奨学編7

 俺の呼び止める言葉に、先程よりも嬉しそうな笑みを浮かべると、月野先生は再度座り足を組んだ。


「どういうことかな?」


「いえ、この不自然の塊を説明できるのは貴方しかいないので、ここで帰られては困るんですよ」


「不自然? やっぱり落としたことが?」


 俺は軽く首肯しつつ、半ば無意識に樹人を睨みながら答えた。


「まあ確かにそれも不自然だが、それ以上に不自然なことがあるだろ。樹人は人影を見て靴下を履いていると言っていたが、それ以外は全裸だったのか?」


 それを聞いた樹人が嬉しそうに答える。


「ああ、そういうこと。もちろん、白衣と……さっきも言ったように靴下を履いていたのは見たよ」


 飄々と受け流す樹人とそれを聞いてようやく気付いた琴乃。


「そっか、人体模型に白衣を着せたのはおかしいね。それにやっぱり、なんで窓から落ちて……」


「いや逆だ。誰かが、窓から落とすために服を着せたんだ」


 少しヒントでも出すか。俺の大好物なエゴイズムで。


「そもそも、人体模型に服を着せるメリットは何だ?」


「お人形遊びとかはどうだい?」


「居残りの禁止された学校の人体模型ですることではないな」


「天ちゃん、それはちょっと引くよ」


「うう。冗談でも女の子にそう言われると辛い……」


 さすがに本気では無かったのか、樹人が胸を押さえて苦しむ演技をする。


 ……辛いと言いながら元気だな、コイツ。


「なら、落ちた時にバラバラにならない様にするためとか?」


 声の主、琴乃はこれでどうだ!と言わんばかりに、肩にかかった紺色の髪を払ってドヤ顔を浮かべていた。


 なんというか、理由もないのに内臓を猫じゃらしで弄られたような不快感に襲われる。


「それならガムテープで十分だ。衣服に拘る必要はない」


「うっ、確かに……」


 そう言うと琴野は残念そうに、しおらしく頷いた。


 ちょっとキツイ言い方だったかと反省しつつ、俺は自分の考え再度確認する。


 非現実的な仮説だと思っていたが、実際に月野先生がいた。この事実で、自分の推理が正しかったことを確信した。


「人体模型に着衣させて落下させるという不自然な行動。アレは俺達学生に落下した人を見せようとしたんだ」


「え⁉」


 声を上げて驚く琴乃と顎に手を当てて何か考えている樹人。


 口にした疑問は最もなものだった。


「何のために? 新入生への洗礼かい?」


「恐らくだが、学生の反応を見たかったんじゃないか? 統計を取って行動心理学の論文を書くとか色々思いつくが……この先は俺も分からない」


「じゃあどうするのさ?」


「だから、実際にこの一計を案じた人に直接話を聞こうと思う」


 樹人の完璧な合いの手に、隣に座る月野先生に目を向けた。


「なんで私が疑われるの?」


「それは貴方が終始不審な行動を取っていたからですよ」


「不審?」


 とぼける月野先生の瞳をしっかりと見つめると、向こうも返してきた。


 どうやら説明を要求されているらしい。全体を俯瞰して改めてこの事件を見直す。


「この問題の核心は『誰が』これを企てたかだ。この際、実行犯は改修業者でも生徒でもいいが、真犯人には何かしらの理由があったはず」


 前置きを終え、期待するような月野先生の視線を受けて、緊張でやや早口になる。


「あなたは事件が起こる前からその扉の影に居ましたね? 樹人が笑顔で会釈していたのを見ました。ただの会釈ならともかく、笑顔で会釈をしたということは、そこにいたのは知っている先輩か教師の可能性が高い。本人の談によればこの国に来てから知り合った、人間はこの学校にいないということ。つまり、今日という限られた時間で出会った、学生ではない目上の人物。それは貴方しかいないという訳です」


 まあ、本命は別にあるが、これでも通るだろう。

 それに実際に呼んだら直ぐに現れたという証拠もある。


 ここまでは月野先生が隠れていたことの証明。


 これだけならまだ言い逃れできそうだが、これにもう一つの事実が絡む。


「月野先生、あなたはこの奨学金説明会の担当者ですね?」


「あれ、そのこと言ったっけ?」


「HRで必要な人には奨学金が回るようにした、と言っていました。まるで自分の功績のようにね。このことから、奨学金の選定に関わっていたと考えるのが妥当でしょう」


「うん。なかなかいい洞察力だね。その通りだよ」


 これで言質は取った。


 詰みを示す一手を指すため、俺は一度息を整えてから口を開いた。


「これだけ学生が騒いでいるのに、説明会が始まろうとしているのに、貴方は担当教員でありながら全く動こうとしなかった。なんなら学生が自殺した可能性すらあったのに。つまり、あなたは最初からこうなることをご存じだったということですよね」


「……何か証拠でもあるの?」


 その逃げ道は想定内だ。


「物証はないですが、あの叫んでいた女子生徒三人のうち、誰か、または三人とも桜でしょう?」


 しばしの間が訪れる。


 その沈黙は俺に続きを促しているように聞こえた。


「そもそも、窓の外なんて常に見ているもんじゃない。今時の若い人間は隙があったら携帯端末を弄るなり、友達と話すなり、隙間時間にすることは五万とあるんですよ。そんな中、三人、いや樹人を含めて四人も同時に外を見ていたのは不自然だ。したがって、この三人に尋ねればきっと誰に依頼されたのかくらい教えてくれるんじゃないでしょうか。もっとも、口止めされていればやや面倒ですが、ここまで絞れれば証拠を見つけるのはそこまで手間じゃない」


 ここまで一気に言って、ワザと間を開けてから尋ねる。


「直接的な物証では無いですが、これでいかがですか?」


 俺は隣に座る月野先生を見た。


 この一件、部分的に見れば落下した人影が消えた、という他殺を匂わせる事件。


 だがその本質は、月野さんが企てた、落下した人影を見た生徒たちの行動を観察するという試験。


 学生をモルモットにして何がしたいのかは分からないが、呼ばれて素直に出て来る当たり、ただの暇つぶしではないのだろう。


 途中から呆然と聞き届けていた樹人と琴乃。


 何やら真剣に考えこむ素振りをしている月野先生が口を開いた。


「一つ質問。なんで皆と一緒に下まで見に行かなかったの?」


 想定とは異なるベクトルの質問に、樹人たちにも言った言葉を自分なりに要約し、問いに答える。


「今朝の話の延長です。俺に転落した人を救う能力は無い。できるのはその事故、または事件の真相を突き止める程度です。つまり、最大の利益を生み出すために、自分がすべき最善はこれだった、というだけです。今回は琴乃さんのハッキングという人並外れた能力に助けられましたが……」


 俺の言葉に照れる琴乃と採点に悩むように口を覆う月野先生。


 こちらを不安にするための仕草だろうが、動く眉からその表情を必死に抑えているのが伺える。


 やや間を置いて、破顔した月野先生はスッと立ち上がると俺達三人を見て言った。



「合格!」



 ……はい?


 動機は? 合格とはどういう……。


 だが、口を突くその言葉を『人の頭は飾りには重すぎる』という今朝の言葉が飲み込ませた。


「……俺達をふるいに掛けたんですか?」


「私が奨学金担当だって東雲君自身も言ってたじゃん」


「それはそうですが……」


「だから、君たちは特別奨学金の候補学生試験に合格したの。本当は行動の速さと他殺の可能性まで行きつけば十分だったんだけどね。まさか計画全体を看破されるとは思わなかったよ」


 満面の笑みを浮かべて語る月野先生と疑問符しか浮かばない俺。


 特別奨学金?


 奨学金の一覧が掛かれた黒板を再度確認するがそのような単語は存在しない。


 だが、次の一言で完全に特殊奨学金の全貌を理解した。



「ねえ、君たち探偵のバイトしない?」

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