奨学編6

 俺が声を掛けると、案の定、ドアの影からスーツに身を包んだ、黒髪の女性が現れた。


 その目は、まるで獲物をみつけた猛禽類のように輝いている。


 驚く琴乃とさも当然のように、振り向きさえしない樹人を見比べながら、その人物が俺の隣に腰を下すのを見届けた。


「私もそろそろ気になってたんだ。それじゃあ推理を教えてくれるかい、探偵君?」


 探偵という響きに一瞬顔が歪むが、俺はコホンと咳払いして話し始めた。


「この件の奇妙さは『落ちた人影が消えたこと』この一点に尽きる」


 俺の言葉に固唾を飲んで頷く同級生二人。一方で月野先生は無表情を貫いていた。


「先も言ったが、落ちた人が自分で動いた可能性は著しく低い。途中でしがみ付いた可能性も無くはないが、他の生徒が見つけているだろうし、握力的にもあまり現実的ではない」


「そうだね。私も常人じゃ、速度を落とすのが精いっぱいだと思うよ」


 今度は月野先生も俺の話しに頷いてくれた。


 俺はそのまま話続ける。


「人影は間違いなく地面に落ちて、自力以外の方法で消えた。つまり」


「……誰かに動かされたの? ってことは奥に見えた業者のトラック⁉」


「その通りだ」


 俺は琴野の言葉を首肯する。だが、二人とも俺が人陰、という言葉を選んだ意図には至っていないらしい。


 そのせいで琴野は余計な勘違いをしてしまう。


「えっ⁉ ならこれって殺人事件なんじゃ……」


「いや、そんな物騒なものじゃない。、ただの」


「東京湾に沈める的な?」


「だから物騒なものじゃないって言っているだろ」


 未だに納得いかない表情の琴野と、ワザとらしく何か悟ったように手を打つ樹人。こいつ最初から分かっていたんじゃなかろうな。


「そっか。人じゃないのか」


「正解だ。……見えていたのか?」


「いや、今大和に言われて気付いたよ」


「え、どういうこと⁉」


 表情を崩さずに語る樹人を無視し、慌てる琴乃に俺はゆっくりと言い聞かせる。


「樹人が見たのは人影、つまり、人型の影であって人ではない」


 未だに頭にクエスチョンマークを浮かべる琴乃に順を追って説明する。


「ここは実験棟だ。つまり、理科系の教室が多く集まっている。人型の何かが置いてある部屋に心当たりはないか? よく七不思議に出て来る」


「花子さん?」


「人ではない人型……かもしれんがアレはトイレに縛られているから飛び降りはダメだろ」


「なら火の玉?」


「語感とカルシウムの炎色反応って意味ならある意味近いな」


 面倒になってきたので答えを言おうかと口を開きかけたところで、ついに待望の正解が現れた。


「もしかして……人体模型?」


 俺が首肯すると口に手を当てまま驚きで硬直する琴乃。


 答え合わせをするように隣の月野先生に問い掛けた。


「この教室のちょうど真上に、生物室や人体模型が置いてあったりしませんか?」


 その問いに口角を上げて返事が来る。


「あるね。去年の文化祭でお化け屋敷をした生徒たちが、間違ってボンドで隈なく縫い留めてしまった人体模型が一体ほど。それはもう、何やっても戻らない、文字通り隙の無い完璧な接着だったよ」


 懐かしむような声にどうしようもないほど下らない話を聞いて辟易とする。


 が、今度は月野先生から質問が来た。


「それにしてもどうして人体模型なんて思いついたの? 別にその話を知っていた訳じゃないんでしょ?」


「ああ。これは偶然なんですが、今日配布された予算一覧に新しく人体模型を買い足したと書いてあったので」


「ふふ。その幸運も含めて天賦の才だね」


「やめてください」


 謙遜ではない、俺の拒絶に月野先生は少し驚いた表情をするが、それきり何も聞いてこなかった。


 俺はここまでの話をまとめるため改めて口を開く。


「つまり、今回の一件は不要になった人体模型を落とした、そして下にいた人が回収して捨てた。そういうことだ」


「へえ、なるほどね」


「うん。言われてみれば納得。でもどうしてそんなことしたんだろうね。危ないのに」


「業者の人たちが下すのが手間だったんじゃないかい? どうせ捨てるなら壊れても問題ないし」


「それもそっか。手が滑って偶然落ちた可能性もあるしね」


「そうそう」


 口々に頷く樹人と琴乃。


 コイツ等、本気で言っているのか?


「偶然ならこんな直ぐに回収できる訳がないだろ。最初から落とすつもりだったんだ。もっとも、普通ならそんな雑な業者いないがな」


 俺の言葉にきょとんとする琴乃と楽しそうに笑みを浮かべている樹人。


 まるで一見落着のような雰囲気を出していた二人に疑念を抱く。


 この有り余る不自然さに何故気付かないのか。


 やや残念そうな顔をして隣の月野先生が腰を浮かせる。


 だが、本番はここからだ。


 まだ主役に退場してもらう訳にはいかない。


 俺は努めて冷静な声で問いかけた。


「月野先生。あなたの目的を伺ってもいいでしょうか?」


 それを聞いた月野先生が嬉しそうに目を細めたのを俺は見逃さなかった。

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