奨学編3
早朝から奇妙な人達に絡まれてしまったせいだろう。そうでなければ、この不可思議な事象に説明がつかない。
まだ寒い春の日差しの中、入学式のために案内された二階建ての講堂には、映画館のような豪華な椅子が備え付けで並べてあった。教室に行くことなく、最初から行動へ案内されるのは意外であったが、大して荷物もないので文句を言うこともなく入口で渡されたパンフレットに従って、高校入学組のクラス、J組の席に座った。
……ここまでは覚えている。
覚えているのだが、次の瞬間には開会ではなく閉会の辞が述べられ、解散して教室へ移動になっていた。
過去の過ちを悔やむことは無益な行為でも、見つめなおすことは有益だ。
だが、無益と分かっていても、途中で新入生起立のようなイベントが無かったことを祈るくらいは許されるだろう。
消音のため引かれた絨毯の廊下を進み、目的の4年J組の教室を見つけると、教室の入口に群がるクラスメイトから一歩引いたところから座席表を確認して、教室に足を踏み入れた。
廊下と同様、消音用の絨毯が引かれた床にプラスチック製の机。教室には前後の出入り口があり、正面にはホワイトボードが置かれている。教室の中央にはプロジェクターもついており、実に文明的な内装だった。
先程確認した出席番号順と思っていた席順は予想に反してランダム配置だ。
窓際の最後尾から二番目という実に理想的な座席に荷物を置くと、二度寝の副作用として脳内を占領する寝ぼけた頭を醒ますため、登校前に寮の食堂の自販機で買ったミルクティーを口に含む。
頬杖を突き、軽く欠伸をかみ殺して外の風景を眺めていると、隣の席の椅子を引いた人物が声を掛けてきた。
「良く寝てたね。一夜漬けでもしてたのかい?」
振り向くとそこにいたのは金髪の青年だった。若干制服を着崩してはいるものの髪色に対して不良めいた印象はなく、オシャレとかそういう類でもなさそうだ。なんというか、そう、飄々とした、という単語が似合う。
それにしても寝ていたところを見られていたのか。近くにこんな髪色の奴が座っていたら覚えているだろうが、残念ながら記憶にない。これの意味するところについては深く考えないのが吉だ。
俺は羞恥を誤魔化すようにおざなりに返す。
「試験も無いのに何を漬けるんだ?」
「梅とか?」
「シソと塩か?」
「うーん。僕は焼酎の方が好みだけどね」
「おい、未成年?」
「大丈夫。しっかりと煮詰めてアルコール飛ばすから。ついでに砂糖を入れるとベターだね。食べ物は甘ければ甘いほど良い」
「なら、最初からジャム作れよ……」
それもそうか、と笑う少年。
このくだらない会話において、基本的には綺麗な標準語だが、ベターという単語だけ妙に発音が良かったことから、英語圏出身と推測できる。付随して既にクラスで浮き始めているこの髪色も地毛の可能性が極めて高くなった。
この裏付けを兼ねて、ひとまず自己紹介をすることにした。横文字なら確定だが……。
「俺は東雲大和だ。名前を聞いても良いか?」
「ああ。まだ言ってなかったね。僕は天藤樹人。樹人って呼んでね」
「なら俺も大和でいい」
「了解。よろしくね、大和」
本日初めて出会ったまともな人との会話に若干の感動を覚えつつ、横文字の名前でなかったのは残念に思う。
まあいい。別にコイツの生い立ちがどうであれ、これから三年間、同じ学びやで過ごす仲間なのだ。俺としたことが無益な思考をしてしまった。
それからしばし、好物など初対面らしい会話に花……は咲いていないから草……も違うか。ともかく会話を続けていると、教室の椅子がほぼすべて埋まり、三々五々と言った具合に部屋が温まってきた頃、教室内の異様なほどの騒めきが水を打ったように静まり、不覚にも見覚えのある女性が入ってきた。
今朝、喫茶店で絡んできた不審者こと月野さんだ。
小躍りするように教壇へ上がると、紙の束を教卓に置いて露骨にこちらへ視線を向けて来るが、無視する。ただ、その視線に本当だったでしょ?という幻聴が聞こえた気がした。
ひとまず脳内の呼び方を月野先生に訂正する。
「私がこの一年間担任をすることになった月野サキです。プリントとか配布物多いから、これ配りながらだけど、早速各々自己紹介してください」
ろくな挨拶もなく、急な振りを受けた最前列の右端の生徒が戸惑いながらも自己紹介を始めた。
俺はそれをBGMに、俺は配布物をざっくりと眺める。
各クラスの名簿、今月の食堂のメニュー表、シラバスは、まあ要るか。昨年度の予算は……設備費は分かるが、この人体模型×2というのはどういうことだろう。……元の用途が観賞用だから布教用か? 校舎内工事に伴う放課後の居残り制限については、しばらく部活に入る気も無いから無視でいい。奨学金説明会は、両親が他界しているし条件的にはいけそうだが、資産的には不要だな。
そうプリントの取捨選択をしていると、いつの間にか樹人の番になっていた。
爽やかに髪をかき上げて樹人が立ち上がる。
「初めまして、天藤樹人です。先月までアメリカにいました。後、良く聞かれるんで先に言っておくと、この髪色は地毛です。よろしくお願いします」
実に当たり障りない自己紹介だが、やはり地毛だったか。まあ、アメリカにいたことと髪の色自体は因果関係が無いので、親がアメリカ人と考えるのが自然だろう。
それにしても後数人の所まで回ってきていたらしい。
ふと教卓を見れば月野先生が実に退屈そうに書類仕事をしていた。
……それでいいのか、教師よ。
内心でツッコミをしていると、樹人の後ろの席の女子生徒が勢いよく立ち上がった。
「アタシは琴野春音です。趣味は機械いじりとプログラミング。よろしく!」
背まである紺色の髪にリボンで結わえられたポニーテール。容姿も可愛らしく明るい挨拶という実に人気が出そうな雰囲気を醸し出してはいるが、そこに機械いじりというパーツが加わることによって活発な外見とインドア趣味の混沌が出来上がっていた。
他の面々も同じことを思ったのか、どう接するべきか思案している顔だ。
それから少しして、前例に倣った無個性の塊のような自己紹介を終えて座ると、ふと背後の席が空であることに気付いた。
他の人たちも気づき始めたのか教室が騒めく。
やがて月野先生が立ち上がり、取りまとめに入った。
「ああ、そこの角の席の子は休みだよ。理由は家の事情らしいから私が担任として代わりに自己紹介しとくね」
そういう月野先生の顔は実にあくどい笑みが溢れていた。
世の中には『宇宙人以外……』とか、古典落語並の有名な自己紹介文もあるが、教師に自己紹介をしてもらう生徒というのもかなり珍しいのではなかろうか。
間もなくして紹介が始まる。
「名前は月崎蛍。趣味はお茶と散歩と読書」
……老後も安泰な趣味だな。
「ちょっとドジなところもある人間不信な冷たい子だけど、悪い子じゃないからよろしくしてあげてね」
一見フォローしている様に見えて結構ボロクソな評価である。
もっとも、ただの担任にしては月崎なる人物の詳細まで把握しているのはいささか不自然に思うが、今朝の時点で俺の名前を知っていた以上、かなり高い情報収集能力があるということで説明がつく。
まさかと思うが、俺を含めたクラスの全生徒の個人情報を調べ上げているのではあるまいな……。
俺が不審な目を向けていることに気付いたのか、まるで話題を逸らすかの様に月野先生は言った。
「あ、ちなみに本来担任をする予定だった先生は、今朝、豪華客船による世界一周旅行が当たったので急遽一年間の休暇となりました。きっと今頃海の上でバカンスを楽しんでます」
今朝当たったのであれば、まだ陸だろう、というツッコミが出てこない程度には想像の斜め上を行く発言。
このすべての発言が冗談に聞こえる担任の厄介性について、薄々感じ始めていた俺達生徒陣だった。
「はい。それじゃあ配ったプリントの説明をします」
仕事モードにでもなったのか、月野先生の声が急に冷めたものになった。
「えっと、シラバスとかは適当に読んでおいて。それから名簿一覧表は何だかんだ使えるので大切にとっておくこと」
そう言われて名簿をパラパラとめくり我らがJ組を確認すると、担任の名前の位置がやや右上にずれていた。今朝担任が変わったというのは本当らしい。
「次に、予算もまあ適当でいいです。君たちが生徒会を脅迫したい時に役立つかもしれないけどね」
口調は変われど、淀川の様に淀みなく非道徳な発言を紡ぐ月野先生。やはり、この人は琵琶湖に沈めた方が良いかもしれない。
「奨学金の案内ですが、場所は実験棟四階の化学室です。実験棟というのは東の渡り廊下を渡った先の校舎で、五階建ての建物です。屋上は昼食用に開放されているので、そのうち行ってみるのもいいでしょう」
屋上が解放されているというのは今時の学校にしては実に珍しいが、そのような青春らしいイベントは縁が無さそうなので頭の片隅に留めるに済ませる。
「奨学金について聞くのは自由。条件に幅があるから、『我こそは』って人は行ってみてください。ただ、本当に必要な人は必ず引っかかる様に丸め込んでおいたので、そこは安心して大丈夫です。それ以外の人は改修工事があるのでさっさと帰宅すること。学校の食堂も閉まっているから昼食は外で食べてください」
そこまで言って、糸が切れたように口調が戻った。
「はい。今日のLHRはここまで。レクレーションとか教科書配布は週明けにやるから今日は解散。はい、じゃあね」
唐突な解散という言葉にイマイチ反応できない生徒たちの様子を俯瞰的に眺めながらも号令という文化のありがたみを感じていた。
軽く手を振り教室から出て行く担任を見送って、徐々に人が動き始めた。俺も流れに乗るようにゆっくりと立ち上がると、配布物を鞄にしまい帰り支度をする。
「大和はこの後どうするの?」
「特に予定はないから帰って部屋の整理でもするつもりだが……」
俺の返事にやっぱりと言うように手を打つと楽しそうに提案を投げてきた。
「それなら奨学金の説明会に行ってみないかい?」
「奨学金? 別に興味はないが……」
「でも、ただでお金が貰えるなら美味しいでしょ? 両親が他界していたらほぼ確実にもらえるらしいし」
俺を誘う上で完璧な文句に思わず押し黙る。
コイツには親が鬼籍に入っていることを話していないはず。
……いや、さすがに偶然か。
俺が頷くと、樹人は何やら人の悪い笑みを浮かべた気がした。
「ふふ。楽しみだね、説明会」
こんな退屈そうなイベントのどこに面白みの欠片を感じたのかは甚だ疑問であった。
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