奨学編 後日談 前編
奨学金、それは学生が必要に応じて無償で金銭を買い入れるまたは受け取る制度。
したがって、労働という対価を払った場合、それは奨学金ではなくバイトと呼称するのが正しい。
だからこそ、あの月野先生が口にしたバイトという表現は実に正しいのだが、奨学金の説明会でバイトの斡旋を受けるとは思っていなかった。
不敵に微笑む月野先生。そもそも、一体何の権限があって特別奨学金という名目のバイト斡旋をしているのか。そんな俺のぼやきにに答えたのは意外なことに琴乃だった。
「理事長権限じゃない?」
「ああ、大和は理事長挨拶にたどり着くまでに寝てたからね」
「見えてた見えてた。ああまで堂々と寝られると、こっちもいっそ清々しいよね。まあ私も学生の時は寝る側だったから気にしないけど」
蚊帳の外。親近感を覚え始めていた仲間だけでSNSのグループができていたような疎外感を覚える。
そして、その言葉で俺は月野先生の、いや、月野さんの言動が繋がった。
担任になったのは理事長権限で。
この人が教室へ入ってきた時、異様に早く教室が静まっていたのはこの人が理事長なのを皆知っていたから。
人体模型を落とすことを計画したのは学生の適性を調べるために理事長権限で業者に協力を依頼した。
奨学金の学生を選んだのも同様の裁定で。
ともかく、この人はただのイカ墨パスタが好きな不審者でも、ただの担任教師でも無かったのだ。
俺の混乱を見通したのか、元からその予定だったのかは知らないが、月野先生は俺に翌日の午前八時に理事長室へ来るように言って、俺達を帰らせたのだった。
ここは早朝の理事長室。
ここへ来るには職員室を通りぬけ、校長室より更に深い場所に足を踏み入れなければならず、さながらダンジョンのボス部屋である。
土曜日の職員室は最低限の名も知らない三人の先生(中高一貫なので二学年に一人ということなのだろう)しかおらず、驚かれたものの、奨学金について理事長に呼ばれていると言ったら同情するような表情で通してもらえた。
俺がゆっくりと、厳かという表現が適応されそうなほど重たい黒塗りの戸を開けると、そこには学生が足を踏み入れるのを躊躇う空間が広がっていた。
部屋の中央には皮張りの高級そうなソファーにガラス製の机が挟まれており、壁際にはガラス戸に入った数多のトロフィーが飾られている。
そして、更にその奥、学校が一望できる窓辺に一つの作業机が置かれていた。
それぞれのインテリアは展示品のように美麗であるのに、注意深く眺めれば部屋の端に置かれた入れっぱなしのコーヒーや書類の山など生活感が見て取れた。
「こんなところで突っ立ってないで入ったら?」
不意に背後から声を掛けられ、肩が震える。
俺は振り返り、レディースのパンツスーツに革靴という固い服装にもかかわらず、ラフな口調に足音一つ立てず近づいてきた女性を警戒のあまり睨みつけた。
ただ、入口では話が進まないのも確かで、ゆっくりと部屋に踏み込む。
この部屋の主は、鼻歌を歌いながら皮ソファーに座り、その長い足をゆっくりと組むと、依然立ち続けている俺を一瞥して言った。
「では改めて問おう、東雲大和君」
俺の怠惰に過ごすはずだった高校生活を、スリルに溢れる、極めて有益な時間に変える一言を。
「君、探偵のバイトとかしない?」
足を組み、ただの担任ではなく理事長らしい圧を出す月野先生。
俺のこの問いに対する答えは決まっていた。
「……丁重にお断りさせていただきます」
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