奨学編4
匿名で『金は好きか』とアンケートすればyesと答える人間がほとんどだろう。
お金で買えないものは無い、というのは確かに真実だが、大枚を叩けば大抵のものが手に入るのも事実。
俺がこのようなことを考えていたのは奨学金説明会の開かれる教室で黒板に書かれていた最高額が、年間で1000万円とちょっと想像を絶する額だったからだ。
ジャージをリバーシブルで着ている作業員とすれ違うなど妙に印象深い出来事を経て教室へ入るなり黒板を見て絶句していると樹人が俺の肩を叩いてきた。
「僕ちょっとトイレ行ってくるから。大和は適当な席に座ってて」
「ああ」
頷いて引き返す樹人を見送ると教室を確認する。
教室にはガスの元栓の置かれた黒い耐熱性の机が九つ並べられており、それぞれの席には向かい合って二組、計四人ずつ座れる設計だ。二つある出入り口の間の壁には何やら周期表や宇宙系のポスターが貼ってあり、生徒から見て入口が右手になる壁にスライド式の黒板が設置されていた。
窓の鍵の上には『ペンキ塗り立て。さわるな』という注意書きがあるが、窓を閉め切っているにもかかわらず匂いは皆無。恐らく理科室の換気能力の高さ故だろう。
俺は適当に無人の机に入口を向く方向で陣取ると座って頬杖を突く。
何となく目に入った周期表を眺めて、脳内で語呂合わせが自動再生された。
すいへーりーべーぼくのふね。
有名なものだが、そもそもリーベ―とは何だろうか。
漿果? ……それはベリーか。
そんな下らない乗りツッコミをするほどには暇だった。
実に不毛にして非生産的なので、鞄から奨学金に関するプリントを取り出し確認する。
すると聞き覚えのある声が降ってきた。
「東雲君、ここ空いてる?」
顔を上げると樹人の後ろに座っている、紺色の髪をしたインドアと陽キャのハイブリット型少女がいた。
名前は確か……そう、琴野だ。
「連れが一人来るだけだ」
「うん。ありがと」
琴乃はそう短く答えると俺の斜め前に腰を掛け、すぐに取り出した小型タブレットを弄り始める。
頴稜学院ではタブレットは授業に用いるため必需品であり、このように教室で触ること自体は何の問題もない。ただ、折り畳み式のキーボードを叩く手はまるでピアノを奏でるように華麗なものだった。
「どしたの?」
俺の視線が気になったのか、琴野が不思議そうに尋ねてくる。
ちょっと見過ぎたか。
俺は視線を紙に戻すと、淡々と感想を述べた。
「随分と綺麗な操作だな」
「ふふ。ありがと。まあ小さいころからずっと遊んでたからね。私の手足みたいなもんだもん。シノッチは機械の扱いとかは慣れてる感じ?」
「まあ人並以上には……シノッチ?」
聞き慣れない単語が飛んできたため不本意ながら顔を上げ、復唱すると琴野が満足げに頷く。
十五年しか使っていない耳が壊れたかとを残念に思ったが、どうやら気のせいではなかったらしい。
「東雲君だからシノッチ」
「もう少し何かないのか?」
「えーいいじゃん。可愛いし」
何がいいのかさっぱり分からないが、訂正する気はないようだ。
俺が名前を覚えられていたことに驚き半分、発言内容に呆れ半分で困っていると、近くのドアから笑顔で会釈した樹人が入ってきた。
こちらに向かって歩いてきた樹人は一瞬目を丸めた後、悪戯をするように口を開く。
「お待たせ大和。僕がいない間に女の子を捕まえたのかい? さすがだね」
「何がさすがか分からないが、そんな浮ついた人間に見えるなら素直にショックだ、とだけ言っておこう」
「冗談だって」
樹人は誤魔化すように手を振ると、今度は俺達のやり取りを不服そうに見ていた琴野に話しかけた。
「琴野さんだよね。教室では話す機会は無かったから話せて嬉しいよ。よろしく」
「天藤君、だっけ? ってことは天ちゃんかな。こちらこそよろしくね!」
天ちゃんと呼ばれた樹人がどのような反応をするか興味深かったが、特に呼ばれ方については気にしないようだ。
それから二人の雑談に適当に合図地を打つだけに留めて俺は取り出した奨学金の説明プリントに視線を戻す。
樹人が俺に話しかけ、その隙に琴乃が何やら端末を操作していた。
それはそんな矢先のことだった。
「「「きゃあああああああ」」」
突如、三人の女子生徒の悲鳴が教室に鳴り響いた。
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