚に襲われた。


 両親の葬儀の後、忽然と姿を晦まして以来、一度も会っていない。


 それにしても先ほどの言い方が気になる。


 私も?


 これが俺を誘うこととどう関係がある?


 何をどこまで知っている?


 次々と沸き上がる疑問に俺は続きを待つ。だが、続いたのは予想よりもはるかに非論理的な言葉だった。


「私はね、君がこの学校に来たのは運命だと思うんだ。なら、その運命を私は信じたい」


 俺がココを編入先に選んだのは、全寮制の学校を探していたから。自分で選び、自分で決めたことで、決して誰かに指示されたわけではない。


 運命という言葉を文字通りには取る気はないが、深く追求するのも難しそうだったので、代わりに条件の確認をする。


「手伝えば情報を提供してくれるということですか?」


「残念ながら私なりに情報を集めてはいるものの、進展がイマイチなんだよね。必要とあらば共有はする、くらいかな。あ、もちろん給料は他の人と等しくに出すよ。社員特典くらいに思ってもらえれば大体合ってる」


 目の前に吊るされた正確な餌。


 この人の言葉をそのまま信じていいものか一瞬迷い、受けた場合と断った場合のメリットデメリットで天秤にかける。


 そうして、今の俺にとって最大の利益である、という明らかな解が導かれた。


「特別奨学金のお話、受けさせてください」


「オーケー。なら今日の10時にここへ行って」


 そう言って渡された紙に書いてあった文字は探偵会社アネモネ七王子支部。


 探偵のバイト、と聞いた時点でここではないかとは思っていた。


 アネモネは言わずと知れた探偵会社で、全国に百近い支部がある。


 その本質は警察が持て余す事件の収集で、元々国家プロジェクトとして進められていた事業が途中で破綻し、私立探偵連盟が吸収合併し、国が助成金を渡すことで成立した組織だ。


 あくまで民間人のため逮捕状などは出せないが、現行犯なら可能だし、警察を連れて事件を解決すればその場で逮捕もできる。


 ともかく、今の時代で探偵のバイトといえばここになるのは自然だった。


 場所は学生寮から徒歩十分程度のビルの五階だった。


「それと改めて自己紹介しておくよ」


 立ち上がった月野先生は真直ぐに俺を見ると告げた。


「教室では担任の月野サキ、ここでは理事長の月崎翡翠、アネモネでは局長の白崎翡翠。まあ、本名はお察しの通りね」


「妹さんがいたのは誤算ですか?」


「まあ。というか、完全に忘れてた……」


 バツが悪そうに、痛恨のミス! といった様子で語る月崎理事長。


 やけに詳しく代理の自己紹介をしたと思ったが、どうやら吹っ切れていただけらしい。


 これで終わり、というように月崎理事長は手を打つと、そのまま書類の山に向かっていった。


 俺は急遽始まった仕事の邪魔にならないよう、小さく会釈をしてその部屋を後にした。



こうして、俺の探偵生活は始まったのだった。

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